Grace


 羽根ペンの手を止めて書類にしたためられた文字を見返し、再びペン先にインクを付け
る。自らの名を記してペンを置くと、リュミエールはほっと溜め息をついた。
 と、ちょうど時を見計らったようにノックが響いた。返事をして顔を上げたリュミエー
ルは、扉を開けて入ってきた人物を目にし、はっと目を瞠って立ち上がった。
「いや、良い」
「ジュリアス様……」
 呆然と、かの人の名を呟いて、リュミエールは我に返ると顔を赤らめた。みっともない
ところを見せてしまった、恥じ入る姿を見つめるジュリアスの紺碧の瞳にやわらかい光が
宿る。
「私がそなたの執務室に出向くのはそれほど珍しいか?」
「いえ、…………。申し訳ございません、取り乱しまして……」
「フッ、構わぬ」
 短く告げ、すっとリュミエールに歩み寄る。小川のせせらぎのように優しく波打つ髪を
一房手に取り、ジュリアスは楽しそうに目を細めた。
「そのような顔を見ることができるのなら、これからはたまにこうしてそなたを訪ねてみ
ようか」
 透き通るような白い肌が桜色に染まるのを眺めつつ、手の中の髪に口づける。
「何かご用がおありでしたら、私がお伺いいたしましたのに……」
「いや、こればかりは私から出向かねば意味がない」
 柳眉をひそめ、かすかに首を傾げたリュミエールに、ジュリアスは愛しさを眼差しに込
めて口を開いた。
「リュミエール、そなたがこの世に生を受けたこの日に、私は感謝を捧げよう」
「え……っ」
 けぶる湖面のような淡い色の瞳がゆっくりと見開かれる。ジュリアスの顔をまじまじと
見つめ、リュミエールはさっと頬を染めた。
「あ……、ありがとうございます……」
 わき上がる喜びを抑えられず、わずかに俯いてほころんだ口元に手を添える。その手を
取り、顎に手をかけ顔を上向かせると、リュミエールは睫毛を震わせて目を閉じた。
 一度、ついばむ口づけをして、しっとりと唇を重ね合わせる。舌先で唇の合わせをなぞ
ると、リュミエールは素直にジュリアスのために道を開けた。その先に待つ濡れた舌を舐
めゆるく吸い上げると、鼻にかかった甘い声が上がる。なだめるキスを唇と頬に落とし、
視線を合わせて微笑みを交わす。
「リュミエール、私のために茶を入れてくれるか」
「……はい、喜んで」


 ジュリアスがリュミエールのために選んだ誕生日プレゼントは、紅茶の葉だった。ごく
わずかな量しか採れないため、大変高価で、守護聖といえども入手は困難な銘柄である。
「ジュリアス様、これは……!」
 これを入れてくれ、と手渡されたそのラベルを見て、リュミエールは大変驚き、そして
恐縮した。あまりにも予想通りの反応に、ジュリアスが苦笑を漏らす。
 謙虚なリュミエールが自分からこの茶葉を頼むとは到底思えなかった。だからこそジュ
リアスはそれを贈ることにしたのだ。何が何でも手に入れるようにとまで言って。──彼
がこよなく愛する馬に対しても、ここまで強く入手を望んだことは、今までにない。
「何が良いか迷ったのだが、共に楽しむことができるものが良いかと思い、紅茶にした。
せっかく贈るのなら、そなたが自分では頼みそうにないものを、と思ったのだが……、気
に入ってもらえただろうか」
 かえって気を遣わせてしまったか、とジュリアスが不安そうに呟くと、リュミエールは
慌てて首を振った。
「いいえ、とんでもございません……! ──あなた様が私の誕生日を覚えていてくださっ
ただけでも光栄ですのに、このような素晴らしい贈り物までいただいて……。嬉しくて、
まるで……、夢を見ているかのような心地がいたします」
「そうか、それは良かった。──本来なら、祝われる立場のそなたに茶を淹れさせるなど
もっての外だが、慣れぬ私が淹れるよりそなたが淹れた方が、この茶葉も幸せであろう」
「まあ……。────ふふっ、ではご期待に添えるよう、心を込めて淹れさせていただき
ますね」
 微笑んで茶を淹れに向かうリュミエールの背中を、ジュリアスはゆったりと椅子に背を
預けて見送った。彼が背もたれに寄りかかる機会というのは、公私を合わせてもあまりに
も少ない。その数少ない機会のひとつが、こうして恋人の後ろ姿を見つめる時、今この時
である。
「──お待たせいたしました」
 やがて、茶器を載せたワゴンを押して、リュミエールが戻ってきた。
 主自らが手入れを施す白磁の茶器は、湯を張られ温められている。隣には、揃いの白い
皿に、シフォンケーキが載せられていた。
「ほう、用意が良いな」
「ちょうど今朝、マルセルがくれたのです。これならどんなお茶にも合うから、と。──
──あの時は何のことかわかりませんでしたが、今思うと……まるでジュリアス様からの
贈り物を知っていたようにも聞こえますね」
「そうか、マルセルが……」
 ジュリアスは、淡いハニーブロンドの少年を思い浮かべた。
「あの者は、まだ年若い故の幼さもあるが、良くやってくれている。手作りの菓子を差し
入れに来るタイミングの良さには、毎度驚かされるな」
「ええ、そうですね。──クラヴィス様も、彼がチュピを連れて執務室やお屋敷にやって
来るようになってから、少しお顔が優しくなられたように思われます」
「あれが変わったのはリュミエール、そなたのおかげであろう。そなたがいなければ、私
たちはいまだに相互理解の努力をしようともしていなかっただろうからな。まあ、今でも
理解に苦しむところはあるが、ここまで歩み寄れたのはそなたがいたからこそだ。感謝し
ているぞ」
 二人の冷戦状態を憂いたリュミエールがジュリアスのもとに日参し、話し合ったり、茶
会の席を設けたり、ハープを奏でたり、との努力を続けるうち、あれほど険悪だったジュ
リアスとクラヴィスの関係は改善の兆しを見せるようになった。それと同時に、ジュリア
スとリュミエールの、互いに対する気持ちも少しずつ形を変えていき、──いつしか、何
物にも代えがたいものとなっていたのだ。
「──もったいないお言葉、ありがとうございます」
 恥じらうように目を伏せたリュミエールに、ジュリアスは愛おしげに目を細めた。儚げ
にすら見える彼の、強さに裏打ちされた細やかな気遣いに一体何度救われたことだろう。
「そなたとの会話には、私も学ぶところが多い。立場柄、多面的に物事を見るよう努めて
いるつもりだが、それでもそなたに言われて初めて気がつくことも多いのだ。オスカーは
そなたの意見を甘えた理想論だと言うが、私はそうは思わぬ。確かに優しすぎると思うこ
ともあるが、一貫した姿勢は、私も見習わねばと思っている。──そなたの理想と私の理
想とをうまく共存させることができれば、全ての民が平和に幸せに暮らすことができるの
であろうな」
 民のさらなる幸せを祈るジュリアスの姿に、リュミエールは心を奪われた。首座の守護
聖として責任ある言動を求められる彼の、自信に満ちた言動の、揺るぎない瞳の奥の苦悩
を、推敲を、知る者は少ない。それはジュリアス自身がそう努めているせいもある。だが、
だからこそ、時折垣間見える逡巡や希望や、屈託のない微笑みは、森を抜けた先に現れた
湖面の反射のように、驚きと喜びとを与えるのだ。
「ジュリアス様……」
 ジュリアスが思い描いているであろう理想郷を、リュミエールもまた頭に描く。うっと
りと呟いて、リュミエールははたと我に返った。
「あの、ジュリアス様……、そろそろ、…………執務にお戻りにならなくともよろしいの
でしょうか……?」
 名残惜しさを隠せず、遠慮がちに口を開く。するとジュリアスは、なんと口元をほころ
ばせた。
「ああ、良いのだ」
「え……?」
 呆然とするリュミエールに、ジュリアスは楽しげに瞳をきらめかせる。
「火急の案件は全て片を付けた。あとは明日でも支障のないものばかりだ。──そなたも、
急ぎのものは片付いているのであろう? ならば、日頃勤勉に執務に励んでいる私たちが
半日ほど“息抜き”をしても構わぬのではないか?」
「ジュリアス様……。──ああ、ありがとうございます……!」
 喜びを露わにするリュミエールに、ジュリアスもまた喜びを感じ、満足げに頷いた。
「では、お茶のおかわりをお入れいたしましょうか」
「ああ、頼む」
 席を立つリュミエールを目で追って、ジュリアスは眩しげに目を細めた。
 レースのカーテンを揺らして、風が優しく頬を撫でる。
 穏やかな午後の陽差しが、優しさに満ちた部屋をやわらかく包み込んだ。

                                    fin.


こめんと(by ひろな)          2001.5.3

間、間に合った……!
──と言うのが第一声(^^;) マジで本音(^^;)
と、いうわけで、ジュリリュミでございます。
どうよ、このお上品な人々は(笑)。書いててめちゃめちゃ楽しかったんですけど。ジュリリュミ、かなり萌えてます。っつーかかなりドリームです(笑)。また書きたい!
今回、ジュリリュミ、ということで、ぜひリュミちゃんに言っていただきたいお言葉があったのですが、……まさかこの真面目な二人で、執務室でコトに及ぶわけにもいかず(^^;)、結局言ってもらえませんでした。なので、そのためにも、またジュリリュミ書いて、今度こそ……!




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