HERO『将軍! ヴィクトール将軍!』 ばたばたと足音を響かせて駆け寄ってくる小柄な影。 『どうした。何かあったのか?』 嬉しそうなその表情を見れば、何か良いことが“あった”のは一目瞭然だ。 『はいっ! 聞いてください! ──おれ、さっきの練習試合、ミゲールさんに勝ったん ですよ!』 『────それはすごいな。やったじゃないか』 感嘆を素直に告げて頭を撫でてやると、少年はくすぐったそうに首をすくめ、満面の笑 みを浮かべた。 世界が、揺れる。音を立てて壊れていく。 各地で戦いを、その非道さを見てきたヴィクトールですら、その光景には恐怖を覚え、 立ち尽くした。 自然の力とは、かくも偉大で、────恐ろしいものなのか。 はっと我に返り、部下の静止の声を振り切り走り出す。 『だめです! 将軍、戻ってください! 早く脱出しましょう!』 『脱出だと!? 何を言っている、あいつらを見捨てるのかっ!!』 『この有様じゃもう無理です。この上あなたまで失うわけには……っ』 見えない敵から、走り、走り、逃れ逃れて、最後にヴィクトールに残されたものは。 『将軍────!!』 『──っ!!』 消えない顔の傷跡と、癒えない心の疵痕。 * * * 「────っ!!」 カッと目を見開き跳ね起きて、ヴィクトールは深く溜め息をついた。 「夢、か……」 久しぶりだ、この夢を見るのは。知らず、手が顔の傷跡を辿る。 寝台から降り、水差しからグラスに注いで一口含む。もう一度息をつくと、ようやく五 感が戻ってきた。 ここは、聖地の一郭、学芸館──精神の館。 カーテンを開け、窓を開け放つと、朝の澄んだ空気が肺に浸み込む。白み始めたばかり の空の色が、過去に自分を慕ってついてきた一人の少年の瞳を思い出させた。 「そうか……。──フッ、確かに、少し似ているな」 わずかに苦笑を漏らし、ヴィクトールは着替えのシャツを手にバスルームに向かった。 「ヴィクトールさん、おはようございます!」 もう馴染みになった、朝の挨拶。 やわらかそうな栗色の髪を風になびかせて、ランディが駆けてくる。 「ランディ様、おはようございます。今日も元気そうですね」 「はいっ! ──あれ? ヴィクトールさん、何かありましたか? 少し元気ないように 見えますけど……」 空色の瞳に覗き込まれ、既視感に思わず後ずさる。 「あ、いや、別に……。────いや、ちょっと夢見が悪かったので、そのせいでしょう」 「いやな、夢を……見たんですか?」 ランディは、まるで自分のことのように悲しそうな顔をした。 「もう過ぎてしまった、過去のことです」 大丈夫だと、慰めるつもりで口にした言葉に、ランディははっと目を瞠り、何度かため らった後に、言いにくそうに口を開いた。 「あの、それって……、部下をなくされたときのことですか」 「!? なぜそれを……!?」 「すいません。人が話しているのを聞いてしまって……。ヴィクトールさん本人が言わな いことを、そんな風に知ってしまうのはどうかと思ったんですけど……」 眉を寄せ、困惑の表情を浮かべるランディに、ヴィクトールは自分が感情的になって声 を荒げてしまったことに気がついた。 「あ、いや、すいません、俺の方こそ。──ランディ様、良かったら話を聞いていただけ ますか?」 「え。──あ、俺で良ければ」 「ええ、ぜひ」 「じゃあ、湖にでも行きませんか?」 「湖? ──と言うと、あの、森の?」 あそこは確か恋人たちの湖とかいう気恥ずかしい別名がついていたはずである。返事を ためらうヴィクトールに気づき、ランディが手を振って否定した。 「えっ? あっ、いえ、別に何にも意味はありませんよ。昼間や夕方は、恋人たちがたく さんいて、行くのは恥ずかしいけど、これだけ朝早いとさすがに誰もいなくて、静かでい いとこなんですよ」 無邪気に笑うランディの後について湖に向かい、まだ朝もやの残るその光景を目にし、 ヴィクトールは言い知れぬ感銘に胸を打たれた。 「どうです、綺麗でしょう。──ひっそりとしていて……時が止まったような気になる。 でも、もう少しすると朝陽が射し込んで、湖面が一斉に生命を得たように輝き出すんです」 かすむ湖面を見つめるランディの横顔は、いつもより少し大人びて見える。同じように 湖に目をやり、ヴィクトールは今朝方の夢を──己の過去を語り始めた。 「────そうだったんですか……」 聞き終えて、しばしの沈黙の後、ランディは小さくそう洩らした。かすかにひそめられ た眉の下、空色の瞳には死者を悼んでいるのか朝もやのような翳りが見える。 「悲劇の英雄、などと言えば聞こえは良いが、……結局俺は、誰一人として助けることが できなかった…………」 自分を慕ってついて来てくれた彼らに、応えてやることが、できなかった。 「でも、あなたが生きてるじゃありませんか」 はっとして顔を上げると、真摯な眼差しがヴィクトールを見つめていた。 「彼らの望みが、ヴィクトールさん、あなたを生かすことだったのなら、──あなたは十 分彼らの想いに応えてます。彼らを忘れず、あなたが生きているだけで、それで十分です。 助けられなかったことを悔やむんじゃなくて、助けてもらったことを感謝して、あなたは 生きてください。いつまでも過去に縛られているあなたを見るのは……つらいです」 ランディの言葉が、懐かしい声で聞こえた気がした。 言葉をなくして瞠目するヴィクトールの前で、ランディの姿に、入れ替わり立ち替わり、 失った戦友たちの姿が重なる。 最後に現れた、黎明の空の色の瞳を持つ少年は、あの日と同じように、笑っていた。 「ヴィクトールさん、俺、あなたはやっぱり英雄だと思います。それだけ多くの人に、そ んなにも慕われて。──ヴィクトール将軍、誇りを持って、強い精神を持って、前に進ん でください」 懐かしい面影が朝もやに薄れ、ランディの姿に戻る。 「ランディ様……」 「あっ、ヴィクトールさん、見てください! ──ほら!」 指差す方向に目を向けると、湖面を覆っていたもやがすっと薄れ、射し込んだ朝陽が反 射しきらめき始めた。音なき生命の讃歌を見つめていると、心の中にずっとはびこってい たもやもやしたものが、朝陽に切り裂かれて消えていくように思える。 清々しい空気で肺を満たし、隣のランディを見やる。見慣れているだろうに、ランディ は、この景色を初めて見るかのように目を輝かせていた。 湖面の反射を映す空色の瞳は、未来へ続く、希望の証。 ヴィクトールは、太陽の髪を持つ少女と、若葉の瞳を持つ少女とを思い浮かべた。 彼女たちの中に眠る光を、もっと強く大きく、揺るぎないものへと導くために。 まずは自分が、導き手にふさわしい強い精神を持たなくては。 「ランディ様」 呼びかけに振り向き、一瞬驚いた顔をして、ランディは力強い笑顔を浮かべた。 「ヴィクトールさん、また今度、剣の稽古をつけてくれませんか?」 「ええ、喜んで」 微笑みを返した赤褐色の瞳は、百獣の王のように、強く気高く輝いていた。fin. こめんと(by ひろな) 2001.4.30 ランヴィクを期待していた皆さま、ごめんなさいm(_ _)m やっぱり私、ヴィクトール将軍でやおいものはちょっとダメです……(-゛-;) ふつうに(?)ランディ&ヴィクトール、です。 でも私、実はヴィク様とあまりお話ししたことないので、彼の過去のことも詳しく知らなかったりするんですよね……。それなのに過去ネタでやるとは、何てヤツ(^^;) 回想シーンで出てきた少年、……こういう子って、結構どこにでもいるんじゃないかと。しかしアリガチな話だな(^^;) 突如出てきたミゲールさん、つまりランディのオスカーみたいな人ですが、英語で言うところのマイケルさん、ラテン語で言うとミカエルさんです。…………私、こういう名前好き? 前・光の守護聖もミハイルさんだし(my設定)。いやぁね、ワンパタで。 |