![]() 「──様、ティムカ様」 しゃがれ声に名前を呼ばれ、ティムカははたと我に返った。 「風が出てまいりました。そろそろ窓を閉められては」 「あ、──ああ、そうですね。すみません、ちょっと考え事をしていたものですから」 窓を閉めて鍵をかけ、部屋の中を振り返ると、ベッドサイドに置かれたハイビスカスが 視界の隅に映る。 「やっぱり、ちょっと肌寒いですね。──紅茶を淹れてもらえますか?」 誰にともなくそう告げると、諾の返事をして若いメイドが一人動いた。 ローブの襟を直し、ベッドの端に腰を下ろす。ハイビスカスの花を一輪手折り、口元に 近づけて、祈るように目を閉じた。 思い出すのは、鮮やかな、大輪の花のような人。 あれは本当に夢だったのではないか。 気弱になったティムカの心が見せた、一夜の幻のような恋。 それでもあの夜は、ティムカにとって忘れられない、大切な思い出になった。 * * * 白亜宮の惑星の統一国家に新しい王が即位したのは今から五年ほど前になる。 当時わずか十三才だった新王ティムカは、しかし摂政を置く必要の無いほどに優秀で、 民に信頼もされていた。先の王でもある父親が病がちであったことから身体面だけが心配 されたが、ティムカも弟カムランも、今まで重大な病にかかることもなく、つつがなく国 務を果たしている。 だが、民を愛し、国を愛し、滅多にこの地を離れない王が、この度一月といういささか 長い期間で国を空けることになった。即位直前の突然の旅立ち以来初めてのことに不安が る民もあったが、若き賢王は人々を集め、安心するようにと穏やかな声で告げたのだった。 実は、これは王のごく近くにいる者にしか知らされていないことだが、この一月の旅行 は療養を目的としたものだった。わずかな無理が積み重なって、ティムカは体調を崩して いたのだ。 大丈夫だ平気だと言い張る若き王に、幼馴染みでもある側近のサーリアは、イシュトと 手を組み王を無理矢理休ませる計画を立てた。そして彼らの計画通り、ティムカは今、故 郷の惑星からほど近い、穏やかな春の海のような惑星にいる。 この星の人々のおっとりとした物腰は、聖なる土地にすまう尊き人々の一人、水の守護 聖リュミエールを思い起こさせた。少しティムカの父にも似ている、穏やかで、優しい、 心の強い人。彼の奏でるハープに合わせて歌を歌ったり、おいしいお茶をいただいたり、 落ち込んだときには慰めてもらったり、彼には何かと世話になった。 そして、思い出す。いつも彼の隣にいた、彼の儚げにさえ見える美しさとは対照的に、 生命と力強さにあふれた美しさを持つ人を。 太陽さえかすみそうなパッションブロンドを幾筋か染め、絹織の薄布をふんだんに使っ た衣装に身を包み、完璧なまでの美しさで佇んでいた、歌うような挨拶をする人。 「────あれ? ティムカ……?」 ふと聞こえた声に、振り返る。 「あっ、やっぱり〜! ──はぁい、ティムカちゃん、お久しぶり〜♪」 宇宙広しといえども、ティムカのことを「ティムカちゃん」と呼ぶ人物はそうはいない。 「…………オ、リヴィエ様?」 まさかここは祈りの滝に通じていたりするのだろうか。 驚きに声も出ないティムカに鮮やかなウインクを飛ばして、夢の守護聖オリヴィエは嫣 然と微笑んだ。 「んふふっ、なーにそんな顔して。久しぶりに見る私の美しさに見とれちゃってるのか なー?」 「──いえ、あの、……ちょうどあなたのことを考えていたところだったので、驚いてし まって……」 「私のこと?」 問いかけるときに片眉が上がる癖も変わらない。 頷くと、うれしいコト言ってくれるね、と艶やかな声と視線が返る。幼かったティムカ は、その眼差しに他意はないと知りつつも、ずいぶんとどきどきさせられたものだった。 「ティムカ、またイイ男になったね。──って、言ってあげたいところだけど、疲れてる みたいだね、顔色良くないよ」 美しく塗られた爪が閃き、長い指が頬を撫でる。 「……ええ、ちょっと、」 曖昧に、しかし素直に弱音を吐いたティムカを、オリヴィエは優しく包んで頭を撫でた。 「私で良かったら、話聞こうか?」 「……はい、ありがとうございます」 ため息のように呟いて、ティムカはかすかなコロンの香る肩口に頬を押し当てた。 * * * 「────ふぅん、そっか……。がんばってるんだね」 オリヴィエの泊まるホテルの部屋で、琥珀色の酒を口にしながらティムカは今回の療養 に至る経緯を話した。オリヴィエは、トロピカルフルーツの飾られたデザートのようなカ クテルを、眺めて楽しむために頼んだかのように、時折軽くグラスを揺らしてリキュール の溶ける模様を見つめていた。 「ティムカ、あんた酸っぱいのダメだったっけ」 「え? ええ、レモンはちょっと……。でも他のものは平気です」 「そう、じゃあこのオレンジ食べてごらん」 そう言って、グラスの縁にささっていたオレンジを差し出された。素直に受け取り口に 含むと、かすかにアルコールの浸みたオレンジの甘酸っぱさと、独特の爽やかな香りが口 の中に広がる。 「柑橘系の香りはね、疲れたココロを癒してくれるんだよ。──オレンジって、ほら、太 陽の果物だからさ、疲れをとって、元気をわけてくれるんだ」 モーニングシャワーなんかにオススメだよ、とオリヴィエは笑った。 「ティムカ、がんばりやさんなのはあんたのイイトコだけど、あんたは時々がんばり過ぎ ちゃうからね。国の最高責任者は──最終的判断を下すのはあんたの役目だけど、他のこ とは、他の人に任せていいんだよ」 どこか懐かしそうにオリヴィエは告げた。誰かの面影をティムカの後ろに見ているのか、 そう問いかけるのは憚られた。 「前にも言ったよね。あんたは少し甘えることを覚えなさいって。まだ十八でしょ、まだ 甘えていい年だよ」 「オリヴィエ様……」 「連絡するなら、そこの電話どうぞ。──私、シャワー浴びてくるから」 バスルームの扉が閉じた音を聞いてから、ティムカは自分の宿に連絡を入れ、本日は外 泊する旨を手短に伝えた。 メイクを落とした夢の守護聖は、それはそれで大変美しい素顔の持ち主である。 飾ることで価値を増す美しさと、手を加えず飾らずにいた方が良い美しさがあるのだと、 以前オリヴィエ自身の口から聞いた。オリヴィエは、前者なのだと。 「あんたは後者だよ。手を加えずとも、もともと王として人を率いる器量を持ってる。人 を思いやる心もね。その心の美しさが、外面に表れてくるんだ」 黒檀のように艶やかな髪を梳いて、オリヴィエは囁いた。ルージュを落としても鮮やか な唇が、微笑みの舟の上に優しく言葉を乗せる。 「だけど、持って生まれたものだけじゃなくて、他の色々な資質も身につけないといけな い人もいる。自分一人だけでなく、国中の民の幸せを担うなら、民の数だけの顔を持たな いといけないんだ。──わかるよね」 「はい」 「……それがわかっちゃってるから、がんばっちゃうんだよねぇ…………」 哀れむのではなく、愛おしむように、ため息をつく。 「ねぇ、ティムカ。そんなのは、あんたの年ではまだわからなくていいものなんだよ」 周りの子より早く大人にならなければいけなかったティムカの、まだ子供の部分はどこ にしまい込まれているのか。 「今ここにいるあんたは、国王じゃなくていい。今のあんたは、ただのティムカだ。素直 で優しい、毅い眼をした、一人の男の子だよ」 眠りを誘う呪文のように、低い声が優しく響く。 「────おいで」 愛してあげる。好きなだけ、気が済むまで。 オリヴィエの身体から香る、かすかな花の香り。バスルームにあったボディソープのそ れは、穏やかな波の音にも癒されなかったティムカの心を、充分にほぐしてくれるものだっ た。 「オリヴィエ様……」 すがるように抱きしめて、やわらかなベッドに倒れ込む。 白いシーツの海の中で、鮮やかな花の香りがティムカを包んだ。 * * * 「──はい、どーぞ」 差し出された白いカップからは、あたたかな湯気と共に紅茶の香りと何か花の香りがし た。 「フレーバーティーですか?」 訊ねると、満足げな笑みが返る。 「そ。ハイビスカスだよ。これ、」 部屋の片隅に飾られた大輪の花を、一輪取って髪に挿す。 「どう?」 「ええ、とってもお似合いです」 その花は、まるでオリヴィエの髪に飾られるために作られたもののように、ティムカに は思えた。そう口にすると、オリヴィエは濃青の瞳を瞠り、くすりといたずらっ子のよう な笑みを浮かべた。ハイビスカスの花をもう一輪手折り、ベッドの端に腰を下ろしたティ ムカのもとに近づいてくる。 艶やかな髪の感触を愛おしむように撫で、長い指が耳の上に触れた。 ティムカの髪に、自分にしたのと同じように花を挿し、少し身体を離して満足げに微笑 む。 「……うん、似合うね。キレイだ、素敵だよ」 視線を彷徨わせると、壁に掛けられた小振りの姿見をはずしてこちらに向けて見せてく れた。 南国の民独特の浅黒い肌に黒檀の髪、墨色の瞳の輝きを際立たせる目尻に入った水色の 入墨。そして、耳の上に飾られた、色鮮やかな太陽の花。 「この花はもともとあんたの故郷みたいな暑い国で育つものだからね」 同胞であるからと、ティムカに花が似合う理由をそう口にしたオリヴィエに、しかしティ ムカは首を傾げる。 「でも、僕の目にはあなたの方が、この花は似合っていると思います」 オリヴィエは、ひどく寒い、一年の大半を雪に閉ざされた地で生まれ育ったと聞いてい る。 「……それは、私がこの花を好きだからでしょ」 懐かしむような愛おしさを滲ませて、オリヴィエは微笑んだ。 「この花が、そしてこの花を育んだ環境が。──灼けつく強い陽射し、極彩色の羽の鳥、 濃い香りを放つ花、甘い蜜を滴らせる果実、毅い瞳を持つ、チョコレイトみたいな肌をし た人々」 真っ直ぐ目を合わせて、言い聞かせるように。 「いいところだね、あんたの国、あんたの星は。──大事にするんだよ。民が大事なら、 まず自分を大切にするんだ。周りの人々を愛するように、まず自分を愛しなさい」 「──はい、」 「ん、イイコだね」 頭をぽんと撫でる仕草は、初めて会ったときと変わらない。 「私、ちょっと用があるからもう出るよ。好きなときに勝手に帰っていいから」 名残惜しそうな顔をしたティムカに、オリヴィエは苦笑を洩らした。 「ふふ、まだ甘えんぼさんだね。──いいよ、また、どうしてもつらくなったら私を呼ん で。優しく抱いて、とかしてあげる」 でもきっと、もう会うことはないと思うけどね。 ついばむキスを唇に落として、オリヴィエは手のひらを翻して出ていった。 長い指の、蝶のようなひらめきと、鮮やかな髪をなびかせて去る後ろ姿が、ティムカの 見たオリヴィエの最後の記憶だ。 * * * 「──ティムカ様、お茶をお持ちしました」 目を開けると、控えめに佇むメイドの姿があった。 「すみません、お休みになっていらしたのに……」 「あ、いいえ、目を閉じていただけですから、気にしないでください」 微笑むと、ティムカとさして年の変わらない少女はわずかに頬を染め俯いた。 「そうだ、良かったら、この花をもらっていただけませんか?」 「え……?」 「僕の故郷に咲いている花です。これは品種改良されているものだから、そんなに暑くな くても育つと思います」 そう言ってティムカは手に持ったハイビスカスの花を少女の髪に挿した。後ろできつく 結い上げ後れ毛も撫でつけた地味な髪型が、それだけで一気に華やかになる。 礼もそこそこに去る後ろ姿を見送って、紅茶のポットに手を伸ばした。 白磁の器から思わず白い肌を連想し、自嘲の笑みを浮かべる。 温められたカップに紅茶を注いで、オレンジのリキュールを一滴だけ落とすと、爽やか な香りがふっと立ち上った。 明日、一月ぶりの再会を果たす側近たちの顔を思い浮かべてカップに口を付けるティム カは、すでに国王の貌になっていた。 fin. ![]() こめんと(byひろな) 2001.9.25 3冊目の無料配布本、アンジェ課長合わせの、なんと出るとは誰も思っていなかった(笑)ティムカ&オリヴィエBD記念創作です。……ええ、私も思っていませんでしたよ。だってランゼ本ですらマジで落とすかと思いましたもの。 ってゆーか9月20日生まれのティムカの本を23日のイベントで出すならともかく、10月20日生まれのオリヴィエ様の分まで一緒に、しかもカップリングで出すってどうよ私? いやでもですね、これ、二人のBDだからカップリングにしたんじゃなくって、最近ティムカに萌えているらしい周りの人々のために(?)ティムカのカップリングを色々と思い浮かべてて、トロピカルな人同士でイイ感じ? ってゆーかリゾラバ?(爆)とか思ってリヒトに「ねぇねぇ、ティムヴィエで一夏の恋ってどーよ?o(^o^)o」とか言ってたのが始まりなんですが。 実際書き始めてできたのは、なぜかいきなり気弱になっているティムカ王(笑)。それは、今(創作当時……イベント前々日&前日・笑)の私の心境ですな。ああ、オリヴィエ様慰めて、って感じでしたし。そしてさらになぜかティムカ王18才です。うわ、また2才育ってるよ。いいかげん成長モノやめんか私!(笑) だってー、好きなん〜だもぉの〜〜〜(by星のフラメンコ……って私いくつ!?しかも歌詞違うし(爆))。 今回、私にしては珍しく意味のないタイトルです。トロピカーナ100%オレンジジュース(爆)。今日テレビ見てたら新しくピンクグレープフルーツ出たんですね! Getするぞ! ってそれは関係なくて(^^;)、夢様雪国生まれですがトロピカルだし、ティムカは言わずもがななので。ただそれだけです。 この本は、二人の誕生日にちなんで20部限定で作りました。で、イベント会場で15部はけて、その後のオフ会で、同じテーブルでご一緒させていただいた方々にお配りして終わり。でもちょっと自分では気に入ってたりして(笑)もったいないので(?)、webでも無料配布にいたします。ちょっと期間短いですけど、今月9月いっぱい、お持ち帰りは自由です。公開も自由、その際の加工(文字の大きさ、一行あたりの文字数etc.)も自由です。無断持ち帰りもオッケイですが(笑)掲示板orメールで一言お知らせいただけると嬉しいです。(さすがに今回は申告いなさそーだなー。期間短いし、マイナ〜だし(笑)。ま、いっか、フリーにするのは自己満足だし(爆)) |