夢の小箱  宇宙はひとりの女王によって統べられている──  星々の運行を見極め、秩序を護り進化を促すのは、たったひとりの聖なる存在。宇宙の中心近く、主星と呼ばれる星の一角にある特殊な結界に護られた地“聖地”で、女王は今日も愛し子たちを見守っている。  女王を支え、その意志を受けて宇宙に力を注ぐのは、同じく聖地に住まう九人の守護聖だ。彼等はそれぞれの属性に従った力──サクリア──を持っており、司る力を象徴するものを冠した名で呼ばれている。すなわち、人々の心に“誇り”を与えるのは<光>の守護聖、“安らぎ”は<闇>、“勇気”は<風>、“強さ”は<炎>、“優しさ”は<水>、“豊かさ”は<緑>、“器用さ”は<鋼>、“美しさ”は<夢>、そして“知恵”を司るは<地>の守護聖というふうに。  特殊な力を身に宿す彼等は、女王とその補佐官とともに、時の流れから切り離された常春の楽園“聖地”で日々を過ごす。だが、彼等の力は生まれもってのものではない。永い永い時を経て育まれる守護聖のサクリアが衰えるとき、外界──正しき時の流れに身を置く世界──に住む少年の身の内に宿るサクリアが、呼応するように目を覚ますのだ。そして聖地に召された新しい守護聖は、永く穏やかな時の流れの中で女王とともに宇宙を見守る使命を果たし、またいつの日か、外界へと還っていくのである──── * * * 「失礼しま……あれ? オリヴィエ様、何してるんですか?」  軽いノックの音を響かせて、<風>の守護聖ランディは宮殿内にある<夢>の執務室の扉を開けた。ランディは、風になびくやわらかな栗色のくせ毛と真っ直ぐに射抜く空色の瞳を持つ、利発な少年である。聖地に召される少し前に十六の誕生日を迎えたばかりのランディは、その素直すぎる性格もあいまって、先輩守護聖達にからかわれ──もとい、かわいがられることが多い。その後相次いだ守護聖交代のおかげで少しは先輩守護聖としての自覚も出てきたようだが、後見人でもある<炎>の守護聖オスカーと、この部屋の主オリヴィエにとっては恰好のおもちゃ──もとい、かわいい弟であることに変わりはない。  さて、そんなランディが訪ねた<夢>の守護聖オリヴィエは、執務時間中だというのに何やら別のことで忙しそうだ。瞬いた大きな空色の瞳に映ったのは、両手のひらに載るくらいの大きさの箱を胸のあたりでぐるぐる回しているオリヴィエの姿だった。 「んー、このハコ開けてんの」  ランディの方を見もせずにそんなことを言う。いつもなら、「はぁ〜い、ランディ、今日も元気そうだねぇ〜」などと上機嫌の軽口が降ってくるのだが、小箱と格闘するオリヴィエの表情はいつになく真剣で、ランディは首を傾げながら後ろ手に扉を閉めた。  <夢>の守護聖オリヴィエは、さすが“美しさ”を司る身だけあって、その容貌は格別だ。豪奢なパッションブロンドを背に流し、その前髪部分は鮮やかな赤で染められている。雪のように白い肌に深い藍の瞳が良く映え、生きた宝石などと言う者もいるとかいないとか。切れ長の瞳を飾る泣きぼくろと生来の美貌を強調する化粧や服装・装身具もあいまって、まさしく性別不明である。  そんなオリヴィエは性格の方も個性的で、常人には理解が難しい言動も多い。特にランディが被害を被っているものに、彼の化粧癖がある。美しいものが大好きだと公言してはばからない彼は、自分だけでなく、他人にもメイクを施すのが趣味ならしいのだ。もともと運動神経には自信があったランディだが、彼との鬼ごっこ(?)のおかげで足にはさらに自信がついた。──だがこの場合、褒め称えるべきはピンヒールを履いた状態で大理石の廊下を駆け抜ける、オリヴィエの身体能力の方であろう。 「箱? ──へぇ、面白い模様ですね。からくり箱ですか? ゼフェルに頼んでみたら……」  オリヴィエの手元を覗き込み、ランディは感嘆の声を上げた。おおざっぱに言えば市松模様の親戚だが、もっと入り込んだ、ステンドガラスのような模様だ。色と質感からするに様々な色合いの木材を組み合わせて作ったのだろう、するとその箱の故郷は自然が豊かで、このような細工が作れる程度には技術が発展した惑星ということになる。  ゼフェルというのは“器用さ”を司る<鋼>の守護聖の名前だ。本人も手先が器用で、リモートコントロールつきの小型メカなどをよく作っている。だがその利用法に難ありといった感じで、十日に一度は首座の守護聖<光>のジュリアスの雷を頂戴していた。ランディとは年が近いこともあり、良いケンカ友達になっている。 「それはそーなんだけどね……、これは私が自分で開けないと意味がないんだ」  ゼフェルに頼めば、おそらくものの数分で彼はこの箱を開けてみせるのだろう。だが、オリヴィエはそれはしたくなかった。いや、してはいけないとわかっていたと言った方が近い。  軽口も揶揄するような表情もないままに、オリヴィエは小箱と真剣に向き合っていた。それは、その風体から軽薄に見られがちな彼の本来の優しさ・思慮深さを窺わせるようで、ランディは機を改めることよりもオリヴィエと小箱の行方を見守りたいと思った。 「オリヴィエ様」 「んー?」 「俺も、ここで見ててもいいですか?」  いいよ、と言う返事に安堵する。彼に届けるようジュリアスに頼まれた書類を手にしたまま、壁際に寄せられた椅子のひとつにランディは腰を下ろした。  慣れ慣れしいまでにスキンシップ過剰なオリヴィエは、実は他人からの干渉をあまり好まない。歌うような口調と極上の微笑みに惑わされがちだが、彼は滅多に胸の内を他人に明かすことはなく、そしてずいぶん謎が多いのだと気づいてから、ランディは彼との距離の取り方に戸惑いを覚えることが多くなった。だが、普段のオリヴィエは相変わらずの軽い口調と踊るようなオーバーアクションで、ランディを始めとした他の守護聖を日々振り回しているトラブルメーカーだ。  ほんとは優しいんだよな。励ましてくれたりもするし。こんな風に、そばにいさせてもくれる。  濃青の瞳を縁取る長い睫毛を見つめながら、ランディは思うともなしにそんなことを考えていた。  やがて、オリヴィエの表情に変化が表れた。もうすぐ箱が開くのだ。ランディも思わず身を乗り出す。 「あ……」  それを目にして、オリヴィエは小さく声を上げた。小箱を開けて出てきた中身は一通の手紙。丁寧に折り畳まれたそれを広げ、オリヴィエは大きく目を見開いた。 「驚いた……。こんなことって、あるもんなんだね……」 「それ、何なんですか? ──あ、無理に言わなくてもいいです」  口をついて出た質問を、ランディは慌てて撤回した。そういった詮索をオリヴィエは好まない。 「そうだね……。ランディ、あんたになら言ってもいいかな」 「え?」 「これは、この手紙の主はね、私が守護聖になる直前に出会ったコなんだ」  そしてオリヴィエは自ら過去を語り始めた。  治る見込みのない病に冒された少女。夢を自由を、希望を与えるという、この力。  オリヴィエは無謀だった過去の自分に思いを馳せた。 「ランディ。あんたは聖地に来る前からサクリアを持ってる自覚はあった?」 「え、ええ。最初は全然でしたけど、少しずつ。でも、具体的にどうって言うんじゃなくて、なんとなく、風のサクリアが自分に宿ってるんだなって」  ランディらしい答え方にオリヴィエは笑った。彼があのときの自分の立場に立ったら、果たして同じことをしただろうか。──イエスともノーとも思える、答えは出ない。 「私もそうだった。使い方なんか知らなかったけど、この身に宿るサクリアを感じてた。──あの頃の私は、自分の力を、サクリアという未知の力を、過信していたのかも知れない……」 「オリヴィエ様……」  かすかに眉を寄せて見上げるランディを、あやすようにオリヴィエは笑った。 「もうとっくにわかってるだろうけど、おさらいね。私の力、<夢>のサクリアがどんなものか」  <夢>の力のもたらすもの。  人々の心の美しさ。愛。自由。  夜空に瞬く星々のような、明日を夢見る心──希望。 「そう言うとあんたの<風>の力にちょっと似てるね。一歩を踏み出す勇気、明日を信じる心。──でも、<夢>の力ってのはもっと……今必要なコトっていうよりも、もっと長期的なものなんだ」  それはどのサクリアにも言えることではあるけれど。特に自由な心や、愛情や、そういった気持ちは一瞬だけ作用してどうにかなるものではない。そんなことを、あの頃のオリヴィエは知らなかったのだ。本来なら惑星全体に作用させるサクリアを、容易く人の身体に作用させていいものではないということも。 「大事な子だった。恋人じゃなかったけど、大切な人だった。先が長くないってわかってて、それでも懸命に生きてた。──でもね、やっぱり苦しそうなんだよ。辛そうなんだ。彼女も、彼女の家族も言わないけど。どこかで解放を望んでるってわかってた」  この力で、ひとときの美しい夢で、彼女の心が、身体が、苦しみから解き放たれるならば。  聖地へと発つ日を数日後に控えた夜だった。人の数が多い分だけ星の明かりが少ない街で、珍しく多くの星が瞬いていたのを覚えている。 「彼女の身体に力を注いだ。幸せそうに微笑んで、……綺麗な微笑みのまま、動かなくなった」  聖地と外界とで時間の流れが異なるのは、守護聖と一般人との身体に流れる時間が異なるからだ。守護聖の身に宿るサクリアが、その身体機能の衰えを遅らせて、守護聖の力をより長く保たせようとするからだ。  そういったことを、知ってはいても、わかっていなかった。 「──悪いことをしたと思うって言うと違うけど、あれで良かったのかなとは、今でも思うよ」  かすかに目を伏せて、感情の見えない顔でオリヴィエは呟いた。 「オリヴィエ様……」  口を閉ざし、手紙の先を見つめるオリヴィエに、ランディはためらいがちに声をかけた。声が掠れたのに気づき、もう一度、今度はしっかりと呼びかける。顔を上げた夜空色の瞳を真っ直ぐ見つめて、ランディはゆっくりと言葉を紡いだ。 「俺はその子じゃないからほんとのことはわからないけど、あなたのしたことは、その子にとってはそれで良かったんだと思います」  文面を見てもいないのにそんなことを言うランディを、オリヴィエは驚いて見つめていた。安易な慰めとも取れる言葉だ。だがこの少年が決してそんなことをする人物ではないと、オリヴィエはきちんとわかっている。 「だってその手紙、オリヴィエ様のこと責めたり恨んだりなんかしていませんよね?」 「ラン……」  だがこの手紙の日付は、オリヴィエの記憶が確かなら、あの星の多かった夜の、前の日のものだ。  オリヴィエの言葉にランディは首を傾げ、しかしすぐに気を取り直したように笑った。彼が聖地にやってきてから何度となく見せた、信念のきらめく瞳でオリヴィエを見つめる。 「サクリアと同じで、何となくわかることってありますよね。──人の心とか」  立ち上がり、オリヴィエの執務机に歩み寄ると、ランディは小箱を手に取った。 「<夢>の力って、長期的に作用するんでしょう? この箱も、永い永い時を渡って、オリヴィエ様の手に届けられるのを待ってたんじゃないのかな」  永い時を漂う小箱。  少女の想いを乗せて。夢の翼を大きく広げて。 「ランディ…………」  濃青の瞳がゆっくり瞠られた。  やがて、美しく紅をひいた唇から、かすかに笑みを含んだ吐息がこぼれる。 「────あんたってば、イイコト言うじゃん。見直しちゃった☆」 「うわっ、」  栗色のくせ毛をくしゃくしゃとかきまぜて、オリヴィエはにんまり微笑んだ。何かを察したのか、ランディがぴくりと身体を揺らす。 「んっふっふ〜ん、ランディ、お礼にキスしてあげよう♪」  止める間もなく、頬にキス。 「なっ、何するんですか……っ!?」  飛びすさったランディは顔を真っ赤にしている。笑い声を立てて、オリヴィエは鮮やかなウインクを投げた。 「お礼って言ってんじゃない。素直に喜びなさいよ」 「そんなぁ……」 「──で? ランディ、何か用あるんじゃなかったの?」 「えっ? ──あっ、ああ、忘れてました」  ぱちりと目を瞬かせて。ようやく思い出したのか、ランディは後ろの椅子を振り返った。先ほどまでランディが腰を下ろしていた椅子の傍らには、何人かの署名がなされた書類が置いてある。書類を手に執務机の前に戻り、オリヴィエに手渡して概要を告げると、ランディは挨拶をして踵を返した。  と、扉に向かって歩く背中にオリヴィエの声がかかる。 「ちょっとちょっと、あんたそのまま帰るつもり?」 「へ? なんでですか?」  足を止めて振り返り、きょとんと首を傾げたランディに、オリヴィエは笑いをこらえつつ口を開いた。 「ついてるよ、ほっぺた。オスカーに見つかったらどーなるかな〜?」  程良く日に焼けたランディの頬には、鮮やかな口紅のあとが、しっかりくっきり残っていた。──先ほどの“お礼”の結果である。 「げ……っ」  フッ、ぼうやもすみに置けないな。  ランディの脳裏に、にやりと意地の悪い笑みを浮かべるオスカーの姿が浮かんだ。  <炎>の守護聖オスカーは、執務は真面目にこなすが女性に対する認識が他人と少々ずれていて……早い話が女たらしだ。酷薄な笑みを浮かべたら似合いそうな鋭いアイスブルーの瞳に燃えるフレアレッドの髪の青年は、ランディのことを実の弟のようにかわいがってくれてはいるが、その分よくからかってくれもする。奥手なランディの反応が面白いのだろう、特に女性の扱いに関してその傾向は強く現れる。 「つ、ついてるよって、つけたのオリヴィエ様じゃありませんか……っ!!」  一気に青ざめ、その後赤くなったランディに、今度こそオリヴィエは爆笑した。自らを抱き締めるようにして身体を揺らすと、金の髪と服についた羽根飾りがあわせて揺れた。 「きゃははっ☆ ホラ、おいでよ。取ってあげるから」 「もう……」  拗ねたように睨みながらも戻ってくるランディの頬に、いまだ笑いに震えるオリヴィエの指先が触れた。近づいたオリヴィエからは、彼がその日の気分でつける香水の香りがかすかに感じられる。今日のオリヴィエは何か花のような優しい香りを身に纏っている。華やかさより清楚な感じのその香りは、少し意外な気もしたが、思いのほかオリヴィエに似合っているとランディは思った。 「はい、おしまい。イイ男になったよ。──ありがと」  そっと耳元で囁かれた言葉に、ランディは毅い瞳で微笑みを返した。 Fin.