松戸市21世紀の森と広場
私が21世紀の森と広場に通い始めて何年になるのでしょうか、
1993年4月29日みどりの日開園、それ以前から一部開放され、
お弁当とビデオ持参で乳母車を押し散歩した記憶があります。
みどりの里での古代米(赤米・黒米)作りに参加し泥だらけになった娘も今は社会人です。
最近の私は一眼レフを肩に一人散歩することが多くなりました。
松戸市のほぼ中心に位置する21世紀の森と広場は50.5ヘクタール、東京ドーム約11個分の広さ、心地よい散歩が四季折々楽しめます。
(東京ドームは4.6755ヘクタール、1ヘクタールは一辺が100mの正方形の面積)
詳細は
松戸市21世紀の森と広場の公式サイトで 楽 園あ そ ぶ |
松戸付近の江戸川常磐新線・筑波エクスプレスが走る流山市と松戸市の境界付近 松戸市七右衛門新田 東京湾まで25.3km地点川の一里塚 主水新田松戸市主水新田 江戸川河口まで23.8kmまこも池松戸市主水新田(もんどしんでん)にある、まこも池は主水池(もんどいけ)とも呼ばれ、 皆に親しまれている釣り公園です。特にへらぶな釣り達人が一年中訪れています。 松戸市主水新田江戸川松戸フラワーライン江戸川の河川敷に広がる約2へクタールの花畑春はレンゲ、秋はコスモスの名所です。上葛飾橋(旧松戸三郷有料道路)下流の江戸川河川敷には江戸川松戸フラワーラインがあります。 毎年、春はレンゲ祭り、秋はコスモス祭りが行われています。 JR松戸駅西口から徒歩約20分です。 松戸市古ヶ崎川の一里塚 古ヶ崎川の一里塚古ヶ崎はJR松戸駅西口から徒歩約20分です。 松戸三郷有料橋の上流にある休息施設です。 松戸市古ヶ崎 江戸川河口まで21.5kmふれあい松戸川ふれあい松戸川はわが国で初めての流水保全水路整備事業として平成10年7月に完成しました。 川とのふれあい、人とのふれあい、自然とのふれあいの場となり、地域に根ざした水路となるように、 公募による愛称をもとに命名されたそうです。 JR松戸駅西口から徒歩15分位の江戸川河川敷にあります。 川の一里塚 樋野口市民の休息、憩いの場、川の一里塚
川の一里塚(樋野口)は松戸駅から一番近い江戸川沿いの休息施設です。トイレ・水飲み・あずまや・ベンチ等があります。 近くには「ふれあい松戸川」もあります。JR松戸駅西口から徒歩約10分位です。 松戸市樋野口 江戸川河口まで20.1km川の一里塚 矢切川の一里塚矢切全景左 「日本の音風景百選」音風景の碑見渡す限りの畑、矢切葱は有名です。矢切の耕地や斜面緑地が見渡せる休息施設です。 土手を下ると矢切の渡し、対岸が柴又です。 北総開発鉄道矢切駅下車徒歩約35分です。 最近は駅と矢切の渡し間のコミニティバスが運行されているとか? 松戸市下矢切 江戸川河口まで16.7km矢切の渡し休日は相変わらず観光客でにぎやかです。 矢切りの渡しの始まりは、 江戸川からの柴又柴又帝釈天と参道京成電鉄柴又駅前の寅さん像と寅さん記念館 わたくし生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい、 瘋癲の寅 口上より矢切の渡し方面から“野菊の墓文学碑”のある下総台地下矢切西蓮寺境内にある野菊の墓文学碑
松戸市下矢切柳原水閘市川市との境界付近にある柳原排水機場、隣接した柳原親水広場には明治37年建設の松戸市有形文化財、 柳原水閘が当時のまま保存されています。 松戸市下矢切 |
江戸川・今昔現在の江戸川は茨城県猿島郡五霞町と千葉県野田市の境界付近にある関宿分基点で利根川と分かれ、千葉・埼玉・東京の境を南下、 千葉県市川市行徳付近で本流(江戸川放水路)と旧流路の旧江戸川に分かれます。 しかし400年ほど前までは太井川(太日川・太日河)と呼ばれ、渡良瀬川の水を江戸湾(現在の東京湾)へと運んでいました。 一方利根川は太井川の西側を流れ江戸湾に注いでいました。 その姿が現在のように変ったのは江戸時代初期、幕府のさまざまな河川工事からです。 なかでも最大のものは1594年(文禄3年)から始まった利根川の流れ東側(常陸川)に振り向ける「利根川東遷」と呼ばれる大工事でした。 渡良瀬川・鬼怒川などの水を集めて銚子から太平洋に注ぐことに成功したのは1654年(承応3年)工事開始から60年後のことでした。 この工事に伴って、1641年利根川との分岐点になった関宿から埼玉県松伏町までの18kmが人工水路として開削され、 現在の江戸川上流部が誕生しました。 以来、太井川には盛んに舟々が往来するようになり、そのため「江戸の運河」という意味から江戸川と呼ばれるようになりました。 江戸と東北・北海道を銚子経由で結ぶ水運ルートも、明治以降の蒸気船等の大型化に伴い、水深不足が問題化、 浅瀬地帯を経由せずに銚子と東京を結ぶ利根運河が計画され、 1887年(明治20年)工事が開始され1890年に完成しました(流山市深井新田・柏市大津 全長8.5q) 1911年(明治44年)利根川改修計画の一環として関宿・行徳間の拡張工事は約100mだった川幅を250m広げることができましたが、 行徳から河口までは、川が蛇行し、民家が多く、拡張工事が行えませんでした。 そこで行徳から東京湾へ約3qの直線状の放水路を造ることになり、 開削工事は1916年(大正5年)着工され1919年に完成しました(江戸川放水路) 江戸川は1947年(昭和22年9月)のカスリーン台風による大洪水を契機に改訂された1949年の計画により、 現在の川幅は400mに広げられています。 江戸川の起点、関宿水門(せきやどすいもん) 上流から見て右側に船が行き来する閘門が、水流を制御する水門には八つのゲートがあります。 コンクリート造りの関宿水閘門は当時の建築技術を知る貴重な建造物、 1918年(大正7年)着工1927年(昭和2年)完成、実に9年間におよぶ大工事でした。 茨城県猿島郡五霞町関宿水門から東へ約500m、関宿城博物館があります。 河川改修や水運、流域の生活や産業など河川の歴史がテーマの博物館です。 付近には海から59.5km地点の標識があります。 千葉県野田市関宿江戸川サイクリングロード、菜の花が咲く頃、 江戸川の起点、関宿から江戸川放水路河口までは右岸左岸共にサイクリングロードが完備、 旧江戸川は一般道を交え葛西臨海公園まで右岸を走ることが出来ます。 国交省江戸川河川事務所ホームページには 松戸・野田・関宿自転車歩行者専用道路(江戸川左岸 約40.6km) 江戸川区自転車歩行者専用道路(江戸川右岸 約6.78km) 葛飾区特別区道733号線自転車歩行者専用道路(江戸川右岸 約4km) 三郷・幸手自転車歩行者専用道路(江戸川右岸 約37.7km ) 市川市サイクリングロード(江戸川右岸 約1.70km ・江戸川左岸 約9km)と紹介。 流山市常磐道付近江戸川の下流分岐点、江戸川(江戸川放水路)を仕切る行徳可動堰(ぎょうとくかどうぜき) 焔訣]戸川を仕切る江戸川水閘門(えどがわすいこうもん) 行徳堰は江戸川放水路の開削工事時(1916年大正5年着工)放水路入口の固定堰として設置されました。 その後放水路の流下能力不足を解消するために固定堰を可動堰形式に変更(1950年着工1957年3月竣工) 江戸川水閘門は、旧江戸川の水の流れを調整しています。上流から右手に造られた閘門は今も現役、 水上バスやプレジャーボートが狭い水路を通過します(1936年着工1943年竣工) 海から9.5km地点江戸川区東篠崎付近江戸川放水路0km地点の標識はJR京葉線橋梁から約300m左岸下流にあります。 対岸は工場地帯、東京湾の広さは感じられません。(市川市上妙典) 燕]戸川放水路右岸からの国道357市川橋・東関東自動車道湾岸線・JR京葉線等の橋梁、 付近では現在でも天然うなぎ等が捕れるとか(市川市下妙典付近) 旧江戸川河口、葛西臨海公園渚橋からの葛西臨海水族館方面、 公園の対岸は東京ディズニーランド・ディズニーシー・隣接ホテル群 |