★ クインテット番外編 『クマパッシュと風の精』 ★

 

 クマパッシュは侯爵家に仕える鷹匠である。チュミリエンヌの兄である彼の実家は街の洗濯屋だが、彼は子供の頃から動物を飼うのが好きだった。

 ある日、猟師の息子である親友が、父親の仕掛けた罠にかかって羽根を折ってしまった老ハヤブサを、殺すに忍びないと言って彼のところに連れて来た。瀕死のハヤブサはクマパッシュの看病のおかげで命をとりとめたが、もう飛ぶことは出来なかった。エサばかり食べて役にたたないハヤブサを、山に捨ててしまえと言う者もいたが、彼は大事に面倒をみた。

 2年後にハヤブサは老衰で落鳥した。墓に手を合わせながらクマパッシュはぼんやりと、鳥を育てて一生をすごすのが、自分には向いているかも知れないと思った。

 

 やがて彼は鷹匠になり、知人の紹介で、アレスフォルボア侯爵主催の鷹狩りに参加する光栄に浴した。自分の何倍も大きな獲物を楽々と捕らえる彼の鷹は、すぐに侯爵の目に止まった。クマパッシュは侯爵家おかかえの鷹匠として、アレスフォルボア家の侍従たちの中に名を連ねることを許された。

 

 さて今年も鷹狩りの季節になった。貴族たちは毎日のように狩りの催しを開くが、中でも最も著名なのが、王太子ハインリヒを招いて盛大に行われる侯爵家主催の鷹狩りであった。当日は着飾った貴婦人たちも大勢集まってくる。もちろん主役は元帥アレスフォルボア侯爵で、美女たちの風情をこの世の何よりも愛している侯爵は、開催の1週間前から非常にご機嫌であった。

 

 鷹狩りの日は、朝から晴天に恵まれた。狩り場の周辺には続々と人が集まり、あちこちに急ごしらえのあずまやが作られた。
 侯爵たち一行は小高い丘の上から狩り場の草原を見渡した。馬上の侯爵の腕にとまっている堂々たる体躯のオオタカが、現在侯爵の一番のご愛鳥である。ゼウスという名のその鷹ももちろんクマパッシュが育てたのだが、侯爵の後ろに控えている彼の肩には、もう1羽の鳥がとまっていた。まだ若い白ハヤブサ、ジルフェであった。
 

 王太子は丘の先端部分で、ルージュと馬を並べて話をしていた。
「さすがは侯爵家の狩り場、大猟は間違いないようだな。」
「さぁどうでしょう。まだ判らないと思いますよ。ウサギやキツネばかりじゃない、鹿に、それとイノシシもこのへんにはいますから。」
「キツネか…。もしも銀狐が獲れたら、毛皮は私にくれないか。」
「銀狐ですか。さぁそう簡単には差し上げられませんね、いくら殿下のお言葉でも。」
 ニヤッと笑ってルージュは言った。身分はもちろん心得ながらも、この2人は仲がよかった。

「じゃあ賭けをするか? 私の選んだ鷹が獲ったら、その獲物は私におくれ。君の選んだ鷹だったら、それは君のものだ。」
「面白いですね。ではそうしましょう。…おい、サミュエル。」
 侍従の方を向いてルージュは呼んだ。この催しの世話役でもあるサミュエルは、手綱を操って2人の元に来た。
「王太子殿下は銀狐をお望みだ。今から殿下が鷹を1羽お選びになる。鷹匠たちをすぐにここへ集めろ。」
「は、かしこまりました若君。」
 サミュエルは戻っていき、侯爵にその旨伝えたあと、祗候している鷹匠たちを集めた。クマパッシュも2人の前に膝まづいた。

 今日狩りをする鷹はゼウスを除いて5羽いた。王太子は楽しげに5羽を見比べていたが、
「その白い鷹は何という?」
 ご下問になったのはクマパッシュにだった。
「は…」
 彼は頭を低くして応えた。
「王太子殿下、これはハヤブサでございます。ジルフェと名付けました。」
「ほう、ジルフェとは鳥らしからぬ優雅な名前だ。何から取ったのだ?」
「神話に出てまいります風の精にございます。風の精ジルフェ。白い羽根には似つかわしかろうと…」

「これ、恐れ多くも殿下のおん前、言葉が多いぞ鷹匠。」
 サミュエルはたしなめたが、
「ああ、よいよい。野外の催しだというのにそう堅苦しくなるな。そうか風の精か。気に入った、私はその鳥にしよう。」

「え、本当にあれでよろしいんですか殿下。」
 ルージュは確かめた。5羽のうちでジルフェは体が一番小さく、キツネどころか子ネズミを捕らえるのさえ大義そうに見えたからだ。
「ああ、あれがいい。私の運はあのハヤブサに預けた。」
「こ、光栄の至りでございます!」
 声を震わせてクマパッシュは言った。
 

 ジルフェはクマパッシュの鳥小屋で卵から孵った。雛のうちから彼が育てたので、人間を全く恐れない人なつこいハヤブサだった。のんびりとスローモーな動きを他の鷹匠たちは笑い、獲物など獲れるものかと嘲ったが、クマパッシュはジルフェの実力を知っていた。こんなに速く飛ぶ鳥は彼も初めてであった。真っ白い羽根と黒くて大きな目は、昔、彼が面倒をみた老ハヤブサにそっくりだった。

「じゃあ私はこいつで。」
 ルージュが選んだのは褐色のクマタカだった。鋭い爪と鈎型のくちばしは、まさしく狩りのために生まれてきたような迫力と貫禄を備えていた。
「ではいいな、そろそろ始めるぞ。」
 マントを肩にはね上げて侯爵は言った。スガーリが指揮棒を振り上げると、護衛兵たちが陣太鼓を打ち鳴らした。狩りの開始であった。

 

 まず放たれたのは猟犬たちだ。犬たちが木立ちや茂みから追い出した獲物を、鷹が急降下して捕らえるのである。大型の獣であれば、鷹が押さえつけたところで犬たちがとどめを刺す。まずは侯爵の愛鳥ゼウスが空に舞い上がった。風切りをいっぱいに開いて滑空するオオタカの雄姿に、客たちは歓声を上げた。

 猟犬に追われて走り出てきたのは、まずは数匹の野兎だった。たちまちゼウスが襲いかかった。鋭い足指の一撃でウサギは捕らえられ、ゼウスはそれを丘の上まで運んで来た。鷹匠に獲物を渡すとゼウスはまた飛び立っていき、合計3匹のウサギをたやすく侯爵にもたらした。

 犬は続々と獲物を追い立て、訓練された鷹たちは次々と交代で飛び立っては、逃すことなく捕らえてきた。侯爵は満足そうに言った。

「こりゃあ今夜の晩餐は期待できるな。だがここらで1発大物が欲しいところだが…。」
 その時茂みの中から現れたのは、立派な角を持った雄の鹿だった。
「おっ!」
 一同は期待に胸を高鳴らせた。
「あれ行ってみっか…。」
 不敵にルージュは笑い、王太子に言った。

「じゃあ、参りますよ。あれは私の獲物です。」
「よし、お手並み拝見といこう。」
 ルージュは鷹匠の腕から自分の腕にクマタカを移らせ、
「よーし、行けっ!!」
 バサッ、とそれを空中に舞わせた。

 鷹は上空を大きく旋回したのち、弾丸の如く急降下した。どんなに大きな獣でも、四つ足の急所は腰椎である。クマタカは鹿の腰に、見事その爪を突き立てた。もんどり打って鹿は倒れた。もがく獲物を鷹は羽ばたきながら押さえつけ、そこへ群れてきた猟犬たちが鹿の喉に噛みついて絶命させた。

「よっしゃっ!!」
 ルージュは片腕でガッツポーズをし、王太子は彼に拍手を贈った。
「さすがだなルージュ。全く、君にできないことなんてこの世にはないんじゃないかと、私は時々腹だたしくなるよ。」
「褒め過ぎですよ殿下。やったのは私じゃなくてあの鷹なんですから。」
 倒れた鹿は侍従たちによってロープをかけられ、棒に下げられ運び去られた。クマタカはついでのように数頭の獲物を捕らえ、丘の上に戻ってきた。

 やがて一同の視界に、待ち焦がれた銀狐が現れた。
「殿下! チャンスです、あれを!」
 ルージュは言い、クマパッシュを手招いた。彼は王太子の手にジルフェをとまらせた。ジルフェはきょとんとしていた。
「いいか、私のためにあのキツネを獲ってきてくれ。いいな。」
 王太子は言い、
「それっ!」
 ジルフェを空に放った。純白の翼が陽光にきらめき、貴婦人たちは溜息を漏らした。

 クマパッシュは祈るようにジルフェを追った。旋回する速度に文句はなかった。侯爵のオオタカより、ルージュのクマタカより、ジルフェは速く飛んだ。狩り場に集まった全員がジルフェを注視した。その白い羽根が銀狐に爪を立てる瞬間を残酷に待ち望んだ。が、

「何だ?」
 ルージュはつぶやいた。ジルフェは狐の頭上30センチの位置で突如反転急上昇し、反対に猟犬たちに襲いかかった。直接爪はかけなかったが、大きな鳴き声を上げて執拗に威嚇され、面食らった犬たちはキャンキャンと右往左往した。その隙に狐は逃げてしまった。

 やがてジルフェは戻って来てクマパッシュの肩にちょこんととまった。非難の目はクマパッシュに集まった。
「ふざけんなよ…。なんだその馬鹿鳥。」
 ルージュは舌打ちした。クマパッシュは全身に冷や汗を吹き出し、ジルフェを見た。キュウ、とジルフェは鳴いた。ルージュの馬が近づいてきた。

「お前、そんな鳥捨てちまえよ。クソの役にも立たねぇじゃねぇかよ。」
 彼の口調が厳しいのは、王太子の手前もあった。王太子は不愉快そうに顔をそむけ、吐き捨てた。
「まぁいい。私の眼鏡違いだった。」
 彼は馬首を翻し、
「休憩だ。一駆けしてくる!」
 言い残して走って行った。
「殿下!」
 慌ててルージュが追った。クマパッシュは顔も上げられずに、その場に膝まづいたままでいた。スガーリは中断を告げる打ち方で陣太鼓を叩かせた。一同は呆れた様子で場所を移り始めた。

 残されたクマパッシュの元に、怒りと困惑の顔で鷹匠の長(おさ)がやって来た。
「貴様、この責任はどうとるつもりだ。恐れ多くも王太子殿下がお選び下さったというのに、その鳥は何をおじけづいたのだ!」
「いえ、そうではありません。」
 クマパッシュは言った。
「ジルフェが申しております。あの銀狐は、捕らえるにはまだ幼すぎたと。」
「何だと?」
 長はこめかみに青筋を立てた。
「そんな言い訳が通用すると思うのか! 貴様の処分は追って通知する。即刻ここから立ち去れ! ああ、その前にその鳥の首を討て。それをお見せして私が王太子殿下にお詫びする!」
「いいえ!!」
 クマパッシュは首を振った。

「お手討ちになさるなら、それは私めでございます。ジルフェに罪はございません。ジルフェは幼い命を守っただけにございます!」
「貴様!!」
 長が殴りつけようとした時、ジルフェはいきなり飛び立った。驚いて2人は立ち上がった。
「おのれ逃がすか! 弓をもて弓を!」
 長は怒鳴ったが、
「お待ち下さい!」
 クマパッシュは両腕で長を止め、眼下の草原を見やった。

 王太子の馬が疾走していた。わずかに離れてルージュのシェーラザードが続いていた。ジルフェは白い矢となって2人を追い、あたかも彼らを狙うかの如く、翼をすぼめて急降下した。
「ジルフェ!!」
 クマパッシュは叫んだ。ジルフェは王太子の正面を、顔面をかすめんばかりに横切った。
「うわ!」
 王太子は強く手綱を引いた。馬はいななき前足を振り上げた。
「殿下!」
 落馬しかけた王太子を、間一髪追いついたルージュが支えた。ジルフェは馬の足元2メートルばかりの地面で羽根をたたんでいた。

「てめぇ!!」

 ルージュは剣を抜き馬から身を踊らせた。串刺しにしようと剣をかざした時、彼はハッと気づいた。ジルフェは指に何かを掴んでいた。草と同じ緑色の鱗に黄色の斑点は、数秒で牛をも殺す猛毒の蛇、グリーンデビルだった。長さ5メートルはあるだろうその悪魔は、風の精に頭を握り潰されて死んでいた。ルージュはゾッとした。あのまま進んでいたなら王太子の馬は、気性の荒いこの蛇に足をかまれ、前のめりに倒れたに違いない。さすれば地面に放り出された王太子も、悪魔の牙を受けたはずであった。

「お前…助けてくれたのか? ジルフェ…。」
 ルージュは剣を収め、そばに屈んだ。キュキュッ、と鳴いてジルフェは首をかしげた。大蛇を一撃で仕留めながらも、そのあどけない仕種にルージュは笑った。
「お前、よく見っとハヤブサつうより、文鳥みてぇな顔してんな。ん?」
 くちばしの前に指を差し出すと、ジルフェは身を引き、かしこそうな黒い目でじっと指先を見た。

「殿下! 若君! 何事かございましたか!?」
 そこへ今頃になって、侍従たちの馬が駆け寄ってきた。ルージュは立ち上がり振り返った。
「おい、サミュエル。命拾いしたなお前。」
「は?」
「このハヤブサに礼言え。こいつがいなかったらお前、親父に討ち首にされてたぞ。」

 サミュエルは目をぱちくりさせた。ルージュは笑ってジルフェを見下ろした。と、ジルフェは白い翼をはばたかせ、バサバサとルージュの肩に舞い移った。
「とっとっとっとっ! おめ、足に毒ついてねぇだろな毒!!」
 彼は首をすくめたが、ジルフェは動こうとしなかった。そればかりか足を折って肩先に腹をつけ、すっかり落ち着いてしまった。

「ンだよ…。やっぱ馬鹿なんかお前。あ? ジルフェ。よぉ。」
 肩を揺するとジルフェは、ルージュの髪の裾に頭を突っ込み、耳たぶを甘噛みした。
「馬鹿、くすぐってぇくすぐってぇ! ああん…って俺を感じさしてどうすんだよっ!!」
 声を上げてルージュは笑った。

 いったい何が起きたのかを、ようやく王太子も理解した。彼はルージュとジルフェに言った。
「済まなかったな、眼鏡違いだなどと言って。私の命を救ってくれたお礼に、君に聖ヨハネスの勲章を授けよう。」
「え、殿下、私にですか?」
 首をすくめたままルージュは聞いたが、
「まさか。ルージュにじゃない。その白いハヤブサにだ。明日にでも使いを出し届けさせる。首に下げるには重いだろうから、巣箱の中に飾ってやってくれ。」
 

 

 約束通り王太子は、翌日侯爵邸(の鳥小屋)に聖ヨハネスの勲章を届けてよこした。恭しく受け取った侯爵は、代理役のクマパッシュに、
「お前、俺だって貰ったことはないぞこれは。」
 苦笑しながらそれを手渡した。同時に侯爵はジルフェに、アレスフォルボアの姓を名乗ることを許した。故にその白ハヤブサの名は、ジルフェ・フォン・アレスフォルボアという。

 

 小屋にエサを入れてやりながら、クマパッシュはつぶやいた。
「おかしいなぁ。今回はせっしゃのかっこええ話だったはずなのに、どこからお前が主役になったんだか…。」

 キュキュッ、とジルフェは鳴いた。

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