TKミニ番外・届け屋編
〜早坂由紀夫にオフェリアの花束を届ける〜
 

 桜にはまだ遠い三月のある日。
 新宿の、とあるデパートの宝石売場で拓は、明日から催される『お得意様特別感謝祭』のためのフラワーディスプレイを作っていた。都内各地に支店を持つ日比谷フラワーセンターには、アレンジメントのできる社員が何人もいるのだが、たまたまその日は人手が足りず、アルタ内にある新宿店店長の依頼で、銀座店のアルバイトである拓が急遽かりだされたのであった。
 定休日であるため売場に客の姿はない。だが拓のすぐそばには、恰幅のよいガードマンがしっかりと仁王立ちしていた。何百万もする商品はさすがにどこかへしまってあるらしいが、盗難防止装置のついたショーケースの中には、20万30万の値札をつけた宝石たちがずらりと並んで、きらきらしく光を返していた。
 催し会場中央の大物ディスプレイをやっつけると、拓はショーケースの片隅に、ワイングラスにチューリップをさした小さなアレンジを作った。うすもも色のチューリップは、そのままサラダにして食べてもほのかに甘いのではないかと、そんな気がするくらい優しい風情をしている。拓はふと思いついて、目の前の、細い鎖のペンダントをつまみ上げた。
「ちょっと、君!」
 めざとくガードマンが非難の声を出した。売場のマネージャーが何事かとかけよってくる。拓は知らん顔でそのペンダントを、チューリップの茎に巻きつけぶら下げてみた。水の色をしたアクアマリンが、まるで雫のように煌き、揺れた。
(いちいち泥棒あつかいすんじゃねぇよ。)
 拓は視線でガードマンに言い、ケースの扉を閉めて立ち上がった。
「こんなもんでどうですか。」
 聞かれたマネージャーは一瞬きょろっと目を動かしたが、
「あ…ああ。うん。」
 ケースの中を覗きこみ、
「いいね。うん。けっこうだよ。よくできてると思うよ。」
 仕上ったばかりのミニアレンジと、会場中央のディスプレイ、それにエレベータ正面のケース上の盛(も)り花。拓が作ったその3点にひとつずつ目をやり、マネージャーはオーケィの意を示した。拓はエプロンのポケットから伝票とボールペンを出して、
「じゃあ、ここにサイン下さい。」
 ガードマンは任務終了といわんばかりに、そばを離れていった。馬鹿にすんなよと言いたい気分だったが、
「どうもありがとうございました。」
 伝票を受け取り、拓は頭を下げた。花鋏などを入れた道具箱と、余った花材を持ってフロアを出、通用口から地下駐車場へおりる。
「ッたく胡散臭そうにしやがって…。失敬だっつうんだよ。」
『日比谷フラワーセンター』の文字が入ったバンに乗り込み、彼は乱暴にアクセルを踏んだ。
 
「ただいま戻りました。」
 新宿店に帰りつくと店長は、
「おう、ご苦労さん。なんだ、ばかに早かったね。」
「ええ。」
 拓は道具箱をレジの下にしまい、
「言われた通りに作って、とっとと帰ってきましたよ。すぐそばでずっと見張られてて、やりにくかったですけど。」
「ああそりゃ大変だったな。まぁ君が若いんで、向こうもちょっと面食らったんだろ。また人目を引くからな君が。」
 拓は黙って伝票をファイルに綴じた。店長は時計を見て、
「じゃあ…予定より早いけど、もう上がっていいよ。ちゃんと6時までいたって銀座には言っとくから。バイト代、はしょったりしないから心配しなさんな。」
「そうですか? じゃあ…俺、これで。」
 拓はエプロンをほどいた。今夜は久しぶりに下北沢のCOOLへ行くつもりだったのだが、時刻はまだ4時20分。これではちょっと早すぎる。しかしバイト代を出してもらえるなら早く上がれるにこしたことはない。紀伊国屋で本でも見てからメシ食って…と頭の中でスケジュールを組み直していると、
「店長、いま、バイトの子から電話ありまして…」
 奥から店員が顔を出して、言った。
「なんか用があるんで休ませてくれって言ってましたよ。」
「休むぅ? おいおいなんだよ急に…。4時から来る予定で今ごろ連絡よこしてんのか。どうすんだよ配達は。」
「ああ、あの花束ですか?」
「そうだよ。お前行けるか? ひとっぱしり。」
「無理ですよ。俺これから銀行行かないと。」
「お、そうか。そうだよな、しまっちまうわな。じゃあ帰ってきてから…じゃ間に合わんのか。5時半までに届けなきゃならないんだな。…参ったな、店からっぽにするわけにいかんし…」
 嫌でも耳に入ってくるその会話に、拓は自分から申し出た。
「いいですよ、俺、行きますよ配達。」
 店長は目を見開いて、
「おっ、本当か? いやぁ助かった! 応援に来てもらっただけなのに、使っちゃって悪いねぇ!」
 拓ははずしたばかりのエプロンをもう一度首にかけた。
「いえ、どうせ時間ありますから。届けるくらいだったらやりますよ。」
「助かる助かる。バイトがねぇ、みんな君みたいに動いてくれたらいいんだけどねぇ。君…銀座店より、うちに来ないか? バイト料、色つけてもいいよ?」
「考えときます。」
 No、の意味で拓は答えた。銀座店の雰囲気が彼は気に入っている。ビルの中にあって外が見えないこの新宿店より、ずっといいと彼には思えた。まぁ『いいとも』目当ての女の子たちが、毎日ざくざく集まってくるのは魅力的であったけれど。
「…で、どこに何を届けるんですか?」
 エプロンを結び直し尋ねると、店長はカトレアやカサブランカなど、値の張る花を入れてあるガラスケースの戸をガラガラと開き、すでに作ってあった大きな花束をかかえ出した。
「ほい、ブツはこれ。届け先はここな。」
 渡されたのは、薄いピンク色の薔薇の花束だった。丸みを帯びた花びらは、根元の方に行くにつれとろけるようなクリーム色に変わり、可憐な中に気品の漂う花束には、ゆたかな芳香までがそなわっていた。
「なかなか凝った贈り主らしくてな、花の種類まで指定してきた。『オフェリアを3ダース、リボンは藤紫で』とね。」
 拓は伝票を読んだ。送り主は『日の出銀行業務本部秘書課・水木小夜子』とある。そして届け先は、
「『腰越人材派遣センター・早坂由紀夫様』…。自宅じゃなくて会社ですか。」
 どうりで時刻指定が5時半までなわけだ。それより遅くなるとオフィスが閉まってしまうのだろう。場所は渋谷。今からなら、余裕はないが多分間に合う。
「人材派遣センターっていうと、あれですかね。オー人事、オー人事?」
 拓が言うと店長は笑い、
「ああ、そんなとこだろ。聞いたことないから小さな会社なんだろうけど。」
「人材派遣…って、深読みしようと思えばできる業種ですよね。何者なのかなこの由紀夫って奴。」
 客についての詮索は商売にあるまじき不調法なのだが、“秘書課の小夜子さん”という美人ぽい名前の女性に、36本もの薔薇を贈られる男だと思うと、拓にしては珍しくゴシップ的な興味がわいた。店長も似たような心境らしく、
「人材派遣たってな。美男美女の“いわゆる”派遣業かも知れないしな。電話1本で好みのタイプをお届け。それだって広い意味での人材派遣だろ。」
「…言えてますね、それ。」
「陰で何やってるか判ったもんじゃないさ、人材派遣なんて。第一この贈り主も、『オフェリア』って指定してくるあたり、ただもんじゃないと思わないか? 苦労したぞ、それ仕入れるの。オフェリアって確かアレだよな、ハムレットに出てくる…」
「ああ、そうか。そうだ。ハムレットの恋人か。」
 拓は、抱え甲斐のあるその花束を左手に持ちかえ、もう一度伝票の記載を確かめつつ、
「もしかしてこの花束、愛の告白なんじゃないですか? だってほら、ものがオフェリアでしょ? 『あなたに恋して恋こがれて、私は気が狂いそうです。』…ンだよ、俺に言えって俺に。いつだって飛んでってやるよ小夜子ぉ! …なんてバカなこと言ってる場合じゃないですね。行ってきます。」
「おお、頼むな。場所大丈夫か?」
「ええ、渋谷はだいたいわかります。んじゃ。」
 彼は店を出、駐車場におりた。バンの助手席にそっと花束を置く。こ汚い業務用の車にオフェリア。はきだめに鶴とはこのことだと思いながら、拓は車をバックさせた。
 
 目指す住所に近づくと、拓はスピードをおとし、電信柱などに貼りつけてある町名表示に注意を払った。小規模なオフィスとマンションが半々くらいの入り組んだ路地。このへんであることは間違いないのだが、腰越人材派遣センターなる建物はなかなか見つからなかった。通ろうと思っていた道がガス工事のため迂回せざるを得ず、そのせいもあってカンが狂ったかも知れない。すでに5時15分をすぎようとしていた。拓はだんだん焦り始めた。
「やっべー…。どこだよ、オー人事はよ…。」
 彼は左右を見まわした。どこか事務所に駆け込んで聞いてみようかと思った時、行く手から男が歩いてくるのが見えた。黒っぽいくたびれたスーツを着、何やらひとり想像をめぐらせてニヤニヤしている30がらみの男…短く刈り込んだ髪に大きな鼻のついた顔、人相は決してよくないが人はよさそうという、きわめて個性的な風貌のその男に道を尋ねるべく、拓はブレーキを踏んだ。運転席のウィンドウを下げ、顔を突き出し、
「あの、ちょっとすいません!」
 路地の反対側を歩いているその男に声をかけると、
「あれえ! どしたんです!」
 思いがけないことに彼は、親しい友人に会ったかのようなフレンドリーな笑顔になって駆けよってきた。反射的に拓も笑って、
「すいません、このへんに『腰越人材派遣センター』ってありませんかね。」
 すると男は、急に笑いを固まらせてぱちぱちとまばたきをした。ややしばらく間があいたあと、
「………………え?」
 母音一つで問い返され、拓は笑いを消した。男は奇妙に引きつった表情で首をかしげた。
「な…なんでそんなこと聞くんです? だって、由紀夫ちゃんでしょ、由紀夫ちゃん?」
「ゆきお?」
 おうむ返しに言った拓は、
「ええ。早坂由紀夫…って、何で知ってんですか?」
「しっ、知ってるってだってあなた…。ね、ねぇ、どうかしました? もしかしてまたどっか、このへんガンッてぶつけたですかっ?」
 男は自分の頭を、バンの屋根にぶつける真似をした。これはひょっとして、とんでもない相手に声をかけてしまったのかと拓は思った。日本人だとばかり思ったが違うのかも知れない。東南アジアあたりの不法就業者…。日本語が通じていないとしたら、このおかしな反応も合点がいく。
「あの…もういいです。すいません失礼しました。」
「あっ、ねぇ、ちょっ、ちょっとお ――――――!」
「…何だあいつ…。」
 バックミラーに遠ざかる地団太を上目使いに見て、拓は首をひねった。
「まぁ…ここんとこ急にあったかくなったり寒くなったり…したからな。」
 小さな四つ角を左折し、車は表通りに出た。拓は、ビルの隙間からいきなり斬りつけてきた夕陽のまぶしさに目を細めた。手で遮って前方を見、見たところで彼は気づいた。斜め向かいの建物の壁に、
「『腰越人材派遣センター』…。見つけたぜこの野郎っ!」
 ニッ、と笑って時計を見ると5時23分。どうやらぎりぎりセーフである。建物の前にバンを横づけしてサイドブレーキを引き、花束を抱えて彼は道路に飛び降りた。階段を昇り、ドアの取っ手をグイと押し、
「毎度ありがとうございます、日比谷フラワーセンターです。」
 決まり文句の口上を述べながらオフィスに足を踏み入れた。室内はスキップフロアになっており、社員らしき人間たちのデスクは、いま拓が立っているところから見下ろす位置の、低い床の上にあった。左側に上役のものらしい大きな机があって、何だか派手なスーツの女が座っており、右の方にはいくつか固まって机の島ができている。そこでは若い女が一人、電卓を叩いているらしい…と、一瞥で判断できたのはそこまでだった。若い女と、若くない女の二人は、拓の顔を見るなり先ほどの男と全く同じように、口を半開きにして表情をこわばらせ、ただならぬ雰囲気でいきなり立ち上がったからである。
「あの…」
 思わず気おされて彼は口ごもったが、
「早坂…由紀夫さんにお届け物なんですけど…いらっしゃいますか…?」
「ゆ、由紀夫…?」
 左側の派手な女が、書類とハンコを持ったまま、糸を吊り上げられたマリオネットのように両手を動かした。拓は短い階段をトントンと降りて、その女に近づいた。
「ええ。これ…この花束、由紀夫さんにお届けしろとのことで。」
「ゆ…きお…って、…あ、あんた…」
 女は人差指を拓に向け、言いたいことが言葉にならないといった具合に、ぱくぱく口だけ動かした。
「あの、なんかまずいことでも…?」
 かかげて見せた花束を渡すに渡せず、彼は背後を振り返った。若い女も、…彼女の容姿はけっこう好みだったので、彼は親愛の情をこめて優しく微笑んで見せたのであるが…反応に大差はなかった。他に誰かいないのだろうか、机の数からしてこの二人以外にも社員はいるはずだと、助けを求める如く彼は室内を見回した。けれどやはり気配すらない。拓はポケットから伝票を出し、大きなデスクの上に置いた。
「すいませんが、ここにサインか印鑑もらえますか?」
「なに、なんなのよちょっと、どしたの? 由紀夫?」
 女は受取人の名前をしつこく確かめてくる。拓はうなずき、はっきりと発音して言った。
「ええ、“はやさか・ゆきお”さん宛てですけど、サインは代理のかたでけっこうですよ。あとでご本人に渡して頂ければ。」
「代理…って、だって…どっ、どういうこと? 由紀夫じゃないの?」
 いつまでも要領を得ない女に拓は業を煮やし、
「だから、ここって腰越人材派遣センターですよね? だったらいいんです! 届け先はここなんだから! 由紀夫さんてここの社員なんでしょう?」
 わかんねぇ奴だなと拓は思ったが、女に、じい…………っと、本当に穴があくんじゃないかというほど見つめられ、いささか気味が悪くなってきた。さっき新宿店長と交わした会話、『陰で何やってるか判ったもんじゃないさ人材派遣なんて』という言葉が脳裏をよぎった。やはりここはヤバイ会社なのだ。美男美女のご指名派遣、人身売買はたまた臓器密売。腎臓を取られたあとは南アフリカのダイヤモンド鉱山の人夫、またはベーリング海にスケソウダラ漁に出されるとか…。『都内で青年、行方不明に』の白抜き文字が見えた気がして、拓はぞーっとした。これは早いところ逃げ出した方が得策に違いない…!
「あの、ごめんなさい。ちょっと失礼します。」
 拓は女の右手首をつかみ、ハンコを持ったその手を、伝票の上にひきおろした。『受領印』の欄にでかでかと、『腰越人材派遣センター之印』を押させ、バサッと花束を女の胸に押しつける。伝票を取り上げて素早くはがし、彼は2枚めをポケットに入れて、1枚めを女の机に置いた。
「そちら、お客様控になっておりますので。早坂さんに花束渡すまで、その控なくさないで下さいね。いいですねお願いしますよ。」
 言いながらあとずさったため彼は、階段を昇りそこねて1段ふみはずし、あわやひっくり返る寸前、片腕で体を支えた。大丈夫ですかの一言もなく、女たちはただただこちらを凝視している。
「どうもありがとうございました!」
 戸口でもう一度お辞儀をし、拓は階段をころげるように駆け降りてバンに飛び込んだ。
「ンだよいったい…。どういう会社だ? 気味わりぃ…。」
 追手のかからぬうち、ずらかるが勝ちだ。バンが動きだしたちょうどその時、通りを曲がって二つの人影が…シルバーの自転車を押したスーツ姿の青年と、買い物帰りの袋を持った細身の少年がやってきたことには、残念ながら拓は気づかなかった。
 新宿店へ戻る道すがら、彼は束ねていた髪をほどいて溜息をついた。
(全く、なにもんだよ早坂由紀夫って…。有名人にそんなのいたか? 三島由紀夫くらいしか知らねぇぞ?)
 
 拓は新宿店に戻り、ご苦労さんとねぎらってくれた店長に、先ほどの宝石店のディスプレイで使ったのと同じピンクのチューリップを5本もらい、外に出た。適当に時間をつぶして下北沢へ行き、
「ん。これ。綺麗な色だろ。春らしくていいかなと思って。」
 その小さな花束を今日子に差し出した。彼女はそれをガラスのデキャンタに生けた。
「…なぁ。」
 いつも通りのシャンプーをしてもらいながら、拓は今日子に聞いた。
「俺ってさ…胡散臭い?」
「え? 何よいきなり。なんかあったの?」
「いや…行くとこ行くとこで胡散臭そうにされたからさ…。デパートのガードマンといいさっきの客といい、なんか知んねぇけど人のこと、宇宙人でも見るような顔して見んだよ。」
 拓が帰ったあとの腰越人材派遣センターでは、仕事から戻ってきた由紀夫と、道でバッタリ会って一緒に帰ってきた正広と、帰宅していたのに呼び戻された野長瀬、それに奈緒美、典子、千明までが加わって、いったいあれは誰だ、ドッペルゲンガーか生き霊(すだま)、はたまた小林ヤスハルかとすったもんだの騒ぎになっていたのだが、そんなことを知るはずもない拓は、今日子に強く爪を立ててもらいながら、気持ちよさそうに目を閉じていた。
「も、ちょっと左…。あ、そこそこ…。ああん、いい…!」
「あのねぇ。あんまり色っぽい声出さないの。だから胡散臭いって言われるのよ。」
「えっ、やっぱそう? 胡散臭い? 俺。」
「まぁ人によってはねぇ。そう見るかも知れないわね。へんにとっつきにくい面があるし、お高くとまりやがってって思われること、多いんじゃないの?」
「なこと言われたってさ。これでも客にはなるべく愛想よくするようにしてんだぜ?」
「ま、あんまり気にしないことよ。きれいにシャンプーしてあげるから、さっぱり忘れちゃいなさいよ。」
「…そだな。んなこと悩んだってしゃあねぇか。どうせ悩むなら恋の悩み…。あ、そういえばさ、今日子、オフェリアって知ってる?」
「オフェリアぁ? なんだっけ、聞いたことはあるけど…。妖精だっけ? 花の精…じゃない風の精じゃない、あ、水の精だったかな。水の精オフェリア。」
「ちゃうって。なに間違って覚えてんだよ。オフェリアはハムレットのヒロイン。水の精は…あれだよ、姫川亜弓のいる劇団。」
「…オンディーヌ…?」
「ピンポン! そ、オンディーヌ。」
「…ねえ…あなたってさ…もしかして、マニア?」
「『セイラさん!』」
「ごめん。そっちはあたしいまいちわかんない。」
「うっそ、知んねぇの? んじゃ、『シャア、はかったな!』は? 『マチルダさぁーん!』とか、『ハロハロ、アムロ、ゲンキ?』」
 とりとめもない話をし、笑いあう二人のそばで、うすもも色のチューリップがかすかに揺れた。早坂由紀夫が何者なのか、なぜこういう物語が生まれたのか…。全てを知っているその春の使者は、月が淡く影をおとす窓辺で、こみあげる笑いを噛みころしていたのだろう。
 
「兄ちゃん…ほんとに心当たりないの?」
「あるかよ、んなもん。誰だよこいつ…。配送担当“T・K”って…。」

< 終 >

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