水町享央の話。(2008.3.20/下北ファインホール)

(以下、原文通り)
08.3.20/水町さんのトークライブを見に、下北ファインホールまで行ってきました。
14:00開場、14:30開演。

「1回目のトークライブの話」
5~6年前に初めてしたトークライブについて。
記念すべき1回目はサンドウィッチマンやホロッコ達と三軒茶屋で行ったのが最初らしい。
水町さんが始めて主催したので、「何か面白い事をしよう」と計画。
その当時、宇多田ヒカルがシークレットライブをやっていた時期と重なっていたので、
「ここはやっとかないといかんだろう」と思い、第1回目でいきなりシークレットライブにしたそう。
当日、開場してみたらお客さんは案の定2人しか来なかった。
演者10人でその2人のお客さんを笑わそうとしてたので、ついにその人は泣き出してしまった事があったらしい。

「家族の話」
1・水町さんが覚えている一番古い記憶では、実家は肉屋を経営していたらしい。
お兄さんが見せの売上金を持って、家と店を行き来するお手伝いを一緒にしていたそう。
ある時、警察に声を掛けられた。(職務質問?)
お兄さんはテンパっていたのか、売上金の入ったバッグを水町さんに渡して逃げた事があったという。

2・子供の頃は幽霊やUFOの番組が大好きでよく見ていたそうだけど、昔から想像する癖があり、
番組を見た後は「宇宙人っているんじゃないか?」と思って怖くなる事が多いらしい。
ある時、「お婆ちゃんが何年か前に宇宙人と摩り替わってたら」と思って、お婆ちゃんに「いい加減にしろ!わかってるんだぞ!正体を現せ!」と言った。
我慢できなくなってお婆ちゃんの襟首を掴んだら、「いい加減にしろ!」とお婆ちゃんに殴られた事があった。

「学生時代の話」
1・小学生の時、よく友達にあだ名を付ける事が多かったそう。
友達の仕草などを見て、「インパラ」など付けていたらしい。

2・地元の福岡の中学校は物凄く荒れていたらしい。
制服もズボンの渡りを広くしたり、上着も3つボタンにしたりと改良する生徒が多かった程だそう。

3・大学時代にした辛かったバイトについて。
交通警備のバイトで中国人の留学生のチョウ君と一緒に車を流していた時、チョウ君は違う警備会社の人とモメていたらしい。
しばらくすると、「うわぁ~!」と言う声が聞こえて無線が切れた。
何があったのかわからず「大丈夫か!?」と聞いたら、チョウ君は小さい声で「轢かれた~・・・」と。
つまり、違う警備会社の人が車を流したせいでチョウ君は轢き逃げされたらしい・・・。

「名前の誤植の話」
よく名前を間違われる事が多い水町さん。
「享央」を「亨央」と書かれたりするのが多いが、一番酷いので、ピザを注文した時に領収書に「ウズマキ」と書かれていた事があったらしい。

「その他の話」
1・吉本の後輩と飲みに行った時、ベロベロに酔っ払ってノリツッコミ合戦をした。
歌舞伎町の地下鉄に降りる階段付近で「なんでだよ~!」とノリツッコミをしたら、階段から落ちて前歯が折れた・・・。

2・コンパでは「26歳」と言っているらしい。

「なごみ堂!時代の話」
1・TBSで放送していた「桂芸能社」という番組に出た時の話。
E.T.の感動のシーンを撮るため、自転車に乗って堤防から海に突っ込むロケをした。
そのロケは2月辺りに行ったので、海は3分以上浸かっていたら全身が硬直する程の冷たさだった。
相方の1人の竹田さんは水町さんを助けようとしてロープを出すが、“芸人のお約束”としてわざとらしく落ちたらしい。

2・500人くらい入る下北沢の会場でコントをした時、物凄くスベったらしい。
水町さん曰く、本当にスベった時は「(超音波等で?)うるさい」らしい。
コントの途中、漫画のようにメガネのレンズが割れた程だったそう。

16:00頃に終了。