桜月夜 02

 障子越しの月明かりしかない部屋に、二人分の荒い呼吸が響いていた。

「あ……あっ、あぁ……あ……っ」

 の甘い喘ぎが、呼吸の音に混ざる。土方はの腰を押さえて、猛りを熱い秘所に埋め込んだ。ねっとりと絡むように迎え入れられ、土方も知らず甘い溜息を漏らす。

「はぁ……っう」

「あぁ……あ、やぁ……あぁ……」

 たっぷり溢れた蜜と、幾度も注がれた欲が、土方の動きに合わせてくぐもった水音を立てる。

 慣れない頃は声を出すことも恥ずかしくてできなかったが、いまは熱を穿たれるままに乱れて喘ぐ。その姿も声も、どれもが土方の情欲を煽った。

「あっ、あ……あ、あ、あ……あぁっ、あっ」

 容赦なく責め立てられて、は土方にしがみつきながら必死に猛りを受け止める。何度も夜を共に過ごすうちに、土方はの弱いところをすっかり把握していた。は、またもや高みに追い上げられる。

「あぁ…っ、あっ、ぁん……あ、あぁぁぁ……!」

 悲鳴のような啼き声を上げて、は昇り詰める。今夜はこれで何度目か、もうわからない。快美の頂で足の先まで強張らせて、声にならない声を混じらせて息をするの中で、土方の猛りが欲を放った。




 交わりを解いた土方は肘をついて上体を支えると、ぐったりと横たわるの様子を情欲の名残がちらつく眼で見つめる。

 まだ熱は自身の中に燻っているが、はもうこれ以上は無理だろう。そう見極めて、肩にかろうじてかかっているの寝間着の袷を直してやる。衣擦れが刺激になるのか、は甘い声を吐息に混じらせて、ぴくんと震えた。だが、荒い呼吸を繰り返しながら、それきり動かないところを見ると、やはり今夜は限界のようだった。

 最初にを抱いたのは会津にいる時だった。それ以来、その日の務めを終えて宿に戻ると、時折、に触れるようになった。

 もちろん、公私のけじめはつけている。これまで通り、を補佐として傍に置いているときは、指一本触れることはもちろん、親密な言葉を掛けることさえない。

 初めのうちは求められることに躊躇いを見せていたも、会津から仙台に移る頃には土方に愛でられることに慣れ、求められれば恥じらいながらも応えるようになった。

 いまでは、今夜のように正気を失うほど土方の愛撫に溺れることもある。そんなときはたいてい、土方もを愛することに夢中になっていて、滾った欲をの中で何度も放っていた。

 に子ができるのは、いつだろうかと土方は思う。今夜とて、欲を迸らせたのは一度や二度ではなかった。そして土方が放つ度に、は可憐に身悶えて、迸る欲を一身に受け止めた。その姿に煽られて、歯止めが利かなくなったほどだというのに、これでも子ができるには足りないと言うなら、あとどれほど愛せばいいのか。

 人と神との間に、子はできるかと、に訊いたことがある。は、頻繁にあることではないが、珍しいことでもないと言った。なら、いつに子ができても、おかしくないはずだ。

 人である自分は、いつかより先にこの世を去る。まして戦の只中であれば、それは明日のことかもしれない。そのとき、に子を残してやることができたら……。その子はきっとの心の支えになることだろう。そしてなにより、その子がいる限り、死した後もは自分のものだ。

 目の前の今この時ばかりでなく、この先の未来までを独占しようとする自分の狭量さに、自嘲の笑みがこぼれる。だが、止める気はない。が誰かの隣に添う姿など、決して許さない。

 手を伸ばして、の髪をそっと掬い取る。くるくると手に絡めて弄んでいると、が重たいまぶたを開けた。

「土方殿……?」

「悪い、起こしたか」

「いいえ……眠ってはいませんでしたから」

「無理させたな。もう寝ちまえ」

「……はい。おやすみなさいませ」

 土方に促されるままに、は微笑みを浮かべて目を閉じる。

 これまでの経験で、女が溺れた後はあまり触れない方がいいと知っている。を抱き寄せて眠るのは諦め、掛布を引き上げての肩を覆うと、土方は隣に延べられている自分の床に移った。

 土方が自分の布団に入って振り返ると、は沈み込むように眠っていた。

 の寝顔を見るのは、同じ部屋に眠るようになってからの土方の喜びだった。なににも煩わされていない無垢な寝顔は、土方に独特の幸福感を覚えさせた。

 この先に待ち受けるなにかに立ち向かうために、あるいは己の心に常に『誠』の隊旗を掲げ続けるために、安らぎとして与えられた存在がなのだとわかっている。がいるから、後顧に憂いを覚えることなく、揺らぐことなく『誠』の隊旗を揚げて、土方はただ前に進み続けていけるのだ。

 がもたらす安らぎを他の男には味わわせたくないと思う。がくれる安らぎを知るのは、後にも先にも、自分ただ一人しか認めない。

 それと同時に、自分の宿命にを付き合わせたくないと望む。己の生涯にひと時の安らぎをもたらしてくれた存在に、この先の平穏な幸せを切に願う。

 だからこそ、に子を残したい。

 にはまだ告げていなかったが、戦局は芳しくなかった。蝦夷に本拠を移し、足場を固めて新政府軍を迎え撃つという案が具体的になり始めている。遠からず、仙台を発つことになるだろう。

 蝦夷にを連れていくことはしたくなかった。いくら勘当されたと言っても、東国稲荷の支配地であれば、出自そのものがを守ってくれると期待できた。だが、蝦夷地は東国稲荷の管轄外だ。稲荷一族が蝦夷地にいるかどうかもわからない。戦う地がある限り戦うと決めたからには、この先、土方に平穏な日常など訪れることはない。そんな地に、なんの庇護もないを連れていっても、辛い思いをさせるだけだ。

 仙台を出港すると決まる前に、を身籠らせたい。子を宿していれば、仙台に置いていくという土方の決断を、も受け入れやすくなるだろう。

 それに仙台は東国稲荷の管轄下にある。独り住まいで身籠っていれば、稲荷一族もそう簡単に見捨てることはないだろう。東国稲荷である兄が動かなくとも、分社のどこかが庇護してくれるはずだ。

 独占欲とは別に、そんな計算を働かせて、土方はを抱いている。ただ純粋な愛しさからの行為でない罪悪感はあったが、を抱ける幸福感も同じくらいにあった。




 早朝、目を覚ましたは、まだ残る疲れに構わず体を起こす。

 隣の床に眠る土方は、眉間にシワを寄せていた。なにも言わないが、戦の状況がよくないのだろうということは、補佐をしていればわかる。土方は独りでいろいろと抱え込んでいるのだろう。

 土方は気付いていないかもしれないが、土方がを抱くのは、たいてい、旧幕府軍や奥羽列藩同盟の上層部との会合があった日だった。癒しを求められているようで嬉しいが、を抱いた後も土方の眉間からシワは消えない。土方の心労を癒しきれていないのか、それとも別の憂いが土方を襲うのか、どちらなのだろうと思うけれど、それを訊ねることもできない。

 にできるのは、ただ黙って、土方を支えること。そしてどこまでも土方について行くことだ。

 床を上げ、手早く着物を着替える。土方が起きる前に、朝食の膳を整えなくては。

 勝手場に入ると、勝手口の戸をからりと開けて、朝の空気を呼び込む。そしていつものように手際よく朝食の支度を始める。

 間もなく朝食ができるという頃になって、不意に吐き気がこみ上げる。たまらずには勝手口の外の物陰で吐いた。

 土方がいないところでよかった。見つからないうちに、あとで土をかぶせて隠しておこう。

 このところ、食事の頃合いになると吐き気がする。不意に、どうにも眠くて仕方がなくなることもあった。日頃の疲れが溜まっているのだろう。土方に気付かれないうちに、回復しなくてはならない。体調が悪いことを理由に置いて行かれるようなことになれば一大事だ。

 できあがった朝食の膳を持って、は足早に土方が待つ居間に向かった。


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