「あれ? どうしたんです、こんなところで」
4人でどうしたものかと必死に考えていると、からかい半分の楽しそうな声が聞こえてきた。
「総司!」
「僕だけじゃないですけどね」
言われて見回すと、巡察の途中らしい三番組や父親捜し中らしい千鶴もいる。
「なにかあったんですか?」
心配そうな千鶴の問いに、4人は苦い顔でうなずいた。冷静で機転の利く4人が全員そろって苦い顔をする情景など、見たいと思っても見られるものじゃないと、沖田が「へぇ…」と微笑む。悪戯好きな性格が災いして、やや性悪な笑顔に見えるが、本人は今のところ、単純な好奇心だけで笑っているに過ぎない。
「とりあえず、我々はいま、新選組だということを伏せていますので……」
山崎が言うと、斎藤は隊服をさっと脱いで手近な隊士に渡し、先に行くよう命じた。沖田は私用で外出しているようで、隊服は最初から着ていない。千鶴もしかり。
一瞬のうちに、ただの浪人の外見になった彼らは、事情を聞かせろと輪を縮める。山崎が手短に状況の説明をすると、沖田が「なぁんだ」と笑った。
「それなら、別に難しいことじゃないですよ。ただ……そうだな、ちょっと工夫した方がいいかもしれませんけどね」
「すごい! 沖田さん、いい案を思いついたんですね!」
千鶴が思わず声を上げると、まわり全員に「しぃっ!」とたしなめられる。沖田は声を潜めて、千鶴にうなずいて見せた。
「うん。…というわけで、一君、ちょっと耳貸して。土方さんたちは、なにがあっても絶対話を合わせてくださいね」
にんまりと笑う沖田は、斎藤にぽそぽそとなにごとかを吹き込む。斎藤はいつものように無表情で聞いていたが、内心で動揺しているのか、目線が泳いでいた。
「あの。それで、どうやって証明してくださるんですか?」
しびれを切らした与吉が、じれったそうに声をかける。どうせ嘘なのだろうから、さっさと諦めてほしい……という本音がにじみ出ている声音だ。かちんときた土方が、ぎろりと与吉を睨みつける。先ほどの与吉の睨みとは、迫力がまるで違う、本物の凄みだ。ここまでくると、どこまでが芝居でどこからが本気なのか、もう誰にもわからない。
「いちいちうるせえな。てめえがどうすれば納得するか言わねえから、みんなで相談してるんじゃねえか」
「あなたが手を引けばいいだけの話だと思うんですけど」
「いきなりてめえの女をくれと言われて、はいそうですかと言う男がどこにいる?」
ばちばちと火花が散りそうな応酬の合間を縫うように、土方に張りついているに近寄った斎藤が、ひとつ訊ねた。
「。すこし、顔色が悪いようだな。大丈夫か?」
「え? ええ……大丈夫。ありがとう、斎藤殿」
唐突な斎藤の質問に面食らいながら、はうなずく。斎藤は顔をしかめながら、
「なら、いいが……。この時期は疲れが出やすいと聞く。大事な時期だ、無理はしない方がいい」
「ちょ、一君! それ土方さんにまだ内緒…!」
真面目に、それはもう真面目にをいたわる斎藤に、沖田が慌てる。
……という芝居だが、もともと淡々とした口調の斎藤が、真面目に芝居しようとすると、真面目に心配しているようにしか聞こえない。そこまで考えての配役だが、それを止める沖田の芝居はやや白々しい。それでも、土方に内緒でよからぬことをしでかす沖田という構図はすでに日常で完成されているもののため、土方と監察方の二人はころっとだまされる。
「どういうことだ、総司。俺に何を隠してる? 斎藤、てめえも知ってることがあれば全部吐け!」
「そんなこと言われても、さんが言ってないことを僕が勝手に言うわけにはいかないでしょう?」
「俺も総司と同意見です。本人が伏せていることを、俺の一存で言うわけには」
「さん、どういうことですか? なにか病に罹っているとか」
「いえ、病というわけではないのよ。でも……」
山崎に真剣に尋ねられて、は返事に困る。具合がよくないどころか、いたって健康、なんの心配もない。だからおそらく、の具合が云々と言うのは沖田と斎藤の芝居だろうとわかってはいるが、与吉の求婚を振り切るためのものなのだと思えば、自分が不用意にしゃべって台無しにすることもできない。そんな歯切れの悪いの様子は、沖田と斎藤の芝居に信憑性を持たせた。
「どういうことですか、さん? どこかお加減を悪くしているのですか?」
「いえ、あの……」
土方や山崎の様子につられて、すっかり沖田の芝居を信じた与吉にまで尋ねられて、は困って斎藤を見上げる。斎藤は小さくうなずくと、声を出さずに「うずくまれ」と口を動かした。それを読み取ったは、言われるまま、崩れるようにうずくまる。
「さん! ……やっぱり無理してたんだ。一君、山崎君と一緒に、さんを医者に……お産婆さんの方がいいのかな……いいから、とにかく連れてって! 千鶴ちゃんも!」
取ってつけたような沖田の焦りぶりも、突然具合を悪くした(ように見える)の容態に気を取られるその場の面子は、すっかり信じて慌てる。
「さん! そんな……おめでただったなんて。大丈夫ですか、痛いところはないですか!?」
産婆という単語を聞き取った千鶴は、医者の娘らしく動転しながらも気丈にを気遣う。沖田の目的がようやく飲み込めたは腹を抱えてさらに丸くなり、抱き上げようと腕を伸ばしてきた斎藤に身を預けた。山崎に先導されながら、を抱えた斎藤と千鶴は店を飛び出していく。
「どういうことだ、総司! が身籠ってるだと!?」
自分自身には覚えが一切ない土方は、血相を変えて沖田の胸ぐらを掴む。島田が慌てて仲裁に入ったが、土方の手から逃れた沖田はげほごほとむせた。
「そうかもしれないって相談を受けましたよ。もし違って、土方さんをぬか喜びさせたら申し訳ないから、もっとはっきりするまでは黙っていてほしい。でも心配だから、なにかあったら助けてほしいって、言われてたんです」
「沖田さん。そんな大事なことを報告していなかったなんて」
「悪かったとは、思ってるけどさ。妊婦に心労かけるわけにはいかないでしょ。そしたら、僕に残されてる選択なんて、内緒で協力するしかないじゃない」
島田(本気で信じている)の抗議に、沖田はすまなそうに苦笑する。土方はが運ばれていった往来に目を向けると、一瞬躊躇った後に、与吉に目を戻す。
「聞いてたよな? これで文句ねえだろ」
「そんな……。僕がさんを嫁にしたかったのに……」
呆然とつぶやく与吉は、すっかりと意気消沈していて、先ほどまでとは別人のようだ。
土方は冷ややかな目で与吉を見下ろすと、それ以上何も言わずに店を出た。
「残念だったね。惚れた相手が悪かったよ。あの亭主がついてるんじゃ、ね」
そう駄目押しをして、沖田が続く。島田は店の奥でずっと様子を見守っていた店主に一礼して、外に出た。後日、あらためて、騒がせた侘びと礼をしなくてはならないだろう。
ずいぶんと騒々しかったが、ともかく、これで問題は解決だった。
屯所に戻った土方は、と千鶴が縁側でお茶を飲んでいる光景に出くわす。
「。……なかなかの芝居だったな」
「土方殿、おかえりなさいませ。……ええ、沖田殿と斎藤殿のおかげで、なんとかなりました。土方殿、守ってくださって、ありがとうございました」
土方が苦笑しながら近づくと、は立ち上がって一礼した。首を振った土方は、目で座るようを促す。
「孕んでるって聞いたときは、誰の子かと思って慌てたぜ。いい役者ぶりだったな」
「土方殿こそ。わたくし、本当に土方殿の奥様になった気がしました」
土方は、が子を宿していること自体が嘘であることを、確認しない。同様に、も、どうして土方があれほどまでに嘘を吐き通してくれたのか、訊かない。それでいいと、ふたりとも思っていた。
「一服したら、副長室に来てくれ。会津藩に出す書類を作らなきゃならねえ」
「承知しました」
そして土方とは、いつも通りの日常に戻って行く。
いつか、今日の嘘が現実になる日が来ることになっても、いいかもしれない。
そう思って土方を振り返ると、同じ瞬間に土方もを振り向いていた。土方の静かな眼差しが、の思いを受け止めてくれていた。