マイ・フェア・レディ

 朝から、ずいぶん視線を感じている。たぶん、それらはすべてディーノに向けられたもの―――端整なイタリア人に向けられたものばかり。

 ……なんか、嫌だな。この人は、僕のものなのに。

 ディーノの隣を歩く雲雀は、ひとつ、ふたつと、小さな不快感を増やしていく。ちりちりと心臓の端を焼くような不快感のカケラは、増え続けて、もうすぐ発火する。

 ディーノは背が高いし、抗争に備えて鍛えているから、体つきもいい。ハチミツで染めたような落ち着いた金髪も、優しいハシバミ色の目も、普通にかっこいい。ちょっとタレ目だけど、それはイタリア人だから仕方ないとして。

 どうして僕がいるときに、そんなことするの。気分が悪い。

 雲雀の存在を無視するようにディーノを見る周りの群れの視線も、それに気付かずに上機嫌なディーノも、せっかくディーノと休日を過ごしているのに嫌な気持ちになっている自分も。すべてが不快この上ない。

「なあ、恭弥。次はどこに行く? オレはどこでもいいけど、恭弥と一緒なら」

 はしゃいだディーノの声は、上の空の雲雀に受け流される。けれど、戦い以外では雲雀のノリが悪いのはいつものことだから、ディーノは深く受け止めずに「それじゃ、あっちに行こう」と、楽しそうに道を渡る。

 ああ、もう。どうしてこの人はアレに気付いていないんだろう。こんなにこんなに、僕は不快なのに。

 けれど、ディーノを置いて帰ってしまわないのは、ディーノが雲雀の手を握っているから。そして、雲雀がそこから伝わるディーノの体温と手の感触を、嬉しいと思っているから。

 ああ、そうだ。僕はこの人とデートしてるんだ。

 混んだ交差点も、ディーノが決して手を離さないから、はぐれることはなかった。そう思い返すと、少し気持ちが上を向いて、温かくなる。

「ねえ。さっきからあなた、どこに向かっているの?」

「わかんねー。この辺りは恭弥が楽しくなさそうだから、どこなら楽しそうか、探してる」

 どこへ向かっているのか判らなくて訊いたら、返ってきたのはそんな答え。

 いいではないか、周りがどれだけディーノを気にしていても、ディーノが気にするのは雲雀ただ1人。不快な群れの視線なぞ、相手にするほどの価値もない。

 ディーノに判らないように、小さく笑みをこぼした、そのときだった。

「あのう」

 背後から呼び止める声は、若い女のもの。反射的に振り向いたディーノと、それにつられて振り向いた雲雀の前にいたのは、二人の女子高生だった。

「あの、よかったら、あたしたちとお茶飲みに行きませんか?」

「あたしたち、この近くの学校だから、穴場のカフェとか、知ってて。それで」

「悪いけど」

 うっすらと頬を染めて、一生懸命に誘ってくる様は、端から眺める分には可愛らしかったけれど、今は煩わしい邪魔者でしかない。ディーノが硬い声で、断りを口にする。

「こいつがいる。君らとは行かねー」

「あっ、でもあたしたちも2人だし、2対2ならちょうどいいし!」

「2人ともカッコイイから、あたしたちは全然!」

 途端、雲雀はさっと顔色を変えた。

 この子達、僕が男だと思ってる。

 事実、雲雀の服装はどう見ても男物のカットソーに、デニムのパンツ。普段、男子の制服を着ているせいか、女の子らしい雰囲気さえない。

 けれど、ディーノの隣にいるときに、間違えられたくはなかった。雲雀の矜持を、それは何よりも鋭く切り裂くから。

 そのとき。

「残念だけど、こいつは女で、オレのもんだ。君たち程度じゃわかんねーんだろうけど、こいつほどいい女はいねーんだぜ?」

 きっぱりと言い切るディーノの口調はいつもと変わらない。けれど、勝手な決めつけで雲雀を傷つけた女子高生たちを、嘲っていた。

「行けよ。最初から、お呼びじゃねーんだ」

 すっと目を細めて、ディーノが凄む。それは、本物のボスの凄み。してはいけないことをしたのだと、世間知らずの子供に思い知らせるには、充分だ。

 ばたばたと走り去っていく女子高生たちを眺めながら、雲雀はポツリと訊ねた。

「ねえ。僕、そんなにいい女?」

 それは、先程のディーノの発言の中で、いちばん気になったところだ。嬉しいとは思うが、それよりも戸惑いの方がずっと大きかった。『いい女』の定義は知らないけれど、胸はぺったんこだし、スカートは嫌いだし、凶器を使った喧嘩はお手の物で、およそ女の子らしいところなんてないのに。

「おお。お前は充分にいい女だぜ、恭弥。イタリアでいい女だって言われてる女は何人も見てきたけど、お前はどの女よりずっといい女だ」

 即答で返ってきたディーノの言葉は、雲雀の予想を超えていた。面食らって、ついぽかんとディーノを見上げてしまう。

「あ、その顔、信じてねーだろ。…いいか、恭弥。ただ美人なだけだったり、ただ色っぽかったりするのが『いい女』なんじゃねー。確かに美人で色っぽいに越したことはねーが、それよりもずっと大事なのは、気高いことだ。誰にも侵されねー己を保てる女こそが、いい女ってもんだ。な、恭弥。お前以上にいい女なんて、いるはずがねーじゃねーか」

「確かにね。あなた、見る目があるよ」

 自信たっぷりのディーノに、精一杯の虚勢で頷き返す。本当は泣きたいほど嬉しいけれど、この男にそんな素振りなんて、いつかここぞというとっておきの瞬間が来る日まで、絶対に見せてなんてやらないのだ。

「だいたい、恭弥が美人なのは、神にかけて本当だぜ。さて、じゃあ恭弥。次のところ、行こうか」

 そんな雲雀に気付いているのかいないのか、ディーノはそう言って、元来た道を戻り始めた。そちらは、駅前のデパートが立ち並ぶ区画。雲雀の大嫌いな群れだらけだ。

「僕が楽しいところに行くんじゃなかったの?」

「うん、予定変更。オレが楽しいところに行く」

 雲雀の意見は無視の決定に、少しむっとするけれど、ディーノが手を離してくれないから、雲雀はついていくしかない。できるのは、こうして問いかけることくらい。

「あなたが行きたいところって?」

「うん。恭弥の服を買おう。ワンピースとかスカートとか、たくさん」

「いらないよ! そんな、草食動物が着るような服」

「でも、俺は着て欲しいし、恭弥だって案外悪い気はしねーと思うぜ。想像してみろよ、着飾った恭弥の姿を見た瞬間に、それまで自分がいちばんの美人だと思っていた女たちが、次々と敗北していくんだ」

「!」

「な。トンファーと同じくれー、強力な武器だろ。そしてオレは、そういう恭弥を連れて歩けるんだ。一石二鳥って、こういうことを言うんだろ?」

 本当は、自分がそんなに美人だなんて、ちょっと信じられなかったし、大嫌いなスカートを穿いて勝っても、ちっとも爽快ではなさそうだったけれど、ディーノがあまりに楽しそうだったから、雲雀は何も言えなくなってしまった。

 そういえば、男は自分の恋人を着飾らせたがるんだったっけ。

 草壁が昔言っていたことを思い出し、仕方がないか、と小さくため息をつく。

「たまには、女装もやむを得ない、か」

「女装!? 恭弥は女の子なんだから、女装じゃねーだろう?」

「うるさいな、僕にとっては女装なんだよ」

 その代わり、何をしてもらおうかな。僕が満足するまで、手合わせしてもらうとか、いいかも。

 つぶやく雲雀に、ディーノはちょっと苦笑いした。


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