「暑い…」
並森中の応接室で、雲雀はぽつりとつぶやいた。
無論、応接室は空調が効いていて、暑いはずなどない。雲雀が暑いと言うのは、ぎらぎらと照りつける日差しと、濃い蒼の空と、質感を感じさせるほど白い雲が、三つ揃ったときに持つ視覚的な暑さのことだ。
雲雀に逢うために学校に来ていたディーノは、雲雀のつぶやきを聞いて、避暑を思い立った。
「じゃあさ、恭弥。俺と避暑に行こうぜ。イタリアにも、避暑にいいところは多いんだ。きっと恭弥も気に入る」
「無理。僕、風紀委員の仕事があるもの」
「じゃあ、国内ならいいか? 軽井沢とか、蓼科とかなら、そんなに遠くないだろう?」
「やだ。日本の避暑地なんて、群れだらけじゃない」
ディーノの提案は、言った側から却下される。自分の失策に、ディーノは今になって気付いた。まずはデートの約束を取り付けるところから行ったほうが、成功しやすかったのではないか!?
しかし、時既に遅しとはこのことだ。雲雀は、ディーノが夏休みに浮かれてあそこに行きたいとかここにも行きたいとか言い出すだろうと、警戒してしまっていた。
仕方なく、ディーノは方向性を若干変更する。
「そうだ。じゃあ恭弥、プールならどうだ? 都内のプールなら、何日も休みを取らなくても行けるだろう?」
「やだ。僕プール入ったことない」
素気無い拒否の後に続いた言葉に、ディーノは目を丸くした。プールに、入ったことが、ない?
「ツナから、水泳の授業があるって聞いたぜ?」
「見学してる。当然でしょ」
女性であることを隠すとかどうとか言う以前に、雲雀はスクール水着が大嫌いだった。競泳用なら許容できるのに、授業では認められない。ならば、見学するしかないではないか。
「個人的に行ったこともないのか?」
「市民プールに治安維持の謝礼を貰いになら、行ったことあるけど」
「もしかして、カナヅチ…」
「死になよ」
禁断の一言を声にした瞬間、すちゃりとトンファーが突きつけられる。どうやら、泳げないわけではないらしい。
「なんだよ、恭弥。それじゃ、なにがそんなに不満なんだ」
「水着が嫌」
「へっ?」
てっきり、群れだらけだとか言うと思っていたディーノの予想を裏切って、雲雀は即答した。
「なんでか、聞いてもいいか?」
「だって、僕の好みどおりの水着なんて、売ってないから」
ワンピースタイプは嫌。可愛い柄も嫌。可愛い色も嫌。フリルも嫌。リボンも嫌。ひらひらしたパレオは論外。後から後から出てくる既製の水着への不満は、世の女の子の求める水着を真っ向から否定する。
「じゃあ、水着の問題が解決したら、恭弥はプールに行けるんだな?」
「そういうことになるね」
「都内で、群れがいないプールなら、いいんだよな?」
「そうだね」
「わかった、まかせろ」
言うなり、ディーノはイタリア語で電話を掛けはじめた。
数日後。
ロマーリオの迎えで都内にある一流ホテルのプールにやってきた雲雀は、ディーノの出迎えを受けた。今日一日借り切ったので、好きに使えると言う。
水着がないと言った雲雀に差し出されたのは、イタリアの超一流ブランドのオーダーメイドの水着で、それは雲雀の好みを忠実に踏まえたデザインだった。
「気に入ったか、恭弥?」
自慢げなディーノの表情が、とてもカッコよかったことは、本人には教えてやらない。その代わりに、雲雀はとても機嫌のいい笑いをこぼした。
「当然。僕の惚れた男なら、このくらいやってくれなくちゃ」
日帰りのデートが泊りがけに変更になったのは、言うまでもないこと。