バッカナーレ

 並盛を見下ろせるホテルの一室で、雲雀は不愉快げに身をソファに沈めていた。

 不愉快の原因は、ただ1人。この部屋の宿泊者であるディーノに他ならなかった。

 ディーノには仕事があることは、百も承知だ。その為に、日本に来るにも仕事も一緒について来ることも、わかっている。

 だが、自分と会っているときくらい、仕事用の携帯電話は切っていてくれても、バチは当たらないのではないかと思うのだ。

 一緒に食事をして、話をしながら部屋へ上がってきて、セキュリティなどの都合からディーノは一番高いスイートに入っているから、そんなゴージャスな部屋へ入れば雰囲気だって甘くなる。

 なのに、ディーノはキスの寸前で鳴った電話に出て、イタリア語で話しながら部屋を出てしまった。

 何で僕がいるのに他人からの電話に出るの!? 何で僕にわからないイタリア語で話すの!? 理不尽かどうかは二の次で、雲雀を怒りが支配する。けれど、これだけ腹が立っても、ディーノが今にも戻ってくるかもと思えば、帰ってしまうことさえできない。それも悔しくてたまらない。

「バカ馬」

 つぶやけば、ただ空しさが増しただけだった。腹立ち紛れにクッションを殴ったって、晴れはしない。

 やっぱり、帰ってしまおうか。

 そう思ったとき、雲雀の視界にひとつのデキャンタが映った。おそらくは、雲雀の来訪のない夜などにディーノが嗜むために用意してあるのだろう。切子のデキャンタには、透明な液体が入っていた。




「悪ぃ、恭弥。待たせたな」

 ロマーリオの部屋で電話と軽い打ち合わせを済ませて、ディーノは急いで部屋に戻った。打ち合わせついでに、今日はもう邪魔をされたくないと携帯電話を全部ロマーリオに預けてきたので、ディーノの表情はすっきりにこやかだ。

 しかし、戻ってきたディーノを迎えたのは、すっかり酒臭い部屋と酔眼の雲雀だった。

「きょ…恭弥?」

「なに?」

 問いかけると、とろんとした目でディーノを見上げる。

 ディーノのパジャマに着替えて、ロックグラスを抱えた雲雀は、ソファでくつろいでいた。もちろん、ディーノのパジャマなんて、雲雀には子供にとっての親の上着くらいに大きい。ズボンはまるでサイズが合わなかったらしく、ソファの横に放ってある。だぶだぶの襟元からは、ほんのりと染まっている少女の肌が覗いていた。

 あまり見ていては自制が効かなくなると直感したディーノは、目線を胸元から外しながらあえてどうでもよさそうな話題を振った。

「それ、オレのだろ? よく見つけたな」

「向こうの部屋にあったよ。勝手に借りたけど、いいでしょ」

「いや、いいけど…」

「服着てるの、窮屈だったんだもの」

 確かに、酔うと窮屈な服を厭うタイプはいる。雲雀もそのタイプだったということか、とディーノはため息をついた。

 雲雀が言った向こうの部屋という言葉に釣られて目を向けると、寝室のドアは開け放してあり、そこに脱ぎ散らかした雲雀の制服があった。二人で過ごした翌朝、制服がシワだらけだと途端に不機嫌になる雲雀を知っているディーノは、慌てて回収に行く。

 ネクタイ、風紀の腕章、シャツと拾い上げて、シャツの下から出てきたものにディーノは撃沈した。アンダー用のキャミソールとブラジャーだ。道理で、パジャマからすぐに肌が見えるはずだ。

 雲雀の裸は何度も見ているが、こんな風に改めてランジェリーを見ることになったのは、初めてのような気がする。いつもは、ランジェリーなどよりも、脱がした後の雲雀の方に気を取られていた。

 深呼吸して気を取り直し、ランジェリーを拾い上げ、ざっと畳んで手近な椅子に置く。サイドテーブルの電話でロマーリオを呼び、制服一式を預ける。一連の行動は、自分でもちょっと可笑しくなってしまうほど、甲斐甲斐しかった。

 その間にも雲雀はくぴくぴとグラスの中身を飲んでいる。制服を片付けたディーノは、もう一度雲雀のそばに行くと、嫌がる雲雀からグラスを取り上げた。

 飲むまでもなく、匂いをかいだ瞬間に、ディーノは深いため息をついた。

「これ、日本酒じゃねーか……」

「ちょっと、飲んでるんだから返してよ」

「しかも、カラッファこんなに空けて。どんだけ飲んでんだ」

「知らないよ。いいから、返して」

 徳利代わりのデキャンタには、辛口で有名な日本酒が入っていた。ワインにはないすっきりとした飲み口は、ディーノも気に入っているので、部下が用意しておいてくれたのだろう。それを、雲雀はロックグラスで調子よく飲んでしまっていた。

 ディーノの手からグラスを取り返そうと、雲雀は一生懸命手を伸ばす。しかし、ソファに座った状態では、立っているディーノの手元は遠かった。

「ゃんっ」

 立ち上がろうとした瞬間、すっかり酔っている雲雀は膝に力が入らなくて、ソファにべしゃりと崩れる。ディーノは慌ててグラスをテーブルに置いた。

「悪かった、恭弥。さ、ベッドに行こう」

「いや。まだ飲むの」

 グラスに手を伸ばす雲雀を抱きとめるように押さえつけて、ディーノは髪を撫でてあやす。どうやら、酔った雲雀は少し子供っぽくなるようだ。

「もうダメだ。オレがいるときは飲ませらんねー」

「どうせあなたはすぐいなくなっちゃうじゃない」

「今日はもういなくなんねーよ。ほら、おいで」

 宥めながら抱き上げると、雲雀はしぶしぶディーノの首に腕を回してしがみついた。普段からは想像もつかない可愛さに、ディーノの相好はすっかり崩れる。

「大丈夫だから。オレはずっと恭弥のそばにいるよ」

「うそ。さっきはいなくなったくせに」

「もう戻ってきた」

「僕のわからない言葉でしゃべってたくせに」

「今は日本語しかしゃべってねーだろ」

 ディーノの首をきゅぅっと抱きしめる雲雀の頬にキスをして、ディーノは寝室に向かって歩き出す。雲雀の胸が硬い布なしで押し付けられて、ディーノの欲望に火を点した。

 ぽすんとベッドに雲雀を下ろし、自分も膝で乗り上げて、至近まで迫ってささやく。

「確かに、恭弥がいるのに仕事したオレも悪いけど…。酒なんかより、オレに酔ってよ、恭弥」

 返事はなかったけれど、雲雀は素面なら絶対にしない仕草でキスをねだる。それを答に、ディーノは雲雀の肢体にのめりこんだ。

 一晩かけて、とっておきの日本酒の代わりに、常にはない雲雀の嬌態にディーノは酔いしれたのだった。


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