「草壁」
放課後、風紀委員の仕事で応接室に残っていた雲雀は、一緒に残っていた草壁にひとつ質問をした。
「恋って、どういうものなのかな?」
バサバサバサ!
草壁の手から書類がなだれ落ち、初めて見るものを見る目が雲雀に向いた。口から、トレードマークの咥えはっぱがぽろりと落ちる。
日誌を書くために机に向かっていた雲雀は、物憂い風情でシャープペンシルを弄んでいた。
「い、委員長?」
「散々使われてる言葉なのに、意味を表面的にしか知らないって、変だよね……」
「はあ…」
雲雀がいつも気まぐれで、いろいろなことを唐突に言い出すのは、今日に始まったことではない。しかし、色恋沙汰が話題になることは、雲雀に並盛よりも大切なものができるのと同じくらいに、ありえないことだと草壁は思ってきたのだ。
「ちなみに、委員長。確認なんですが」
「なに?」
「それは、魚の鯉の話では、ないんですよね?」
「草壁、冗談下手だね」
恐る恐る訊いた草壁に、雲雀は微苦笑をこぼす。完全に、雲雀の言う『コイ』は『恋』だと、草壁は絶望にも似た衝撃を受けた。
「もう会えないって聞いたときショックで足の力が抜けたり、会わないでいると早く会いたいとか、ちょっとした拍子に声を聞きたいとか、こういうときはきっとこう言うとか、こういうときはどういう顔するんだろうとか、そんなことばかり考えて、それが楽しかったり、煩わしかったり、腹が立ったりするんだけど、でも嫌じゃないんだ、そういうの」
「そうですか」
雲雀の独白を、ショックでくらくらする頭で聞きながら、草壁は落としてしまった書類を拾う。
「それは恋って言うんだってあの人は言うんだけど、僕、恋なんてしたこともないし、してるつもりもないし」
「はい」
「だから、恋ってどんなものなのかな、と思って。草壁は知ってる?」
バサバサバサ!
話がそこへ繋がると思っていなかった草壁は、拾い集めた書類をふたたび落とした。雲雀は机にもたれかかって、まっすぐに草壁の答を待っている。
「じ…自分が、思うに」
「うん」
「その人のことを考えたとき、胸が苦しかったり、涙が出てきたり。何を考えるにしてもまずその人のことが頭に浮かんだり。そういうことの一つ一つに、いろいろな感情が起きても、どれも嫌ではないというのは、それこそが恋だと、思います」
「そう…」
書類を拾いながら、草壁はなんとか言葉を整理する。草壁の答は、雲雀の挙げた例とまったく同じものだった。自分では恋だと思っていなかったことが、実は恋なのだと、改めて草壁にも言われてしまうと、恋なんて自分はしないと思っていた雲雀は、困って下を向いてしまう。
「じゃあ…、僕はあの人の恋人ってことになるのかな」
雲雀の表情は、草壁がこれまで一度も見たことのない、甘いものだ。
バサバサバサ!
三度、草壁の手から書類が落ちる。
「なに草壁。うるさいよ」
「すみません」
煩わしげに雲雀に言われて、草壁は慌てて書類を拾う。
恋に落ちた雲雀は、しばらく草壁の風紀を乱しそうだった。