「恭弥!」
学校からの帰り道、名前を呼ばれて、雲雀は足を止めて振り返った。
本当は振り返らなくても、誰がいるのかはわかっている。並盛で、雲雀を恭弥と呼ぶのはたった一人だけだった。
「大声で呼ばないでよ。恥ずかしい」
走ってくる金髪の人影に、雲雀はつっけんどんな口調で言う。もう、これを何回言ったことやら。たぶん、今回も効き目はないのだろう。
「なんでだよ、いいじゃん。オレ、恭弥のお兄ちゃんだぜ」
「頼んでない」
雲雀の冷たい物言いにも動じずに笑う青年は、ディーノといって、雲雀の義理の兄だった。
この金髪の自称・兄は、正確には雲雀とは一切血が繋がっていなかった。ディーノの母の再婚相手が、ディーノの母の死後に再婚した相手との娘が雲雀だ。しかし、雲雀の父は、母の死去を知らずに訪れたディーノを、息子として迎え入れた。だから、雲雀の義兄である。
ディーノが追いついてから、雲雀はふたたび家に向かって歩き出す。ディーノは当然のように隣に並んだ。
「でも恭弥、家に着くまではオレといたほうがいいと思うぜ。このあいだ、北中の奴らと揉めたろ」
「だからなに?」
「報復したがってるのがいるって、聞こえてきたぞ」
並盛の風紀委員長であると同時に、並盛の不良を束ねる雲雀は、数日に一回は他校と抗争をしている。隣町の北中とやりあってその勢力圏を支配下に治めたのは、一昨日のことだった。
「別に、弱いのが何人集まったって、僕は怖くもなんともないけど」
「そーいうこと言うなよ。恭弥は女の子なんだから、もうちょっと警戒心強くたって罰は当たらねーと思うぜ」
並盛に来る前はイタリアでマフィアをしていたというディーノは、こちらに来てからも、裏の事情に通じているようだった。ディーノが教えてくれるこうした情報の精度は非常に高い。
「僕が女だってことが、関係あるとは思えないけど」
明日からは風紀委員に警戒態勢を敷かせようと内心で決めながら、雲雀はディーノに言い返した。こんな反抗は無駄だとわかっていても、しないではいられない。最近では、半ば言葉遊びに近くなっている。
「本当に関係ねーと思うか?」
「逆に、どう関係あるのか、知りたいね」
かしゃんと門を開けて、中へ入る。近所のどの家よりも立派な門構えの一戸建てが、雲雀の家だった。
両親は仕事で、毎日午前様だ。迎えに出てきた家政婦に「ただいま」と告げて、雲雀は2階の自室へ入った。
当然のようについてきたディーノは、雲雀の咎める視線を無視して、学習机の椅子に座る。
「ねえ。着替えたいから、出て行ってよ」
「ほら、恭弥は女の子だろ」
「どういう意味?」
思い知らせるような口ぶりにカチンときて、雲雀はディーノを睨みつけた。足を組んで机に肘をついたディーノは、ベッドの前に立つ雲雀を真正面から見据えた。
「どんなに強くても、恭弥が女の子である限り、男には敵わないってことさ」
「馬鹿なこと言わないで」
いちばん言われたくないことを言われて、雲雀は急いでディーノの言葉を遮る。けれど、ディーノはおもむろに立ち上がると、雲雀の目の前に立った。
とん、と肩を押されて、雲雀が後ろに倒れる。油断なんてしていなかったはずなのに、ディーノの押す力は踏み堪えることができないほど強かった。
「…ほら。恭弥はオレの手を振り切れない」
ベッドに仰のけになった雲雀に覆いかぶさり、ディーノはその手首を掴んでベッドに押さえつける。
「オレ以外にも、恭弥をこうしたいと思ってる奴はたくさんいる。恋愛感情だったり、復讐のためだったり、理由なんてどうでもいい。ただ、恭弥は美人で、すごく色っぽい」
熱っぽく耳元でささやかれて、雲雀はぞくりと震えた。ディーノの掴んだ手首が、ものすごく熱い。他人の熱を近くで感じることが、こんなに全身をむず痒くするなんて、雲雀は初めて知った。
「恭弥をどうにかするのに、恭弥と戦う必要なんて、男にはねーんだ。恭弥はそれをもっと認識しねーといけねー」
「…なら」
知らず息を乱しながら、雲雀は投げ出していた腕を上げて、ディーノの首に絡める。
「教えて? 戦わないで、どうやって僕をどうにかするの?」
言葉とは裏腹に、雲雀はこれから自分がどうされるのか、わかっていた。こう言わなければ、ディーノに征服される機会はないかもしれないことも。
「教えてくれたら、他の誰にも、されないように気をつけれるよ」
「……いいのか?」
「嫌なの?」
最後の確認をするディーノに、雲雀は挑発的に問い返す。
「嫌なもんか」
そう答えると、ディーノは雲雀を抱き込んでベッドに沈んだ。