雨に唄えば

 ぽつぽつと水滴が落ちてきたと思ったら、次の瞬間にはさぁ…っ! と音を立てて、雨が降り始めた。

 風紀の巡回の帰り道。

 傘を持っていなかった雲雀は、予想外の雨に少しのあいだ足を止め、雨足を量るように手のひらを空へ向けて差し出した。

 決して大粒ではないけれど、弱くない降りは、雲雀の手のひらを、髪を、学ランを羽織った肩を、濡らしていく。

 抜かりない補佐をしてくれる草壁は、解散の時に帰していた。こんなときに用意よく現れるディーノは、来るだろうか? これ以上濡れずに済む方法をちらりと考えて、雲雀は愕然とした。

 あんな、一方的に押しかけてきているイタリア人を、僕は、一瞬でも当てにした。

 あの金髪のイタリア人は、とてもタイミングよく現れて、雲雀の願いをぜんぶ叶えていく。そんなことが続いていたから、学習してしまったのだと言えば、聞こえは良いけれど。

 僕は、誰のことも、頼りになんてしない……

 その言葉が、ただの強がりのように響いて、雲雀はぞっとした。

「恭弥!」

 恐ろしいほど絶妙のタイミングで、ディーノの声が雲雀を呼ぶ。振り向いて確かめなくても、手には傘を持っているのだろうと予想がつく。

 髪の先から雫を滴らせながら、雲雀は声の主を振り返った。

「あなた…」

 目を向けた先、予想とは違う光景に、雲雀は目を見開いた。歩道には、雲雀と同じように髪から水滴を落とすディーノが、決まりが悪そうに立っていた。

「悪ぃ。傘、持って来んの、忘れてきた」

「間抜け」

 ディーノを当てにした自分にショックを受けた矢先だというのに、雲雀の口から出たのは、ディーノの不手際を責める言葉。しまったと思う余裕もなく、雲雀がディーノを頼っている事実を示してしまっていた。

 だが、ディーノは、意識してかせずにか、そこを受け流して、雲雀に歩み寄る。

「すまねー。途中で買おうと思ったら、オレ、今の手持ちがユーロしかなくってよ」

「カードならあるでしょ」

「コンビニでカード、使えねーじゃん」

「お金持ちのクセに、ビニール傘で間に合わせるつもりだったの?」

 雲雀の手厳しい追求に、ディーノはたははと笑って髪をかき上げる。ぽたぽたと水が垂れて、ディーノの肩をさらに濡らした。

「傘はねーけど、恭弥、これ使えよ」

 ディーノが雲雀の頭上に翳したのは、たった今までディーノが袖を通していたブルゾンだった。レザー製なので、水を通さないそれは、確かに傘の代わりになる。

「で、あなたはどうするの?」

 雲雀がそのブルゾンを被ってしまえば、ディーノが使える雨避けはなくなる。素朴な疑問として訊ねた雲雀に、ディーノはひょいと肩をすくめて答えた。

「オレは男だから、こんくれー平気。ほら、ホテルまで走るぜ!」

 言うが早いか、ディーノはばしゃばしゃと音を立てて走り出す。意表を突かれて面食らった雲雀も、はっと我に返ると、ディーノを追いかけて走り出した。

「車くらい呼んでよ!」

 すこし前を行くディーノの背中に向かって、雲雀は叫ぶ。ディーノは足を緩めることもなく、雲雀に応えた。

「悪ぃな。今、商談中で、手の空いてる奴、いねーんだ」

「じゃあ、あなたが来たって意味ないじゃない」

 にわか雨の歩道には、人通りが消え、走りやすいと言えば走りやすい。水を含んだアスファルトの上を、2人はディーノの定宿目指して駆け抜けていく。

「ひでーなぁ、オレ、傘代わりにっきゃ使えねーわけ?」

「まさか。お財布にもなれるでしょ」

「うわー、もっとひでぇ」

「雨が降ってるのに、傘も車も持たないで出てきた人が、なに言ってるのさ」

 雲雀に淡々とした口調でぴしゃりと言われて、ディーノは「ごもっとも」とうめいた。言い返しようもなく、本当だ。

 行く手に、見慣れたホテルの建物が見えてくる。ディーノがいつも最上階とそのすぐ下のフロアを貸し切る、ディーノの定宿だ。

 言い返せなくなったきり、無言になってしまったディーノが、さすがにちょっと気になって、雲雀はすこし思案する。八つ当たりが混じっていたのは、否めない事実だから。

 車寄せからロビーに入り、エレベーターのボタンを押したディーノに、雲雀はぽつりと言葉をかけた。

「お風呂と着替えを用意してくれるなら、さっきの言葉、訂正してあげる」

 無論、ディーノは神業のような速度で、バスルームの用意をした。


Page Top