―――雲雀
立ち並ぶビルの向こうから、深紫の夜空に光が射し始める。
静まり返った街の中で、雲雀は独り、ゆっくりと明けていく夜空を見つめていた。
夜明け前の風はまだ冷たく、雲雀のことなどお構いなしに吹き抜ける。スーツの上着をはためかせながら、雲雀はほんの数分の景色の前に佇んでいた。
24時間ある1日の中で、たったひと時、紫と金が混じる空。大事なことのある日の朝は、いつもかならず目に焼き付けた。
ミルフィオーレの襲撃以来、彼とは連絡が取れないままだった。けれど、雲雀はすこしも心配していなかった。最悪の事態にはなっていないと、情報は得ている。ならば、彼は今も闘っているのに間違いない。そして、闘っている彼の敵になれるものは、ひとつたりとて存在しえなかった。
夜空に射す朝日が、風になびく金髪のように見える。それだけで、まるですぐ隣に彼がいるように感じられて、雲雀はふっと微笑を浮かべた。
雲雀が彼を想う気持ちを手放していない限り、彼は常に共に在る。ならば、雲雀にも恐れるものは何もなかった。
「行って来るよ。あなた、帰ってくるから、待ってて」
金色の中心に向かって告げ、雲雀はきゅっと左手のリングを抱きしめるように手を組む。
何かを振り切るように一瞬目を閉じた次の瞬間、雲雀は鋭く冷たい光を双眸に宿して顔を上げ、踵を返した。
ミルフィオーレの襲撃部隊が罠にかかるまで、あと数分というところだ。
「さあ、群れる鼠を咬み殺そう」
この先は分刻みでバトルがスケジューリングされている。雲雀はポケットから愛用の匣を取り出すと、愛しげにひとつキスをした。
―――草壁
いつものように並盛町の巡回をしているときだった。草壁は、群れを嫌って一人で出て行った雲雀の姿を見つけ、驚いて足を止めた。
草壁にとって、雲雀は女でも、ましてや男でもなく、凶悪で絶対的な風紀委員長だった。
女であることは、以前から知っていた。雲雀は特別隠してはいなかった。ただ、可愛げも色気もなく、戦闘欲求のままにトンファーを振るう雲雀を、女の子として見るなどと考えたことすらなかった。
けれどいま、驚くべきことに、街の中を一人で歩く雲雀は、一瞬息を飲む鋭さを持った美少女でしかなかった。
あんなに綺麗な人だったのか。
草壁は見慣れた姿に思いがけず惹かれたことにうろたえる。雲雀のことをそんな風に見たことなど、一度たりともなかったというのに。
学ランを肩に羽織り、男姿であるというのに、雲雀は見間違いようもなく一人の女の子だった。
あの金髪の外国人の所為だろうか……。
このところ頻繁に学校に出入りしている男の姿を思い浮かべて、草壁は顔を顰めた。なにかがちりちりと草壁の心を苛む。
金髪の外国人は、沢田たちにディーノと呼ばれていた。ディーノが並盛中学に出入りするようになって、校内は確実に騒々しく、かつ物騒になっていた。
そして、雲雀はきっとその頃から少しずつ変わっていっていて、たぶん本当はもっと前から美しかったのだ。ディーノという存在の手によって。
ディーノによって変わった雲雀。そして、雲雀を変えたディーノ。
草壁はつかの間瞑想するように目を閉じると、一緒に巡回していた風紀委員たちを連れて、別の方角へ足を向けた。
斬りつけるように冷たい空気の中、白い息を吐きながら、草壁は白む空を見上げた。
雲雀に従ってマフィア社会に足を踏み入れて、10年。そしてこの先の何十年も、雲雀に従っていく。その長い年月を雲雀とディーノを見ていくために費やすと決めたことを、草壁は悔いたことがない。
今頃、雲雀は昇る朝陽を見つめて、任務前の精神統一をしているだろう。雲雀の精神統一が夜明けを見つめてディーノを想うことなら、草壁の精神統一は雲雀への忠義を新たにすることだった。
これから始まる激戦に、勝利以外の結末を迎えることはできない。
草壁はきゅっと拳を握ると、指示されている待機場所へと足を踏み出した。