「なぁ、恭弥。花見に行かねーか?」
ウキウキした表情のディーノがそう切り出したのは、桜の花が咲き始めた、よく晴れた日のことだった。
誘われるように窓へと顔を向けた雲雀は、外の陽気のよさに軽く驚いた。
ぽかぽかと陽が射し、風もない、暖かな昼。確かに、屋内にいるのはもったいない。
「日向で昼寝でも、しようかな……」
小さなあくびをしてつぶやくと、ディーノは慌てて雲雀の傍までやってきた。
「昼寝じゃなくて、花見! 花見に行こうって。絶対綺麗だから」
「やだ」
間髪入れずに、雲雀は応える。そのきっぱりした様子に、けれど、ディーノはめげずに続けた。
「なんでだよ。群れが嫌なら、ちゃんと、オレらだけになるよーにするし」
「ワオ、公園貸切?」
ワオとか言いながら、雲雀は気を変えた様子もない。
「サクラクラ病だって、もう治ってるだろ?」
「それはね」
雲雀は理由はもっと別だとほのめかす。ディーノは他になにが障害なのかと、必死で考える。
「オレたちが一緒にいるとこ見られたくねーってんなら、旅行しようぜ」
「は!?」
「いーじゃん。山ん中の温泉なら、ゆっくりできて桜も見れる」
「山なんか、絶対行かない!!」
雲雀はそう叫ぶと、ぷいとそっぽを向いてしまった。こうなっては、しばらく機嫌は直らない。
温泉もつければ雲雀は確実に喜ぶと思っていたディーノは、本格的に困り果ててしまった。
いったい、なにが雲雀の機嫌を損ねたのだろうか。
きっと綺麗に違いないのだ。満開の桜も、その下に佇む雲雀も。それを見たいと、ただそう願っただけなのに、雲雀はどうしてこんなに嫌がるのか。
助けを求めるように部屋を見回すと、書棚にある本が目に止まった。近づいて手に取ると、どれも桜に関する文学や、文献。
なんだ。本当は桜を見たいんじゃないか。
1冊手に取り、ぱらぱらとめくる。桜にまつわる伝承を集めた文献は、ディーノには少し難しい日本語で書いてある。
やっぱり、学術書の日本語は難しいな。そう思いながらページを繰っていたディーノは、ふとある言葉が目に止まり、文章を目で追った。
『山桜には桜花精が宿り、その美しい見目で通りかかる男を魅了しては虜にし、己が肥しにする』
雲雀がオカルトを本気にするとは、思わない。けれど、桜を、殊の外に山桜を、これほど嫌悪する理由が、もしもこの伝承なら。
本を棚に戻したディーノは、むくれている雲雀を背後から抱き締めた。
「ちょ…っ、なに!?」
面食らって抵抗する雲雀を、ぎゅうっと腕に力を入れて、深く深く抱き込む。
「恭弥」
「だから、なに!?」
「オレは、桜花精に取り込まれたり、しねーよ」
「…!」
その瞬間、ばたばたと暴れていた雲雀は、ぴたりと動きを止めた。ディーノは自分が正解を見つけたことを確信する。
「大丈夫。オレはもう、オレだけの桜の精に魅入られてるよ」
「誰のこと? 答次第では、咬み殺すよ」
途端に毛を逆立てる腕の中の黒猫を、ディーノは愛しげに撫でてささやいた。
「桜の名前は、恭弥ってんだ」
それは、とてもうららかな、甘い甘い春の日のこと―――……。