キィッ!
歯切れのよいブレーキ音を響かせて、車止めに黒い乗用車が停まる。運転席から草壁が降りてきて、後部座席のドアを開けると、黒いスーツ姿の雲雀が降り立った。
「おかえりなさいませ、奥様」
玄関警備の担当者が、恭しく頭を下げて、玄関を開ける。雲雀は軽くうなずいて応えると、ホールで出迎えたロマーリオに話しかけた。
「戻ったよ。…なにか変わったことはあったかい?」
「いや、なんにも。いたって平穏そのものだ」
「そう。ラファエルは?」
「2階でボスと遊んでる。…ママの帰り、そーとー待ってたぜ」
「そう」
短く応えるなり、雲雀は階段へと足早に向かう。ロマーリオは、雲雀の荷物を抱えて入ってきた草壁と並んで、その背中を見送った。
出会いから10年の年月を経て結婚したディーノと雲雀に、男の子が生まれたのは3年前のことだった。生まれた男の子はラファエルと名付けられ、キャバッローネの跡継ぎとして、大切に育てられている。
雲雀のマフィアとしての籍は変わらずボンゴレに置いているため、任務でしばらく留守にすることもある。ディーノやキャバッローネの部下たちがいるから、まだ留守の心配は少なくて済んでいるけれど、まだ幼いラファエルの傍らを離れるのは、いつだって後ろ髪を引かれる思いがする。
ラファエルは、ディーノと雲雀ばかりでなく、キャバッローネとボンゴレの部下たちにもそれは大切にされてきたため、気立てが優しいのはいいが、寂しがりの甘えたがりだ。だが、ディーノも雲雀も、それでいいと思っていた。
今回の任務は特に、前回の任務から数日も経たないうちに出発しなくてはならなかった。ラファエルと会っていないのも同然だから、かれこれ半月以上離れていたことになる。ようやくゆっくり会えると思うと、自然と、雲雀の足は速くなり、パンプスがカッカッと高らかに鳴る。子供部屋に着く頃には、ほとんど突進する勢いだった。
「ラファエル」
名を呼びながら、ドアを開ける。そして、よく陽の当たる明るい部屋の真ん中に、ドカッ! とトンファーを力いっぱい撃ち込んだ。
間一髪でかわしたのは、気配で目を覚ましたディーノだった。
「……っぶねーな、恭弥。目ぇ覚まさなかったら、死んでるぞ…」
「いいよ、死ねば。ラファエルはどこにいるの?」
ようやく会えると思っていた息子が見つからず、雲雀の機嫌は氷点下まで下降している。ディーノは数日振りに会う妻との再会を味わうどころか、その妻の発言に慌てて起き上がった。
「え? ラフ? その辺にいねーか?」
「いたら、あなたに訊いたりしないよ」
「……マジかよ」
表情を真っ青にしたディーノは、子供部屋を飛び出すと、自分の執務室に向かった。雲雀も後を追って走り出す。
「ロマーリオ! ラフ知らねーか!?」
ばんっとドアをぶち破るように開けたディーノに、草壁と打ち合わせをしていたロマーリオは驚いてディーノを見た。
「ラフィ坊ちゃんなら、ボスと一緒にいたんじゃねーのか」
「いや、それが、オレがついうとうとしてる間に、どっか行ったみてーなんだ」
思いがけないディーノの返事に、ロマーリオはぐっと苦い顔をする。だが、むやみと騒ぎ立てないところはさすが年の功だった。ロマーリオの〝ちょっと目を離すとすぐにどこかに行ってしまう坊ちゃん〟に対する経験値は、目の前の元・坊ちゃんのおかげで、ものすごく高い。
「庭で遊んでるかな? 誰か、ちゃんとついてるとは思うが……」
そうつぶやきながら、ロマーリオが窓の外へ目をやったときだった。
「ボス、すまねー! 坊ちゃんが恭弥のアジトに入っちまった!!」
ボノが飛び込んできて、がばっと頭を下げる。
「ええっ、マジかよ!?」
「庭でちょっと目を離した隙に…。恭弥も、本当にすまねー!」
ぜいぜいと息を切らしながら、ボノは平身低頭で詫びる。
風紀財団のイタリア支部は、キャバッローネの庭とボンゴレの地下に、それぞれ入り口を持っている。ラファエルには、仕事で大事な場所だから入ってはいけないと、日頃から言い聞かせていたのだが、母が恋しい子供には効力を持たなかったのだろう。
だが、ボノにとっては風紀財団のアジトは絶対に足を踏み入れてはならない場所だ。追いかけることもできず、引き返して来たのだ。
「…仕方ないね」
ため息をついた雲雀は、くるりと踵を返して、玄関に向かって大股に歩き出す。ボンゴレ本部に向かうのだと察した草壁が、ばたばたと雲雀のコートや必需品の入ったカバンを持って後を追った。
ディーノも一緒に歩きながら、雲雀に問いかける。
「恭弥?」
「ラファエル探しに、ボンゴレに行くよ。たぶん、ラファエルが入った時に、こっちの入り口は内側からロックがかかっただろうしね」
「ボンゴレに? ボンゴレ本部からの入り口は、ラフィが歩いてたどり着けるような距離じゃねーだろ?」
「歩けばね。でも、イタリア支部は動く歩道をつけてるから、座っててもボンゴレ側の入り口に行っちゃうんだ」
便利なんだか厄介なんだか、こういう状況下ではなんとも言えないところだ。だが、雲雀の淡々と説明する口調で、ディーノも落ち着きを取り戻せた。
「オレも行く。ロマーリオ、車出してくれ」
「了解、ボス」
余所のファミリーの本部で、跡継ぎが迷子になって迷惑をかけているというのに、ボスが出向かずには済ませられない。それがわかっているロマーリオは、ディーノの指示を待っていたように、ガレージに向かった。
勝手知ったるボンゴレ本部の、気安く入れるはずがないボスの執務室に、雲雀は形ばかりのノックをして、遠慮会釈なく入っていく。ディーノは急いで後に続いた。
「久しぶりだな、ツナ」
「こんにちは、ディーノさん。…ヒバリさんは、今日はもうキャバッローネに戻ったとばかり思っていましたよ。なにかあったんですか?」
書き物の手を止めた綱吉は、朗らかな微笑を浮かべて、ふたりにソファを勧めた。ディーノは構うなと綱吉を制し、雲雀も素っ気なく首を振って断る。
「忙しいところ、すまねーな。実は、ラフがここで迷子になってるらしいんだ。これ以上迷惑にならねーうちに、連れて帰るんで、探させちゃくんねーか」
「ラフィくんが? それはさぞ心配でしょう。わかりました、どうぞ探してください。オレの方でも、動かせる手をお貸ししますから」
「悪ぃな。恩に着る」
綱吉との会話をディーノに任せた雲雀は、ベランダやカーテンの陰をにラファエルがいないことを確かめる。
「僕は奥の区画を見てくる。あなた、ラファエルを見つけたら、知らせて」
「わかった。…それじゃ、ツナ、すまねーがよろしく頼むぜ」
「わかりました。今日はみんないたはずだから、守護者しか入れないところは任せてください」
簡単に担当区域を打ち合わせ、ディーノと雲雀は綱吉の執務室を飛び出した。
「おっ、獄寺! どーしたんだ、慌しいのな?」
剣の稽古を終え、時雨金時を肩に担いだ山本は、廊下の窓という窓に掛かっているカーテンをめくりながら足早に歩く獄寺を見かけて、声をかけた。
カーテンめくりの成果が上がらず、ちっと舌打ちをした獄寺は、顔を上げると山本を手招きする。
「ちょーどいいところに来たぜ。てめーも跳ね仔馬探すの手伝え」
「ディーノさんとこのラー? なんだ、かくれんぼか?」
「バッカ、違ぇよ!! 迷子んなってんだよっ! 10代目がすっげー心配されてるんだ。いーから、てめーも手伝え」
獄寺の言葉に、山本は「いちばん心配してんのはディーノさんと雲雀だろー?」と思いつつ、おそらくは雲雀を探して泣いているラファエルが容易に想像できて、苦笑する。
山本は獄寺にまだ捜索していないと示された区画へと足を向けた。
「あっ、ビア姉だ。こんにちは」
観葉植物の鉢植えをかき分けていたフゥ太は、通りかかったビアンキに向かって手を振った。ビアンキは一瞬フゥ太の姿を探して視線を彷徨わせたものの、すぐに居所を見つけて、歩み寄る。
「なにしてるの?」
「ディーノ兄のとこのラフィが迷子になってるんだって。だからいま、みんなで探してるんだ」
「ラフィが…? …なら、わたしも探すわ。まだのところはどこ?」
「あっちの方はまだ見てないんだ。頼んでもいい? …ありがとう、ビア姉」
にっこり微笑うフゥ太に微笑み返して、ビアンキはフゥ太が示した方へと向かった。
「だから、何度も言ってんだろ。 オレは可愛い子ちゃんしか興味ねーの」
医務室の回転椅子をくるりと回して、シャマルは患者用のスツールに座るクロームに向き直った。
クロームはびくりと肩を震わせたものの、引き下がることはせずに言葉を重ねる。
「だから、頼みに来てるの。お願い、ラフィを探して」
「あのなぁ……」
探す対象が男の子では、シャマルは動く気も起こらない。ため息混じりのつぶやきに、クロームは目を潤ませた。
「ラフィ、寂しがりだもの。きっと今頃、どこかで泣いてる……」
「わーっ!! 泣くな、泣くなって! わかった、オレも探すから!!」
ぽろりと零れ落ちた雫に、シャマルは慌てて立ち上がる。「ほんと?」と見上げるクロームに、「おう、今すぐ行くぜ」とうなずいて、シャマルは医務室を出た。
「よかった。これできっと、ラフィも見つかる」
ほっと肩の力を抜いたクロームは、けろりとした仕草で目元を拭うと、自分もラファエルを探すために医務室を後にした。
「失礼しますよ」
短い断りと共にドアが開く気配がして、書棚の前で資料を見ていた了平は戸口を振り返った。半開きのドアからランボの顔が覗き、部屋を見回す。
「なんだ? 探し物か?」
「跳ね馬の子が、迷子になっているんですよ。…どうやら、ここには来ていないようですね」
「おう。しばらく前からここにいたが、仔馬は来てないぞ。…あと探してないのはどこだ? オレも手伝おう」
手にしていたファイルを閉じて棚に戻すと、了平はランボに向き直る。ランボは少し考えるように首を傾げると、
「それなら、西棟をお願いできますか。オレはこのまま、渡り廊下の手前まで調べていきます」
「了解した」
了平は軽くうなずくと、ランボがいるのとは反対のドアから出て行った。
「ラフィ! ラー、どこだー!?」
ボンゴレ本部の庭をロマーリオたちと探すディーノは、ラファエルが一向に見つからないことに焦りを感じ始めていた。
「つーか、本当にラーは迷子なんだよな? 誘拐とかじゃなくて」
「誘拐されたんだったら、ボノは最初からそう言うだろ、ボス」
「いや…まあ、そうなんだけどよ」
なにしろ、キャバッローネの跡継ぎともなれば、誘拐される可能性も心当たりも、掃いて捨てるほどある。もしも本当に誘拐されたのなら、ラファエルの命に直接関わってくる。ディーノの焦りは、手を誤ったのではという迷いの所為だった。
「とにかく、まずは心当たりを全部調べちまって、ラフィ坊ちゃんがいるかいないか、確かめてからだろ。とりあえずここにはいなかったんだから、次に行こーぜ」
ディーノを諭したロマーリオが、捜索場所を移そうと促す。苦いため息を吐いて、ディーノがうなずいたときだった。
「ディーノさん!! ラフィくん、見つかりました!」
サンルームのベランダで、綱吉が大きく手を振って合図している。その隣に、ラファエルを抱いた雲雀が立っていた。
メイドから紅茶をカップを受け取った雲雀は、山本に肩車されて喜んでいるラファエルを見て、ほっと息をついた。
ラファエルが見つかったという知らせはすぐに守護者中に届き、誰が言い出すでもなく、ラファエルを探していた全員がサロンに集まった。低いところを探し続けた大人たちは、くたびれた腰を思いっきり伸ばしてくつろいでいる。
ディーノと雲雀にみっちり叱られてべそをかいていたラファエルは、山本やフゥ太にたくさん遊んでもらって、すっかり上機嫌に戻っている。どれだけ心配したと思っているのか…と恨めしく思う反面で、まだまだ母が恋しい時期に放っておきすぎた悔恨が雲雀を苛んだ。
「結局、跳ね仔馬はどこにいたんだ?」
ライターを手遊びにカチカチ鳴らしながら、獄寺が振り向いた。なんだかんだ言いながら、獄寺もラファエルを一生懸命探してくれたという。
「僕の仮眠室。眠っちゃってて、自分が探されてるのに気付かなかったみたいだよ。まったく、誰に似たんだか……」
言いながら、雲雀はちろりとディーノを見る。ディーノがラファエルを放って寝てしまったのが今回の発端だ。親子揃って、昼寝で人騒がせとは…と、雲雀はため息をつく。
良く言えば天真爛漫、悪く言えば緊張感がない。どちらにしても、ディーノの気質を受け継いでいる。細かいことを気にしない大らかさは、ボスの気質でもあるのだろうけれど…。
「まあでも、無事でよかったですよ。これで万が一のことにでもなれば、それこそ一大事でしたから」
綱吉は取り成したが、クロームに泣き落とされたシャマルは、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「このオレが、嘘泣きに乗せられるとはなー…。焼きが回ったってことかね……」
「どっちかっていうなら、回ってきたのは焼きじゃなくてツケじゃない?」
ビアンキに容赦なく過去の悪行を指摘されて、シャマルはぐぅと呻いた。ビアンキに言われるのなら、言い返せる立場ではない。
「この後はしばらく、任務も入らんのだろう? 久しぶりにうんと甘やかしてやればいい。なあ、ヒバリ」
「なに言ってるの、甘やかすなんてとんでもない。今だって充分甘ったれなのに、これ以上甘えた子になったら、僕、ボンゴレどころか風紀の仕事だってできなくなっちゃうよ」
了平のアドバイスに、雲雀は素気無く応える。それでなくても、当分はディーノという大きな甘えん坊の相手もしなくてはならない。その上さらに、ラファエルを余計に甘やかすなんてことになれば、雲雀の身が持たなくなる。
そこへ、部屋の隅でロマーリオと今日のスケジュールの再調整をしていたディーノが、不意に戻ってきて、顔を寄せた。
「恭弥、ラフィが…」
示されるままに目をやると、ラファエルが遊び疲れて、山本の肩に乗ったまま、こっくりこっくりと揺れていた。
「まったく、昼間こんなに寝てたら、夜また大暴れしそうだね」
呆れた口調でも、こぼれるのはため息ではなく微苦笑だ。ソファを立ち、山本の肩からラファエルを降ろすと、雲雀はラファエルを抱いたまま綱吉を振り返った。
「こういうわけだから、今日はこれで失礼するよ。忙しいところを騒がせたね」
「かくれんぼみたいで、久しぶりになかなか楽しかったですよ。ランボが大きくなって、その手の遊びからはかなり遠ざかってましたからね」
退出するキャバッローネ一家を見送ろうと腰を浮かせる綱吉に、ディーノが気遣い無用と手を振る。
「この礼はまた、後日改めてさせてくれ。今日はすまなかったな」
「本当に気にしないでください。今度また、ゆっくり遊びに来てくださいね」
詫びるディーノに、綱吉はにっこり笑って手を振る。
うなずいたディーノは、ラファエルごと包むように雲雀の肩にコートをかけて、ボンゴレ本部を後にした。