夕食後、ホールで銘々にくつろいでいるときだった。
桃城たちがお菓子をつまみながらトランプを広げている横で、手塚は本を読んでいた。なんとなく、自分はトランプの輪に混ざらない方がいいような気がしていたのと、読み始めた作品が予想以上に面白かったからだ。
「おっしゃぁ!」
桃城がトランプを握り締めて勝鬨を上げる。手塚は内心でそんな彼等を微笑ましく思いながら、ページを進めていた。
「手塚」
不意に呼ばれて振り向いてみれば、不二である。手塚の脳裏に『そういえば、不二は今までどこにいた?』という疑問が湧いたが、それを口に出す間はなかった。
不二を振り向くなり、唇に細い何かを押し付けられたからだ。
条件反射で咥えてしまったそれは、ポッキーである。
「?」
戸惑った手塚が不二を見上げるのと、不二が手塚の頬を両手で挟むのとは、ほぼ同時だった。
さくさくさくさくさくさくさく……ちゅむ。
止めるスキもあらばこそ、電光石火の早業で不二はポッキーを完食した。
「「「あ―――――!!!」」」
「!!!」
たまたますべてを目撃したギャラリーが叫ぶ。手塚は声にならないほどの驚きで後ろに倒れそうになり、床に手をついた。
「うん、美味しかった。ご馳走様、手塚」
「な…、不二、いま……」
「うん、そうだね。…手塚って、ホント、テニスしてないときは不意打ちに弱いね。けっこう無防備だし」
心底楽しそうに細められた不二の目が、耳まで赤くなってうろたえる手塚に向けられる。
「そういうとこ、可愛いよね」
「ちょっと待て、不二! 『そうだね』って、なんだよ!?」
トランプを放り出して、菊丸が憤然と立ち上がった。悔しさのために、目じりに涙が滲んでいる。
「なにって、手塚が『今、したな?』って訊いたから、『そうだね』って言っただけだよ?」
「そうじゃなくって! 問題はさ…」
「抜け駆けはナシっすよ、不二先輩!」
菊丸のセリフを横から奪ったのは桃城だ。真剣に不二に抗議するつもりのようである。
「うるさいにゃ、桃は不動峰の橘妹とよろしくやってればいーだろ?」
「あいつは関係ないでしょ! だいたい、なんで英二先輩が橘妹のこと知ってるんです?」
「みんな知ってるよ、桃」
「うわあぁぁっ! それは誤解ですからね、部長!!」
「いや、あながち誤解とも言い切れないぞ。桃城が橘の妹に会ってるとき、向こうは大抵、心拍数が上昇しているようだから」
「乾、その言い回しはどうかと思うな……」
データノートをめくる乾に、河村がツッこんだ。もうすでに、ホールは一大スペクタクルの様相になっている。
「ふしゅぅぅぅ……」
そんな彼等の背後からは、不穏な呼吸が聞こえてくる。海堂が精神統一の瞑想を始めたらしい。
「だから、部長! おれは部長一筋ですから!」
「見苦しいなぁ、桃。素直に認めとけばいいじゃん!」
「うん。ちゃんと柔らかかったよ、手塚の唇」
「不二、そういうのは協定違反だと思うんだけど……」
未だにショックで呆然としている手塚を余所に、レギュラーたちはぎゃんぎゃんと論争を始める。ひとり、その中に加わっていない大石が未だフリーズしたままの手塚に近寄った。
「大丈夫か、手塚?」
「……ああ、大石。すまない、大丈夫だと思う……」
声をかけてもらえたことに幾分ほっとして、手塚は大石を見上げる。大石は優しい微笑を浮かべて手塚に温かい紅茶を差し出した。 大石の穏やかな仕草に、手塚はようやく張り詰めていた意識を緩めて、表情を和らげた。
口論に最中にそんな大石と手塚の様子を見つけて、この騒ぎの発端である不二が黙っているはずがない。だが、割って入ろうとした矢先、一段低いところからボーイソプラノが不二を呼び止めた。
「不二先輩」
「…なに?」
楽しげに細めた目を向ければ、そこには挑戦的な眼差しのリョーマがいた。
「上手いことやりましたね」
「なんのこと?」
挑むようなリョーマの発言に、しかし不二は顔色も変えずに問い返した。
「とぼけなくていいっすよ。部長、あれがファーストキスなんでしょ」
「うん、そうだよ。…越前、それは乾あたりから聞いた?」
「いや、直感っす。もっとも、あの反応見れば、誰だってすぐ判るとは思うけどね」
「……ふぅん…。じゃあさ、越前はもしかして……」
「今日は不二先輩に出し抜かれたけど」
探るような不二に、リョーマは決然と微笑んだ。
「次は負けないっすよ。部長は絶対渡さないっすからね」
「………楽しみにしてるよ」
くすりと余裕げな笑みをこぼして、不二が応える。
青春学園中等部男子テニス部夏期合宿2日目。
ここに、『第3次手塚国光争奪大戦』の幕が切って落とされた。