「大佐・・・いや、マスタング伍長、久しぶりだな」

黒いコートの肩にふり積もった雪を片手で払い落としながら、その長い金色の髪を一つに束ねた男は、扉の外の吹雪の中から挨拶をした。

「すぐに暖まらせてくれよ、ひでえ吹雪の中を歩いてきたから体が冷えきっているんだ」
その男は軽く敬礼をした後、扉を閉じ部屋の中へ急ぎ入ってきた。戸口でそれを迎えた男は、呆然と立ち尽くしたまま言葉を失ったままだった。

訪問者が吹雪でひどく乱れた自分の前髪を忌々しげに指でかきわけると、その中から金色の輝く瞳とそしてまだ少年のようにあどけない表情が現われた。そして小さな口元にはわずかに笑みをうかべていた。

「オレのこと忘れたなんて言うなよ・・・?なあ、ロイ・・・」

「・・・まさか・・・ほんとにエドなのか・・・?」

 

すでに日も暮れていた。
その日の任務を終えたロイは、小さな宿舎の暖炉の前でいつも通りの一人きりの長過ぎる夜を迎えようとしていた。
降りしきる雪の音しか聞こえない静寂の中、徒然に酒の瓶を傍らに疲れたように暖炉の赤い焔をぼんやりと見つめるその姿には、かつての青年将校としての威厳に満ちた姿は微塵もなかった。
セントラルでの戦闘の後、彼はかつての部下達の前からも姿を消し再び極寒の北の前線へと戻っていた。評価を得て昇格する声もあがっていたが、彼は伍長という地位のまま一人になることを選んだ。復帰を待つ人の声も彼には届かなかった。

誰も訪れるはずもない、そんな一人の夜に突然の訪問者は現われた。

「よくこんなところで任務についているもんだ、ロイも相当物好きだな」
へっと笑いながらエドは、雪で濡れて重くなったコートを脱ぎ、部屋の主の許可も得ずさっさと暖炉の前の椅子に腰を下ろしていた。
コートを脱いだエドを見てロイはあっと声をあげた。
コートの下にエドが着用していたものはロイのそれと同じ、青い軍服なのだった。

呆然としたままのロイをしり目に、エドは両手を暖炉にかざし、体を暖炉の火で暖めていた。
「ああ、冷てええ・・・。機械鎧が氷みたいになっちまったよ。とんでもねえとこだよ、ここはよ」
白い頬には雪で濡れた金色の髪がはりつき、寒さに体が小刻みに震えている。大人というにはまだ小さく華奢な体に青い軍服は、不釣り合いなようだがその姿は痛々しくも美しく見えた。

ロイはまだ戸口に立ち尽くしたまま、そんな姿を見つめていた。吹雪の中から突然現われた、幻想のようなものに戸惑っていたがようやく我に帰った。

「エド・・・何故ここにいるんだ」
その言葉に驚いたように振り返ったエドは、唇をとがらせてロイに不満そうに抗議した。
「なんだよ、悪いのかよ。せっかく来てやったのに・・・」
「・・・オレも軍に入隊したんだよ。ここへ配属してもらうのに随分苦労したけどさ。びっくりしたのかよ」

 

「・・・・・・お前は向こうの世界へ行ったはずじゃなかったのか?」

 

エドの話を遮るようにロイの言葉が投げかけられた。

しばらく沈黙した後、白い表情をゆがめエドは俯いた。
「そうだよ・・・オレは向こうの世界に帰るはずだったんだよな・・・」
顎をあげ自嘲するように笑いながら呟いた。
「・・・確かに帰るつもりだったよ?そう言ってあの時ロイと約束したよな?オレとロイで両方から二つの世界をつなぐ扉を塞ごうって。そして別々に生きていこうって」
赤く静かに燃えている暖炉の火をじっと見つめたまま、口ごもりながらエドは続けた。

「・・・そしてあの時ロイは・・・オレを抱いたよなあ・・・」

ロイは数カ月前の記憶を手繰り寄せた。
エドが現実社会から自らとともに現われた、錬金社会にとっては異物となりうる物体を元の世界へ戻すために、エドとロイは二人だけで密約を交わした。
もう会えなくなるだろう。
けれど、お互いに別々の人生を選択して生きていこうと。
そして再び異世界へと戻るため、まだその事に気付かないアルに悟られないよう機体へと近付こうとしていた時だった。
自分の腕からすり抜けて二度と再び会うことの出来ない世界へと去ろうとしているエドに、ロイは最後の抱擁と口付けをした。
見開かれた金色の瞳がロイの脳裏に焼付いていた。
そしてエドは異世界へと消えた、はずだった。

俯いたまま、エドはたどたどしく言葉を繋げる。
「2年間オレと離れている間にロイは、もうオレのことなんか忘れてるもんだと思ってた。オレもロイのことを忘れようと努力してた。こっちの世界に戻ってこれて、一度だけでもロイに会うことが出来たのだから、もう諦めようと思って決心したんだ。それなのに・・・」
胸の奥から込み上げるものを押さえつけるように続けた。
「オレは行かなかった。行けなかったんだよ・・・」

「すんでのところで機体を自動操縦に切り替えて脱出したよ・・・。かなり無茶しちまったから怪我をして・・・治すのに数カ月かかった。しばらくはアル達の世話になってたよ」
エドは袖を捲りあげてまだ残る痛々しい腕の傷跡を見せた。

「オレが向こうに行かなかったから、完全に向こうの世界との扉は閉じることが出来なかった・・・こちらから閉じただけでは不完全で」
エドは両腕で自分の肩を抱きしめた。寒さからではない震えを抑えつけながら。
「またもオレが犯した罪なんだよ。自分が開いた扉を閉じることが出来なかった・・・いつか償わなければ・・・だからもしも次に何かが起きた時には、今度こそ・・・」

黙って聞いていたロイは、最後の言葉にわずかに顔をゆがめた。
「・・・せめてそれまでオレは、自分の好きなことをしていたい・・・だからここに来たんだ。」
言い終わると、ぎゅっと唇をかんでロイの方へと向き直り、黒い瞳を見つめた。
しかし、ロイの真一文字に結んだ口から出た言葉はエドの予想を裏切るものだった。

「・・・急に来られても迷惑だ。帰りたまえ。私が君の訪問を喜んでいるとでも思っていたのか」

静かな声でロイが呟いた。
再会の喜びで少なからずも心を昂揚させていたエドは、ロイの突然の思い掛けない言葉に耳を疑った。
喜んでくれるものだと信じてた。
自分との再会を。

しばらくの沈黙の後、ようやくエドは震える唇を開いた。
「オレは迷惑かける気なんかねえよ。だからそんなこと言うなよ・・・」
冷たい瞳のままロイは淡々と話していた。
「私は、この北の地で今まで自分の犯した罪を償っていた。そしてお前が向こうの世界から戻ってきて、また帰っていった・・・ようやく私は心の平穏を取り戻していたんだ」
ロイは低く呻くように続けた。

「・・エド・・・どうしてまた私の前に現われたりなんかしたんだ」

予想外のロイの言葉だった。

「お前が生きていることが分った・・・もうそれだけで私は十分だった。これ以上私の心を乱さないでくれ」

ロイの態度にエドはしばらく言葉を失っていた。
オレに会いたくなかったのか。
まだ愛されていると思ったのは勘違いだというのか。
あの時オレを抱いたのに。
だからすべてを捨ててここへ来たのに。

エドは立ち上がりロイの前へと立ちふさがった。

「どういうつもりなんだよ!!」

自分から眼をそらしている冷たい男にエドは詰め寄った。
「それならどうして別れる時にオレのことを抱いたんだよ!そっちがオレを忘れるつもりだったんなら中途半端なことすんじゃねーよ!答えろよ!」

怒りと絶望で震えながらエドはロイを睨みつけた。
真直ぐな瞳はあまりにも純粋すぎて、ロイはその眼を見ることが出来なかった。

何故こんなところへ来たんだ、こんな私の元へ。
過去を償うだけの私の元などに来ずに、
もっと明るい世界へと行くべきなのに。
折角お前の夢が叶って自由になれたというのに。
新たな罪を犯してまで、私の所へ戻って来るなど。
またも愚かな事を繰り返して
二人で罪を重ねていくというのか。

あの時別れるつもりだった。
二人で話し合って納得したつもりだった。
けれど別れる間際になって
狂おしいほどの愛しさに打ち勝てなくて
自分から離れようとした恋人の腕をつかみ引き寄せて、
力一杯抱きしめていた。

そのせいでエドは、結果として無茶な選択をしてしまったのだ。
激情にかられると無鉄砲な行動ばかりをする彼のことを分っていたはずなのに。
一時の感情に流された自分が恥ずかしかった。
こんな選択をさせてしまったこと、
新たな重荷を与えてしまったことを後悔していた。
そして目の前の小さな罪人をどうすれば救えるのか考えた。

何から話せばいいのだろう。
自分を信じきってここまでやってきた恋人に。

 

「・・・確かに私のせいだ、すべては」
「だから後悔している。お前にこんな間違った選択をさせてしまったのも私の責任だ。お前は向こうの世界への扉のことは早く忘れた方がいい。アル達のもとへ帰るんだ。そしてもう一度新しい道を選べ。もう私達は関わらない方がいいだろう。」
「オレのした事は間違ってたかもしれないよ。だけど責任は自分でとるつもりだ」
「お前が責任をとる必要はない。もうその事は忘れろ。お前は自分の事だけ考えてればいいんだ」

ロイの言葉にエドはびくりと反応した。
「それ、どういう意味だよ。ロイは何するつもりなんだよ」
「お前が考えることじゃない」
「・・・やっぱりオレ帰れねえ。ロイの側にいないと何するか分んねえよ」
「自意識過剰もいい加減にしたまえ」
「絶対帰らねえ」
「今日は帰れないなら明日の朝にでもここを出ろ。その方がお前のためだ」
「いやだ」
「ここにいても無駄だ」
「・・・いやだ」
「いつまでも子供みたいに聞き分けのないことを言うんじゃない」
「・・・そんなんでオレが納得できるわけねえだろ!」 

二人は噛み合わない言葉の掛け合いを続けていた。
ああ、これはもう無意味なのかもしれない。
ロイは片隅に感じながらもエドを拒もうとした。
幼い恋人をこれ以上暗闇の中に閉じ込めていたくない。
自由に羽ばたかせてやりたい。
ここからアル達の元へ帰してやらなければいけないだろう。
けれどその反対にエドを手放すことが出来ない自分がいるのだ。
恋人を惑わせ、不幸にする自分の存在に気付いてしまった。

エドは行き場の無い感情に支配され、瞳には涙が浮かんでいた。
怒りにまかせロイの胸ぐらにつかみかかっていたエドは、そのままロイの胸に涙に濡れた頬をうずめていた。
「会いたかったんだよお・・・また離れるなんて絶対に嫌だ・・・」
エドはロイの胸に力一杯しがみついた。

ロイはもはや拒絶出来なくなっていた。
自分を恋しいと泣き、
しがみついている一途な恋人を突き放すことは出来るはずがなかった。
幾度この瞳を夢に見て苦しめられたか。
白い雪の中に幾度エドの幻想を見ていたか。
それが今は現実として自分の腕の中にいる。
渾沌とした感情と理性の入り混じった中で、ロイは深くため息をつき、エドに語りかけた。

「本当に後悔しないのか・・・」
エドは小さくうなづいた。
「・・・する訳ねえよ」
そしてロイの頬に両手をあてて懇願するように言った。

「オレを抱いてくれよ、昔みたいにさ・・・」

 

ロイはエドの背中に手を回し、二年の間に少し背がのびているエドの体を確かめるように撫でた。
昔は子供のような肢体だったエドの体は確実に成長し、少しづつ大人へと近付いているのが感じ取れ、その感触にぞくりとした。
そしてロイは少し腰をかがめエドの頭に唇を寄せ、心から愛していた蜂蜜色の美しい髪の香りをかいだ。懐かしい甘い香りを味わうと、額に唇を押し当てた。
エドはびくりと体を震わせ自分の額から頬へとなぞっていくロイの愛しい唇に感じいっていた。

そしてどちらからともなく、互いの体を強くかき抱き始めた。
あの時抱き締めずにはいられなかった華奢なエドの体をロイはもう一度強く抱きしめた。
そしてもう二度と触れる事もないと思っていた柔らかい唇を夢中で吸っていた。

エドはロイの段々と激しくなる愛撫に体を時折震わせながら身をまかせていた。
そのままベッドに横たわり、何度も互いの肌を重ね合わせるうちに、愛しさだけが激しく募っていった。

もう離せない。
この美しい体に自分だけの刻印をあて
冷たい鎖で固く繋いで
誰にもけして奪われないように閉じ込めて
そんな押し殺していた欲望がとめどめもなく溢れていた。

「…エド……どうしても忘れられなかったよ…お前を…だから…」

「…オレも…オレだって…」

白いシーツの上で喘ぎ乱れるエドの白い体と金色の髪は、殺風景な部屋の中で幻想的に美しく見えた。
翻弄された恋人達は飽きることなくお互いを求め続け、冷たく暗い空気の中に、エドの漏らす切ない声と二人の吐く息だけが白く漂っていた。

大罪を犯してでも会いたかった。
運命に許された月日だけでもいいから側にいたかった。
それでどんな仕打ちを受けてもかまわない。
オレはけして開けてはいけない禁断の扉を開けてしまったのだから。

 

幾度かエドを抱いた後、ロイは横たわり自分の腕にエドの頭をのせたまま、しばらく瞳を飽きずに見つめていたが、ようやく口を開いた。
「本当にこのままここに居るつもりなのか」
「最初からそのつもりで来たんだ。ロイの部下になるよ」
「ほんとにバカなやつだな・・お前は。昔はもっと小ずるかったのに」
「オレはもう急ぐ必要は何もねえんだよ。今は自分が望むことをしたいだけだ」
また暗い瞳に戻ったロイが呟いた。
「自分の望む道が正しいとは限らないものだ…」

目の前の恋人の選んだ道は、罪を背負いながら自分と共に泥の道をもがきながら歩むことだった。
残された人生をすべてを捨てて自分の腕の中に飛び込んで来たエドが痛々しかった。

「オレがそうしたいだけだ。迷惑はかけねえよ」
「ならば、勝手にしろ」
「一緒に任務につかせてもらうさ」
「ここはお前には寒過ぎるぞ」
「かまわねーよ」

エドは仰向けに寝ているロイにかぶさるように、ロイの顔をしばらく見つめて言った。
「ロイ・・・、眼帯をはずしてみていいか?」
ロイの返事を聞かずにエドは眼帯を静かに外し、左眼に刻まれた深い傷を指でなぞった。
「本当に深いんだな、ロイの傷は・・・」

「お前の体の方がよっぽど痛々しい」
ロイは自分に被いかぶさっているエドの体を抱き寄せながら言った。
「オレはこの体には慣れているよ。それよりも失った眼は戻ってこねえよ」
「見たくないものはこの世には沢山あり過ぎる。私が両目を奪われなかったのは、一生かけて私に罪を償えと決められたのだと思っていた」
ロイはエドの金色の瞳を見つめながら言葉を続けた。
「けれど、もう一度お前の美しい成長した姿を見る事が出来た。それだけでもまだ私には救いがあったのかもしれない。」

「またロイの威張った上官姿を見てみてえよ」
エドは悪戯っぽく笑った。 
そしてふっと自嘲するように言った。
「・・・つくづくバカだよな・・・オレ達・・・」

そのうち腕の中でエドは、小さな寝息をたて始めていた。
ロイはその幼い寝顔を見つめながら、いつまでもエドの髪を指で梳いていたが、やがて静かに眼を閉じた。

ロイは夢を見た。
腕の中で微笑んでいた愛しい恋人は、儚い白いわた雪のように、粉々になり消えていった。
後には何も残さずに。

驚いて目を開いたロイの横には、美しい白い体が横たわっていて、同じく夢を見ていたように、閉じた瞳から涙が一筋流れていた。

小さくため息をついた後、
ロイはエドの耳元で、
微かな声でつぶやいた。

 

もうお前が罪を背負う必要はないんだよ
罰は私一人が受ければいいのだからね

 

 

そして二人の新しい道は開かれていった。

(END)


イラストの説明を…と思って書き始めたら、無駄に長くなってしまいました。
これはSSと言えるようなものではありません、ただのイラストの説明文です。
ですので大目にみてやって下さい…(絵描きだから文は苦手)。

4コマ漫画で描いてる「シャンバラ映画その後」とは全然違う設定のお話です。
雪の中で独りエドを待つロイや、軍服姿のエドを描いてみたかったです。

(H17年12月)あさねこ