暖かい部屋
○みんながんばれ
○ たたずむ少年
○トイレに手を突っ込んだ少女
○奇妙な生徒との会話

 
その1:学校休んでいいですか
 その2:先生ケンカしていいですか
○感謝状

○たった一人の拍手 1
○たった一人の拍手 2
ようこそ暖かい部屋へ。ここは誰しも少しは経験したことのある、ありがたかった、うれしかった、楽しかった話しの部屋です。どうか暖まっていってください。



みんながんばれ

 クラスに一人だけ就職する子がいた。彼は父親を亡くし、母は男を作り一人暮らしだった。高校生と偽り、居酒屋でバイトをして生計を立てていたそれはもちろん後で知った。夜電話してきて、その話しをして大泣きしていた。だから毎日遅刻して来る。
 ある時来るなりいきなり寝たから、呼んで「いくらおまえであっても、いいか俺は自分の授業に命をかけてるんだ、来たら挨拶ぐらいしたまえ、俺だって人間なんだ」と初めて奴を怒った。帰りの会、彼はいなかった。生徒は先生が怒るからだよと言っていた。生徒に詳しい事情は分からない。
 翌日、また遅れてきた。生徒はかたずを飲ん見ていた。つかつかと彼は私のそばに来た、にこにこしながら「寝坊しました、今来ました。」私も笑顔で「そうか分かった」と言っただけだった。周囲からオーと言う声が起きた。
 公立入試の前日、個人ノートに「明日はみんな入試だ、みんながんばれ」と書いてくれた。彼とはいつか一緒に酒を飲む約束をしていたが、未だに果たしてない。
 おい、俺はまってるぜ。

2002,6,27
 ここにうれしい頼りを載せます。たぶん彼も許してくれるでしょうね。彼から突然メールもらったのです、まさか私のページを見てくれたなんて。このページを作ったとき一番最初に頭に浮かんだのも彼の事でした、またこのページ作る動機もそうでした。
 私のような、できそこないのいまだキレる男が教師やってるなんて彼のような生徒のおかげかもしれません。彼のメールと私の返事を載せます。彼にもたたずむ少年にも、そして一人だけの拍手のクラス、そしてまだ未完だけど北中最後のクラスのみんなにも会いたいものです。


 
暖かい部屋トップで載せて頂いて有り難うございます
エクセルは仕事で使っているのですが、ネットは超初心者なので
失礼がありましたらお詫び申し上げます
始めにホームページの間違いを指摘させて頂きます
私がアルバイトをしていたのは、居酒屋では無く寿司屋です
もう、わかりましたよね?
あの頃は色々とご迷惑もおかけしたと思いますが
おかげさまで、妻と子供2人(4年生と2年生)まあまあ幸せに暮らしています
酒飲みたいですね
仕事でなかなか時間が合わないと思いますが今度一緒に飲みましょう。
ホームページ時々覗かしてもらいます。
本日は、これで失礼します。
ps.いたって真面目にやっています、先生に教わったこと1つだけ良く覚えています
「知識(勉強)なんて社会に出れば100に1つ位しか役に立たない、だから今必要で無い事でも
いつお前の人生の中で役に立つか分からないんだ」
これはかなり現在の私に影響していると思います。
有り難うございました。

最高に嬉しいよ。忘れるものですか、だから暖かい部屋を作ったときこの話を載せました。いらい3年生を持つたびにこの話をみなにしてます。
 先日、土曜日に進路の保護者会がありました。そこでもあなたの話をしましたよ。
 私の人生はホームページに書いたとおりの人生でした。教師には31歳でなったからあなたを担任したのは、まだ教師になって6年目の時でしたよ。まだ若かったかな。
 今は51歳ですよ。今年52歳になります。相変わらす独身で、わかぶって生徒とたわむれてますよ。
 今は相模原ですか?私は東林中学校に勤務してますよ。中央林間の駅から歩いて10分くらいです。
 学年主任を前の学校でしていたのですが、母親がもう80歳で、老人性分裂病になり、転勤させてもらい、今はフリーです。
 金曜の夜なら時間があるかな。
子供たちに恵まれうらやましいねえ。きっといい親父してるね。

たたずむ少年

中三を続けて持つことになった。一人、道をはずしかけた奴がいた。時に胸ぐらつかみ怒鳴りつけた。なぜかクラスの元気パワーの女子グループ、俺の味方になってくれた。本当にあいつらがいなかったら俺は困り果ててたなあ。修学旅行から帰ってきた後「先生、本当は○ちゃんから言うなと言われてたんだけど、○ちゃんすごく偉かったんだよ。八坂神社で地元に囲まれて、○ちゃんひっぱたかれたの。でもやりかえさなかったんだよ。どうしてやり返さなかったのって聞いたら『アマノ先生から、班員に迷惑かけるからやり返すなと言われてたから』だって、でも○ちゃん『恥ずかしいから、先生には言うなよって』言ってたけど、話しておくね」
 俺、それ聞いて「こいつ立ち直れる」と思った。
 二学期母親から、ある事をしたと聞いた。詳しくは書けないけどね。彼の話聞いてやった。
 それから進路。受験した学校すべて落ちた。夜何度か家に出向いた。進路が決まらず卒業した翌日、公立の二次募集の発表だった。
 昼頃、職員室に現れた「おー、どうした」「受かったあ。」「そうかあよかったよかった」と皆で声をかけたら、突然泣き出してしまった。こらえていたんだろうなあ。「教室にまだ忘れ物があるよ」彼は教室に行ったがなかなか帰って来ない。そっと教室に行った。
 無言のまま彼は教室を見つめたたずんでいた。明るい春の午後だった。

トイレに手を突っ込んだ少女

 だいぶ前だった。ある中学で教えていた頃、「先生トイレに物が詰まってます」と女子たちが呼びに来た。行ってみると紙くずか何か固まっていた。「こりゃあとらなきゃ。」とつぶやいたら、そばにいた女の子、急に立ち上がり牛乳のビニル袋を持ってきて、手をおおいやおら手を突っ込んで取り出した。そばにいた子たちも「あっ」と叫んでしまった。
 この話を担任に話したら、「帰りの会で名前を出さなかったけどアマノ先生がこんな子がいたよとほめていましたよ。と言ってその子を見たらうれしそうにしてましたよ。」と言われた。日頃、ちょっとからかわれ気味の子だった。バレンタインデー、その子からチョコレートをもらってしまった。

奇妙な生徒との会話


その1:
学校休んでいいですか

 「先生明日学校休んで良いですか」、職員室で私に電話があった。「おいおいどうしたんだよ」私は学年主任だった。
 「いや、けんかしそうなんです。おれ今○たちにハブされてっから、俺キレそうで、俺は進路決まってるけど、あいつは、これからだしめいわくかけらないし、けどおれがまんできないし、だから休んだ方がいいと思って」
「俺が休んで良いって言えるわけないだろう。担任の先生に話したんか?」
「いや、まだなんす、。」
「俺から話してやろうか。」
「いや、まだそこまではいいんすけど。」
 このあといろいろあって、結局担任から○に話しが言った。奴は登校した。
「お前、本当に大丈夫か?」登校した日に聞いた。
「だいじょうぶっす、おれ、○とは話しついたから。
 以後、奴と○は何とかいった。それにしても、担任の時でも「休んで良いですか」とは聞かれたことはなかったが、、、。なんかうれしいような気がした。

  その2:先生ケンカしていいですか

例の生徒からしばらくしてまた電話があった。
「先生俺明日ケンカして良いですか。」
「おいおい、こんどはなんだよ。俺が良いって言えるわけないじゃんか。」
「悪の俺がこんな事いっちゃあなんですが、実は1年が生意気で俺のこと悪口言ってるから、やっちゃいたんです。おれもきれる寸前です。」
 その1年の名は知っていた。図体がでかく、確かに挑発的な態度を上級生にもとる。
 放課後、奴は来た。廊下で立ち話をした。結局、
「先生、俺が暴れそうになったら止めてくれますか?」
「分かった、止めてやる。でも誰か俺を呼びに来させろ。」
「じゃあ●にいっときます。あいつは俺の止め方しってるから、、。」
「先生、急所ねらったらまずいすよね。」
「ああ、こことここはいかんなあ。」
 私は、眉間と頸椎、延髄をさした。
「物使うなよ。」
「だいじょうぶっす、うさはらしゃあいいんですから。」
 自分でこんな会話していいんかと思いながらしていた。
 翌日中庭にいると、渡り廊下から●が呼んだ。
「先生、今あいつが1年のとこ行きました。」
「分かった、今行く。」
 一年の廊下で、奴はキレてた。
「てめえ、ざけんじゃねーよ」
足蹴り上げてた。うしろで●が抱きかかえていた。
私は1年を制止してた。もっとも、奴がキレてすっきりするまで、たいしてとめなかったが、、、。もちろん、けがになるようなことはさせなかったが、、。
そのうち他の先生も来た、奴も腹の虫がおさまったのか、捨てぜりふ残して去っていった。
 他学年の先生には状況を話し、「あとで、私から言っておきますから。」と話しをつけておいた。
その場を離れる時●に「ありがとう」と言っておいた。
 奴に「どうだ、すっきりしたか?」
「はい、もう手出しません」
 翌日、集会だった。一年の先生から、「集会で目があったら、またやるんやるんじゃないの、一言いっといて、くれませんか」
「大丈夫ですよ。」
「本当ですか。」
しつこく聞かれた。
翌日、集会は何もなかった。
「何で俺にいつも話すんだい。」
「いや、おれが転校した時、最初にあった先生だったから、なんとなく。」
奴は前年、上級生のリンチにあってる。でも、下級生には手を出したことがない。この場合、下級生の方の態度が不遜なのだ。
 卒業式「おい、去年の×達がきてるぞ、それと私服がいる。今日はやばいことしないほうがいいぞ。」
「分かりました、俺今日は何にもしません」
その通り、なにもしなかった。
 まさかケンカしていいですかとも聞かれるとは思わなかったが、ケンカをまともに止める気も私にもなかったなあ、、。教師失格かな。でも俺もキレてたからなあ、こういうのは本当の悪とは違うんだ。
 担任じゃなかったから私にはよけいに、うれしかったことだった。

2001,12,23 更新
感謝状


初めて担任した学年、私は校長に3年にあげてもらえなかった。卒業式間近、3年になった子達が校内マラソン大会をしている。私は職員室のベランダで、一年の時の生徒を見つけ
「おーい○○がんばれ!」とか叫んでいた。
卒業式、一年の時の子達の何人かが「先生マラソン大会で応援してくれてありがとう」とかいたずらっ子から「先生にはそれはそれは迷惑をかけました」という手紙や感謝状が届いた。
 外に出た、また数名がやって来た。手に感謝状を持ってる。たぶん担任がそうしてくれたんだろう。でも私は大泣きした。私は最初のクラスに総すかんをくらっていたから、、。

たった一人の拍手 1 


 合唱コンクール。3年の一学期だった。私のクラスは大地讃頌を歌うことになっていた。なぜか優勝候補だった。本番ピアノと歌が合わなくなってしまった。
 帰りの会実行委員会の女の子が「先生私たちだけでもう一度ステージで歌っていいですか」と泣きながら言ってきた。
「いいよ、帰りの会そこでやろうよ。」
ステージで歌が始まった。今度は音がはずれなかった。でもだんだん、歌いながらみんな泣き始めた。指揮者の女子も泣いていた。泣きながら指揮をしていた。この子は2年の時、道をはずしかけていた。3年になってやる気を出し始め、指揮者にも立候補していた。彼女を立ち直らせるチャンスだった。だが、歌は失敗してしまった。
 歌は終わった、体育館はシーンとしていた。私は拍手をした。たった一人の拍手は、こんなにもさびしい響きがするものなのか。私もこみ上げてとうとう泣き出してしまった。
「先生は○○(指揮者の名)が見えない。悔しいんじゃない。うれしいんだ。」あとは何を言ったか覚えていない。
 その後このクラスは猛烈にまとまり始めた。二学期の文化の部学級演劇をすることにした。同じステージで。
 指導は演劇部の子が出られないから演出をすべてした。「グッバイ、マイ」こちらが入るすきがない。みんなで自然と分担していた。
 当日、幕が開く。ボーンボーンという時計の音。生まれない子供の世界で目を覚ます場面だ。
 最初、笑い声が起きた。生徒には笑われやすい子もいたのだ。
だがだんだん劇が進むと、シーンとしてきた。迫力がありすぎる。最後は主人公の黄郎が「グッバイ、マイ」と叫ぶ。アベマリアが流れる。
 館内でどよめきがおきた。すごすぎるのだ。拍手が猛烈に起きた。私は観客席から舞台裏に飛び込んだ。
 全員大泣きだった。私も大泣きだった。
 このクラス、22歳になったらクラス会を開いてくれた。そのとき、あの体育館で私が最初に言った言葉をみんな覚えていてくれた。
 この中の一人今年、先生になった。
 また会いたい、あの一人だけの拍手の仲間に。
 
この時の写真まだあるが、必ず載せます。待ってください。
翌年この話を聞いていたクラスの別の感動した歌物語があるが、今日はここまで。

たった一人の拍手 2 2002、8,24 更新

 とうとうこの話を書くことになった。実は昨日、この話のクラスの生徒からメールをもらったのです。
 そうだった早くしあげなば。
たった一人だけの拍手の翌年、私は1年の担任になった。それまで校内研で4年間がんばり、また続けて3年の担任をしたのに、あの「楽しい学校作り」は何だったのか。上層部が変わりたった一言(楽しいだけでいいのですか)研究は中止になった。この研究の話は別の所に書くつもりだが、土曜日を授業のない日にし、不登校生徒のことを考え学年行事や、カルチャースクール(今の総合学習に大変近似している違学年交流)を廃しせよと言うのだ。 私はなかばふてくされというよりは気力を一気に失ってしまった。そんな中で一年生を迎えた。
 鉄腕パワーも衰え、合唱コンを向かえることになる。練習の合間に、昨年の話をした。結構生徒は声が出ていて8クラスの中でもこれはいけるなあという感じだった。
 「よし金賞だったらアイスクリームだ!」などと私もはしゃいでいた。
 当日、1組の番、またもや本番での乱れ。そして帰りの会「先生私たちももう一回歌いたいんです」
 そうかあ、あの話しを覚えていてくれたのか。「いいよ掃除が終わったらね」
 帰りの会の前委員の子が「さあ、みんな制服に着替えて、廊下にちゃんと整列して」
 ああこの子たち本番通りやりたいんだなあ、私はそう思っていた。他のクラスが帰りの会をやってる中1組は、列を整え体育館に向かった。
 ステージに全員整列。ああ去年とおなじだ。
 委員の子が前に出てきた、「これから1組の歌を歌います。私たちは賞はとれなかったけど天野先生のために歌います」
 えっ、そんな気持ちだったのか。歌が始まった。歌いながら泣いていた。女子は全員が泣きじゃくる、どうしてどうしてまた私のクラスは、、、私も泣き始めてしまった。
 翌日、アイスクリームじゃないけど全員にかわいいキャラクター消しゴムを買ってきた。それから生徒と楽しい日々が続いた。時には怒ったり、励ましたり、でもなんか一体感があった。私も賞は無理に取らせまいという気になってきた。
 そして、三学期とうとう転勤命令。しかも全く意見も聞き入れられてない。バスと電車で2時間もかかる所だった。ただこの学校でまた思い出の学級や学年を持つ事になるのだが、この時は失意のどん底だった。母や私の健康など全く無視されていた。あまりにもの話だった。しかも校内研はすべて白紙。なんだこれが教師の世界か。
 そんな中、終業式前日、お別れ会のレクだった。教室でゲームをしていた。いつものように写真を撮っていた。
 すると15分くらいでやめてしまった。「先生5分たったら音楽室へ来てください」女子の委員が言った。
 私は音楽室の前に行った。なぜか体がぶるぶる震えていた。予想がつくのだ、彼らが何をたくらんでるかを、、。
「先生いいよ、中に入ってください」
 音楽室にはクラス全員が合唱隊形で並んでいた。
「これからお別れに合唱コンクールの歌を先生に歌います」
 ピアノが鳴る、歌が始まるあまりにも早く感動がおそった。予想はしていたけど、、、手で顔を覆ってしまった。「私は幸せだった、教師としてこんな経験を二度も味わえるなんて。
 曲が終わった。「今度は先生のために大地讃頌を歌います」
 えっ、この曲は四部合唱で3年生でも難しい曲なのに。歌が始まった、いつのまに練習をしていたのだろう、声は大きく音程もしっかりしている、再びはげしい涙があふれた。やがて間奏部分、突然男子の前列の一人が詩を暗唱し始めた。そしてつぎつぎと詩は引き継がれ最後に「先生ありがとう!」
 そして歌が始まる。手にしていたカメラで夢中で光景を撮った。
 本当に一人だけの拍手だった。