ページ作成の意味

 私が誰かはこのページを見れば分かると思います。あまり個人情報を流すことはしたくありませんので詳細はさけます。
 ただ寄る年波、マンネリした生活も嫌ですし、私の性格上何かいつも新しいことを追い求めたいし、人と同じことができないし、決まり切ったこともできないし、生きた証でも作るかと思いホームページなど作りました。よくご老人が回顧録など自費出版されますがそんな感覚かなあ。
 長い人生(?)、いろいろあった。切れまくった少年時代(椅子や机が飛んだ;と友人は話すが、、、シンナー遊びと言うほどではないが数回はしたこともある)、超内向になった高校、大学時代。時に死を思い、死にかけたこともある。今も傷は残ってる。
 幼年baby期は病弱で、血も吐いた。小学校3年の時は一学期は多分3日か5日ぐらいしか登校できなかった。
 今も覚えてるが、翌年4年生の時、徒歩遠足の翌日、床から立てずに這いずって泣いていたのを覚えてる。それほど弱かった。
 だからかけ算など学校で習ってない。自宅で療養中、母が「○かける○は?」とよく問いかけたものだった。漢字も当時のこと故、やたら書取があったが、だいたい学校でならってないのにできるわけがない。おかげで漢字嫌いになった。今でも生徒に「先生それ違うよ」と言われるが、。
 そのくせ読書だけは母の方針で漫画を買ってもらえなかったのでせざるを得なかった。だから筆順なんかでたらめだ。今更直せるものか。大人の本が読めるのに、字が書けない変な子供だった。
 そんな私が何とか(まあ少しでしょうが)道をはずさず立ち直pianoれたのは母の愛だ。母は敬虔なクリスチャンだった。私も無理矢理分けも分からず洗礼を受けさせられてしまったが、この母は一度も私に手を出したことはない。ちなみに母方の祖父は戦前の内務官僚、鳥取県知事、曾祖父は津和野藩の高岡兄弟です。父は戦前、日米学生会議で前宮澤財務大臣と同期で出席していました。
 子供時代、年間200人の外国人が宿泊していった。多分私が変わってると思われるのはそういうところかもしれない。
 でも越えられない両親を持つのも精神的には辛かったが、しょうがない。
 最後のけんかは中1の一学期。教室から、廊下へ、校庭へ取っ組み合い、学校中から見られてしまった。「早く誰かとめろよ」と内心思ったが、だいたい「やれやれ」の声だ。仲裁に入った数学の桐谷先生「おまえはまじめに物事をとらえすぎるから頭にくるのだ」と言われ「えっ俺まじめなのか」と驚いた。この先生には感謝している。数学はできなかったが、ユーモアがあり、授業は楽しかった。
 翌日は「わたしと○○君の」けんかについての学級会。いくらばかでもそれやられたら恥と思う。「お互い席変えるか」と聞かれたから「変えません」とはっきり言った。で、約束だから以降、手も出さなかった。
 このころ柔道部に入り「けんかしたら退部だ」とも言われたし、母につれられ教会学校で曲がりなりにも聖書を読まされたし、次第に英語に興味も持ち始め、柔道やら体操をやり始め、道は違い始めた。
若い人へ:私と時代は違うでしょうが、人間って変われるよ。15,6で人生は決まるものか。ただ私はいじめだけはしていない。だからそういう心理が分からない。
 うれしかったのは、担任の木村先生が通知票にけんかのことは一言もふれstudentてなかったことだった。家庭訪問で「正義感が強い」と言ってくれた。
 大学では一応東京6大学の○○大学の法学部に入り、グリークラブでTOPテノールを歌うことになった。それから次第に文化的になったかなあ。
 31歳の時試験が受かったので教師に転職した。8年も人より遅れた。別にフリーターはしていない。
 転職する人にアドバイス:前職でも悩んだけど。最後の職場では「よくやってくれた」と言われた。だから今でも仲間としてつきあってる。今の仕事ちゃんとしてから転職した方がいいよ。
 教師になったらいきなり荒れた学校で大変だった。「手を出してはいけない」「ひっぱたいてこい」「しばってもつれてこい」言うことがみんなばらばらだ。お互いのせめぎ合いどうなってんだこれ。
 やけになったよ、ホント。まあ4年間は自分の個性が出せなかった。思えば最初の頃のクラスの子には迷惑をかけたことだ。まあゆるしてほしい。
 でも卒業式の時、3年にあげてもらえなかった私にクラスの子が感謝状を持ってきてくれた時は大泣きしたっけ。
 自信を与えてくれた大沢の2年8組の生徒達、合唱コンで失敗し自分たちだけで放課後ステージで歌った北中の3年8組の生徒達、翌年の1年1組の生徒達は終了式前日に転勤する私に大地讃頌を歌ってくれた。以来、賞をとらせることがよい教師と思わなくなったよ。
 そして学年主任をしていた相模台の3年生達。あんなエネルギッシュで歌声の大きな学年はなかったよ。俺、3年間全員へ暑中見舞いと年賀状出し続けたもんなあ。いたずら仕掛けるクラスもあったが結構こちらが楽しんでたからね。
教師になる人、なったばかりの人へ:下手でも良いから一生懸命やればどの職業よりも教職は他の職より得難い喜びや感動があります、あなたの心でぶつかってください。

雑感ポートレイト

・学級会で「先生はどこの大学出身ですか」と聞く人
 学歴社会を助長してませんか。大学で教師の値打ちが決まるのですか。前職でそんなこと聞いたら怒られますよ。
 私、今でも尋常小学校しか出てない上司を尊敬してますよ。その人娘さんが中学校、高校へ行くたびに教科書を買い、勉強し娘さんへ教えてましたよ。法学部での私より遙かに法律は知ってましたよ。でもおごることがなかった。私、変な大卒よりそういう人の話の方が重みを感じます。

・マスコミや自称進歩主義的な政党や評論家諸子へ
教師批判するより児童・生徒へ配慮する番組づくりに精を出してほしいね。
学力低下とか道徳低下とかいうけど、昔の方がよかったということを自ら証明しているようなものだ。
教育実習があるのだから、教育審議会の人も実践してみたら、、、。荒れた学校で朝早くから部活やり、担任もって教科も教えたらどうですか。そうだね、全員、成人式へ出てうるさいと叫ばずに講話ができたら偉いよ。

・なんで公立普通科なんだろう
 進路は公立普通科だけなのか。就職も専修学校も進路ですよ。文部省も神奈川県も公立普通科を作れば荒れた学校がなくなるとばかりに、神奈川じゃあ100校も作った。
 専門課程の方が就職だって、基礎知識だって身に付くし、大学への推薦枠も多いし、好きな勉強できるのだから、よほどいいではないですか。
 日本を発展させたのは名もなき職人達だ。
 「僕は就職する」と胸をはって行った生徒、クラスでただ一人就床する子が「明日は入試だみんながんばれ」と個人ノートに書いたこともあった。私は変な知識人よりこういう人間が好きだ。
 公立高校すべてに専門課程を設置したり、資格を取らせたりする講座を設けた方がいい。
 専修学校や私立にもっと助成金を出して授業料や入学金を軽減する方がいい。
その分、公立高校の入学金や授業料をあげればいい。だいたい200円授業料を上げるのに県議会でかかった時間と費用ばかにならないよ。

・転職すると最後まで(年金もそうだから死ぬまで)、給料差がつくんだね。そのくせ文部省、学外から校長を選ぶんだって。冗談じゃない。
・教師になったとき、「ボランティアしている」と言ったら「そんなものやめろ。教師じゃつづけられない」だって、なんでその人今は奉仕活動を主張するんだろう。

最初にページを立ち上げた後、まだこの欄続きそうだから、トップページに徒然頁を作りました。以後はそちらに更新します。