Forget−you−loved

 

俺、鷺沼瞬には、大学生の兄がいる。光輝という名の兄は、今は実家を出て一人暮らしをしている。
家族が嫌いなのかと思ったけれど、時々実家には顔を見せているから、たぶん干渉されるのが嫌なだけだと思う。
そんな光輝兄は一回り大きい部屋に引っ越すときに俺を家に呼んで、今一緒に住んでいる。
本人は一人が寂しいとは言っているけれど、実際は分からない。
彼自身の魅力のおかげで周りには人が集まりやすい。寂しいということではなく、ただの出来心なのかもしれない。


でも、そのとき俺は嬉しかった。わざわざ実家に近いところにアパートを借りたんだから、独りになりたかったはず。それなのに、俺がそこに住むことを許してくれた。少なくとも彼のテリトリーの中に入ることを許してくれたみたいだった。
その時なぜか胸が「きゅん」といったのを俺は忘れていない・・・。




最初は楽しい生活だった。
兄がいて、俺がいる。彼が大学のときは俺が待っていて、夕飯の支度をする。俺がバイトで夜遅いときは、兄が待っていて、それをやってくれる。洗濯掃除は当番制だ。
本当にそれは充実した生活だったと思う。実家では見ることが出来なかった兄にそのままの姿を見ることが出来たから・・・。

だけど、そんな楽しさは、次第に雲行きが怪しくなっていった・・・。




(どうしてだろう・・・?)



最近俺はおかしい・・・。異変はほんの些細なものだった。
兄の帰る時間が遅いと、一人取り残されたような気持ちになり、帰ってくると、不自然なくらい安心する。
彼が出かけるとき、何故か「行かないで」と言いたくなるときもあった。


そして、いつの間にか毎日夢の中に光輝兄が現れるようになった。
それだけならまだしも、夢の中で彼は俺を抱きしめる。

俺はそんな彼に好きだと言う。

彼は苦笑いしながらもそれを受け入れてくれる。


そして、その夢から醒めると、何故か胸が苦しくなる。何故その夢から覚めたのかと自分を何度も責めたものだ。
男同士なのに、何でそんなことを思うんだろうか?だけど、何度考えてもそれは分からなかった。
確かに光輝兄は男の俺から見ても格好いい。背は高いしハンサムで優しい。
女の子だったら間違いなく放っておかないし、だからといって男から嫌われるような性格の持ち主ではない。
事実、光輝兄が何度か誰かと付き合っているのを見たことがある。
でも、それは彼がモテることを証明しているだけで、この胸の痛みを説明してくれるわけではない。


今まではそんな兄が自慢だった。友達にも自慢しまくってブラコンだと言われたこともある。
けれど、今彼を見ていると、なぜか泣きたくなってくる。理不尽だとは分かっているけれど、そのモテさが憎らしいと何度思ったことだろうか。
最初は家族がほかの知らない人にとられるのが嫌なのかと思った。つまり、ブラコンのなかでもかなりの重症だ。もともと俺は小さいころから彼の後ばかりついていたから、大好きな兄を取られたくない・・・というやつかと思っていた。




次第にそれが違うことに気づいた・・・というより、悪化したから気づかざるを得なくなった。
いや、確かにその要素があることも確かだ。だけど、あまりそれは重要ではなくなった。
光輝兄を見るたびに、心臓が跳ねるようになった。些細なしぐさであっても、心臓がどきどきするようになった。
更に始末の悪いことに、そのどきどきは女の子の隣にいるときにするようなものだった・・・。


だから、明らかにそれは異常としか言えなかった。どんなに仲のいい兄弟であっても、女の子に「付き合ってほしい」と言われて、実の兄の顔が思い浮かぶようなことはないだろう。今本当に俺はその状態が続いている。
冗談か・・・と思ったけれど、決してそうではなかった。



まさか俺は・・・最悪の可能性が頭をよぎった。



でも、相手は男だ。俺が女ならまだしも、どっちも男、それが許されるはずがない。
そんなことはありえないし、あってはいけない。だから、俺は何か勘違いしているんだ。
変な夢を見たから、そうだと勘違いしている・・・と。






それが勘違いだったら、どれだけ良かったのだろうか・・・。





知ってしまったのは、雨の日だった。

明るかった空は、知らぬ間にどんよりと曇っていき、ぽつぽつと雨が降ってきた。
まるで俺の心を表しているようだ。今俺も決して晴れることのない雲がかかっている。
光輝兄に早く帰ってきてほしいと思う一方で、まだ帰ってほしくないとも思う。
優しい兄は、今の俺の顔を見たら心配するだろう。彼には心配をかけたくなかったし、今どう思っているかを知られたくなかった。

晴れていようが雨が降っていようが折りたたみ傘を常備している兄が珍しく家に忘れていて、玄関に残されていた。
今日はバイトの日だから、帰るとき濡れるかもしれない。
何をすべきかは分かっているんだけど、俺は家を出る気がしなかった。
いつもだったら慌てて持っていくんだけど、今日ばかりは気が進まなかった。
でも、そんなことをしたら風邪を引くことになる。だから俺は持っていったんだ・・・。


そして、見てしまった。兄が女の子と仲よさそうにしているのを。

(え・・・?)

ぽとりと左手の傘を落としてしまったけれど、拾い上げる余裕など持ち合わせていなかったし、そこを動くことすら出来なかった。
どうして兄は笑いかけているのだろう。
今まで俺に見せたことのなかった甘い笑顔で。



そして、どうしてその相手は俺ではなかったのだろう?




(当然・・・か)



急に頭の中が冷えていった。考える必要はない。

俺が男だからだ。

俺は男であるから、光輝兄の一番であることができない。
抱きしめられることもない。そして彼に愛されることは未来永劫ないだろうと確認するたびに、俺の胸は鋭い刃物で抉られていく。




(そんなことはない。ただ・・・光輝兄が親しそうにしているから嫌なんだ)



だけど、決してそれは認めたくなかった。
だから何度も否定した。
だって、こんな気持ち、おかしいじゃないか。
でも、兄が優しげにその人の髪にふれているのを見て、もう俺は認めるしかなかった。





実の兄に恋してしまったことを・・・。






身体が凍り付いて一歩も動くことが出来なかったはずだけど、無理やりそこから背を向けた。
これ以上見ていたくなかった。だから俺は濡れるのも構わず走った。
雨で頭を冷やしたかったから・・・それもあるけれど、それ以上に雨が涙をごまかしてくれるから。
誰も俺が泣いていると思わないから。



そして、俺もそれを雨のせいだとすることが出来るから・・・。




(馬鹿だ・・・)



その気持ちを認めたところでどうかなるわけではなかった。
男に恋をして、何になるのだろうか?何もなりはしない。
いや、何もならないのなら、まだいいのかもしれない。
こんな汚い気持ちを知ったら、絶対兄は気持ち悪く思う。もう俺は彼のそばにいることは許されない・・・。


だけど、そうだとは分かっていても、足は勝手に光輝兄のアパートに向かっていた。
俺の居場所はここしかなかったし、実家に帰れば、親が問いただすだろう。
そうしたら、俺は苦しくて白状してしまうかもしれない。だから、どんなに辛くとも、ここに帰るしかなかった。

あちこちで光輝兄の匂いが漂っている。ノート、歯ブラシ、布団・・・『安心』の象徴であったそれらは、何から何まで俺を責める。兄であり、男である彼を好きになった罪は償うことが出来ないほど大きかった・・・。



(忘れなきゃ)



こんな気持ちは、忘れるのだ。
このまま抱いていたら、大きくなって絶対俺の中から出てしまう・・・漠然とだけど予感があった。
そんなことになったら絶対彼の負担になってしまう。
決してそうなってはいけない。
背徳とされる感情は忘れて、今までどおり兄を慕う弟に戻るのだ。
そうすれば何も知らない彼は俺をここに置いてくれるだろう。
だから俺は風呂場のタイルに思いっきり頭をぶつける。
一回だけでは足りなかった。
何度もぶつけた。
死ぬかと思うほどぶつけた。


本当に・・・痛かった・・・。頭の痛みは何度目かに麻痺して感じなくなった。

その分・・・胸が痛かった。

どんなにぶつけても、この気持ちを壊すことは出来なかった。
忘れようとすればするほど、自分の惨めさを思い知らされた。



光輝兄が好きだということを知らされる結果になった。




(もしも俺が女だったら、貴方は俺を抱いてくれますか?)



封じ込めるべき彼への想いは、ますます募っていく。
冷静になってやっと気づく。忘れようと思って忘れることが出来るのなら、ここまで彼を好きになることはない。
そして、俺にとって光輝兄は全てだから、忘れることさえ許してくれない。
かと言って、この世界から自分を消そうと思えるほど、勇気があるわけではない。
どんなに辛くても、苦しくても、俺は光輝兄から離れることが出来ない。




モウスコシ、モウスコシダケ・・・



神様、猶予をください。時間をかけてでも諦めるから。だから、もう少しだけ彼の側にいることを許してください。



ソレデモ、好キナンダ・・・



どうか兄が俺のこんな気持ちに気づきませんように。



コノママ時ガ停マレバイイノニ・・・



俺はシャワーを浴び、泣けるだけ泣き続けた・・・。





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当サイト2周年記念という節目の時期ですので、ちょっと長めのSSを書きました。「Forget〜」の話が始まる前、光輝兄への気持ちに気づいたときの瞬の気持ちです。最近SS等では幸せのあまりネジが外れている彼なので、ちょっと(?)切なく、一方通行の恋にしてみました。一応忘れたい気持ちがテーマで。
一応本編にはなりますが、記念SSですので、お持ち帰り等自由ですので、捧げさせていただこうかと。
この二人はこれからも続きます。応援してやっていただけると嬉しいです。



秋山氏(2005/01/15)