Memory〜Page Two〜
目覚ましをセットするのを忘れたけど、ふと目が覚めた。半分夢の世界の住人であった僕は、ここが麻生、つまりはちょっと前に別の世界の住人となってしまった母さんの旦那、まぁ、籍を入れていないから正しくは元恋人にあたる人、一言でいうと僕の父さんになるはずだった人の家であることを思い出した。母を失った僕にとって、新しい家族は想像と違って、本当に心地のいいものだった。血のつながりが無いのにみんなが僕をやさしくしてくれるし、寂しいときには添い寝を・・・え?どういうこと?恐る恐る目を開き、隣を見た。
一瞬心臓が止まった・・・。
隣には美人が眠っていた。悔しいけど僕より背が高く、体つきもしっかりしている。綺麗な髪は動きにくいせいかいつもは後ろに束ねてあるんだけど、寝ているせいか妖怪のようにまとまっていなく、しかし理不尽なことに、それでも気品を失っていない。
「あー瑞樹ちゃん、おはよう」
彼は寝ぼけ眼で僕の唇に・・・。
「うぎゃーーーーーーーーーーー」
ファーストキスを奪われた。女々しいと言われようが、生まれてこの方ファーストキスは好きな人とって決めていたんだけど、目の前にいる中性的な彼に奪われてしまった。そう、彼は男で(そりゃそーだ)、紅林博美というんだ。見た目も性格も女っぽいけど、彼は男である(まだ混乱してる)。でも、もっと嫌なのは、それを一瞬でも嫌だと思わなかった自分がそこにいること・・・。何故!何で僕はそれを一瞬でも当たり前のようにされてたんだろう。悶絶死しそうだった。
シュッ!刹那、遠くから包丁が博美さんに投げつけられてきた。しかし彼は避けずに指二本だけで受け止めた。もし避けたら僕が包丁で料理されるとこだったよ。僕は他人事のように笑う。そうするしかない。
「このクソ、瑞樹に何しやがった!」
「ほほほ・・・寂しそうだったから添い寝をネ」
「てめ!瑞樹から離れろ」
朝からいきり立っているのは、麻生家三男の大地さん。何の因果か、博美さんに食って掛かるのが日課らしい。暇さえあれば博美さんを襲撃している。大あくびをしていた博美さんに、正拳突きを食らわした。
「ふっ・・・動きが甘い!甘くてよっ!」
拳を軽く受け流し、バランスが崩れた大地さんに、容赦なく音速の蹴りが降り注ぐ。それは大地さんの動きを予定していたかのごとく襲い掛かり、当然よけきれなかった、いや、博美さんの足に吸い込まれるようにして動いた彼は、地に沈むことになった・・・。
「はっ、その程度の力じゃおまえに瑞樹は渡せねぇな」
「くっ・・・不覚・・・!」
何かになりきっているのか、博美さんは悪逆非道な笑みを浮かべている。そういうのが似合うところが怖い。
「てめ・・・手加減しやがったな・・・!」
「何?本気で相手してほしかったの?」
きらりと異常な色をして瞳を輝かせる博美さんに、大地さんの背筋が丸まる。それは全身を逆立てているようにも見えた。しかしその虚しい抵抗はすぐに終わり、勝負の決着がついた・・・。
「朝からにぎやかですねぇ」
新聞を見ながら朗らかに微笑むのが、長男の泉さん。いかにも頭がよさそうなその見かけで、メガネがよく似合う。彼はこの辺のそれなりにレベルの高い高校に行っていて、そのせいか帰りがかなり遅いらしい。
「あ、泉さんは夕食どうするの?」
「久々に家族一緒で食べたいので、私の分も用意しておいてくださいね」
今までは外食で済ますことが多かったらしいけど、どうやら今日は帰ってきてくれるみたいだ。家族・・・僕を気遣って発したものかもしれないけど、その響きに僕は弱い。
「和也さんはどうするの?」
「俺?遅くなるから適当に残しておいてくれればいい」
帰り・・・遅いんだ・・・。そうだよね。和也さんには和也さんの事情があるんだろうから・・・。和也さんはこの家では、次男にあたるとか。確か大地さんのいっこ上で、泉さんと同い年だった・・・気がする。高校は泉さんと同じらしい。かの二人が戦っている間、泉さんも和也さんも何もなかったかのように朝食をとっていた。大物である。それとも、僕が慣れるべきなのだろうか・・・。
「悪いな。今度一緒に飯食おう」
ほんとーーーに申し訳なさそうに謝ってくるので、逆に僕が悪いことをしている気になってくる。和也さんはモデルのような容姿だけど、目つきが鋭いせいか、強面とか、睨まれると死ぬと言われていることが多いらしい。でも、本当はすごく優しい人なんだ。
「うん。学校のほうが大切だからね。がんばって!」
励ましたつもりだった。だったんだけど、和也さんはしゅんとしながら退場してしまった。世の中何があるかはわからない・・・。
「あ、大地さんはどうする?」
「わりぃ。ダチと食うから今日はいらねぇや」
後ろで博美さんが殺気を剥き出しにしていたけど、僕は気づかなかった振りをした。知ってしまったら元の世界には戻れない・・・。とすると、父さんは遅いみたいだし、夕食はとりあえず3人で食べられるみたいだ。これで少しは寂しくなさそうだ。
しかし、期待とは裏切られるものである、昔偉い学者がそう言ったとか言わなかったとか。だったらどっちなんだ!一人でツッコんでも、虚しさだけが僕を襲ってくる・・・。
「二人だけ・・・か。なんか切ない・・・」
いくら中性的だとは言え、野郎二人、面と向かっての食事は、どうも寒い。
「泉くん、急用が入ったらしいからね。でも、僕がいるでしょう?」
分かってる。博美さんがいてくれてるから今独りにならずにすんでいるんだ、でも、二人というと、どうしても思い出してしまう。
「そっか・・・だよね。じゃ、ちょっと待ってて・・・」
何を思ったか、博美さんは携帯を取り出した・・・。
「あ、和也くん?今から帰って来てね!」
『ちょっと俺今・・・』
「あ?君バイトと瑞樹くん、どっちが大事なの?」
ここから先は聞き取れなかった。
『だからなんだって?』
「瑞樹くんが寂しそうなのにお前はのこのこバイトをやってるの?って聞いてるの!」
『博美さんがいるじゃないか・・・それに』
「泉くんはどうしても帰れないんだって。僕はあの子にとって他人でしかないんだよ。ここから先は言わせないで」
「あ、大地くん?今友達ん家?帰ってきなさい」
『今帰れるわけねぇじゃん』
「瑞樹くんが寂しがってるのよ。悪いけど今の時期瑞樹くんもあれだと思うから、お兄ちゃんがそばにいてあげて・・・」
そんなやり取りが行われているとも知らずに、僕は寂しく待っていた。博美さんには悪いことをしてしまった。僕の寂しさを必死で紛らわせてくれようとしてるのに、努力を無に返すようなことを言ってしまった・・・。博美さん、怒ったかな・・・。
「帰ったぞ。瑞樹・・・俺が悪かった」
「ったく、あのオカマなんであんなでかい声を・・・」
何で二人ともそこにいるの?今日は遅いんじゃないの?嬉しいけど、僕はちょっと戸惑ってしまう。
「あぁ・・・電話で博美さんに叱られた。『瑞樹くんとバイト、どっちが大切なの!』俺は危うく鱠にされるところだった」
「兄貴はなますで済むからいいよ。俺は消し炭だからな」
二人とも憎まれ口をたたいているけど、急いでくれたらしい。息が上がっている。僕は迷わず二人に抱きついた。
「お兄ちゃん、ありがと!」
「何。瑞樹のためならそのくらい・・・」
あれ?博美さんはどこに行ったんだろう。気が付けばそこにはいなかった。
「先輩、親って損ですねぇ・・・」
「あぁ、いいところはどうしても子供たちに盗られちまう。しかし、いいのか?お前だったら今ごろ争奪戦を起こしているはず・・・」
「たまには僕も落ち込んでみたいんですよ」
「気を落とすな。いずれ分かってくれる」
「は?博美さん、拗ねてるの?」
博美さん不在の原因は僕らが三人でいることらしい。いつも博美さんと戦っているあの大地さんが顔面蒼白になって言っているから、冗談ではないと考えるしかない。
「あぁ。博美さんにとってはチャンスだ。それを逃すはずがない。だけどお前が寂しそうにしてたんなら話は別だ。自分じゃだめだと思って・・・」
「そ・・・そんなことない!」
「あー、そういやあいつの声、寂しそうだったな」
でも、本当は言い切れなかった。あの時一瞬寂しそうに微笑んだのは分かっている。僕が博美さんを傷つけちゃったんだ。
「まぁ、お前が相手ならすぐに機嫌を直すだろうけど・・・」
その考えはやっぱり甘かった。結局博美さんは父さんと一緒に飲んでいたらしく、夜遅くには帰ってきたけれど、次の朝から張り付いた博美さんの笑顔が崩れることはなかった。大地さんがどんなに挑発してもそれは変わらなく、逆に大地さんが不戦敗するという結果に終わった。
「くそっ・・・どうしてこんなことに」
「いや、昨日はごめん。博美さんに半殺しにされましたよ」
あはは〜と他人事のように話す。泉さんも相当な人物だ。
「あぁ、簡単ですよ。二人っきりという、博美さんには至れり尽せりの状況なのに、君が二人っきりでいるのを嫌がりましたからねぇ・・・」
結局そこに落ち着くし、僕もそれは悪かったと思っている。でも、どうしようもなかったんだ。二人でいるとどうしても母さん、そしてあの人を思い出しちゃって・・・。博美さんも優しい人だから。
「ま、必死で謝っておくのがいいさ。時間をかければ博美さんも・・・」
僕が落ち込んでいるのを見て、和也さんがあわててフォローしてきたけど、僕の心が晴れることはなかった・・・。
「ただいま・・・」
鉛のように重い気持ちで僕はドアを開けた。どうにかしていい方法を探したかったけど、何も思い浮かばなかった。考えてみたら、僕はあの人のこと、何も知らないんだよね。何故かあの人は僕のこと、結構知っていてくれたのに・・・。
「あぁ、お帰り。早かったね」
「博美さん、昨日は・・・」
「見て見て。アルバムもって帰っちゃった!」
楽しそうに彼ははしゃいだ。いつの間に彼はくすねていたのだろう。それは僕があげた覚えのないやつだった。それに、僕が落ちこんでいたのにその空気は何なんだ!僕は呆れるしかなかった・・・。
「ほら、見て。これは瑞樹くんが生まれてからすぐの写真だよ。律子さん、どろどろに溶けて鍋の底に沈んだ餅のようにでれでれしてるね」
あ、本当だ。これは純粋に嬉しそうというよりも、博美さんの表現のほうが似合っているけど、それでも僕を産んだことを喜んでいるのが伝わってきて、何か嬉しい。
博美さんは次々にアルバムをめくっていく。そのたびに「瑞樹ちゃんは可愛い」の連発があって、僕としては恥ずかしい。
「あ、これは『瑞樹、一歳の誕生日に』だね。この蝋燭を消そうとしてもなかなか消えないのが・・・ぷぷっ」
「ちょっと、笑うことはないでしょ!僕だってあん時はガキなんだもん」
「いや、可愛すぎてつい、ね。あ、これは転んで泣いたときの写真みたいだね」
「母さん、そんなもの撮ることはないのに」
「いや、君にとってそんなものでも、律子さんにとってはどんな瞬間でも宝石以上に大切だったんだよ。特に父親がいないでしょ?だからあらゆる瞬間を撮っておきたかったみたいだね・・・」
なるほど・・・。母さんはそんな気持ちだったんだ。でも、僕はそこで一つの疑問が生まれた。どうして博美さんはそこまで母さんのことを知っているの?父さんの後輩だから母さんのことを知っていると言われればそれまでなんだけど、博美さんは何か重要なことを隠している。そんな気がする。
「あ、これは・・・?『温泉旅行にて』?紅葉がきれいだねぇ・・・」
僕はその写真に違和感を感じた。そこだけどうも周りの写真と厚さが違う。もしかして、写真を取り出したら、僕の想像通り下からもう一枚の写真が出てきた。だけど、それは僕の想像をはるかに超えていた写真だった。
そこには・・・若き日の博美さんらしき人物が写っていた。『大好きな人たちと』という写真には、僕と母さんと、恐らく博美さんである人物が写っていて、彼は僕を抱っこしていた。それにはオネエくささは感じられなかった。髪の長さだけでこんなにもイメージが変わるんだね。って、重要なのはそこではない。どうして三人で写ってるの?
「これ・・・どういう・・・こと・・・」
「あはは〜律子さんって本当こんないたずらが好きだねぇ。あれほど写真は闇に葬るよう言ったのに」
ちょっと待て。計算からすると、博美さんは高校生ってことだよね。いや、ひょっとしてもっと若い?本人はいつも笑って教えてくれないけど、噂によると今博美さんは二十代後半から三十代だから・・・。いや、年のことはどうでもいい。この家族の年齢構成を考えてはいけない。一般的に考えて不思議すぎる。問題は・・・あのお兄さんが博美さんなのかどうか。写真を見ると、似てはいるんだけど、雰囲気が違うし、その人があまりにも若いので本人とはまだ断定できない。それに、僕の知るあの人と、ここに写っている人が同じなのかという問題もある。この写真の人が博美さんであっても、僕の知っているあの人が博美さんだという保証はない。
「君の疑問は、僕が律子さんのそばにいたこいつかって事だね?いまさら隠しようもないから言うけど、君の推測は正しいよ。僕は君が小学校中学年のころまで律子さんと一緒に君を育ててたんだ。これはそのときに撮った写真だね」
「でも、そのときには父さんと一緒にいたんじゃ・・・」
「だから、少しでも余裕があったら君の顔を見に行ったんだよ。いや〜君は僕のことを恨んでいるかもしれないねぇ。育児放棄をしたんだから」
どうやら育児放棄があったという負い目から僕に正体を隠していたらしい。博美さんの言動から考えると、聞かれなかったから答えなかったというのとは違う。でも、どうして育児放棄をしたんだろうか?あの人、見かけによらず面倒見がいいから、相当な理由がないとやめないはずだ。
疑問はまだある。どうして自分の好きな人の実の子である僕の面倒なんて見たんだろうか。何度も言うけど、父さんが引き取った子供の面倒を見るのは仕方が無い。でも、僕となると話は別だ。なりゆきじゃなく、わざわざ母さんのとこに押しかけたことになるんだから。母さんが博美さんに頼むなんて無神経なことをするはずがない。頼んであっても、長続きするはずがない。
そして、重要なのは、どうして父さんと母さんは結婚しなかったんだろうか。シングルマザーをやりたかったから、今まで僕はそれを信じていた。しかし、父さんと母さん、そして博美さん、その関係があるのに、結婚しなかった理由がそんなに単純であるはずがない。僕はそれを聞いてみた。
「そうだね。育児放棄の理由は、君が可愛いから。君を面倒見たのは・・・僕にも分からないんだよ。先輩と律子さんが結婚しなかった理由・・・それは僕も知らないよ。ふふ・・・君の思い出に僕の存在があったみたいだけど、幻滅したでしょう」
結局はぐらかされてしまったけど、「お兄さん」が博美さんであることは間違いないようだ。それなら僕と父さんが一緒に暮らすようになったのにも納得がいく。母さんの遺言だけでなく、博美さんが取り持ってくれたのだろう。そうでないと出来ない。
幻滅か・・・。幻滅はしてないよ。でも、複雑なんだ。僕を育てたことで、博美さんはどんなに辛い思いをしたんだろう。
「勘違いしないでね。君を育てたのは、僕の意思だから。達樹先輩の意思は何も関係ない。それにしても・・・君がここまでいい子に育ってくれて、僕はとても嬉しい。律子さんに感謝しないとね」
いや、僕は博美さんに感謝したい。思い出の存在と目の前の存在がかけ離れているのは事実で、あまり実感は無いんだけど、今から思うと、それでもあの優しさは変わっていない。博美さんがいたから僕は母しかいないのをコンプレックスに思わなかったのだろう。僕にとっての父さんは、やっぱり博美さんかもしれない。
もちろん、どうして僕を捨てたんだと言いたいよ。血のつながりがなくても、博美さんなら父さんでもいいと小さいころから思っていた(まぁ、今の博美さんだったら微妙に変わるんだろうけど)。だから、あの日は博美さんの存在しか思い出せないくらいショックだった。急に目の前に現れて自分が昔母さんと一緒にいた人だと言われていたら、僕もありったけの文句を言っていたと思う。
でも、僕が独りになったとき、僕に声をかけてくれた。誰かに声をかけてほしいと思ったときに見つけてくれた。それに、麻生という家族をくれた。博美さんはあの日の約束を守ってくれたんだ。だから・・・文句よりもはるかに嬉しさのほうが勝っている。
「・・・父さんって呼んでもいい?」
瞬間、博美さんの顔が凍りついた。僕はムンクの『叫び』を思い出した。
「だめよ、あなたにとって父さんは達樹先輩しかいないんだから」
「せめて、二人だけのときは」
どうしてか猛烈に嫌がる。汗もだらだらと流している。どうしてだろう。
「父親と呼ばれたくないから瑞樹ちゃんの目の前から消えたのに・・・」
「どうしてそこまでこだわるの・・・?」
「息子にむらむらしそうになったら犯罪でしょ?」
本当に真面目そうに彼は力説した。でも、なんだかはぐらかされたような気もする・・・真相は知らないほうがいいのかもしれない。それとも・・・知ってほしくないということなのだろうか。どちらにしろ、博美さんと一緒に暮らしている事実は変わらないので、僕はあえて気にしないことにした。
「あ、昨日はごめんなさい・・・」
すっかり忘れていた。僕は昨日博美さんを傷つけたことを謝るために早く帰ったんだ。そしたらあまりにも博美さんが明るいから脱線してしまった。まぁ、そのおかげで真実を知れたことも確かなんだけど。
「昨日って・・・。あぁ、アレはあたしが勝手に拗ねてたの。だって、あたしがいるのに瑞樹ちゃん寂しそうなんだもん・・・」
「本当にごめんなさい・・・」
「本当にいいのよ。どうせ律子さんがらみだとは思っていたから」
本当は心中穏やかではないはずなのに、僕のために博美さんは自分を偽ってまでも微笑んでくれている。本当に申し訳ないと思う。
「だから気にしなくていいって。僕が瑞樹にベタぼれなだけだから」
だから口説かないでよ!ドキドキしちゃうじゃないか。この人自分がどれだけ殺人的な魅力があるか・・・気づいているのかな。それに・・・
「博美さん、本当はそうやって誰にでも口説いてるんだね」
ホラーマンガを思い出した。よく女の子が恐ろしい顔して絶叫したり固まったりしているでしょ?今の博美さんがまさにそうだ。
「瑞樹ちゃん、ひどいわ。私のこと、そう思っていたのね・・・」
おまけによよよ、と泣きまねをする始末。
「あーごめんなさいー」
「勘違いしないでね。そんなこと、瑞樹にしか言わない」
タラシという生き物は、たいてい同じ言葉を放つ。だから誰にでも口説くように思われるんだよ・・・。
「瑞樹は僕のたった一人の息子だからね・・・」
「父さん・・・」
本当は喜ぶべき息子という響き、僕がずっと心の中で望んでいたはずの言葉が、どうしてか寂しかった。僕はそれを望んでいたはずなのに、どうして満たされないのだろう。僕は抱きついてみた。そうすれば答えは見つかるだろうか?
「いや・・・だから、父さんは・・・ないでしょう・・・」
「やっぱり俺のこと、父親だと認めていないんだな・・・」
もう明日から生きていけませんというのがふさわしい顔をして、付け足すと幽鬼のような顔で本当の父さん、麻生達樹が立ち尽くしていた。僕は今までそれに気づかなかったわけで、つまり最悪のタイミングでモノを言ってしまったことになる。
「ぐれてやる・・・。ぐれてやるぅ・・・」
「あー先輩ーそんなこといっても可愛くないですよ?あなたはかっこいい系のキャラなんですから、こういうときはびしっと『瑞樹は俺の子だ。お前なんぞにゃやらん』と決めたらどうですか・・・ね?瑞樹くん」
確かに博美さんの言うとおりかもしれない。僕を引き取ると決めたんだから、せめて形だけでも父親らしくしてもらわないと、僕もどうすればいいのか戸惑ってしまう・・・。
「ふん。あれだけのラブシーンを見せ付けられてどうしてそれができる。あぁ、やっぱりそうやって瑞樹を懐柔して俺に復讐しようというんだな?」
復讐ってやっぱり・・・僕は口に出すことが出来なかった。
「もしそうなら随分ちんけな復讐ですねぇ。本当にするなら先輩をやっちゃいますよ」
「お前・・・タチだったのか?」
「いえ?僕はリバです。まぁ、先輩が相手だから下でもいいという感じで、どっちかというとタチ寄りかも知れませんが・・・。まぁ、瑞樹相手ならタチに」
「あーそーかそーか。ふん。仲良しさんで羨ましいな」
「・・・何拗ねてるんですか。仕方ないですねぇ。瑞樹ちゃん、悪いけどこの大人気ないおじさんの相手してやって」
やれやれ、と大げさなため息をついて博美さんは出て行った。そのため息の大きさとは違って、実際にはそんなに怒っていなさそうだった。この分だと夕食の支度をするのかな・・・。
「瑞樹・・・博美のことは好きか?」
父さんはなぜか聞いてきた。それはさっきのぐれていた父とは違い、顔が引き締まっている。どうやら僕に大事な話があってぐれていた父を演じていたらしい。
「好きだけど・・・どうして・・・?」
「そうか、それならよかった・・・。俺がお前を迎えたことで博美を傷つけたんじゃないかと・・・」
「ううん。博美さんは僕と暮らすことを喜んでくれたんだ。でも、何で父さんは博美さんの気持ちに応えてあげないの?あんなに好かれているのに」
僕も父さんと同じことを思った。だって、普通は父さんの言うことのほうが正しいことくらい、僕だって分かってる。でも、博美さんのあの喜びは嘘だと思いたくない。僕が来て嬉しいと博美さんには思ってほしい。
「痛いところを突く。『博美さんがかわいそうだ』と息子たちにもずっと責められてきたよ。でも・・・俺があいつを振ったとき、あいつの想いを利用したときに俺たちの関係は終わってしまったんだよ・・・」
「どうして・・・どうして終わりにするの!?今ならまだ間に合うよ!」
「いや・・・もう間に合わない。俺が博美への気持ちを自覚したときに気づいたさ。あいつの心の中にはもう俺はいない・・・」
全てを諦めきったような顔だった。父さんもきっと博美さんのことが好きだったんだ。
「そのときにやっと俺も気づいたんだ。今からするとすごく馬鹿なことをしていたんだよ。俺は博美の気持ちを踏みにじっていたんだ。俺のエゴだけであいつを縛り続けて、追い出すたびに呼び戻させて・・・。今俺達の間にあるのは駆け引きのような関係だ。
でも、お前は違う。純粋に博美に愛されている。正直言うとな、お前に妬いてるんだよ。博美は瑞樹に見せるような顔を俺には決して見せない。まぁ、これは当然の結果だと思っている。俺への罰なんだろうな。瑞樹、博美のことを頼むよ」
秘められていた父さんの想いだった。父さんもさまざまな気持ちに挟まれて苦しんでいたんだね・・・。僕はおせっかいだけどその気持ちを伝えに、ついでに家事の手伝いをしに台所に行った・・・。
「ふふ・・・知ってるよ?達樹先輩が友情と愛情と恋情に挟まれてもがき苦しんでいたことくらい」
芸術的な包丁さばきは、一つの音楽を生み出す。僕はそんな音にウットリしていたんだけど、あっけらかんとしている、しかし問題発言であろうその言葉に僕は現実に戻らざるを得なかった。
「まぁ、僕は達樹先輩が恋愛感情を持ったときに口説かれようかと思ったんだけど、そんなことをしている間に僕のほうが浄化されちゃったんだよね。長い間一緒にいたからね、家族愛みたいなものになっちゃったんだよ。あ、そんな汚いものを見る目つきで見ないで!ほら、僕の場合かなり諦めが入ってたから・・・ね・・・常に諦めようと努力してたから・・・あぁ、瑞樹ちゃんに嫌われたらあたしはどうやって生きていけばいいのぉ・・・」
また嘘泣きをしているよ、この人は・・・。でも、こうやって博美さんは小芝居をしていてごまかしているみたいだけど、父さんへの気持ちは諦めなければいけなかったんだ。父さんも博美さんもすれ違っちゃったんだ・・・。もっと二人が気持ちを伝えていたらこんなことにはならなかったのにね。
でも、それを喜んでいる自分もいる。二人が結びついていたら僕は本当に独りっきりだ。博美さんには僕だけを見ていて欲しい。僕だけを抱きしめて欲しい。って、僕は何を考えてるのさ!
「あぁ・・・嫌いじゃないから・・・落ち込まないで・・・ね?」
「え?何?瑞樹ちゃんあたしのものになってくれるの?」
「んなこと言ってません」
きっぱりと言っておいた。こっちだって色々と複雑なんです。
「あぁ、あたしをモノにしたいのね?」
そっちはなおさらイヤです。自分より大きい男をどうして押し倒さないといけないのよ。僕にはそんな趣味はありません。
「ちぇっ。瑞樹ちゃんのイケズ。ま、僕はこうして瑞樹と一緒に何かができること自体が幸せなんだけどね・・・」
博美さんの場合、こうやって自然に出てきた言葉のほうがくらっとするんだよね。本人はそういうことを全く意識してないんだろうけど、だからこそ破壊力が高いんだよ。それが自然ってことだから・・・。
「だから博美さん、僕を口説かないで欲しいんだけど・・・。もし博美さん好きになったらどうするの?」
「ほほほ、それは好都合ね。そうだ。新婚旅行に行かなくちゃ。国内一周?温泉旅行?あぁ・・・迷ってしまうわ!」
温泉旅行とは、新婚旅行にしてはケチっている、そう思うのは僕だけではないはずだ。って、突っ込むところを間違えた。新婚旅行って・・・新婚旅行って・・・細部を想像し、僕の顔が真っ赤になる。ちょっと待って!子供にはそんなの早すぎる!って僕の考えすぎ!しかも僕は受けだった。だけど、幸い助け舟が現れた。
「二人だけで行くなんてずるい。俺も連れてけ」
「先輩、あなたという人は、どうして二人だけで行きたいという僕の意図を無視するんですか!」
「瑞樹を独占するなんてずるい!」
「同感だな。瑞樹をたらしこんで、旅行先であんなことやこんなことをしたいんだろうだけど、そーはいかねーぜ」
「同左」
「博美さん、私たちはみんな瑞樹くんのことを愛しているのに、自分だけ抜け駆けなんてずるいですよ?」
気がつけばみんな家に帰っていた。それで一部始終を目撃していたみたい。不満の声がそこかしこであがっている。
「くっ・・・。瑞樹ちゃん、あなたはあたしと二人っきりのほうがいいよね?」
縋りつくような瞳で僕に迫る。
「その・・・僕は・・・みんなと行きたいな・・・」
僕がここに来てから初めての旅行、だから、家族一緒に行きたい。博美さんの気持ちは嬉しいけど、せめて最初の旅行は・・・。だけど・・・博美さんの顔を見るのが恐い。怒りはしないだろうけど、何を言い出すかが分からない。
「瑞樹ちゃん、あたしを裏切るのね?」
うるうると(これが冗談に見えない)した目で僕の良心に訴えかけてくる。あぁ、そんな目で見ないで。決意が揺らいでしまうよぉ・・・。
「ったく。仕方ないねぇ。瑞樹ちゃんにとっては初めての家族旅行だから・・・。覚悟しといてね」
四人が一気に凍りついた。どうやら今の決定を相当根に持っているようだ。まぁ、博美さんの気持ちは分からなくもないけど、でも、僕は嬉しいんだ。大人数で旅行なんて、修学旅行しかなかったから・・・。というわけで、僕のアルバムにまた1ページ新しい思い出が刻まれるかもしれない。楽しみと、ほんの少しの不安の多い今日この頃でした。