鎮魂歌〜遠き日の想いを胸に秘め〜

あの日、僕達は写真を撮った。僕に彼が抱きついているという写真を撮った。彼はそれが滅多にない代物だと言って宝物にしたみたいだけど、僕の方は違った。それは、決意の証だった・・・。

 

僕には倉科という大親友がいる。彼は僕よりも背が高く、性格も大人びていて、僕の精神的支えと言っても大げさなことじゃなくて、どんなことも倉科に話している。たった一つのことを除いては・・・。

 

僕は倉科の秘密を知っている。倉科は必死に隠しているが、僕はあることがきっかけでそれを知ってしまった。倉科は僕が好きなのだ。勿論親友としての意味だけでない。性的な意味で僕が好きなんだ。つまり、僕を抱きたいと思っているみたいなんだ。だったらなんで告白しないかと思うでしょ?僕は倉科から聞いたわけじゃないから想像するしか出来ないんだけど、やっぱり男同士だということが理由だと思うんだ。普通、相手がゲイじゃなければ、告白なんてできないよね。

それに関して、僕は男嫌い(ホモフォビアという意味合いが近いのかな?) を公言している。僕は普通の顔だと思うんだけど、どうも男受けがよすぎるみたいで、痴漢に狙われやすいんだ。倉科もそれを知っているから、僕に好きだと言えないのかもしれない。

男嫌いの僕だけど、皮肉なことに恋人は男なんだ。痴漢から助けられたのが始まりで、付き合うことになった。秋本さんに好きだと言われて、何故か嫌な気持ちがしなくて、そのまま恋人同士の関係になった。もちろん、肉体関係もある。そうだ、僕が倉科の気持ちに疑念を抱くようになったのはそれを話したときからだった。

僕は秋本さんと付き合うことになったことを話した。すんなりと歓迎されるとは思っていなかった。男同士だから、それなりに反対されることを覚悟して告白したんだ。親友には隠し事をしたくなかった。だけど、僕の予想していた反応とは全く違ったんだ。あの時の倉科の瞳には、何も映っていなかったような気がするんだ。だけど、取り繕ったように笑顔を浮かべて、僕のことを認めてくれた。そのときは、嬉しかったんだけど、どうしてもあの時の瞳は目に焼きついて、忘れることが出来なかった。

疑念が確信に近くになったのは、それから数日経った時だった。倉科がスキンシップをしなくなったんだ。そんなの男同士でするのは変なのかもしれないけど、僕は倉科が触れるのだけは構わなかったんだ。いや、本当の事を言うと、倉科に触れられていると、安心するんだ。だけど、いつもされていたのが、急にされなくなかったから、不安になった。やっぱり男同士は嫌なのかと思った。だから、倉科に触ってもらえないのはなんだか寂しかった。でも、ひょっとしたら逆なんじゃないかと思った。普通嫌いになったら無視するよね。でも、触らなかった以外はいつもと同じだったから、嫌いじゃなくて、好きなんじゃないかと思ったんだ。自意識過剰だとは思ったけど、僕が気持ち悪いと思うより、はるかにそっちのほうがしっくりとくるものがあったんだ・・・。

自分の好きな人が他の人に取られるのは寂しいことだ。僕だって倉科が他の女とくっつくと思うと・・・素直に喜べないかも。倉科には悪いことをした、そのときはそういう問題だと思っていたんだ・・・。

 

だけど、そんなに簡単な問題ではなかった。はっきりと確信を持ったというか、真実を知ったのはその後。変に態度が変わると倉科に感づかれるので、久しぶりに倉科にスキンシップをさせて、心地よかったのでうとうとしていたら、唇に何かやわらかい、だけど弾力のあるものが当たったんだ。それは独特な感触で、しばらくしたら倉科のそれだと気付いたんだ。僕にキスしている!気付いたと同時に、身体が縛られたように動かなくなり、目が開けられなくなった・・・。今目を開けると、全てを失う。そんな直感が僕の身体から自由を奪ったんだ。

 

倉科は僕を好きだ。男が女に抱くのと同じ意味で僕が好きだ。しかも僕は基本的にそう思われるのが嫌である。

 

倉科が帰ってからそのキスを思い出して、怖くなった。これが冗談だったら、笑い飛ばすことができたかもしれない。倉科に触れられるのは好きだから、僕だって何も抵抗がなかっただろう。でも、冗談なんかじゃなかった!彼が触れたのはほんの数秒だったけど、それでも・・・わずかだけど・・・震えていたんだ・・・。

倉科がいつもの倉科に見えなかった。自分の親友も結局は「男」であることを思い知って、裏切られた気持ちだった。僕の理解者である振りをして、僕をそういう目で見てたんだ。ほかの痴漢と一緒だったんだ・・・。倉科が許せなかった。だって、そうでしょ?倉科は男に興味があるとは思わなかったから!だから僕も彼には心を許していたのに!どうして・・・どうして!

 

でも、彼は言葉を発しなかったけど、その唇が『大好きだよ』と言っているみたいで、震えているくせに、その一点の曇りもない瞳は優しそうに僕を見つめているような気がして。

 

その後僕自身が許せなくなった。倉科がいい奴であることは僕が一番知っているはずなのに、倉科が僕にそういうことをしたことはないはずなのに、僕は倉科のことを一瞬でも気持ち悪いと思っちゃったんだ。それを反省して、真面目に考えることにした。あの時はあまりにも混乱していていたんだ。

倉科は他の人たちと違うんだと思う。性欲もあるんだろうけど、本気で僕が好きなんだと思う。そう結論してから、僕は倉科に抱いていた負の感情が消え去った。彼にそういう気持ちを抱かれても、別に気持ち悪く感じなくなった。だけど、それからは倉科が僕を好きであることよりも、僕が倉科の気持ちに応えてやれないことのほうが問題になった。秋本さんと付き合っているからだけじゃない。多分僕は倉科のことをそういう目で見ることは出来ない・・・。

恋愛は人それぞれだから、それ自体は仕方ないと人は言うのかもしれない。だけど、僕はどうしても倉科を失いたくなかった。倉科はたった一人の親友だ。内気な僕をクラスの輪に溶け込ませてくれたんだ。倉科がいなかったら、僕はもっと自分のことで苦しんでいただろうと思う。だから最初は、倉科の気持ちを知っていて、それには応えられないけど、友達でいてほしいと言ってしまおうかと思った。何度口から出かけたことか。でも、そんなのは身勝手だよね。倉科は嫌がる。それに・・・僕の口からはっきりいえば、彼は僕から離れていく。当然でしょ?はっきりと拒絶すれば、倉科は僕と一緒にいるメリットがなくなるんだ。それなら他の相手を探すほうがいいよね。

それに・・・倉科のことだから、僕に気を使うと思うんだ。僕が負い目を感じないように、自然に離れていくと思う。もし友達のままでいられても、今までのような関係でいることはできない。倉科は僕に心を開かなくなる。だから、こんなのは卑怯だと分かっているんだけど、僕は倉科の気持ちを知らない振りをするしかないんだ。何も知らなければ、今のままでいられるんだ・・・。

いや、そんなの建前だよね。僕は彼に好きだと言われたくないのかもしれない。倉科の気持ちに気付いているといっても、それはあくまでも僕の想像の域を出ない。あくまでも仮定だからこんなこと言っていられるんだ。もしはっきり彼がその気持ちを口に出したとしたら、僕はきっと冷静でいられなくなる。結局、怖いんだ・・・。こんな打算で動いている僕は倉科に好かれる資格はない。今彼が親友でいてくれること自体奇跡なんだ。今の表面だけでも安定している関係を壊す勇気が僕にはなかった・・・。

 

「歩、来週の水曜、暇か?花火大会に行こうと思ってるんだけど」

そんなことを聞くのは僕の恋人である秋本さん。黙っていればクールそうなんだけど、感情の起伏が激しいんだ。笑った時の顔が素敵で僕は彼を好きになったのかもしれない。

秋本さんが休みを取るのは珍しい。彼はどこかの銀行の投資銀行業務だかいうのをやっていて、いつも帰りは遅いから土日にしか会えない。しかも、休みでも何かあると借り出されるから、のんびりデートも出来ない。僕は一回だけ経済系の雑誌を見て投資銀行とやらを調べてみたんだけど、複雑で分からなかった。とにかく、そんなだから、休みをとるのに相当努力をしたんだと思う。だけど・・・僕は断らなければいけなかった。

「ごめんなさい・・・その日はどうしても・・・」

「残念だな・・・。意中の彼とデートか?」

意中の彼って・・・。倉科のことだと分かっている。勿論秋本さんは倉科がそういう気持ちで僕を好きだと知らないけど、僕にとって大事な親友であることは知っている。

「本当にごめん。ずっと約束してたんだ・・・」

大嘘である。これから誘うところであって、約束はしていない。恋人である秋本さんには申し訳ないと思っている。せっかく僕のために休みを取ってくれたのに、僕は他の男と遊ぼうとしている。これは裏切り・・・そう取られても仕方がない。

「ま・・・それなら仕方ないよな。親友は大切にしたほうがいい。だから、楽しんで来い。俺は寂しい休みを過ごすことにするよ」

「本当に・・・ごめんなさい・・・」

「・・・だったら、その愛する倉科くんに会わせてくれないか?歩がそれほどまでに褒め殺すんだから、相当いいやつなんだろ?」

「ダメ!それはダメ。倉科は僕の・・・」

秋本さんが倉科を気に入ることよりも、倉科が秋本さんのことを気に入ることの方が恐ろしかった。焼餅焼く相手が違うんだろうけど・・・今の僕にはそう思った理由など、分かるはずがなかった。

秋本さんは拗ねてしまった。何度も謝ったけど、ずっと「恋人は俺なのに」とぶつぶつ言って、僕と目をあわせようともしなかった。

しばらくしたら機嫌を直してくれたけど、僕のほうは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。でも、僕はその日に全てを賭けているんだ。だから、それが終わったら思いっきり秋本さんに甘えようかと思っている・・・。

 

「と、いうわけで、一緒に花火大会行こう?」

「俺は嫌だね。あの人と一緒に行ってきたら?」

即答で断られた。それは僕にとってショックなことだった。まさか倉科が断るとは思っていなかったんだ。いつも彼のほうが誘うことが多くて、僕のほうが誘うのは結構珍しいから、そういうのがあると、いつも優先してくれたんだ。今から考えると・・・僕は甘えていたんだね。考えてみたら、倉科には倉科の住む世界があるんだ。

「でも・・・あの人忙しいから・・・倉科に一緒に来てほしくて」

親友に嘘をついた。秋本さんが忙しいのは本当の話だけど。とにかく、僕は必死に説得した。どうしても倉科と一緒に行きたいんだ。

「分かったよ。行ってやるからそんな顔すんなって」

よかった・・・。倉科に拒絶されたのは初めてだから、怖かったんだ。もう僕に興味がないと考えると、どうしてか寂しかった。だから、無理矢理とはいえ、行くと言ってくれたのは嬉しかった。だけど、最後にぽつんとつぶやいた言葉が、僕の心に深々と突き刺さった・・・。

「俺は・・・あの人の代わりか・・・?だったら・・・お前は残酷な奴だよ・・・」

 

楽しみにしていた花火大会は、憂鬱なものになってしまった。僕の身勝手で倉科を怒らせることになってしまったんだ。あれから僕は倉科としゃべっていない。約束のためにちょこっと話すくらいなんだ。それ以外は僕のほうから避けるようになった。合わす顔がなかったんだ。倉科もそんな僕の変化に気づいているのか、僕に構うことをしなくなった。いつも僕の都合で倉科に無理をさせて、それがどういうことかわかっていなかったんだ。倉科はそれを残酷だといった。分かっている。人の気持ちを「知らない」僕をそう言っているんだろう。

 

でも・・・僕も一つ気付いたんだ。僕の気持ちを知らない倉科こそ、残酷だよ・・・。

 

「歩、どうして俺を避けるんだ?」

来てほしくなかった日が、とうとう来てしまった。倉科は切羽詰った顔で俺に迫ってきた。

「別に避けてないよ。ただ、倉科にわがまま言ったから合わす顔がないんだよ・・・」

僕はそれしか言えなかった。倉科の好意が関わっているなんて、口が裂けても言えない。そんなことを言ったら、倉科が傷つく。倉科の傷ついた顔は見たくない。

「嘘だな。目が泳いでるよ?・・・そっか・・・俺が嫌いなんだな。どうも様子がおかしいと思っていたんだ。花火大会に誘ったのも、俺が嫌いであることを隠すためだったんだな・・・」

いつもの優しい彼じゃなかった。僕の知らない倉科がそこにいたので、僕は一歩下がろうとした。だけど、倉科が僕の手首をつかんだ。想像以上に力が強かったので、僕の身体に震えが走った。僕の心臓を突き刺してしまいそうなほどに鋭い倉科の瞳が怖かった。だから力を振り絞って倉科の腕を振り払った・・・。

「触らないでよ、気持ち悪い!そうだよ!倉科なんて大嫌い!」

とうとう言ってはいけないことを言ってしまった。嫌いじゃないのに、気持ち悪いわけじゃないのに、倉科が僕をそんな目で見るから・・・すごく恐くて、倉科が倉科じゃなくて。大好きだった倉科の瞳が、どんどん虚ろになっていく。僕と倉科の間にあった友情を僕自ら絶ってしまった瞬間だった。

「ははは・・・そう・・・だよな・・・男同士は・・・気持ち悪いよな・・・。歩・・・俺が今までお前をどういう目で見てたのか、知ってるんだろ?俺は他の奴と一緒なんだよ!お前が喜んであの人の話をしているとき、俺がどんなに悔しかったか、お前には分からないだろ?男同士だから告白できなかった俺の気持ち、親友だからお前の応援しか出来ないで苦しかった俺の気持ち・・・お前には分からない。あの人に渡すくらいなら・・・ははは、俺の気持ちを知られた以上もうお前の側にはいられないからな」

倉科は僕を押し倒す。いつもの優しい親友ではない。雄の倉科がそこにいた。僕は突き放そうとして、やめた。出来なかった。本当に・・・出来なかった。動きは乱暴なのに、僕を壊すつもりのくせに、その一方では縋りつかれている気がして。彼をここまで追い詰めてしまったのは僕なんだ。だから、僕は倉科に体を奉げる。好きなようにしてくれればいい。僕は倉科の憎しみ、恨み、全てを受け止めよう。それが僕に課された罰なんだ・・・。

普通はそれなりにほぐしてからするべきなんだけど、そんなことをせずに倉科は無理矢理僕に挿入する。だから、引き裂かれるような痛みが僕を襲う。だけど、僕は声を出さなかった。もしここで悲鳴をあげれば、倉科は本能で止めてしまう。そして冷静になった彼は一生それで苦しむことになるだろう。だから、倉科のされるがままにしていた。倉科が動きを激しくしているうちに、僕は意識を手放してしまった・・・。

 

目を覚ますと、倉科はそこにいなかった。探しに行きたかったけど、腰が痛くて出来なかった。だから、しばらく僕は考え込む。そうするしか出来なかった。無心になろうとすると、いろんなことが頭に入ってくる。

倉科に犯されたことは僕にとって嫌なことではなかった。もし本当に嫌だったら、いくら相手が彼でも突き放していただろう。やっぱり相手が倉科だからかな。でも・・・分かっている。僕は本当に大事なものを失ってしまった・・・。それは二度と取り戻すことが出来ない。

倉科はこんな形で僕を犯すなんて、望みじゃなかったはずだ。倉科の心が受けた傷を想い、僕の目から一筋の涙が落ちた。気がつけば彼がそこにいて、自分を責め続けていた。

「ごめん・・・。謝っても、許してもらえないことは分かっている・・・」

僕の涙を見て、倉科は頭を地面に擦り続ける。僕の胸が締め付けられる。本当に傷ついたのは、倉科のほうだろうに、この期に及んでも彼は僕のことを気遣う。そうだ、いつも彼はこうやって僕のことを気遣う。確かに今までそんな彼が好きだった。辛いことがあっても、倉科のそんなところで癒されてきた。でも、今は・・・そんな言葉じゃ満たされなかった。それどころか、澱んだ感情が僕を支配していく。僕が悪いと詰ってくれればよかったんだ。そうすれば僕は君を嫌いになれたんだ!いつも僕を包み込んでくれたその優しさが今日は憎たらしい。こんなことをされても嫌いになれない自分も憎たらしかった。

「そうだよ・・・絶対許さない・・・。ひどい、ずっと君を信頼していたのに・・・もう・・・いやだ・・・」

「本当に・・・ごめん・・・」

 

僕たちの関係は、本当に最悪な形で終わった。口に出すことは出来なかったけど・・・僕のほうこそ・・・ごめん。君の言うとおり、知っていたんだ。怖いとも思った。だけど、それ以上に苦しかった・・・。君の気持ちに応えられないって知ってたんだ。君を好きになれたら、どれだけよかったんだろうね。こんな結末にはならなかったんだろうね・・・。

涙なんか出なかった。泣き虫である僕が出すことが出来なかった。それだけ感情が麻痺していた。失ったものが大きすぎて、僕自身が崩壊してしまいそうだった・・・。いや、いっそのこと、壊れてくれればよかった!

 

ここで目が覚めた。本当に長い夢だった。でも、昔の人は今の自分が夢で、夢の中の自分が現であるかもしれないと言ったことがある。だからなのか、気がつくと僕の目が涙であふれている。でも、どうやら夢だったんだ。悲しい夢だったけど、夢だったから僕はホッとした。だけど、倉科を避け続けているのは夢だけの話じゃないし、こんな夢を見た後だから結構困っている。もしこれが現実だったらと思うと、僕の気持ちは曇っていく一方だった・・・。

「歩・・・やっぱり俺を避けているな。俺、何か悪いことしたか?」

切羽詰った顔で倉科が聞いてきた。僕は何て言えばいいか分からなかった。未だに僕は夢と現を彷徨っていた。

「ううん・・・嫌な夢を見てね・・・」

直接の原因ではなかったけど、今日避けていた理由がそれだったので、全部とまでは行かないけれど僕は夢の内容を正直に話した。倉科は一瞬寂しそうな顔をしていた。だけど、すぐ爆笑した。

「俺がお前を強姦か!こりゃおかしい。いっその事、試してみるか。あの人は忙しいから、俺がその寂しさを埋めてあげるよ・・・」

「ダメ。強姦はダメ!絶対ダメ!」

倉科に組みしかれ、無理矢理挿入される図を想像して、鳥肌が立った。

「そこまで拒否しなくてもな・・・やっぱり俺は嫌われてるんだな・・・」

倉科はとんでもなく傷ついてしまった。僕が知っている限りでは、倉科はどんなことがあっても笑おうとしている。でも、今の倉科の顔はそんな顔じゃなかった。だから、僕は倉科の心を踏みにじってしまったんだ・・・。

「嫌いじゃないよ・・・。強姦が嫌なだけで」

「だったら、同意があればするのか?」

僕はなんて言えばいいのか分からなかった。秋本さんという恋人がいなければという無意味な仮定においては、僕は二つ返事でオッケーする・・・と思う。ただ、もう一つ、倉科が僕から離れないならという条件があるんだ。でも・・・倉科は僕の身体じゃなくて、心が欲しいだろう。もし本当にそんなことをすれば、今の僕達なら確実に親友はおろか、友達にさえ戻れなくなる。だけど、それを言えば彼は拒絶の意に捉えるだろう。

「・・・分かったから、そんなに困るな。冗談だから」

「なーんだ・・・てっきり僕を抱きたいのかと思っていたよ」

わざとテンション高く言った。ここでしんみりとしてはいけない。僕は鈍い親友でなければいけないんだ。今の言葉で倉科が更に傷つくのは知っていたけど、気付いているそぶりをしてすべてを失うよりはいい。

「まさか!俺は身を滅ぼすしかない恋なんてしたくないからな」

「・・・仮に僕を好きになったら身を滅ぼすとでも?」

こっちは相当悩んでいるのに、いくらなんでも、その言い方はあんまりだろう。

「そしたら俺の片想いだからな・・・。男嫌いを好きになった男は、両想いにならない限り、破滅の運命しか残されていないんだよ・・・」

ははは、と、実におかしそうに笑っていたけど、笑うしかなかったんだろう。最後のほうは、自虐的だった。

「ま、俺たちはそんな関係じゃないから、問題ないけどな」

明らかに無理して言っているのが分かる。倉科、君が僕のことを見ていてくれるように、僕だって君のことを見ているんだよ?そのくらいの気持ちは、僕にだって分かる。でも、そういう結論に落ち着いて、正直ホッとした。これ以上の言い合いは、不毛でしかない。僕は倉科のそういった気持ちには応えてやれないけど、友達でいて欲しいのは変わらないから、ギクシャクしたくはないんだ。

「だけど、その夢を見る前から、俺を避けていたんだろ?」

「それは・・・倉科にも予定があるかもしれないのに、悪い気がして・・・」

倉科の気持ちのことについては言えなかったけど、花火大会の誘いが関わって、例の言葉に落ちこんだことは正直に話した。すると、倉科は穏やかに笑った。爽やかで暖かいそれは、僕の大好きな笑顔だ。

「なんだ、それか・・・聞こえてたんだ。悪かったな・・・拗ねてたんだよ。お前は秋本さんが忙しいから俺を連れてこうとするからな。最近俺の扱いが悪い・・・。何でもかんでも秋本さんの次だからな。お前が悪いんだぞ?今ではずっと俺との約束を優先させたのに、いつも『秋本さん』、『秋本さん』だからな。俺、一生独身でいたいわ。何か花嫁を送る父親の気持ちが分かった気がする・・・」

「本当にごめん・・・」

「わざと」拗ねているように倉科は言っているけど、本当は・・・僕を気遣っているのかもしれない。倉科って、優しすぎるから、僕が倉科に対して負い目を感じないように、いつも逃げ道を用意してくれる。だから僕はそれに甘えてしまう・・・。僕はダメなやつだ。

「いや・・・そんな顔されると、こっちの方が・・・」

ちょっと口元を引きつらせて、困ったような笑みを浮かべる。この顔も好きだな、なんて思っている僕は、既に末期らしい。どうして僕は倉科に恋できなかったんだろう・・・。

 

「綺麗だねぇ・・・」

「あぁ・・・あの時行かないと言い切らなくてよかったよ」

僕達は会場には行かず、ちょっとはなれた土手で、二人っきりで鑑賞していた。近くで見れるから僕は会場に行こうと思っていたけど、倉科のほうは人ごみに紛れるのが嫌だったらしい。珍しく駄々をこねた。でも、結果的に二人きりだったから、よかったのかもしれない。本当にそこは穴場だった。僕と倉科だけの・・・。

「倉科・・・今日は本当にありがとう・・・」

「いや・・・礼を言うのは俺のほうだよ。今日だけでもあの人より俺を選んでくれたんだからな・・・」

すねているかと思ったけど、そうではなかった。純粋に倉科は喜んでくれていた。

「歩・・・少しだけ・・・こうしていいか・・・?」

ぎゅっと僕を抱きしめた。それはいつものスキンシップとは微妙にニュアンスが違った。僕は何も言わなかった。だけど、それは肯定の意味だった。だって・・・倉科がそういうなら、僕は拒否することが出来ない。倉科がそうすることで少しでも救われるのなら・・・なんてね。自分の気持ちをごまかしたかったからそう定義してみたものの、本当は・・・倉科に抱きしめられると、自分の居場所がここかと錯覚してしまうんだ。それに、深く澄んだ黒い瞳が僕を捕らえて離さない。そして、捕らえられてもいいと思う自分がそこにいる・・・。

でも、分かってる。ここは僕の場所じゃないんだ。ここには将来彼にふさわしい女の人がちゃんと当たり前のように存在しているだろう。いや、ひょっとすると男かもしれない。どちらにしろ倉科はその人のことだけを見つめている。倉科は愛した人間のことは、徹底的に大事にする、そういう男だ。でも、どうしてだろう。胸が・・・痛い・・・。倉科の幸せは僕の幸せのはずなのに、今まで僕はそれを望んでいたはずなのに、倉科の恋人のことが頭に浮かぶと、どうしようもなく寂しいんだ・・・。僕はその将来の恋人の代わり?予行演習?何でだろう。いつもは暖かいこの場所が、今日はどうしようもなく苦しく感じるんだ。でも、僕は急いでそれを振り払った。これ以上は考えてはいけなかった。

 

今夜だけ、今だけ僕達は特別な存在になる。明日には元の友達同士に戻っていなければいけないことは、僕も倉科も知っている。でも、今だけなら僕は彼の想いを受け入れられる、純粋に愛することができる・・・。だから僕は彼の背中に手をまわす。僕も彼も何も言わない。いや、言えなかった。でも、それだけで充分だった。今の僕達の間には、造られた言葉なんて、何も必要はなかった・・・。

ふとほっぺにキスしようかと思った。倉科が相手なら、別に構わなかった。どうしてそうしようとしたのかは分からない。倉科の彼女のことを考えると胸が痛くなったりと、今日の僕はおかしいのかもしれない。そうだ。今日は花火大会というイベントがあったから変なんだ。だけど、口を近づけようとしたけど、どうしても動けなかった。気軽にキスしてはいけない、そんな気がしたんだ。もし今キスすれば、僕は倉科を失うことになる。理由は分からないけど、直感がそう告げていた。だから、僕はその代わりに彼の胸に顔をうずめた。しばらく僕らはまるで恋人同士のような時を過ごしたのだった・・・。

 

その帰り、僕らは終始無言だった。先ほどの余韻を残したかったから?否。はっきり言おう。気まずすぎる空気が流れていた。倉科は男嫌いの僕に対し、親友以上の気持ちを込めて抱きしめてしまったこと、そして僕は秋本さんという恋人がいるのに、倉科と甘い一時をすごしてしまったこと、そして・・・自分の気持ちが分からなくなってしまったことだった。

「一夜限りの恋人・・・か」

長く重き沈黙を破ったのは、倉科のほうだった。真夜中であるため、その表情は読み取れない。

「恋人・・・かぁ。もしそうだったら・・・浮気・・・?」

「だな。お前には秋本さんという『立派な』恋人がいるんだからな」

倉科はすっかり倉科に戻っていた。さっきの色気() はすっかりと失せて、親友の顔だった。

「倉科も充分立派だけど?」

「お前、俺を口説いてどうする」

どうして?僕はただ思ったことをそのまま伝えただけなのに?

「あ、その顔、やっぱ分かってないな・・・」

盛大な、それこそ生まれて初めて見るんじゃないかとさえ思えてくるほどあからさまなため息を彼はついた・・・。

「そんなにため息つかなくてもいいじゃない」

「親友に恋人が出来て傷心の俺に塩を塗ってもみほぐすからだ」

何気ない冗談。ただのイベントとして何気なく過ぎるはずだった今日、しかし、ほんの少しの変化を残して終わったのだった・・・。

 

次の日、僕は倉科を待っていた。一緒に登校することになっているんだ。あれから僕らは二人で学校に行く約束をした。今までは迎えにこさせるのは悪い(僕が迎えに行くと彼は怒る)と思って拒否していたけど、それ以上にこれからは出来るだけ一緒に過ごしたいという気持ちの方が強かった。そろそろ迎えに行く時間だと思っていると・・・

「おはよう」

妙に爽やかな笑顔で倉科が抱きついてきた。僕と一緒に学校に行くのがそんなに嬉しいなんて、彼も物好きである。ここは往来だから恥ずかしい。でも、その腕を払うつもりもなかった。だって・・・彼の腕の中は・・・って、僕は恋する乙女じゃないんだから。

「行ってきます・・・って倉科くんじゃないか。おはよう」

いつの間にか僕の後ろから抱きついていた倉科が、凍りついた。そりゃまぁ、男が男に抱きつくのは普通とは言えないけれど、普通にスキンシップだと思えばいいのに・・・。後ろめたいところがあるんだろうか。

「あ、ストップストップ。そのまま・・・動くなよ」

大急ぎで中に戻って行った。倉科は呆気にとられていて、動くなと言われただけでなくて、本当に動くことができなかった・・・。

で、再び出てきた父さんは、いきなり僕らを写真で撮ってしまった。何で恥ずかしいのを撮るんだと思ったけど、その倉科は喜んでいた(気がする)から、別にいいや。それに、この写真、僕にとって特別なものになりそうだから。この写真みたく、僕らがそんな関係になれればいいな。倉科のこと好きになれればいいな・・・これは、写真にこめた僕の誓いだった・・・。

 

「ふ〜ん・・・その写真にはそんな想いが・・・」

ちょっと照れくさそうに倉科が言った。あれから気の遠くなるほど長い時間が経って、倉科もいい年になり、僕はまったくの別人になってしまったけど、この写真に込められた遠き日の想い、夏樹歩の中の胸に秘められた黒木歩が倉科を追いかける気持ちは何も変わっていない。

(どうやら僕はあのときから君に恋していたみたいだ・・・)

今なら全て分かるよ。どうしてあの時あんな気持ちになったのか・・・。

僕には夏目という素敵な恋人、倉科には外山という素直じゃないけど一途な恋人がいて、違う人生を歩み始めている。今まで僕は彼を何度も傷つけてきた。だから本当はその資格はないのかもしれない。それでも、彼を想い続けることはやめないと思う。形のある恋にはできなかったけど、倉科が大好きなのは本当なんだ。

「君を・・・好きでいていいのかな・・・」

でも、何となく聞いてみる。倉科はこんな僕を許してくれるんだろうか・・・。倉科は何も言わなかった。でも、その瞳、僕の大好きな瞳が、何となくだけど、いいと言ってくれているような気がした。だから僕は耳元で囁いた・・・。

 

『大好き・・・』

 

世界で一番大事な人に、親友より愛をこめて・・・