鎮魂歌〜きっと、ずっと、永遠に〜

学校が休みなので読書をしていると、チャイムが鳴った。はいと言って出ると、そこには夏目がいた。そうだ、すっかり忘れていた。今日は彼が家に来る日だった。

「倉科先生、ひょっとして俺が来るのを忘れていたでしょう?」

「ひょっとしてでなく、すっかり忘れてたさ。ま、上がってくれ」

そう言って俺は夏目を家にあげる。うちには滅多に人を入れないから、新鮮というか、違和感がある。生徒を家に入れるのは、歩以来だったな。

「先生って本当に一人暮らしだったんですか?」

「そうだ。だから男を連れ込めたんだよ」

「・・・その言い方、他にありません?」

夏目が苦笑している。俺の口からそういった言葉が出たのが意外なのか。

「・・・ほんとはな、あそこから早く出たかったんだ。今もあいつの想い出の眠る街からな」

俺が一人暮らしをしているのは、一説によると男を連れ込むためだという。笑えるので時々それを利用させてもらうが、本当はそんな気軽なものではない・・・。身を切るような辛い物語なのだ。そうだ、今日呼んだのはあれの話をするためだった。

「歩の昔の話、聞くんだろ?」

そう、俺が呼んだのは、歩の話をするためだった。夏樹でない、黒木歩の・・・。夏目は前に、その話を聞きたいといった。彼は歩の恋人だから、話してもいいだろう。歩の元恋人から、新しい恋人へのプレゼントとしよう。だけど、その前に・・・

「ここに寝ろ」

夏目は動揺した。真っ赤になっている。実に面白い。

「ここって、ひざの上じゃないですか!あんた、そうやって男をたらしてるんですか!」

「ははは・・・お前と違ってたらしはしないさ。いつも丁重に断っている。って違う。あいつはこうされるのが好きだったんだ・・・」

そうやって俺が強引に夏目をひざの上に寝かせ、髪をすく。さらさらな髪が心地いい。

「確かに・・・あいつはどうもくっつきたがりますね」

「ああ、でも、黒木歩はそういうのが苦手だった。スキンシップというものはしなかったよ。だけど、俺にはこれを許してくれたんだ・・・。あいつ、こうやると幸せそうな顔をするんだ・・・。考えてみたら中学生がそんなことをやるのは変だけどな」

「でも、歩がそうしたがるのも、俺は分かるような気がします・・・。何かここ、すごく暖かい・・・」

夏目が無防備な姿をさらす。よくよくみると、可愛いものである。・・・そんな思考をするなんて、俺も随分年をとったものだ。

「どうしたんですか?」

「いや・・・あれから何年経ったんだろうな・・・」

 

俺と黒木、つまり歩は幼なじみだった。いつも何をするのも一緒だった。歩はおとなしくて、優しい子だった。クラスではあまり目立たなかったけれど、それでも俺にとっては特別だった。隣にいるだけで暖かい気持ちになれるんだ。だから、俺は知らない間に歩を好きになっていた・・・。そうはいっても、男同士だった。もし俺の気持ちを歩が知ればどう思うだろう。きっと俺に絶望して離れるに違いない。俺はどうしても言うことが出来なかった。なぜなら、歩は・・・。

「聞いてよ。また今日痴漢にあっちゃって・・・」

「そりゃ、大変だな」

「僕、そんなに男受けするのかな・・・」

彼は痴女ではなく、痴漢に狙われやすいんだ。少なくとも数日に一回は痴漢にあう。それが間違えられたからなのか、男だとわかっているかは分からない。だから、俺は想いを告げることがどうしてもできなかった。

「そういわれてもな・・・なんていえばいいんだ。やっぱり俺、迎えに行こうか?」

「いいよ。倉科に悪いし」

そう言っていつも断ってくる。俺は全然嫌じゃなく、それどころかそうしたいのに。この前迎えにいったら、いつもらしくない形相で怒られて、一週間口を利いてもらえなかった。

「本当に嫌なら嫌って言えよ・・・あぁ・・・心配だー!」

俺はいつも気が気でならなかったんだ・・・。

 

そんなことだったから、恋人なんか出来やしないと思っていた。だけど・・・。あの日歩は緊張しながら言った。

「僕、好きな人が出来たんだ」

好きな人・・・。俺はショックだった。歩は俺の手を離れてしまうのかという、寂しい思いと、自分の想いが永久にかなわないという、悲しい思いがごちゃ混ぜだった。

「俺の知っている奴なのか?」

「違うよ。秋本さんと言って、この前痴漢から僕を助けてくれたんだ・・・」

必死で抑えようとしたけれど、俺の声は震えてしまった。歩の好きな人の話なんか聞きたくない。でも、もし付き合っていないのならまだ望みはある。

「それで・・・付き合ってるのか・・・その、秋本さんと・・・」

「うん・・・。でも、男同士なんだ。やっぱり変かな・・・」

付き合っている上に、男なんて・・・。それじゃ俺にはもう望みがないじゃないか。歩には悪いけど、断固反対しよう。そうでないと、男だということで告白できなかった俺が情けない。だけど、それはどうしても出来なかった。歩が俺を見ていたから・・・とても悲しそうな瞳で。俺に拒絶されることを恐れているのだろう。俺は急いで笑顔を作った。そうでないと歩が傷ついてしまう。

歩は人の気持ちに敏感な子だ。何故か俺の感情に同調しやすく、特に、悲しみを見せでもしたら、歩は自分のこととして受け取り、傷ついてしまうのだ。だから、俺は歩の前では笑っていたい。歩の泣き顔なんて見たくない。

「別に、歩が選んだんなら、いいんじゃないか。男同士でも変だと思わないさ」

あの歩が選んだんだ。きっといい人なんだろう。それなら俺は諦めるしかない。

「ありがとう」

満面の笑みを見せた。やっぱり歩には笑顔が似合う。俺は真っ赤になってしまった。

「歩には恋人が出来たけど、俺たち親友のままでいられるよな」

恋人にはなれなくなったけど、まだ俺には親友という立場が残されている。恋人という立場が邪魔をするような悩みがあった場合、俺は歩を支えてやりたい。そのくらいは許してほしい。

「もちろん。僕からもお願いしたいくらいだよ」

歩の笑顔が見られるのなら、俺は自分の心を封じ込めてしまうことくらい簡単である。まぁ、それでも家に帰ったら泣いてしまったけど、逆に吹っ切れたようだった。

 

秋本さんが会社員だというのは幸いだった。土日は譲らなければならなかったものの、平日は独占できるからだ。俺は学校帰りに歩の家に入り浸るようになった。

「男に抱かれるってどういうことかな・・・」

は?一体何を言いたいんだ。それを理解するには、あまりにも急すぎた。

「う〜ん・・・分からん。だって、俺は分けるとしたら抱くほうだからな」

「・・・確かに倉科はそうかもね。それで、この前、秋本さんに抱かれたんだ」

俺はショックを受けるのを通り越して、呆れてしまった。そういう話は俺にされても困る。

「お前、阿呆か?」

「せっかく勇気出して言ったのに・・・そう言わなくたって」

「いや、勇気出されても困るけど。そういうのは恋人同士の秘密にしておいたほうがいいんじゃないかな」

「でも、倉科に隠し事はしたくないんだ・・・」

それとこれとは話が違うような気がするけど。だけど、歩は本気でいっているので、真っ向から否定するのは少しかわいそうな気もした。

「まぁ、歩がそうしてくれるのは嬉しいけど、それについては恋人同士で共有する秘密にしておいたほうが、付き合うときに面白いと思うぜ?秋本さんもそう思うんじゃないかな」

「そうだね・・・。やっぱりそれについては話さない方がいいよね」

何とか分かってくれたようだ。俺は安心した。一段落ついたのか、歩が催促するので、俺は歩をひざの上に寝かし、髪をすいてやる。

「お前、こうされるの好きだな」

俺が髪をなでてやるたびに、歩は幸せそうな顔をする。

「うん、こうしてもらうと落つくんだ・・・」

「だったら秋本さんにしてもらえばいいのに」

不思議なのはそこなのだ。俺じゃなくても、秋本さんにしてもらえばいいはずなのだ。俺としては嬉しいけども。

「秋本さんだと何か緊張して。それに、触られるのってあまり好きじゃないから・・・。だけど、倉科にこうされるのって全然嫌じゃない。すごく暖かいんだ・・・」

つまりそれは、一言でいうと俺を恋愛対象として全く見ていないということなのだが、まぁ、秋本さんでなくて、俺にしてもらうのが好きだと言われるのはとても嬉しいものである。幸せに浸っているうちに、歩は眠ってしまっている。無防備な寝顔だ。俺が歩のことをどう想っているかなんて気付いていないのだろう。大好きだよ、歩・・・。俺はこっそりと歩に口付けをした。起きているときにやりでもしたら、絶対口を利いてくれないだろうな。俺は苦笑するしかなかった。

 

思い出してみると、かなり危険なことをしていたことに気付く。俺がずっと親友でいられたのは、俺の想いに気付かなかったからだろうな。恋愛に関してはこれでもかと言うほど鈍い歩に俺は今更感謝した。そういえば、夏目は何もいってこなく、俺が一方的に話してしまったけど、よかったのだろうか。夏目を見ると、彼は寝ていた。人が想い出に浸っているときに、何寝てるんだ。起こすことにしよう。

「夏目、起きないとキスするぞ?」

「先生、俺を誘惑するつもりですか?」

効果抜群で、夏目が目を覚ました。ぼーっとした顔はかっこいいと言うよりはかわいいというほうに近く、夏目の一面を発見したようだ。

「せっかく人が思い出話をしているのに、寝ることはないだろう」

すると、夏目は照れながら言ってきた。

「仕方ないじゃないですか。気持ちよくてつい寝ちゃったんですから。でも、話は聞いてましたよ。夢の中まで入ってきましたから・・・。先生、本当に歩のことが好きだったんですね・・・」

夢の中で聞くなんて、出来そうでないことをするとは本当に器用なやつである。褒めてやりたいが、夏目は誤解しているところがある。

「好きだったんじゃない。今も好きなんだ。俺は夏樹歩と黒木歩の両方が好きなんだよ」

確かに黒木歩は過去の存在だ。彼は既に死んでいる。だけど、今でも俺は彼を愛している。今と昔の歩は別の人間だし、俺の心の中ではずっと死なないから・・・。

ふと時計を見ると、既に午後の八時を回っていた。

「どうする?送ってやろうか?」

夏目は考え込んでから言った。

「もし迷惑じゃなければ、泊めていただけませんか?」

「俺に食べられることは覚悟してるんだな?」

「はい。俺、先生が相手なら受けにまわっても別にいいです。早くしましょう?」

冗談で言っているのだろうが、そう返されるとすこし困る。

「面白いが、それはやめたほうがいい。もし俺たちが付き合うということになれば、歩は絶対に傷つく」

「そうですね。歩はきっと自分だけ置いてけぼりにされて、俺たちに裏切られたと思うでしょうね。でも、泊まるだけならいいんじゃないですか?卑猥なことさえしなければ」

どうしても泊まるつもりか。それなら仕方ない。

「そうだな。じゃあ俺はあいつに電話しておくから、お前は適当に着替えを探しておいてくれ。多分着られるのがあるはずだ」

俺は歩に電話しに行った。夏目を借りるということで、歩にはこっぴどくしかられたけど、何とか許してもらった。泊まることになった以上、夕食の用意もしなければならない。俺は台所に行こうとした。

「先生、これ歩のお泊まり用の着替えですか?」

どれだ?俺はそれを見に行った。そして見たものは・・・。

「懐かしいな・・・。それは歩が最期の前に着ていたやつだよ・・・」

 

歩が病気で学校を休んだときがあったので、俺は見舞いに行った。チャイムを鳴らすと母親が出た。

「あ、倉科くん。わざわざありがとうね」

「いえ、歩は大丈夫なのですか?」

「ええ・・・。何ともいえないわ。あの子部屋から出たがらないから・・・」

「そうですか・・・じゃ、この分だと会えないみたいですね」

おばさんは申し訳なさそうに言った。

「ごめんなさいね。今あの子誰にも会いたがらないから・・・。また遊んでやってくれる?倉科くんと遊ぶときすごい嬉しそうだから・・・」

歩と会えないのは残念だったけど、歩もがんばっているだろうから、俺も帰ることにした。だけど、おばさんが俺を呼んだ。

「こっそり見てみる?」

俺には断る理由もなかったので、ついていくことにした。

俺とおばさんは歩の部屋まで行った。入るよと言っても返事がなかったので、入ることにした。歩は寝ていた。布団の中で丸まっていたが、苦しそうにしていたことは俺でも分かった。俺は歩の隣に腰掛け、歩をさすってやろうとした。

「倉科!見ないで!」

歩に触れようとした瞬間に言われてしまった。俺は歩に拒絶されてしまった。

「ごめんな・・・。おばさん、俺・・・帰ります」

歩に拒絶された俺は、帰るしかなかった。俺は歩に拒絶されてしまった。ショックだった。見ないで・・・俺の頭の中をぐるぐる回る。当分俺は歩に会わないほうがいい。嫌われたくない・・・。

次の日、落ち込んだ気持ちを引きずったまま、学校へ行く支度をした。しかし、電話が鳴った。電話の相手は歩のおばさんだったけど、いつもと調子が違っていた。

「倉科くん!!今すぐ来てちょうだい!!」

「一体どうしたんですか!」

歩が入院したのだろうか。だけど、彼女が言ったのは想像を絶することだった。

「歩が・・・歩が・・・自殺したのよ・・・」

歩が自殺、そんなの信じられなかった。当然だろう?親友が死ぬなんてどうして考えられる?きっとただ眠っているだけだ。俺は急いで歩の家に行った。チャイムも鳴らさずに入り、人の声がするところへ向かった。そこでは一人の男性が歩を抱きしめて泣いていた。彼を見たことは一度もなかった。一体誰だろう。ひょっとして・・・。その人が歩を離したので、俺は歩の元へ寄った。歩は全身から血の気が引いていた。そして手首には、切り傷が・・・。しかし俺はそれを見ないようにした。きっと歩は貧血で倒れているのだろう。そして意識を失っているに違いない。俺は歩を揺さぶった。

「おい、目を覚ましてくれよ、歩!眠っているだけだろ!おい・・・起きろよ!」

何度も俺は呼んだ。だけど、歩は目を覚ますことはなかった。当然俺は認めたくなかった。

「ははは・・・嘘だよな。これは夢だよな。俺が目を覚ましたらお前は笑ってるよな。そしていつものようにおはようって言ってくれるよな!」

本当は知っていた。歩が永遠に目を覚ますことがないということを・・・。歩の体は冷たかった・・・。それと同時に、俺の心も冷たくなった・・・。

「・・・分かってるよ。お前の笑顔がもう見られないということは」

俺は歩を抱きしめた。歩に力が入っていなかったので、彼がもうこの世の存在ではないということを改めて感じさせられた。俺は声が出なかった・・・。その代わりに、涙が出てきた。親友がこんなに早く死ぬなんて、誰が想像できただろうか。歩はずっと俺と親友でいてくれていると思っていた。だけど、俺は歩が死ぬのを止められなかった。なんて無力な存在だったんだ。ごめん・・・もっと俺がしっかりしていれば、お前を守れたのに。許してくれ・・・。全ては俺のせいだ・・・。

 

救急車が着いて歩を運んでいったあともしばらく泣いていたが、おじさんが涙目で言った。

「倉科くん、君は学校に行ってくれ!」

俺はどうしてもここから離れたくなかった。歩が帰ってくるのを待っていたかった。

「お願いだ・・・。辛い気持ちは分かるが、もし君が行かなければ、歩が苦しむ」

頭まで下げられたので、俺は学校に行くしかなかった。だけど、その日は頭の中は真っ白で、学校で何があったかは全く覚えていなかった・・・。そして学校の帰り、見覚えのある人物がいた。

「あなたは・・・」

「君は朝の・・・。やっぱり同じ学校だったか」

「はい・・・。ところで、あなたは歩の何ですか?」

彼が誰だかは予想がついている。歩を失って苦しいのは一緒だろう。でも、俺はどうしてもその人の口から聞きたかった。彼はしばらく苦しんでいたが、決心して言った。

「俺は、歩の恋人だ」

前は聞きたくなかった言葉のはずなのに、今はそれがとても嬉しい。俺の大好きな歩が好きだった人が、それを言ってくれたから。俺は泣き笑いしながら言った。

「ありがとうございます。そう言ってもらって、きっと歩も喜ぶと思います」

 

俺が泣き止んでから、その人、秋本さんと一緒に歩の家に行った。俺たちは、歩の想い出の眠る部屋で歩を偲んだ。

「あいつ・・・なんでこんなに早く・・・」

「俺のせいかもな。歩が苦しんでいることに気づいてやれなかった・・・。恋人失格だな」

秋本さんがこぶしを握り締めて悔しそうに言う。

「そんなことないですよ・・・」

俺はそれしか言うことが出来なかった・・・。秋本さんのほうが苦しい以上、どんな言葉も気休めにしかならないから。

「まさかこんな形で別れるとはな・・・」

「そうですね・・・」

重く、冷たい空気が二人の間を流れる。お互い初めて会ったが、それでも二人にとって、それだけ歩の存在は大きかったことは伝わったのだった。

 

それから通夜も告別式も淡々と進んでいった。泣きたいのをこらえ、俺は歩を見送ろうとした。だけど、本当の最期の別れのときに俺は耐え切れなくなってしまった。笑っていたいのに、どうしても涙があふれてくる。すると、秋本さんが俺を抱きしめた。

「無理して笑おうとするな・・・。辛いんだから、泣け」

俺は秋本さんの胸で泣き続けた。そのせいで、歩に最期の別れが出来なくなったけど、それはそれでよかった。きっと秋本さんも同じで、自分で別れたくないんだろう・・・俺を抱きしめるその腕は、わずかだけど震えていた。好きな人とは別れたくない。それが、現実を見ないことだとしても、誰がそれを責められようか・・・。

 

全てが終わり、俺は家に帰ろうとした。一刻も早くここから離れたい。だけど、おじさんとおばさんに呼び止められた。

「倉科くん、これをもらってちょうだい」

そう言って紙袋を渡し、俺は中を見た。これは・・・。

「歩が最後に着たパジャマよ。あの子、これがすごい気に入っててね。私たちが持っているより、あなたに持っていて欲しいの・・・」

それは俺が歩の14歳の誕生日に小遣いをはたいて買ったやつだった。それを渡すと歩は喜んでくれたんだった。だけど、今となっては歩の俺があげたパジャマを着る姿はもうみられない・・・。

「ごめんなさい・・・俺、受け取れません。歩の想い出の詰まるものだから・・・。おばさんたちが持っておいてください」

どうしても俺は受け取りたくなかった。親友を永久に失って心が壊れそうなのに、俺と歩の思い出が詰まるもの、しかも最期の前の日に着ていたものをもらったら、俺はずっと立ち直れなくなる。思い出すたびに泣いてしまう・・・。だけど、しばらく沈黙を守っていたおじさんが口を開いた。

「すまないな。それは君が歩に贈ってくれたものだったな。あいつ、14歳になった日、君が帰った後でそれを握り締めて泣いてたんだよ。だから、パジャマがそんなにほしかったのかと聞いたんだ。まぁ、君には失礼かもしれなかったけどな。歩は何と言ったと思うか?パジャマそのものじゃなくて、君が自分のために買ってくれたものだから特別なんだ、って言ったんだ。だから、あいつのものの中でも、これは特別だ。子を亡くした親の我侭だと思って受け取ってほしい。君が持っていてくれれば歩は喜ぶ。

それで、頼みがあるんだ。歩はあのようなことになったけど、ずっと忘れないでやって欲しい。君にとってはそれが地獄であることは知っているが、昔、自分で自分の命を絶ったあほな子がいた位でいいから覚えておいて欲しいんだ」

俺は震えながらそれをもらった。歩が特別に思ってくれたのが嬉しかった・・・。常に歩を思い出して辛い日々が続くだろうけど、それでも歩を忘れはしない。これから未来があるというのに生きられなかった歩、その歩を精一杯愛してきたご両親、そして、俺のために。そう決意した俺だった・・・。

 

「ずっと見つからなかったのに、今になって見つかるとはな・・・。これも何かの運命なのかもしれないな」

夕飯を食べながらつぶやく。忘れていたわけではなかったが、ふと見たくなったときに探しても見つからなかったのだ。

「考えてみると、俺って幸せすぎですね」

幸せすぎとはどういうことだ?俺は聞いた。

「だって、先生は大好きな人、つまり歩に死なれたんですよね。その苦しさは俺にはわかりません・・・。それに、せっかく会ったのに・・・。

それに比べ、俺なんか、歩は生きてるし、恋人として俺の隣にいるし・・・。先生に比べると幸せすぎて時々申し訳なくなる・・・」

やれやれ、どうやら俺から歩を奪ったことを今でも負い目に感じているようだ。そんなに気にしなくてもいいのに・・・。それに、夏目は重大かつ致命的な勘違いをしている。

「幸せって他人と比べる意味があるのか?自分には自分の、人には人の幸せがあるはずだ。だから、俺と比べることはない。それに、お前たちは幸せになるべきであって、幸せすぎると言うことはないんだよ。

お前は俺を不幸だと思っているようだが、そんなことはない。俺は歩が再び俺の前にいて笑ってくれるのがとても幸せなんだ。それに、歩が幸せになるということは俺にとっても幸せなことなんだ・・・」

恋人を奪われたとしても、俺の言葉に嘘偽りはない。歩を幸せにできるのなら、俺じゃなくてもかまわない。それが偽善や、恋愛じゃないというのなら、そう言えばいい。これが俺の生き方だ。とはいえ・・・

「俺が歩の幸せを願うからって、やすやすと他人に渡すと思ったか?お前だから渡したんだよ・・・」

俺が歩を諦めたのは、相手が夏目だからだ。ずっと側にいた夏目なら、きっと歩を幸せにしてやれる。夏目は食事を止め、俺に頭を下げた。

「ありがとうございます・・・。歩を大事にします」

「大事にしてやってくれ・・・。俺は歩には手を出さないから」

「え?先生らしくないですね・・・」

俺らしいというのは何なんだ。ひょっとして俺が男を食いまくる奴だと思っているのか?

「いや・・・あいつに怯えられたからな・・・」

恋人として付き合っていた時に俺が歩を押し倒したら、歩は俺を見て怯えた。それは俺の頭の中から離れないし、心の傷としていまだに消えることがない。そのせいで歩ともあまりスキンシップが出来ない。もし再び怯えられたらと思うと、性的なことも言えない。

「好きなやつに怯えられるって、正直きついぞ・・・」

「そうですね・・・。後でしっかり言っときますから」

「お前は俺の傷を癒してくれるのか・・・」

「・・・先生?俺まで食事にするつもりですか?」

「ふふ・・・冗談だ。そういえば・・・あれから歩に会ったんだった・・・」

「え?」

 

それから数日食事がのどをとおらなかった。学校では平静を保っていられても、家では泣いてばかりだった。それだけ歩がいなくなったのは俺にとってショックだった。このままではだめだから、立ち直らなければとは思ったけど、そうしようとすればするほど、俺は深い暗闇へ沈んでいった・・・。しかし、暗闇の底に達した日、ふと暖かくてやさしい何かが俺の近くにあったような気がした。まさか歩が?誰もいなかったけど、見守ってくれているような気がした。馬鹿だな、俺。こんなに沈み込んでいたら、歩だって安心して逝けないではないか。それに、俺の中には、まだ歩は生きている。そんな大事なことを俺は忘れていた。歩、お前のおかげで俺はもう大丈夫だ。だから、安らかに眠ってくれ・・・。

 

歩がこの世界の住人でなくなってから三年、そろそろ三回忌だったが、別に何もすることはなかった。歩の遺書に、死んでく自分が悪いので、そういうのはやらないでくれとあったらしい。本人最後の願いと言うこともあって、命日にもこれといって何もする予定はなかった。だから俺はその前日ぶらぶらと歩いていた。すると、空中になにやら見覚えのある影を発見した。歩を失ったショックで、とうとう俺も幻覚が見えるようになったか。そう、そこに見えたのは、歩の幽霊だった。俺は生まれてこの方幽霊など見たことはない。でも、幻覚じゃなかった、歩だ。俺は声をかけてみた。

「歩・・・歩なんだな」

それはしばらく俺を無視していたが、もう一回呼ぶと自分のことだとわかったようで、俺のほうを向いた。

「あ、倉科!ひさしぶり〜」

不気味なくらいハイテンションだった。だけど、嬉しそうにしているのが俺には嬉しかった。とはいえ、俺は幽霊との話し方がわからなかった。

「ここで話すのは恥ずかしいんだけど。俺の家に移っていいか?」

 

そういうわけで俺たちは家へ向かった。歩が俺にくっついていたため、そういうものが見えるような人は、慌てて俺から離れた。

「見て。みんな倉科から離れてくよ」

「俺よりもおまえを見て逃げるんじゃないか」

「そういわれるとショックだな・・・」

ほんのちょっと落ち込んだ様子を見せる歩。声をかけようかと思ったが、そうする前に家についてしまった。あがるよう促して、俺の部屋に行く。

「ここ、前と変わらないね」

懐かしそうにする歩。その顔は寂しそうにも見える。

「そうかもな・・・」

俺は前に進むことにしたけど、この部屋はあまり変わらなかった。変えてしまうと歩を忘れていくような気がしてどうしてもできなかった・・・。しばらく懐かしんだあと、歩が口を開いた。

「どうして僕のことが見えたの?」

「さぁ。俺にもさっぱり・・・。ひょっとして、愛のなせる業?」

どうして俺に見えたのかは、本当にわからない。だから、茶化すように言った。そうしたら、しっかりと笑ってくれた。向こうが冗談と思っているのが少し寂しかったけど・・・。歩にはつらい思いをさせるとわかっていたけど、この際だから質問することにした。

「なぁ・・・答えにくいとは思うけど、どうして・・・」

結局最後まで言えなかった。命をかけたほどの問題である。歩に答えさせるのはいくらなんでも残酷だろう。だけど歩は、

「いいよ。教えてあげる。倉科には迷惑をかけちゃったからね・・・。僕、レイプされちゃったんだ」

歩の話をまとめるとこうなる。歩は同級生に裏庭につれて行かれ、レイプされた。そのため、精神的苦痛で寝こんでしまった。俺が来たのはちょうどそのときだったのだ。それなら俺を拒絶したのもわかる気がする。そして、親と秋本さんに遺書を残し、風呂場で手首を切ったという。

「どうして俺宛に遺書を残さなかったんだ?俺のも見たかったのに・・・」

「こういう話のあとで言うことかな・・・」

歩はあきれていた。

「このあとだからだよ・・・。でなければ俺だって・・・」

最後まで言えなかった。俺は上を向いた。そうでもしなければ、涙がこぼれそうだった。俺ばかりがつらいと思っていたけど、本当は歩の方がずっと苦しんでいたのだ・・・。レイプ、この事実を誰にも相談できずに、一人で抱え込んでいたのだろう。なのに、俺は歩に何もしてやれなかった。悔しい気持ちと、申し訳ない気持ちと共に、俺の目から涙があふれた。歩の顔が悲しみにゆがむ。

「ごめんね・・・。倉科にはつらい思いさせちゃったね」

俺は急いで笑顔を作った。歩に負い目を感じさせたくない。それに、

「歩が死んだのはつらいけど、今こうして会えたからいいや」

まだ涙が残っていたから、それをごしごしとぬぐった。すると歩はそれを見て考え込んだ。一体どうしたんだろう。

「そういえば、秋本さんのことを話したときも今みたいなことがあったけど、あの時はどうしてそんな顔をしたの?ずっと気になっていたんだ」

痛いところをついてくる。ずっと心に秘めていたけど、今ならもう答えてもいいか。すでにこれは時効だろうから・・・

「俺は歩のことが好きだったんだ。だから、秋本さんが好きだと聞いたときはショックだった。だけど、それを話しているときのお前は真剣だったから、反対できなかったんだ。だから俺はお前を応援することにしたんだ。まぁ、それからのお前は幸せそうだったら、そうして正解だったけどな」

わざとおどけて言ってみた。歩がつぶやく。

「だったらどうしてそれを・・・」

俺はこぶしを握りしめて言った。

「だって、男同士だろ。歩はそういうの嫌いだから、言えるわけないじゃないか。言ったところで、気持ち悪いといわれるだけだと思ったんだよ。そうなるくらいなら、親友としてそばにいるほうがいいと思ったんだ・・・」

歩が泣きそうになって謝る。

「気づかなくてごめん・・・。信じてもらえないだろうけど、僕、倉科に言われても、いやじゃなかったと思う。でも、この身体だから、つきあうことはできないんだ。たぶん無理だろうけど、もし生まれ変わることができて、お互い覚えていたら、そのときはつきあおうよ」

きっとそれはずっと片思いをしている俺に対する心配りなのかもしれない。だけど、俺の想いが否定されなかったのが何より嬉しかった。俺は微笑んだ。

「ああ、お前が俺のところにくるのを待ってるよ。ずっと、いつまでも・・・」

歩がそう言ってくれるのなら、俺はいつまでも待つ。例え二人が会えなかったとしても。

「そういえば、明日はお前の命日だけど、一緒にいくか?」

「そうだったの?すっかり忘れてた」

あっけらかんという歩。それは生前からは全く想像できない。俺は呆れてしまった。

「お前・・・自分の死んだ日くらい覚えておけって」

「もちろん、自分が何日に死んだかは覚えているよ。だけど、今日が何日かは覚えていないんだ。長い間さまよっていたせいで、感覚が鈍っちゃったみたい。でも、行くよ。逃げるわけにもいかないから・・・」

俺は一瞬歩が輝いて見えた。自分から逃げずに、全てを受け入れようとしているのだろう。・・・と思ったが、それは一瞬のことで、すぐに拗ねてしまった。仕方ないから俺は笑って許してやった。

 

そういうことで次の日、俺たちは墓参りに出かけた。墓に添える定番のやつを買おうかと思ったけど、歩はそういうのよりも暖かい色を好むと思ったので、俺はそういう花を見繕ってもらった。

墓には既に人がいた。一人は秋本さんだ。この日を覚えていてくれたのか。もう一人は、誰だろう。きれいな顔の男性だ。秋本さんよりも背が低い。だけど、その人はしばらくしたら帰ってしまった・・・。そして、秋本さんがこちらに気付いて向かってくる。

「ああ・・・君は、あの時の・・・」

俺は名前を言っていなかったので、何と呼べばいいのか悩んでいた。

「倉科といいます。自分で言うのも変かと思いますが、歩の親友でした。と言っても、今でも親友だと思っていますけど」

すると秋本さんは納得した様子を見せた。

「あぁ、君が倉科くんか。歩から聞いていたよ。まぁ、あれより前に会った事もなかったし、名前を聞かなかったから、君だとは思わなかったけど・・・。いつも楽しそうに君の話をしていたよ。それほど仲がよかったんだね」

懐かしそうに秋本さんは話した。俺は少し恥ずかしかった。歩が向こうで俺の話をしていたなんて思わなかった。

「あいつ、俺の話なんてしてたんですか?」

「あぁ、本当に幸せそうに話してたよ。きっと、君がいたから歩があんないい子に育ったんだろうな」

「いや、そんなことはないですよ」

「そうか?以前にその倉科くんを紹介して欲しいといったら、あいつは拒否したんだよ。なんて言ったと思うか?」

秋本さんが笑いをこらえて言った。一体なんだと言うのだ。

「ふふふ・・・『倉科は渡さない』、って言ったんだ。彼は僕のだから手は出させないってね。いつものあいつからは想像できなかったよ。全く、恋人は俺だと言うのに・・・」

なんてことを言ったんだ。俺は歩をこっそりと見た。横で相当うろたえている。俺に聞かれたくなかった話だったようである。まぁ、そんな歩は放っておいて、俺たちは勝手に歩の話しで盛り上がった。本人がいるのに、大部分が悪口だったけど・・・。それでも俺たちは歩のいた日々を懐かしがった。

「歩のことをずっと想い、愛しつづけてもいいですか?」

俺は、ずっと考えてきたことを言った。秋本さんがそれに反対することくらい、覚悟していた。だけど、彼の答えは意外なものだった。

「あぁ、俺からも頼むよ。俺が想い続けるには限界があるからな・・・。それに、歩は独りなんかじゃないということをわかってほしいから」

「ありがとうございます・・・。生まれ変わることができて、俺と会ったらそのときは・・・」

これは俺だけの想いではなかった。いつのまにか歩が俺の中に入ってきたので、二人分の想いを口に出したのだ。だから、俺は緊張しきって震えてしまった。すると、秋本さんが俺を抱きしめてくる。

「ごめんな、幸せにしてやれなくて・・・。今度こそは幸せになれよ、歩」

まさか歩のことが見えていたのか?だけど、それを指摘するひまもくれずに、秋本さんは「歩を頼む」とだけ言い残して去っていた・・・。俺は再び分離した歩を見た。すると、彼の姿がどんどん薄くなっていった。それを指摘すると、

「あ、ほんとだ。心残りがなくなったからだろうね・・・」

「心残り?」

「うん・・・。僕は死ぬのは平気だったけど、誰かに自分のことを覚えておいてほしかったみたいなんだ。でも、秋本さんと倉科が僕を覚えていてくれて・・・嬉しかった。未練もなくなったから、いくね」

「さよならなんて、言わないからな」

今度こそ、「歩」との本当の別れだ。だけど、別れの言葉を口にしたら、歩は永遠に俺の前に現れない、そんな気がした・・・。

「うん・・・僕もだよ。倉科・・・ありがとね」

そう言って俺たちはキスをかわす。これは、別れのではない。再び会おうという、誓いのキスだった・・・。

そろそろ歩の実体がなくなってきたので、俺は笑って見送ることにした。だけど、その意思とは関係なく、俺の目から止めどなく涙があふれてくる。俺はもうそれを隠そうとしなかった。自分を偽りたくはない。

「倉科、もし次に会ったら僕を・・・君のものに・・・」

それだけを言い残し、満足した表情で、歩は目をつぶり、消えていった・・・。

 

俺は大学に進学した。それを理由に、家を出て一人暮らしをすることにした。それから必死に勉強して、奇跡的にも教員の免許が取れ、その上採用されることになった。別の高校に勤務していたが、30前になって自分の母校でもある清風高校に戻ってきた。歩と一緒に行くはずだったこの高校に、俺はそこに一人で行き、一人で戻ってきた。もし歩が来るのならば、きっとここを選ぶだろう、そんな予感がした。今年俺は担当のクラスを持つことになった・・・そして。

 

「そういう感じだったな。俺と歩の思い出は・・・」

月を見ながら俺はつぶやいた。今夜は天気がよく、空が澄んでいる。今、こうやって歩の恋人と一緒に話す時が来るだろうと、誰が想像しただろうか・・・。

「ふっ・・・俺は歩に何もしてやれなかったと、今更ながら思い出すよ・・・」

別に自嘲的に言ったわけでない。ただ思い出として話しただけである。だけど、それをどう受け取ったのか、夏目が俺に寄りかかる。

「いや、何もしてやれなかったということはないと思いますよ。先生は歩の中で大きな存在ですから・・・。もし先生が歩の支えになっていなかったら、きっと歩は先生を探しなんかしませんでしたよ・・・。悔しいけど・・・俺も、何で歩がそこまで先生に執着しているのか、分かるような気がします・・・」

俺はそこまでされるほどの人間だったんだろうか。自分のことはよく分からない。

「先生って・・・何か暖かい・・・」

そう言って俺に抱きついてくる。しかも、妙に色っぽい。

「お前・・・俺を誘惑しているのか?」

「そう思いたいなら、そう思っても構いません。先生が歩の側にいてくれるのなら、俺の体をあげます・・・」

なぜここまでして夏目は俺と歩を離さないようにしたいのだろうか。だけど、そんなことはいい。夏目は自分の体を俺に奉げようとしているのだ。これを見逃すつもりはない。俺は夏目を押し倒した。もしこれを歩が知れば、きっと俺たちは元に戻れないだろう事は知っていたけれども・・・。

「安心しろ・・・優しくしてやるからな」

「はい・・・だから、早く俺の中に来てください・・・」

少し赤みを帯びた顔で夏目が言う。俺は夏目の服を脱がしていった。しなやかで引き締まった体があらわとなる。だけど、夏目は抵抗しない。体中に愛撫を施しつつ、下着が一枚になったところで、いい加減俺は呆れてしまった。

「夏目?俺はどこまでボケればいい?」

夏目が色っぽい顔で少し考えてから言う。

「もう少し進んでもよかったと思いますよ」

「それじゃ、最後までやるか?」

「そうですね。先生をよくしてあげます」

そう言って夏目は最後の一枚までも脱ごうとするが・・・そこでやめた。

「やっぱり俺たちが抱き合うと考えると変なものがありますね」

「確かにな」

お互いに苦笑した。俺たちはお互い攻キャラであるため、違和感があるのだ。それはともかく、夏目が急に真剣な顔になった。いつの間にか服も着ている(しかもパジャマ)。

「俺たち三人じゃだめなんですか・・・」

「どういうことだ?」

「俺たち二人で歩を幸せにしてやるんです」

そういう考え方もあったのか。歩には誰よりも幸せになってもらいたい。俺が歩を幸せにできるというのなら・・・。

「だけど、お前はいいのか?」

恋人なら独占したいのは当然だ。つまり、俺が割り込むと、夏目は歩を独占できなくなる。そこのところは分かっているのだろうか。

「他の男だったら、いくら歩を幸せにできたって絶対に許しません。倉科先生だから言うんです。歩を本当に愛している先生だから・・・」

「そうか?それなら容赦しないけど、いいのか?」

「別にいいですよ・・・」

それから本当にわずかな声で続けた。

「でも・・・先生と一緒にいたいのは歩じゃなくて・・・」

そういったところで夏目は真っ赤になり、慌てて咳払いをした。歩じゃなくて何だ。それが気になってしょうがない。

「そんなことはいいですから、もう寝ましょう」

ふと時計を見ると、何時の間にか日付が変わっていた。俺は一体何時間話しつづけたのだろうか。思わず苦笑してしまう。夏目も夏目で、ずっと聞きつづけていたのだから、大したものである。一般の学生が寝るのには少し早いかと思ったが、俺たちは寝ることにした。一人暮らし故に、ベッドは一つしかなかったため、夏目をそこに寝かし、俺は下で寝ることにした。だけど、俺の布団の中に夏目が侵入してくる。

「どうしてそこに入る?ベッドに戻れ」

「いいじゃないですか、細かいことは気にしないでください」

ぜんぜん細かくないと思うが。それに、俺は一応男である。未成年のやつが俺と同じ布団で寝るというのは、ちょっと困る。そんな俺の苦悩を尻目に、夏目が言う。

「俺・・・一人っ子だから、ずっとお兄さんがほしかったんです。弟みたいのはいますけどね。だから、もし兄がいれば、先生みたいな人がいいなんて・・・」

なるほど、やっと俺は納得した。普通恋敵ならば、こうも馴れ合わないだろう。だけど、夏目は俺を兄みたいに思ってしまったのだ。それは仕方ないのかもしれない。夏目は一人っ子だと聞いたことがある。だけど、歩のお守りで甘えることができなかったのだろう。それで必要以上に大人になってしまった、と。でも、ちょっと残念。

「別に俺に恋愛感情はもっていないんだな・・・」

「えぇ、それは歩だけなので。でも、先生は好きです。あ、歩には黙っておいてくださいね。あれは、どんな好意でも自分以外に向けられたくないみたいですから」

そういって夏目は苦笑する。俺も苦笑してしまった。

「それこそ禁断の愛だな・・・」

「冗談ですよ。それじゃ、おやすみなさい・・・」

俺に抱きつきながら、数秒も経たないうちに眠ってしまった。俺は歩しか愛さないつもりでいたけど、夏目になら少しくらい愛を分けてもいいか、なんて思ってしまった。まぁ、そうは言っても歩が一番であることには変わりないのだが。

「おやすみ・・・」

俺は夏目の額にキスをして静かに眠った・・・。

 

いつものように目覚ましなしで目を覚ました俺だったが、目を開いたらいつもと違う光景だったので戦々恐々とする。そこには・・・歩がいた!

「あ、歩!えっと・・・これは、その、つまり・・・」

俺の隣で夏目が眠っていることをどう説明したらいいだろうか。しかも、抱き合っていたのだ。これはつまり、歩はそういう意味に捉えてしまうわけで・・・。うまく説明しないと、歩が爆発する。きっと俺の人生はここで幕を閉じてしまうのだろう。だから、必死に言い訳を探した。だが、そういうときに限っていい言葉が思いつかない。だけど、歩は俺には目もくれなかった・・・。

「夏目!」

ん〜と呻いて夏目が動く、寝ぼけているのか、さらに俺に抱きついて、顔をうずめる。

「もっと寝かせて・・・」

そんな悠長なことを言っている場合ではないと思うが。浮気したと思って怒るぞ、これは。

「今すぐそこをどいてっ!そこは僕の場所なんだから!」

はい?どうも怒っている理由が夏目の浮気ではないようだ。俺は混乱したが、夏目はいつの間にかしっかりと起きていて、さらっと返す。

「倉科先生とは付き合っていないんでしょ?だったら俺が先生と浮気をしても問題はないんじゃないの?」

浮気自体に問題があると思うが。だけど、二人の争点は浮気ではなくて、俺にあるようだ。

「いくら夏目でも、先生は渡さないよ」

「それは歩の都合でしょ?先生がどう思うかの方が大切だと思うけど。昨日の先生は激しかったんだから・・・」

それを聞いた歩の顔が一気に蒼白になる。そんなことを言っていいのかと思いつつ夏目を見ると、どうやら何か考えがあってのことらしい。口の端だけをあげて笑っている。面白い、俺も付き合おう。

「そんなことないでしょ?先生?まさか夏目と・・・」

「昨日の夏目は可愛かったな・・・。激しくおねだりをして大変だったよ・・・。いつもと違う夏目が見れてよかったな」

俺の言うことは間違っていない。だけど、歩は曲解してくれたようだ。

「うそ・・・先生と夏目がそんな関係にあったなんて・・・。付き合うならせめて他の人にしてほしかった・・・」

「ほかの人と浮気している間に先生を独占しようって言うんだね。だけど、歩に先生は渡さないよ。先生は俺のものだから」

歩も負けてはいなかった。

「先生、僕の全てをあげるから、夏目なんかとくっつかないでよ」

なんだか俺を差し置いて勝手にもりあがっている。いい加減俺も耐え切れなくなった。

「お前ら・・・俺で遊んでるな?」

俺を使って痴話喧嘩をしているんだろう。そんな彼らは放っておいて俺はベランダに出た。歩争奪戦から、いつの間にか俺の争奪戦になってしまった。俺はどっちを選べというのか。そんなことを思っていると、二人が一緒に来て俺に抱きつく。

「俺としては不本意だけど、歩と共有することにしました」

「そういうことだからよろしくね」

「つまり、俺と先生で歩を共有するってことにもなります」

なんとなくそれで分かった。きっと夏目は歩と、俺を争奪するように見せかけて俺と歩の仲を接近させようとしているのだろう。夏目の心遣いは嬉しいが・・・。

「俺の都合を考えろ!」

俺の叫びが空しく部屋をこだました・・・。