その31

「先生に好かれて嫌な人なんか・・・いません」

うつむき、小声で臼井は答える。ここまで直接的な話に戸惑っているのが、痛いほど解る。
もともと少年は恋愛が苦手なのだ。答えの想像は容易いのに・・・俺も嫌な大人だな、心の中で言いつつ、次の言葉を口に出す。


「そうか・・・。そう言ってくれると嬉しいよ。どうやら俺は臼井のことが・・・言わなくても分かっているとは思うけど・・・」

後半の部分は少し逃げも入っているかもしれない。



「もし嫌でなければ・・・言ってください・・・」



言わなくても分かる・・・それは自分勝手な話でしかない。
それが出来れば理想でもあるが、形にして、言葉にして伝えなければいけない想いだって確かにある。
もし自分が高校生のころに気づいていれば・・・無意味な仮定はやめることにした。
今必要なことは、過去を振り返ることではない。未来へと進むことだ。黒沢の重い口が開いた。


「好きなんだと思う。だけど、先生は教師で、男、そして臼井は生徒で男だ。この意味が分かるよな」

念を押すように言ったので、臼井の身体が小刻みに震えている。今すぐ逃げ出したいが、あまりにも傷つきすぎて、動くことすらできなかったように見える。
黒沢ももっと直接的な表現をすべきだと思ったが、真剣に考えている以上、時間をかけて諭す必要があった。だから臼井の頭をゆっくりとなで、優しく話す。


「だから、俺たちはもっと時間をかけるべきだと思うんだ。今すぐ恋人になるんじゃなくて、いや、なりたくないといったら大嘘なんだけど・・・俺だって男だし・・・」

後半にかなり本音が混ざっていることに気づき、慌てて咳払いしながら続ける。

「で、とにかく、ゆっくりとお互いを知っていくべきなんだと思う。そして、お互い卒業しても好きでいられたら・・・その時は・・・





俺と付き合ってくれますか?







少年は即答しなかったが、別に焦ることもなかった。その場限りの判断で回答してほしくなかった。
本気で臼井のことが好きだからこそ、じっくりと考えて、答えてほしかった。あえて、教師と生徒の関係から逸脱するのだ・・・。


人を好きになるのに時間は関係ないが、つながりを確固としたものにするには、それぞれにあった時間が必要だ。
波長はそれなりにあっているとは思うが、年齢の差は大きい。黒沢も何も考えずに突っ走れるほど、若くはない。だから彼は急がない。

「そんな口約束、信じられないです」

だが、臼井の答えは「YES」ではなかった。いや、かなり近いものではあるが、まだ引っかかっている部分があるように感じる。
それを取り除いてあげなければ、前には進めないだろう。落ち着いて彼は続きを待つ。


「そうか。なら、どうすればいい?」

その問いに臼井が詰まる。困ったように黒沢を見たが、彼は視線をそらさなかった。助けの手を差し伸べるつもりはなかった。臼井自身で出した答えを聞きたかった。

「もし本気で言っているのなら・・・抱きしめてください」

それが彼の望みなのだろうか?言葉だけで信じることが出来ないのなら、身体全体で伝えてあげればいい。彼が不安に思わないよう、言われたとおりに抱きしめてやった。
すると臼井は、背中に手を回し、ぎゅっとしがみつく。


「本当に・・・俺でいいんですか?」

「そうだな。それについては考えたよ。でも、やっぱり臼井じゃないとだめだな」

力いっぱい抱きしめる。





「俺も・・・先生が・・・好き・・・」





腕の中で臼井が小さくつぶやいた。それは本当にかすかなものだったが、しっかりと黒沢の耳に届く。

「でも、俺は『おっさん』だぞ?」

ずっと望んでいた言葉だったが、実際に聞くとかなり照れくさい。照れ隠しに一言放つと、腕の中で小さく吹き出すのが聞こえる。クラスでその会話をしたのを思い出したらしい。

「・・・おっさんである以前に、男であるほうが・・・」

確かに。黒沢は苦笑する。それに比べれば、年齢などほとんど関係ないのではないか。

「あと二年かぁ・・・」

「長いか?」

しみじみとつぶやく臼井に聞き返す。



「いえ・・・ちょうどいいのかもしれない。どうせ俺も諦めるつもりないし」



それだけ言って少年は顔を埋めた。長くなりそうな恋だが、不思議と不安はない。
着々と歩くのが楽しみだが、たまにはスリルがあってもよさそうだ。
ひょっとしたらバランスが崩れるのはもう少し早くなるかもしれないけれど、その時はそのとき・・・期待に似た覚悟ができている。





神様の悪戯は気まぐれに起こるものなのだ。



END




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