10.最終話
そんな広岡の心のうちに気づいているのだろうか。三上は淡々と恐ろしいことを言った。
「そりゃ、死ねるけど・・・俺の目の前で死なれると後味が悪いんだよ」
「嘘おっしゃい」
「嘘じゃないぞ」
「ふふ、別に目の前じゃなくても」
うぐっ・・・。広岡は詰まる。だが・・・ふと思った。
「まさかお前止めてほしいとか?」
本当に死にたいのなら、目の前で飛び降りればいいのだ。
別に後のことを考える必要は全くない。でも、べらべら喋るということは、何か心残りがあるのだろう。
それが広岡の希望だったのだが、ヘタレの希望はすぐに潰えるものである。
「全然」
と即答されてしまったので・・・。
「つまんない。どうせなら嘘でもそう言ってくれればいいだろう・・・」
と、人が聞けばあきれ果てそうな愚痴を言ったが、巨大な殺気に包まれ、沈黙する。
「何かムカついたんですよ。人を口説いたあいつは勝手に死んで、口説かれた俺は、のうのうと生きている。理不尽でしょう」
「ま、まぁ・・・な」
心の中で守谷に同情した。先にちょっかいをかけたのは守谷なのかもしれないが、この分だと三上は逆に迫ったのかもしれない。
彼なら守谷の弱みを握ることくらい朝飯前だろう。
だが・・・守谷はそんな三上だから好きになったかもしれない。
「だから、死んでやらないことにしました。守谷には思い切り後悔してもらいます・・・」
よっと金網を乗り越えて、広岡の方に飛び降りる。
「まぁ、そんなことを考えていたわけですよ、俺は」
軽口を叩いているように見えたが、広岡は三上が震えているのを見逃さなかった。だからゆっくりと抱きしめる。
「お前、どれだけ自分が泣きそうな顔をしているか、気づいてるか?」
「さぁ・・・わかりません。でも・・・」
何も言わずに三上は顔を埋めた。泣いていることぐらい、聞かなくてもわかった。そして、聞くような無粋な真似はしなかった。
「それほど・・・好きだったんだな?」
その質問には、ただ頷いて返すだけだった。
「後を追いたくなるほど、好きだったんだな・・・」
やはり頷いて返す三上。それが痛々しくて、抱きしめる腕を強くする。
もし広岡がそこに現れなかったら、三上は躊躇うことなく身を投げていただろう。
「生きていればいいことはあるから・・・死ぬな」
始業のチャイムが鳴ったが、それには構わず広岡は腕の中で泣き止むのを待っていた・・・。
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「先生、その化学式は違うでしょう・・・」
広岡の間違いを見逃さなかった三上が、早速指摘し、正しい式をつらつらと書き上げていく。
その完璧さにクラス一同からは感嘆の声・・・。
「おい三上、どうして見逃してくれないんだ」
情けない声を出す広岡に三上はブリザードを吹き付ける。美形が凄むと迫力がありすぎて困る。
「ふふ、間違えたことを教える先生がいけないのではありませんか?それに、今間違いを教えられると、後で困るんですよ」
とすっぱり切られ、広岡の繊細な胃に痛恨の一撃。
「でも、もう少し優しくしてくれてもいいだろう。もう少し思いやりを持たないと、人に好かれ・・・」
そんな広岡を瞬時にフリーズさせる三上。
「何故先生に優しくする必要があるんですか?」
「そんな・・・あの時抱き合った仲なのに」
よよよとウソ泣きをする広岡。クラス内が一気にどよめく。心の中では勝利を確信していた。だが・・・敵は一枚も二枚も上手だった。
「ふふ・・・あの時は・・・」
わざと言葉を濁し、曖昧にする三上。そんな彼によってクラスが一層ざわめく。段々嫌な予感がしてくる・・・。
「いいんですか?あのことを言っても」
「悪かった。俺が、悪かった・・・!だから、いじめないでくれると嬉しいんだけど」
腕の中で泣いたから、少しは丸くなってくれると目論んでいたが、その考えはあまりにも甘すぎた。
三上は完全復活してしまったらしい。鋭さが驚くほど増している。
「いじめられたくなければ、しっかり予習しておくことですね。まぁ・・・今日はこのくらいにしておきますか」
苦笑いをして彼は席に戻った。珍しく三上が退いたので、クラス一同がどよめく。
そんな反応を楽しんでいるのか、三上は最後に爆弾を投下した。
「課外授業を行ってもいいのですが・・・」
「課外・・・授業ですか・・・」
「割に合わないからやめておきますよ」
勝ち誇った顔をして三上は教科書に視線を移した。どう見ても広岡の完敗だったが、決して悪いものではない。
愛しい者を失って落ち込んでいる彼より、ずっと生き生きしていて安心していられる。
こうしてヘタレ高校教師広岡は泥沼にはまっていくのだった・・・。
めでたしめでたし。
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