クレヨン




「――おや、懐かしいものがありますね」
 彼は呟いて、自分のデスクの上にある薄っぺらい紙の箱を手に取った。数枚の白い紙に重なっていたそれは何故かかなりそこに馴染んでいた。
「これは誰が?」
「あぁ、それはクリアベルさんが。
 三階の売店に売ってたらしいですよ」
「売店……って、管理部ここの、ですか?」
 眉を寄せて彼は箱を開けた。色とりどりのクレヨンが中に並んでいる。彼に問いかけられた茶髪の青年は、はぁ、と頷いた。
「えぇ、そうみたいです」
「何故こんなものが此処に……」
「ですよねぇ。あのひとも不思議がっていましたよ」
 と、青年は苦笑したが、彼は釣られて笑う気にはなれなかった。買ってきたあの男の気持ちも解らないではないが、こんなものを売っているのは何故なのか――管理部、というのは要するに大陸を『管理』している組織のことだ。政府と言葉を言い換えてもいい。
 その本部の売店に、何故クレヨンが置いてあるのだろう――はっきり言って、彼でなくても理解に苦しむ。
「まぁ雑誌とかも売ってますし、子連れの人とかが買ってくんじゃないですか?」
「――ああ、成る程。それは有り得ますね」
 十二色。指先で白から黒まで撫でると――ふと思いついて彼はその中の一本を手に取った。
 机の上にあった白い紙を手にとって、スッとその色で紙の上をなぞる。
「! ――それ、明日提出の書類じゃないんですか?」
「何とかしますよ」
 ぎょっとしたような青年の言葉に、彼は笑みがこみ上げてくるのを感じた。
 絵を描いているわけではない。色を塗りたくっているだけだ。
「何です? それ」
「――空です」
「え?
 でも――これじゃ、色が違うでしょう?」
「これで――いいんですよ」
 言いながら、彼はそのクレヨンを箱の中に納め、ふたを閉じた。
 ――白い紙に映えるのは、明るい青。
 かつてそれは空色と呼ばれていた色だった。
「こんな色の空なんて、見たことありませんよ?」
 首を傾げて、青年は視線を窓の外に移す。
 灰色の建物の町並みの上に、灰色の空が広がっていた。
「……昔は、空はこんな風に蒼くて……そして人の憧れだったんです」
「憧れ――ですか」
「一面の空色に、白い雲が浮かんで、とても綺麗だったそうですよ」
「へぇ……今では、空が青いなんて――考えられませんね」
「知っている人は少ないと思いますよ。
 あの空は大気汚染の証ですが、人体には極めて影響が低い。太陽光も大して遮りませんしね。
 だんだんと人は青空を忘れていった、本で語られることも稀になって――やがて誰も空が灰色だということを、おかしいと思わなくなった――」
「……俺が生まれたときから空は灰色でしたからね。
 やっぱり、ピンとこないなぁ」
 青年は窓から視線を逸らした。当たり前だった灰色の空が、急に気味の悪いものに思えたのだろう。
「空はまた青くなりますかね?」
「……頑張れば、直るんじゃないですかね。元の青に」
 彼は青年の問いに、ふっと微笑わらった。








 今は紙の上にだけしかない青空は、いつか広がっていくのだろうか。




ルシィン小話。書きにくいんだか書きやすいんだか解らないキャラだ。ルシィンは。




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