「なあ」
「……何ですか?」
「君、とりあえずテレビゲームを中断してこっちを見たまえ」
「……、はい、何でしょう」
「コントローラーから手を離す!」
「……、で?」
「本屋行くぞ、本屋。一緒に。たまの休みだからって正午まで寝てて深夜までゲームなんて不健康にも程がある」
「でも、あと八ターンでアクシズが地球に落ちるんですよ」
セーブしろ!




A f t e r V i o l e n c e




 夜風の寒さに身を震わせて、彼は大きく息を吐いた。
 寒い。
 午前零時を回っているのだ。冬の入りだし、寒くないわけがない。今年は去年の今頃よりは暖かいが、それでも、風の冷たさは、今感じている通りである。
 かじかんだ手でにじむ涙を拭い、彼は不機嫌に同居人を振り返った。そもそも。
「――こんな真夜中に本屋に行っても、開いていませんよ、普通に」
 目を細めてぼやくと、相変わらずどこかぼんやりした視界の中で、同居人は口を歪めた。そんなことは重々承知だ、とでも言いたげである。
 ネオンライトがぽつぽつと夜を照らす。住宅街の中に小さくある、夜には店のほとんどが閉まってしまうような、そんな商店街。降りたシャッターを睨め付け、ついで辺りを見回しながら、同居人――兼我が家の家政夫は首を傾げ、
「いかがわしい店なら沢山開いてるけど」
 入るか、と目で聞いてくる。冗談にもなっていない。第一この近辺に、そんな店はない。
「この近所でいかがわしい店なんて、開運グッズショップぐらいしかありませんよ。
 化粧の濃いおばさんが出てきて、ピンサロかキャバクラかって座席に案内されたと思ったら、『貴方、人生薔薇色になりたくない?』とかって」
「それはきついな、泣きそうだ。薔薇色の人生ラヴィアン・ローズもどん底だよ。
 問題はその方面は温室育ちなお前が、何をもってピンサロとキャバクラを別カウントにしたかだが」
「間違いですか」
「そいつは明言を避けるが、差し当たってはどうしようかな――ファミレスに行っても不健康さは変わらんし、第一絵面が嫌だ」
「そもそも、男二人でとぼとぼ散歩ってのが、どうなんだろうって言う話なんですけれど」
「まだそこまではセーフだ。
 でもお前、ファミレス入ったら甘いの頼むじゃん。俺は俺で、煙草も吸わないでさ、お前がパフェだの餡蜜だの食ってる向かいでクリームソーダ飲んでるんだぜ。ストローで」
「何なんだこいつらって感じですね」
 目を擦りながら、彼は笑った。同居人が先導して歩いていたのが急に立ち止まり、くるりと振り返って、だろう、と言ってくる。
「下手したらゲイカップル扱いだよ。想像するだに憂鬱じゃねえ?」
「ウエイトレスも、オーダー聞いた瞬間に顔が引きつりますねえ」
 しばらくにやにや笑い合って――ふと同時に真顔に戻って嘆息する。……何だか、空しい。
「……で、どしよっか?」
 問われて、彼は辺りを見回した。肌を刺す寒さに身を震わせ、眉を寄せて唇を曲げる。街灯の明かりはあるものの、ほとんど真っ暗で視界も覚束ない。歩く影は自分たち以外になく、寂しい町並み――
 鼻をすすり上げ、彼は同居人を振り返った。
「寒いし、もう帰りません?」
「それだけは駄目」
 頑なに同居人は言い張った。彼は嘆息して首を振る。基本的に、彼は面倒見がいい。要するに、お節介に過ぎる。有難いのだが、迷惑だ。つまりはそのままの意味だが。
「あと十分は歩かせるからな」
「……でも、アクシズが」
ガンダムから離れろ!
 小声で叫んだ同居人に、彼はただ肩をすくめた。




「で、最終的にはビデオ屋か」
 暖房が効いていて、外よりは大分暖かい。
 呟いた同居人を振り返り、次いで彼は店内を見回した。蔦屋のようなチェーン店ではなく、個人が経営している手狭なビデオショップ。深夜なのにご苦労なことで、カウンターには感じのいい茶髪の女性が立っていた。だが。
「……AVばっかですよ。完全に目的を見失ったチョイスです」
「いや、元気になると言う方向性自体は間違っていないはずだ」
「最低の冗談を拳振り上げてまで力説しないで下さい」
「……うう」
 落ち込んだように呻く。
 彼は、肩を落として妙に暗い顔をしている同居人の方に歩み寄った。カウンターに立つ女性が、怪訝な顔をしているのを視界の端に捕らえながら嘆息する。
「別にいいですけど……また、微妙なシチュエーションですよ」
「男二人でビデオ屋か。……変じゃないけど、物悲しさを感じるなあ」
 下手に慰めるよりも、冗談めかして言ってやった方がいいことは、経験的に知っていた。同居人は彼と同様、ことさら大きくため息をつきながらも、口元はわずか笑んでいる。
「……帰りません?」
「いや」
 提案を、あっさり同居人は却下した。背筋を伸ばし、眉間に皺を寄せて店の奥に目を向けた。
「どうせだから見て帰る。あわよくば借りていく」
「――迷走してますよ」
「うるさい。今宵はAVナイトでブギウギだ。決定事項だ。借りてくぞ」
「はいはい」
 カウンターの女性が、何だか変な顔をしていた。




「なあ」
「はい」
「お前らの親父さんてさ、OLモノ好きだったよな」
 『お前ら』と同居人は言った。彼の妹のことを含めているのだろう。兄妹ともども、この家事の得意でお節介な同居人にはお世話になっている。自分は家政夫と言う形で、妹は、恋人と言う形で。
「……何で貴方が、父の趣味を知っているんですか」
 眉を寄せ、彼は横目で同居人を見やった。真剣な目で――アダルトビデオを選んでいるにしてはそれこそ真摯過ぎる眼差しで――棚を見ている。こちらから目をそらしているようにも見えた。
「違うっけ」
「違いませんけど」
「『アフター5はみだらな女』のVが出てるからさ。そーいやそうだったなー、と」
 棚に視線を戻す。一泊二日の新作で、確かに同居人が言ったようなビデオがあった。
 しばし沈黙。再度同居人に視線を移す。この男と彼の父とは、そう何度も会っているわけではない。その上、そんな方面まで話が飛ぶ程時間を取った時と言うと。
「……腹を割って話すにも程がありますよ。嫁貰いに言ってAVの話になるって、どうなんですかそれ」
「うん。いやまぁ……その場のノリでな」
 ――何を考えているのだか。この人も、父も。
 彼は嘆息して、棚に視線を戻した。
「……『アフみだ』って、女優不細工だよね」
「略称ともかく、確かにそうですね」
 話題転換がどうにも下手だが、とりあえず彼は乗った。気まずい雰囲気が何だか哀れだ。
「――ああ、『年上上司』はお勧めですよ」
「あー見た見た。でも俺、OLモノは正直さあ、燃えないっつーか」
「……あんたの好きな女教師はあっちですよ」
 指を指してやると、同居人は肩をすくめ、行って来ますと冗談めかして彼の示した方向に向かった。




「……『新・淫教師』ってどうよ?」
 聞かれた時、彼はちょうど高いところにあるビデオを背伸びして取ろうとしていたところだった。ふと我に返り、ビデオを取ると小さく咳払いをする。
「男優出張りすぎてて萎えます」
「ありゃ。……あーでも、なかみねちさ好きなんだよなあ」
 何やらぶつぶつと呟いている。
 なかみねちさ。言うまでもなくビデオに出演する女優の名前だ。彼は顔を思い浮かべて、眉を寄せた。小顔で、黒髪が長く伸ばしていて、豊満とは言いがたい体つきをしている。自分はあまり好きではない。ちょっとだけ、彼の妹に似ているのだ。
「あんまりいいとこありませんよそのビデオじゃ。生徒役で脇役だし、レズシーンが四分ぐらいでしたから」
「そーか……お前はどうする?」
 同居人が棚にビデオを戻したのを確認し、彼は今自分が取ったビデオのパッケージをまじまじと見た。少しの沈黙を置いて、彼はビデオに目を落としたまま、
「……『ふんどし祭り』って、地雷だと思います?」
「ゲイビデオじゃないのか? それ?」
 同居人は身も蓋もなかった。
 念のために言っておくが、違う。




「1350円になります、来週の土曜までにお返し下さい、有難うございました」
 カウンターの彼女は、こう言う店特有の変に抑揚がついた言葉遣いでいい、ぺこりと頭を下げた。さすがに、眠そうだった。




「結局借りちゃったなー、『ふんどし祭り』」
「気になるじゃないですか。内容が」
 欠伸をしながら彼は言った。相変わらず、店の外は寒い。時計を見るともう一時だった。体が重く、眠気がひどい。
「確かに気になるけど」
 同居人は言いながら、ビデオの入った袋を抱えなおした。どうにも釈然としない顔である。同時に、やはり目がどこかうつろだった。やはり眠いのだ。
 彼は目を擦りながら、今度は欠伸を噛み殺し、同居人を見上げる。
「まあ、面白くなかったらその時はその時ですよ」
「ネタビデオは決定だしなあ」
 笑い、同居人はふと足を止めた。数歩先に進んでから、彼も立ち止まる。振り返ると、同居人は白い息を吐き出して。
「……帰るか?」
「ですね」
 彼が頷くと、同居人は小走りに彼に追いついて、それから追い越した。それを追いながら、歩調を速める。
「あーと、そうだ、コンビニ寄ってこコンビニ! ビール買うから。飲みながら見ようぜ」
「けど、結局AV借りに出てきたようなも……」
「言うな!」
 同居人は彼の言葉をやや大声で遮った。声は反響してすぐに消えたが、同居人は一瞬ぎょっとして立ち止まり、こっちを向いてにやりと笑った。




 ……
 目覚ましを叩いて止めると、彼はぼうっと白い天井を見つめた。
「……朝ですか」
 手をさまよわせ、テーブルの上の目覚まし時計を取る。午前五時半、寝付いたのは何時だったかと考え、彼は嘆息した。
「さすがに三本連続で見ると、ほぼ徹夜だなぁ……」
「今日も休みなのに、五時半に目覚ましかけたりするからですよ……」
 同居人の声に返し、重い頭を押さえ、彼は目覚ましをもう一度テーブルの上に置いた。変な風に置いてしまったか、もう一度電子音が部屋の中に響き渡る。それを止めて、立ち上がった。青い光がカーテンから差し込んでいる。薄暗かったが、確かに、すでに朝だ。
「あーくそ……目エ冴えちゃったよ……」
 同居人も起き上がり、寝癖のついた髪を掻き回しながら目を擦る。
「――朝飯、作っから、顔洗ってこ」
「あー」
 声を上げ、彼は同居人を眠い目で見つめる。同居人はもう完全に起きるつもりで、ゴムで髪をまとめ始めていた。
「早く」
「はい」
 急かす声に頷いて、彼は首を振った。




「そう言えば」
 タオルで顔を拭きながら、彼は思い出したように言う。卵の焼けるいいにおいが、台所からしていた。
「何て言うか、面白かったですねえ、ふんどし祭り。」
「ああ、あの監督は天才だな。AV撮らせてるのがもったいないくらいだったよ」
 同居人はぼんやりと言って、フライパンを揺すった。




なにこれ。
ちなみにこの人たちが借りたビデオは三本、
「ふんどし祭り」(感動大作)
「スクールバスと立川流」(不条理系)
「Let's にゃんにゃん」(正統派)
と言うことを授業中に考えていたのだから救われない。
センスも何もないので気にしない。実際のこう言うビデオのタイトルって、もっとスゴいよね。

サブタイ「After Violence」暴行の後





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