だって仕方が無いじゃないか、お前が。
 お前が俺たちを裏切ったんだ。お前が俺から離れて行ったんだ。主義、主張、信念。何もかもが違い過ぎたんだよ。どっちが間違っていたなど二の次で、俺たちはただ「違う」と言うだけのことだった。だから俺たちは争った。だから俺はお前を殺そうとして、お前は俺を殺そうとした。それが間違っているなど、考えるだけ無駄だった。
 俺たちは殺し合ったんだ。自分の信じるもののため? そんな綺麗事、俺だって鼻で笑うさ。俺たちが戦っていたのは、もっと――

 だからもう、やめてくれ。いつまでもいつまでも俺の心に居座って。





名前




 ぎゅっという足音。吐く息は白い。見渡す限り視界は真っ白に染まっていた。
「どこだ、ここ……?」
 寒さに思わず自分の身を抱いて、彼は呟いた。
 足元は白に埋まり、蹴り上げれば飛沫が跳ねる。空は晴れて雲一つ無く、凍り付くような空気が肌を刺す。こんなに寒いのに、自分はYシャツを着ていた。非常識さに苦笑が漏れる。
 白一面の大地、先は見えない地平線。見つめていると、ふと視界が狭いのに気がついた。
 顔――右目に手を当てる。ガーゼの感触に、すっと体温が下がったような気がした。
 ずきんっ。
「痛ッ……!」
 鋭い痛み。目を押さえ、彼は思わずうずくまる。波が寄せるような激痛。かつて傷つけられた場所が疼く。
「何で」
 絶望的な気分になった。白銀の世界にあてられたか。それとも。
「何で。治ったんだろ。痛むはずが無いはずじゃないか」
 音を立てる存在は自分だけだ。後は一面の白い空間。相手もいない呟きを、言わなければ押し潰されそうで。
 しかし。
「――それはお前が悔やんでいる証だ」
 無音。
 返された答え。ありえないと頭が否定する。ありえない。だって自分はこの世界にたった一人だった。
 何故声が返される、何故。
「嘘だ」
 ――何故よりによってお前なんだ?
「嘘じゃ無い」
「嘘だ」
 また返された答えに彼は間髪入れずに呟いた。
「嘘だ。嘘だ。嘘だ。悔やんでなんかいない。俺はだって」
 そうだよ。悔やむはずが無いんだ。
「だって俺は解っていたもの! お前はいつか敵に回る。お前が、俺が自分の道を進もうとする限り。いつか必ず」
では何故その目は痛む
 返されるのは男の低い声。聞き心地よい声。つい流されてしまいそうな。
 ぱたり、と、目を押さえる手、指の間から何かが垂れた。痛い。「何か」は白い地面に赤い染みを作る。
「何故痛むのだ。私と同じ右の目が」
「五月蝿い」
 問い掛ける声に彼は俯いた。振り向けばそこには声の主が立っているのだろう。しかし、顔を見たく無かった。そして同時に見られたく無かった。
「……黙れ。お前が死んでから何年経ったと思ってるんだ」
 あとどのくらいお前は俺の心を縛り付ける?
「七年だよ。俺たちは同い年だ」
 年を取らないからな。お前はもう。
「     」
 声が名を呼んだ。
 全身が泡立つ。背筋が凍り付いた。
「呼ぶな」
 噛み付くように、一言区切るように彼は言った。
「呼ぶな。……死んだ名前だ」
 お前を殺した時に死んだ俺だ。
「何もかもがもう終わってしまったんだよ」
 呟いて。
 もう一度声は彼を呼んだ。……呼ぶなよ。解らなくなるじゃないか。俺が今誰なのか、解らなく。
「呼ぶなよ」
 子供の我が儘のように言いながら、彼は振り返った。陽の逆光。しかし確かに、そこにはいた。彼が殺した男が――彼が自分と一緒に殺した男が。
「――!」




 ……自分は多分大声でその名を呼んだのだろう。




 そこで目が覚めた。目に手をやると、濡れた感触にぎょっとした。それは血では無く涙だったけれど。
 彼は声を押し殺し、身を縮めてしゃくり上げた――その男が死んだのは九年も前なのに。
 あぁ、いつまでお前は俺の心に居座って。
 居座ってくれるのだろう。俺はお前の名を死ぬまで忘れないだろうか、――なぁ。




 ひどく……ひどく久しぶりに、泣いたような気がした。



クロボン。ヤバい。ホモ臭い(笑) 某雑誌でその後が出てたから、ついつい涙ぐみ。



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