「――そうだよ。俺が『真昼の月』だ」
彼は笑みすら浮かべてそう言った。
真昼の月
それは奇妙な事件だったがある意味ではありきたりで。
――そもそも殺人などという犯罪は最近は日常茶飯事になっていて、刑事である僕ですら、そんな人道に反するような犯罪が行われたことに対する怒りよりも――やれやれまたか、という呆れにも似た飽きとでも言うのだろうか……そんなものが先に来るようになっていた。
良くないことであると自分でも理解はしているのだが、どうしようもないことだ、と自分の頭の中で割り切ってしまっている傾向もあった。
――さて。
僕という刑事が今持っている事件――三つの事件だが、正確には一つの事件――それは要するに『連続殺人事件』だった。
上に無差別、などとつかないのは、それが明らかに目的を持って行われたものであるからだ……しかし、動機が
明瞭としているにも関わらず、事件は迷宮入りの様相を見せていた。
迷宮入り、というのは正しくないかもしれない。何故なら犯人は既に突き止められていたからである。が、しかし、それにはひとつだけ問題があった。
『犯人』は解っているのに、その『犯人』が誰なのか解らないのである。
――そのややこしい事態と言うのは、突き止められた『犯人』そのものに問題があるからだった。
『犯人』の名は――正確には通り名は――『真昼の月』……ヌーン・ムーンといい、名前は知れ渡っているが、顔素性国籍性別、その他諸々が一切不明のフリーの殺し屋だ……何処の組織にも属していないので、その方面から情報を得ることは出来ない。
――三つが三つとも、凶器や状況からして彼だか彼女だかがやった
殺しに違いはないのだが、しかし実際のところは一体誰なのか、どんな奴なのか、何処にいるのか――解らない限り事件の解決は無い。現場周りの証言にもそれらしい人物に関してのものは全く得られず――僕らは完全に行き詰っていた。
とりあえず僕は、親子ほども年が離れている、年配の、僕にとっては先輩に当たる刑事から、地下を回って話を聞き回って来いと言われ、現在進行形でその通りにしている――地下と言っても、本当の地面の下のことではない。警察の目が行き届かない、無法地区という奴だ。
刑事が無法地区で犯罪者の一歩手前、または既に罪を犯したことのあるものから情報を仕入れてくる、と言うのは、いささか滑稽な図かも知れないが、仕方が無いだろう。他に方法は無い……だが。
情報を集め始めて早四日、全く収穫はなし。
――此れはいよいよお蔵入りだろうか……と、僕はもう諦め始めていた。
情けない話である。
――カランカランッ。
小さなパブ――カウンターとその前の六席しかない、狭い酒場の扉が開き、――と同時に、そこに取り付けられた鐘の音が店内に響き渡った。
入ってきた客を、店主と先客が睨みつけるように視線を向けた――ただの若僧だ。黒い帽子を目深にかぶっていて、辛うじて鼻から下だけ――顔の下半分だけが見えていた。髪の色すら確かめることは出来ない――が、それもこの辺りでは別に珍しいものではない。素性を隠したい人間、後ろめたい過去を持った人間など、この辺りではざらだ。
しかしその取るに足らないはずの若者に、彼らは一瞬ぎくりとなった……聞いていた男とその客の特徴が、ぴったりと合っていたのだ。
「――何にする」
やや警戒心を強めに問いかけた店主に、『客』は口元だけでふっと笑いかけた。
「酒は要らない。
――此処をようやく突き止めたんだ。ご褒美ぐらいくれてもいいだろ?」
「あんたか? ……最近この辺を荒らしまわっているのは」
「荒らしまわる、とは人聞きが悪いな」
『客』は笑みを崩さないままに、適当にあいている席に座る。他の客には視線をくれもしない――まるでいないものと決めてかかっているようだった。
「此処が地下一番の情報力を持っていると聞いたんだ。探し当てるのに大分かかったけどな」
言葉に、ケッ、と店主は毒づいた。
「よく言うぜ。その為に十六人は病院送りにしただろうが?」
ほぅ、と驚いたような声を漏らし、『客』は頬杖をつく。
「そんな所までもう調べてるのか? 流石、早いな――十八人、だ」
間違えるなよ、とでも言うように『客』が言うと、店主もまたにやりと笑った。
「……成る程。間違いなく本人なわけだ」
「つまらないカマかけても、何も出ないさ。間違いなく、俺が最近噂になってる奴だよ」
「欲しい情報は何だ。
……金さえ出してくれば、どんな情報だってくれてやるぜ?」
「本当に、どんな情報も、だな?」
確認するように言う『客』に、店主はあぁ、と自信たっぷりに頷いた。『客』はふぅん、と呟いて、
「……例えば『
昼間の月』の情報、とか?」
その問いに、わずかに店主の顔が硬くなる。
――『客』の言葉に含まれたその意味は、一瞬で解った。
「復讐か何かか?」
「だったらどうする?」
「止めといたほうがいい――とは言わねェ。此処は全てが自己責任だ。
ま、流石に『月』の情報は……少々高いがな」
「――どのぐらいだ?」
ふっかけられるのを覚悟しているのかは解らないが、『客』はあくまで気軽に聞いてくる。店主は軽く肩をすくめた。紙ナプキンを取り出し、ペンで小さく、『客』にしか見えないように数字を書く。
「せいぜい――此れぐらいだな」
「成る程、高いな……確かなんだろうな?」
「ガセを売るほど落ちぶれちゃいねェよ」
「――まずどんな情報があるか教えてもらおうか。それはタダだろう?」
「まぁ、そうだな。イイぜ。
――容姿に、今まで殺してきた奴の人数、その標的の職種、……」
小さな声が店内に響く。他に客は二人いたが、そちらには視線を向けないし、会話も無い……『商談』中はそうする決まりなのである。
店主の情報の羅列は数十秒続いた。
如何でもいいものから、此れは、と思う情報まで。ピンキリと言う感じだ。言葉の羅列が終わると、『客』は満足したように頷いて、
「――その情報を知っている奴は、他にいるか?」
「いたが、死んだ。今はもう俺だけだろうな。他を当たっても無駄だ――だからこそ、高い」
「フン、全く……
俺もまだまだだな。此処まで情報が漏れているなんて……」
「――何だと?」
『客』の声を聞きとがめ、店主は訝しげな顔をした。他の客も立ち上がり、俄かに色めき立つ。
「その情報買った。だが代金は……俺が払うんじゃない」
「?」
ぽかんとした顔になった店主に『客』は例の口元だけの笑みを浮かべ、そして――
ざぁぁぁぁぁぁ……
「――うわッ、雨降ってきたしッ!」
ぽつぽつと小雨だった雨は、数分で土砂降りになっていた。
僕は目深にかぶった帽子を直して、雨宿りの場所を探しに走り出す。
「本ッ当にこっちでよかったよなぁッ!?」
やかましい雨音に対抗するように叫びながら、ばしゃばしゃと水溜りを踏み抜いて走っていく……聞き込み五日目。その辺のごろつきから聞きだした情報屋に向かっているのだが――その途中で雨に降られるとは運がない。
「くっそ傘でも持ってくるんだった……ッ」
毒づいても仕方ないとは解っているのだが、それでも言わずにはいられない――なおもぶつぶつと呟きながら、僕は走る速度を速めた――と。
……ごっ。
多分頭同士がぶつかったのだろう。雨の所為で視界が悪かったので、前傾姿勢で走っていたから――と、そんなコトは如何でもいい。
僕は数歩よろめいただけで済んだが、僕とぶつかった誰かは、ばしゃんっ! と盛大に、水溜りに尻餅をついていた。
「だっ――大丈夫ですか!?」
慌てて叫ぶ。と、ぶつかった相手、前髪を長く伸ばした白髪の青年は、何故か呆然とした表情でこちらを見上げていた。
「……困ったな」
しばらくこちらが何も言えないでいると、彼はゆっくりと立ち上がり、ため息混じりにそう呟く。
「まさかこんな所で会うなんて……」
「あの……大丈夫ですか?」
僕の声は全くの無反応。彼は降る雨も気にしていないかのように平静だった。さっきのぽかんとした顔が信じられないほどに。
「――大丈夫ですか?」
三度目。
問えば、彼はようやくこちらに気づいたように、くるりとこちらを向いた――といっても、雨水に濡れた長い前髪の所為で、見えるのは鼻から下ぐらいだったが――ふと、彼は唇をすばやく動かし、早口のようにしかしぼそぼそと、
「――あんたが行きたいところは、もう
無いよ」
いきなり冷たい声で言い放つ。
……僕はその言葉の意味を数秒吟味して――固まった。
「な――何で、貴方がそんな」
「
真昼の月なんか調べてもつまらないよ?」
僕の問いかけを遮って、彼はそこで初めて笑みのようなものを浮かべた――といっても、両目は前髪に遮られ見ることが出来ないので、口元だけの笑みだったが――彼は水で顔にまとわりつく髪を耳にかけながら、
「――最悪死ぬだけだ」
「ッ――何で!」
「さぁね」
僕がさらに叫ぶと、彼は口元だけの笑みを浮かべたまま、走り出してしまった。呼び止める暇もあらばこそ――あっという間に、雨の向こうに猫背気味の青年の姿は消えてしまった。
ざぁぁぁぁぁぁ……
未だ雨はやむ気配を見せない。
「……何なんだ? 一体――」
僕は追っても無駄だと判断し――つい今しがた彼が既に『無い』と言った、目的の場所に急ぐべく、踵を返した。
――そしてそこに着いた瞬間、僕はまさに先程の彼のように、呆然とすることになる。
それはひとまず置くとして――それが僕と彼との
初めての出会いだった。
続くつもりだったけどあんまり続きようがなかった。
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