こわれた弓と壊れた心と
 そんなものを抱えたまま貴方は何処に行こうというのか
 それなら、此処でいっそ――




毀れた弓




 襟首をつかまれ、石壁に叩きつけられる。
 息がつまり、視界が一瞬真っ黒になった。
「……何でだよ」
 鋭い目をした、黒い髪の青年。彼のよく知る顔――怒っている、顔だった。
「何でやめる?
 ……此処を抜けたら、死ぬしかないんだ。なのに、何で……」
「毀れた弓はもう必要ないだろう?」
「けどあんたは壊れてない!」
 問い返せば、間髪いれずに青年は叫んだ……しかしそうだろうかと、彼はふと考えた。
「……僕は壊れていないかい?」
「あぁそうだ! 復帰できない傷を負ったわけでもないし、今だって怪我は何もしていない!
 まだやれる――そうだろ!? なのに何でわざわざやめちまうんだよ!? 何でわざわざ――死にに……」
 言いかけ、青年はうつむいて押し黙る。
「本当に僕は壊れていないのかな……?」
 ――ふっと笑みが浮かんだ。
 それは自然に浮かんだ笑みで――おかしなところは何も無かったのだが……だがそれは青年には引っかかったらしい。驚いたような――実際驚いているのだろう――驚いた表情で彼のことを見つめる。
「……あんた、何で――?」
「僕は少なくとも、身体は健康なんだろうね。病気にもかかっていないし、怪我もしていない。
 ……でも……でも僕の精神こころはずたずたなんだよ。もう駄目なんだよ……」
「何で笑ってる? 笑みなんて……」
 呟く青年は、驚いている、というよりは、呆然としてしまっている――彼の言葉も、耳に入っているのかどうか。
「僕はもう壊れてしまった。僕の弓と一緒に。
 ……壊れたものはもう要らない。捨てられるだけだ。
 僕は『此処』に必要ないし、僕に『此処』は必要ない。
 後は去るだけだ――僕を止めるかい?」
 彼は青年の、襟首を掴む手を外した。大した抵抗もなしに腕は下ろされる。
「ま……待て!」
 二歩三歩、青年の横をすり抜け、部屋のひとつだけの扉に近づくと、そこでやっと青年から声が掛かった。
 くるりと振り返り、彼は笑みを消す。
「それとも……君が僕を殺すかい?」
「――!」
 狼狽うろたえていた青年の顔が、わずかに引き締まった。
「僕が『此処』を捨てれば、『此処』は全力で僕を殺そうとするだろう。
 ……君も、皆も。
 君が今僕を殺せば、僕は『此処』から出ることもなく『此処』で死ぬ……さぁ、どうする?」
「…………」
 青年は黙して――何も言わない。何も言えずに……いや。
「……何でだよ」
 ほとんど口は動いていない。もごもごと、小さな声での問いだった。
「……何でこうなった? 何が……何処で間違ってこうなった?」
「君はそう思うのかい? 僕らはどこかで『間違った』と?」
「……でなきゃこういう結果にはならなかったんじゃないのか!?」
 声を荒げ、青年は大きく肩で息をした――彼は軽く肩をすくめる。
「――何処にも間違いは無い。こうなるべくしてこうなった。
 僕の弓は毀れ――そして心も壊れ、僕は『此処』から去るだけだ――さて」
 彼はまた笑みを浮かべた――何の含みも無い。ただの微笑みだった。
「今一度問おう、君は……僕を殺すかい? 今『此処』で」
「…………俺は」




 書いて何がなんだか解らなくなってきた。




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