メイク・ビリーヴ




「――ソロモン」
「はい、何でしょう」
 かけられた声に振り返れば、いつもよりも一層に仏頂面になった『弟』がそこに立っていた。
 首を傾げながら、胡乱げな笑顔でソロモンは彼に向き直る。何のことかはある程度予想しているが、ポーズだけでも取っておきたい。それはますます、この男を不機嫌にさせるに違いないからだ。
「カールが私の部屋の隅でうずくまったまま動かない」
「はあ、それはまた」
「貴様が何かしたのだろう」
 ソロモン、と、もう一度低く呟いて、ジェイムズは腕を組んだ。ジェイムズは滅多に自分の部屋にはいない(そもそも彼は殆どこの館にいることはなかった)から、ソロモンから逃げる場合カールは自分の部屋よりもむしろジェイムズの部屋に逃げ込むことが多い。また、おかしな表現になるが、カールはジェイムズに懐いている。兄が弟に懐く、などと言う珍妙なことも、血の繋がりも縁もないシュヴァリエと言う「兄弟」には起こり得るのだ……とまれ、カールは他のどの兄弟よりも、ジェイムズを頼っているところがあった。
「それは、確認ですか、追及ですか?」
「前者四、後者が一と言うところだ。貴様が仕出かしたことなら貴様が始末を付けろ。それだけでいい」
 だがカールが期待する程ジェイムズは良心を持った男でもなければ人情の類を持つ男でもない。こうやって、あっさりソロモンにカールを引き渡そうとして来るのだ。ソロモンがカールにどんなことをしようと、それによってカールがどうなろうと、ジェイムズには関心のないことなのだろう。彼がソロモンを咎めるのはそれが彼の(ディーヴァやシュヴァリエそのもののための)目的・計画に支障をきたす時だけだ。恐らく、の話だが、この認識は間違ってはいまい。
 それを自分が不快に思うのは筋違いなのだろうが、と、ソロモンは肩を竦めながら考える。
 だが、やはり。この男は本当に好きになれない。
「別に何もしていませんよ。ただ……」
「ただ?」
「ちょっとごっこ遊びをしただけですよ」
 不可解だ、理解できない。ジェイムズはソロモンに対してよくそんな表情をする。いや、正確には、それを押し殺した無表情……しかし、ソロモンはそれを察し、口の端に笑みを作り浮かべてみせた。
「アメリカのホラームービーの真似をちょっと」
「……具体的には?」
 この男に映画を見るなんて嗜好があるとは思えない。だがジェイムズは映画に対する質問を避けて、ソロモンの行為の内容だけに絞って来た。極端に無駄を排すその性向も、ソロモンはあまり好かない……が、胸の内に湧いた考えを表に出すことはなく、ソロモンは笑顔のまま言葉を続ける。
「チェーンフッ」
「もういい解った。さっさとカールを連れに来い」
「まだ何も言ってませんよ? ねえ、具体的にと言ったのは貴方ですよ、ジェイムズ」
「気が変わった。早く来い」
「ジェイムズ」
 踵を返しかけたジェイムズのその背にソロモンは声をかける。ジェイムズがこちらを振り向こうとする前に、ソロモンは言葉を続ける。
「――貴方って、本当につまらないですね」
「そうか」
 ジェイムズは振り返らなかった。
「ほら、その返答も」
 少し苛立っている自分を自覚する。それに驚きを感じながら、ソロモンはジェイムズに向かって言葉を紡ぐ。ジェイムズはそれでも振り替えろうともせず、
「……別に貴様に面白がって貰おうとは思わん」
 そう言い放ち、歩き出した。ソロモンは仕方無しにその後を追う。その背は、はっきりとソロモンと関わりたくないと言っている。……
「あ」
 ソロモンはふと声を上げて足を止めた。前を歩いていたジェイムズが立ち止まり、億劫げにこちらを振り返る。
「何だ」
「今、ちょっと面白かったですよ。ジェイムズ」
 要するに自分たちは互いに互いを嫌い合っている。積極的でなくとも、根底でソロモンと彼とは相容れない。それを表面だけでも普通に関わる。気に食わない相手のことを気にかけ、或いは馴れ馴れしく振る舞ってみせる。それは――、少し楽しいかも知れない。滑稽さのある故に。
「いいから、早くカールを引き取りに来い」
 心底どうでもよさそうにそう呟いて、ジェイムズは歩き出した。
 どうせこの男とは長い付き合いになるのだ。十年や二十年では利かない。この自分の中のわずかな嫌悪感が育って行くのか、それとも某かの変化を得るものか。量ってみるのも面白い。
 ソロモンは笑みを浮かべ、悠然とジェイムズの後に付いて行く。――この男は、そんな愉しみなど思いもよらないのだろう。
 そんな風に考えながら。




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