目を開けると目の前にネイサンの顔があった。 ジェイムズは機械的にその顎を思い切り掌底で突き上げて退かせ、身を起こし欠伸を口を引き結ぶことで堪えてから、ようやっとことの異常性に気付く。
「……何だと?」
酷いじゃないと顎を押さえて抗議の声を上げるネイサンを無視し、と言うよりは意識の内に入れられず、彼は眉を寄せて不機嫌な表情で呟いた。随分と間抜けな響きを持った呟きに思えた。ジェイムズは唇を引き結び、ますます顔をしかめる。
「どうしたの?」
怪訝な顔で問いかけて来るネイサンを見返し、ジェイムズは頭痛を覚えた。
「……有り得ん」
「何が」
「有り得んぞ」
「――繰り返して言う程のこと?」
胡乱と言うよりはむしろ呆れを篭めてネイサンが問うてくるが、ジェイムズはそれも黙殺した。額を押さえる。確かに繰り返して言う必要はなかったかも知れない。だが、そう、二度言わねば落ち着きそうになかったのだ。現に今も自分は混乱している。どうして……一体、どう言うわけで!
「有り得んのだ!」
結局、彼は三度そう呟いた。既に呟きとは言えない声量になっていたが。
だから何がよ、と半眼でネイサンが問いかけてきたが、彼はそれにも答えなかった。
マンネリズム
「何だかよく解らないけど……落ち着きなさいよ、ジェイムズ?」
ネイサンは嘆息し、額を押さえるジェイムズの手を退かすベく、ジェイムズの手にそっと手を重ねた。が、いつものようにすぐに払いのけられる。険悪なジェイムズの表情を見返し、溜息を重ねてネイサンは払われた手をさするようにもう一方の手で押さえた。
「乱暴ねェ」
「五月蝿い。そもそも貴様が――ああくそ、何と言うことだ……!」
言葉を途中で打ち切り、苛立たしげにジェイムズは毒づいた。ネイサンに、と言うよりは自分自身に腹を立てている風であった。
ネイサンは首を傾げて、一人で苛々としているジェイムズを見つめる。……これは、いつものジェイムズの様子とは違う。
「ちょっと、カールみたいよ、貴方――どうしちゃったわけ?」
「あんな餓鬼がそのままでかくなったような男と一緒にするな……やめろ!」
熱でもあるのか、とジェイムズの額に手をやろうとすれば、やはり乱暴に押し退けられる。
ネイサンはベッドの上で尻餅を突き、ますます困惑してジェイムズを見詰めた。ネイサンに怒りをぶつけるよりも自分の内に篭るような彼の状態はやはりいつもとは違っている。要するに、ジェイムズが今罵ったカール……自分たちの「兄」のような振る舞いだ。
「一体、何だって言うのよ?」
「五月蝿い。有り得ない……あってはならんのだ。こんな……」
「だから何がよ? いい加減にしないと、怒るわよ」
ジェイムズは少しだけ沈黙を置いた。ネイサンは眉を寄せてジェイムズを見詰める。ジェイムズはネイサンを見ようとはせずに顔を俯かせ、低く唸った。
そこで、ネイサンはジェイムズが怒っているわけではないことに気が付いた――唐突に。ジェイムズが渋い顔をして自分に苛立つような言葉を繰り返しているのは、怒りのためではない。
ネイサンはきょとんとした顔でジェイムズを見つめ――不意に、笑みが込み上げてきた。
「……貴様が、こんなに近付いて来るまで気付かないのがだ……! 普通はもっと早くに気付く。貴様が部屋に入って来た時点で! いつもの私なら気付いている……」
おまけにジェイムズが、ネイサンと目を合わせようとせずに俯いたまま、まるで恥じらうようにそんなことを言うので。
「……可愛い」
「は?」
思わず呟いたネイサンを、ジェイムズは幽霊でも見たような顔で見返した。
「可愛いーっ! 何よジェイムズったらそんなことで悩んでたのォ!? そんななんでもないこと!」
「何でもないとは何だ……! くそ、引っ付くな! 離れろ!」
「引っ付かせて! 私、嬉しいのよ? 喜んでるの!」
ジェイムズの首を抱きすくめ、ネイサンは歓声めいた声を上げる。ジェイムズは押し倒されながら硬直し、わけが解らないと言う風に顔をしかめる。
「何の話だ……!」
「だって、そうじゃない! ジェイムズがそんなに私に気を許してくれてるなんて!」
「なっ……」
「喜ばずにいられないわ……ねぇ、そうじゃない?」
言葉に詰まったジェイムズの鼻に鼻をくっつけるようにして、ネイサンは囁いた。ジェイムズは出ない言葉を無理矢理押し出そうとするような沈黙を置いて、結局は搾り出すように一言、
「ただの慣れだ……実に嘆かわしい!」
そうとだけ呟き、後に続く言葉を失った。それはネイサンがジェイムズに口付けたためだったが、そうしなくとも恐らく彼はそれ以上何も言うことはなかっただろう。
それは本当に、それだけの話だ。
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