――それは、なんと幸せなことだろうか。
サクラ
「そう言えば、よく言いますよね。桜の樹の下には――」
「ベタ過ぎるオチが想像できる。やめろ」
「私は知らないぞ」
「えっ、カール、知らないのぉ? 桜の下に埋まってるもの……」
「……虹の根元なら知ってる」
「桜の話よォ」
「解ってる。何なんだ。早く教えろ」
「死体ですよ。死体の養分を吸って成長するから、あんな綺麗な薄紅色になるって話、聞いたことありません?」
「梶井基次郎だな」
「あら、そうなの? それは知らなかったわァ。ジェイムズったら物知り!」
「引っ付くな……ソロモンも笑うな!」
「笑ってなんか――あれ、どうしたんですカール?」
ソロモンは首を傾げて、いきなり立ち上がったカールを見た。
カールは今にも泣きそうな顔をしていた。
「……何でそんな話をするんだ! 折角――」
「カールの言う通りだ」
ジェイムズとネイサンの愛の共同作品である弁当(とネイサンは言うのだが、実際ジェイムズがネイサンと一緒に料理を作るはずもなく、別々に作ったものを同じ重箱に詰めただけのものだ。因みにソロモンも作って詰めてあるのだが、ネイサンは当然のようにそれを無視した)に箸を付けながら、アンシェルが溜息をつくように言った。
「折角、桜を観に来たのだ。そう言う話はやめておいた方がいい」
だし巻き玉子を口に運びながら、アンシェルは口の端に笑みを浮かべてみせる。言い出しっぺのソロモンが神妙な顔で押し黙った――ブルーシートの上で正座して俯くソロモンの、その膝の上にディーヴァがぺたんと腰を下ろした。
「そんなに落ち込むことないわよ、ね?」
「ハイ、有り難うございます……」
ソロモンは小さく謝った。心中では猛省しているように見えた。アンシェルのこととなると妙にしおらしくなるソロモンがおかしいのだろう、ディーヴァはケラケラと笑った。
「こんなに綺麗な桜の下なんだから、幸福よ。桜が降り積もるんだわ、花びらに埋もれて眠るのでしょう」
「ディーヴァ……!」
カールが悲痛な声を上げてディーヴァを見た。相変わらず彼は立ったままだ……桜の下の死体に、相当怯えているらしい。カールったら怖がりねェ、と言って、ネイサンが笑う。その鼻先にひらりと舞い落ちた一枚の桜の花びらを、ジェイムズが軽く指で払った。
「そう、恐ろしい話でもないんだがな。結局は空想だから……」
「あら、そうなの?」
「作中ではな」
目をしばたくネイサンの問いに、首を竦めてジェイムズは答えた。桜の花びらが彼の指先からはらはらとブルーシートの上へ落ちていった。
「誰か人を殺して埋める話じゃないの?」
ディーヴァがソロモンの膝の上からそんな質問を発する。ジェイムズは首を振って、
「違います。そんな物騒な話ではなく、もっと……」
ジェイムズは途中で言葉を切る。彼は桜を仰いでいた。咲き誇る桜に言葉の先を取られてしまったようだった。その彼にも、桜の花びらが落ちかかってゆく。
「ジェイムズ! ちゃんと答えて」
「ああ、すいませんディーヴァ……うわっ」
気のない口調で謝ったジェイムズに、勢いを付けてディーヴァが飛び込んでいった。笑声もまた、桜並木に消えてゆく。
「ディーヴァ、暴れるのは止して下さい」
仕方ないな、と言う微笑を浮かべてアンシェルが言った。だって、ジェイムズが途中で黙っちゃうんですもの! ディーヴァは笑いながら、ジェイムズを抱きしめた。狡いわァ、とネイサンがおどけた口調で言ってそこに加わる前に、ディーヴァは立ち上がる。腕を広げ桜の花びらを一心に受けて、並木道の向こうへ目を向けた。
「……姉様!」
歓声を上げて、ディーヴァが大きく手を振った。通りの向こうから、同じように手を振り返す小夜が姿を見せる。こちらに向かって駆け出して来る小夜の後ろに、彼女の家族の姿も見えた。
「カール、そんなところに立っていないで小夜たちを迎えましょう。照れることないんですよ」
「照れてなんかない! 別に私は……」
先のディーヴァの声と同時に急に背筋を伸ばして立ちすくんでいたカールが、金縛りが解けたようにソロモンを睨んで言った。だが言葉は途中で不明瞭なものになる。聞こえたところでどうせ彼自身にしか解らない言葉だろう。ソロモンはカールから視線を逸らし、小夜へと向けた。
「ディーヴァ――、こんにちは」
小夜はまずディーヴァヘ向かって微笑みかけ――ディーヴァがそれに満面の笑みで返し――次いでアンシェルに向かって頭を下げた。アンシェルは既に立ち上がって、小夜に軽く目礼を返している。
「小夜
さん、随分久方振りだ」
「半月振りです。……いつもディーヴァがお世話になってます」
「いや、そんなこともないのです……いつもディーヴァのお陰で家が明るくなっている」
アンシェルの言葉に、小夜が微笑を返すが、その笑みは少し硬い。アンシェルの表情は表面穏やかだが、ソロモンは、少し意地の悪い顔をしているな、と思った。この二人が会うと、いつもこんな風な緊張感が漂う。小夜はアンシェルが苦手なようだったし、彼女はそれを隠す程器用でもないようだった。アンシェルの方はそんな彼女を面白がっているようなのだが、それが原因でますます小夜はアンシェルを敬遠する、と言った具合だ。
「小夜!」
その空気が察せたわけでもないだろうに、急にカールが大声を出した。小夜がびっくりしたように目を瞬いてカールの方を見る。アンシェルは一度息を付くように笑い、その場に……シートの上に……座り込んだ。
「小夜、久し振りだね――その」
「お久し振りです、カールさん。お元気でした?」
「――勿論! あ、いや」
アンシェルに対するものとは打って変わって明るい笑みを浮かべて見せる小夜に、一度叫んで見せてから、落ち着かなげにカールは言葉を打ち消した。……カールと小夜、こちらもこちらでぎこちない。それも、カールから一方的に、小夜に好意を抱いているようで――小夜に会うと、いつもこんな調子だった。
「……今日を、楽しみにしていた」
「あ、桜、好きなんですか?」
「好きだ――さっき少し嫌いになりそうだったけど」
この辺りでネイサンがお茶を噴き出しそうになって慌てて口を覆った。小夜は不思議そうに首を傾げただけだ。カールは一度息を飲み込んでから、
「――桜は確かに楽しみだった。ここで毎年桜を見るのが私は好きだ。だが、それだけではなく」
「カールは私じゃ駄目なんだって」
と。
いきなり、ディーヴァが会話に割って入った。びしりとカールが硬直し、小夜が怪訝な顔でディーヴァを見た。ディーヴァは、紙コップへペットボトルからトマトジュースを注いでいるところだった。
「どう言うこと?」
「小夜姉様じゃなきゃ駄目なんだって! 私、カールにフラれちゃったの。哀しいわ、ねえネイサン!」
「大丈夫よディーヴァ、貴女には私たちがいるわ!」
紙コップを片手にわざとらしく泣き真似をするディーヴァを、やはりわざとらしい仕草でネイサンが抱きしめる。頭の上に疑問符が飛んでいる小夜の横で、カールは完全に固まっていた。
「どう言うことですか?」
そこで聞くのか!――と思ったのはソロモンだけではないだろう。ふざけていたはずのディーヴァとネイサンすら、驚愕の眼差しで小夜を見た。しかも、よりにもよってカールに小夜は問い掛けたのだ――カールに答えられるはずがない。何歳も年下の少女の問い掛けに、哀れカールは震えたまま、えーとかあーとか唸る羽目になった。
「小夜ァ、シート敷くから!」
此処でカールにとっての助け舟となったのは、ちょうどやって来た小夜の血の繋がらない兄――宮城カイだった。アンシェルたちに軽く礼をしながら、シートを広げにかかる。
「あ、うん、解った!」
カイを振り返り、小夜はシートを敷く手伝いにかかる。かくしてカールは放って置かれることになったのだった――幸か不幸か。カールはまだ固まっていた。
「やあ、どうも、アンシェルさん!」
風呂敷包を持った壮年の男――ジョージがにかにか笑いながら礼をする。その横ではリクが。さらにその後ろから、ハジがやって来ていた。カールはシートの上にへたり込んで、「お前は覚えていないのか……」などとぶつぶつ呟いていた。意味不明だったのでソロモンは放っておくことにしたが。
「すいません。先に始めてしまっていました」
「やァ、いいんですいいんです! だいぶん遅れてしまいましたからね」
アンシェルの言葉にジョージが笑いながら返し、ソロモンたちの座るブルーシートに隣接する形で敷かれたシートの上に風呂敷包を置いて腰を降ろした。
「姉様! ジュース何にする? いっぱい買ってきたのよ」
「って、マジに凄い量だな! 何だこりゃ!」
ずらずらと並べられた一リットルペットボトルの山に、カイが歓声を上げた。
「ディーヴァが沢山あった方がいいって言うから、頑張って持ってきたのよ。ジェイムズと二人で。ね?」
首を傾げてみせるネイサンに、無言でジェイムズが頷いてみせる。小夜はジュースとお茶の大群にいまさらながら気付いたようで、遅まきに驚いた顔をした。
「だって、折角姉様に会えるんですもの!」
ディーヴァはにっこり笑って、小夜に抱き着いた。小夜は目を瞬かせて、やがて微笑を返す。
「ん。――そうだね」
「これから毎年一緒にお花見をするんだわ! それだけじゃないの。夏には海に行って、泳いで、砂浜で遊んで……キャンプにも行きたいわ。秋には紅葉狩りに行くし、冬には雪合戦をして雪だるまを作って、かまくらも作って。お正月は一緒がいいわ。初詣も一緒に行くの。姉様、いいでしょう? アンシェルも!」
ディーヴァがアンシェルに目を向ける。アンシェルは無言で頷いた。アンシェルは小夜を見ている。小夜も――
「……そうだね。いつだってどこへだって、一緒に行こう」
頷いた。頷いて、ディーヴァを抱きしめ返した。強く。笑顔を浮かべて。
「……さ、姉様、ジュースを選んで! 一緒にお弁当を食べましょう! 姉様、いっぱい食べるでしょう。間に合うかしら!」
ディーヴァが小夜から離れ、笑ってみせた。うちだって沢山作ってきたんだ、大丈夫さ、とジョージが風呂敷包を広げながら言った。
カールはようやく立ち直ったようで、さりげなく小夜の傍に寄ってペットボトルから紅茶を開けていた。ハジが無表情にカールを睨んだが、カールは気付いていなかった。
桜の花びらは後から後から舞い落ちていた。桜色に染まりつつあるシートの上で、騒々しいお花見が始まった。
――きっと。
きっとどの季節だってこうやって一緒にいるのだろう。春は花見を夏には海へ。紅葉を見て雪を見て。……一緒に。
それは、とても幸せなことに思えた。
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