「トリックオアトリート!」

 馬頭の怪人が腕を広げ、妙にできあがったテンションで聞いてきた。
 あまりのシュールさに頭痛を覚えながら、マルコはきわめて沈痛な面持ちで馬に目を向ける。こちらに両手を差し出す馬の表情……マスクの下の表情は見えないが、多分、本人は満面の笑みを浮かべているのだろう。何がそんなに楽しいのかは知れないが。

「……さん、それどう言う意味か解って言ってる?」

 問いに、馬ことは力強く頷いた。

「おかしをくれ」
「……なきゃ、いたずらするぞ。その馬のマスクどこで買ったの?」
「以前ちょっと通販で。俺もあっと言う間に制服馬です」

 言いながら、は馬のマスクの鼻先を両手で挟み込んでみせる。リーゼントを誇示する前時代の不良のごとき動きであった。

 マルコは瓶コーラを片手に苦笑する。意気揚々と宅配で届いたマスクを装着するの姿が、ありありと瞼の裏に浮かんだからだ。そう言うグッズが大好きな人ではあったし、こう言ったイベントにも乗らずにいられない性格でもある。お調子者のきらいはあるがそう言う部分も含めてマルコはこの先輩のことを気に入っていたし、彼に付き合うのは楽しみでもあった。しかし。

「あー……今菓子の手持ちねえんだけど」

 ポケットや鞄を探って、マルコは肩を竦める。飴やガムの類も、今日は偶然持ち合わせていなかった。

「じゃあこれを被るのだ」
「馬のマスクがもう一個!?」

 思わず叫ぶマルコに見せ付けるようにどこからともなく取り出した馬の生首を掲げ、馬のは生首の中に手を突っ込んでぐるぐる回しながら、

「これで君もチョイ不良(ワル)馬。これを被って俺と一緒に菓子を手に入れに行くのだ」
「いや、遠慮しとく。そもそもさん、それは相手方が菓子を用意してることを前提としたイベントっちゅう話でね?」
「問題なカッツォ」

 無理矢理な下ネタだ。そもそも問題あるのかないのか。

「昨日アメフト部のみなさんに明日はハロウィンだねとうざいぐらいにアピールしてきました」
 それは知らなかった。

「いやいや……それで用意してくれれば世話ねえっちゅう話だよ」

 正直な話、望み薄に思えた。ハロウィンであることをアピールしてみたところで、菓子を用意したり仮装に走ったりするような輩がアメフト部にいるとは……あまり思えない。
 しかしは、あっけらかんと手を振って、

「平気平気。お菓子を持っていなかった方には俺のいたずらが火を噴くだけだからな」
「具体的には?」

 は何故か胸を張った。

「来年の無病息災を願って馬が頭を噛みます」

 首を傾げざるを得ない。

「……ししまい?」
「まあ、あとはアドリブとかでいろいろと。時間もないのでさくさく行こう。いざフィールドへ!」

 あんまり練習の邪魔をしないでね、と、マルコは心の中だけで思った。止めても無駄なのは何となく解っていた。
 猛然と駆けていく馬の後ろ姿、後ろになびく縦髪が、寸分でも凛々しいと思えたのが無性に悔しい。




ハロウィンは馬と共に




「……」

 馬が落ち込んでいた。
 一つだけもらえた袋マシュマロを馬の口にくわえ、グラウンドの隅で体育座りをするの背からは、深い哀愁が感じられる。

「……如月以外は全滅か。予想はしてたけど、惨憺たる有様だな」
「き、期待はしてなかったんだからな!」

 腕と頭を振り上げ、馬は猛然と声を張り上げる。

「いや、その言い訳は成り立たねえだろ。ワクワクしまくってたじゃねえかっちゅう話だよ」
「……うむ、それだけに絶望は大きく、ラギくんがまるで天使に見えた」

 はくわえたマシュマロ袋を手に取り、愛おしげに撫でた。

「このマシュマロは大事に大事に食べるよ。有り難うラギくん。
 ――あ、そういやまだ峨王には言ってない」
「や、期待できねえだろ、あれは」

 はたと気付いて顔を上げたに、マルコは溜息混じりに呟く。何も出さないどころか、コメントの一つももらえないと言う可能性すらあった。……峨王はなかなか、人のボケに厳しいのだ。

「生せば生る、成さねば生らぬ何事も、生らぬは人の成さぬ生りけり!」

 叫びながら、天に鼻先を向けて馬は立ち上がった。完全に峨王に聞きに行く方向で意思は固められたらしい。その勢いに微妙に不穏なものを感じながら、

「……何で上杉鷹山?」

 眉を寄せてマルコは呟いた。第一、その格言は微妙に意味が外れている。

「当たって砕け散ってやるッスよ! 峨王くん! がーおーうーくーん!」
「文字通り砕かれねえようにな……」

 骨とか。
 控えめな忠告を、は多分聞いていなかった。
 マルコは溜息をついて、走る馬の後をゆっくりと追った。




 遠目からでも特に目立つ峨王へ向けて、軽快に馬が走ってゆく。
 が、三十メートル走るか走らないかのところではちょっと減速し、すぐに立ち止まった。体力が切れたのだろう。正直、は運動不足過ぎる。

「峨王くん! トリックオアトリート!」

 がそう言って峨王の前で両手を上げる頃には、マルコも峨王のところに辿り着いていた。

「……か?」

 走ったことで微妙に位置のずれた馬の頭を見据え、峨王は訝しげに問い掛けた。おうとも、と、無意味に自信ありげには肯定する。過剰に息が上がってはいたが。

「それを、知って、どうするかね峨王くん、大人しく菓子を渡すか、それともこの馬の餌食になるかね!」

 疲れて途切れ途切れだった台詞が途中で調子づくのが腹立たしい。
 馬は肉食じゃねえよ、などと言った類のことは突っ込むだけ野暮な気がしたので、とりあえず無言で馬頭の角度と乱れた制服の着方を後ろから正しておく。

「……母親同伴のハロウィンなんぞ聞いたこともねえな」
「マルコ、はみ出たシャツまでこっそり直そうとしないでいいから! あとこいつ母親じゃないし! 俺のが先輩だし! こんなコーラ臭い母さんいないし!」

 峨王の茶々入れに、激しく動揺してこちらを振り返ったり峨王に向き直ったりする馬。軽くからかったつもりが予想外の過剰反応だったのか、峨王がちょっと眉をしかめる。
 マルコはに首を竦めてみせた。

「あんまりだらしねえから」
「おっおかァァーさん!?」

 何でそうなる。

さん、グダグダんなってる。ハロウィンだっちゅう話だよ」
「ハッ、そうだった! 俺はアメフト部員から大胆に残忍に菓子を巻き上げる仮面ライダー愛の戦士」

 ……仮面ライダーは多分、そんなことはしない。
 思いつつも、口には出さないでおく。ひとまずは自分の本来の目的を思い出したらしいのだから、水を差すこともないだろう。

「とにかくあれだ。お菓子を寄越すがよいのだ。さもなくばこの口からビーム的なアレが出て貴様をイケニエに」
「面白そうだな、やってみろ」
「あっごめんすいません。そんなもの出ません。指をゴキゴキ鳴らすのやめて恐いからやめて。俺の全身の骨が砕けてグダグダになっちゃう」

 不敵な笑みを浮かべる峨王を前に縮こまる馬。仕方がないことかも知れないが、あまりにも変わり身が早い。

さん……」
「と、とにかく、トリックオアトリートだ峨王! おかしをくれなきゃいたずらだ!」
「……待ってろ」
「いたずら……いたずらか! 鼻から花を咲かせるのはやっちゃったし、峨王にはどんないたずらが……アレ?」

 背を向けて部室の方へ向かう峨王を見やり、はかくんと首を傾げる。その状態のまま、説明を求めるように馬の鼻先がこちらを向いた。正直、あまりこっちを見ないで欲しい。

「……ちゃんと用意してたってことじゃねえかな」
「お、お前の右腕と左腕スゲエ!」

 マシュマロ袋を抱きしめ、は歓声を上げる。それはマシュマロであって俺じゃねえ。マルコはまたも声に出さないでおく。無論、こっちに抱き着かれても困るからだ。

「だ・け・ど……」

 マルコは疑念に眉を寄せた。
 如月はともかく、峨王が言われて菓子を用意しておくような男とはとても思えない。
 ……何かある気がする。

「あー、さん、あんまぬか喜びしねえ方が……」
「ほら、やるよ」
「うわあ、どっからどう見ても生肉だけどありがとう、峨王!」
「……って、ああ成る程、それなら納得……」

 ビニール袋に入れられた肉を手渡す峨王と受け取るを見て、マルコは溜息をついた。峨王がロッカーに肉を入れていることがあるのは知っていた。……まさか、それを他人に分け与えることがあるとは思わなかったが。

「どうしようマルコ、今夜はすき焼きだ!」

 嬉しさ半分、驚き半分と言う調子では声を上げる。マルコは苦笑して肩を竦め、馬は肉食じゃねえよ、ともう一度胸の中で繰り返しつつ、

「そりゃよかった……」
「ありがとう峨王! 肉とかスゲーよ!」
「別に礼を言われるようなことじゃあねえさ。いたずらかもてなしか(トリックオアトリート)はハロウィンのルールだ」

 笑みもせずに峨王は嘯いた。それから、もう用は済んだだろうとばかりにこちらに背を向ける。
 ……確かにそろそろ、に付き合っていていい時間ではない。いい加減自分も練習に参加しなければ。

さん」
「ん、解ってる」

 軽く頷いて、は笑った。

「付き合ってくれてサンキュな、マルコ」
「俺にもう一度言ってみてくれる?」
「え?」

 胡乱な声を上げて、はこちらに顔を向ける。マルコは首を竦めてみせ、

「いいから」
「……トリックオアトリート?」
「はい」

 マルコは笑って、持っていた瓶コーラを馬に向かって差し出した。
 馬はちょっと躊躇ってから、小脇にマシュマロ袋と生肉を抱えて、無言で瓶を受け取る。

「……飲みかけじゃん、これ」
「うん」
「なんか温いし」
「ずっと持ってたからな」
「気も抜けてるよな」
「おっしゃる通り」
「……何でさ」
「峨王がさっき言ってたでしょ? トリックオアトリートがルールだって」

 マルコは言って、首を傾げてみせる。

「俺はいたずらされてねえし、お菓子もあげてねえから。昨日教えてくれてれば、花束だって何だって贈ったんだけど」
「花束は食えないよ」

 は言って、瓶コーラを覗き込んだ。マスク越しには果たして彼がどんな顔をしているかは解らなかったが、

「……へへ」

 漏れ出た笑いが表情を告げていた。
 顔を上げ、は肉の包みが入った袋を掲げる。

「マルコ、今日うち来いよ。マシュマロとすき焼き食わせてやるから」
「……すき焼きにマシュマロ入れる、なんてのは止してくれよ」
「それいいな! やってみるか!」
「ああ、ヤブヘビ……?」

 マルコが大袈裟に頭を押さえてみせると、はあっけらかんと笑った。それからコーラを口元へ持っていこうとして、

「……あ、コーラ飲めねえ。マルコ、持っててくれるか?」

 ハロウィンの戦利品をマルコへと手渡し、は馬のマスクに手をかけた。縦髪を引っ張って、マスクを外そうとする。

 が。

「……あれ?」

 かくん、と馬は首を傾げた。相変わらず両手は強く縦髪を引っ張っているが、マスクは一向に取れる気配がない。

「あれ? 変なとこで引っ掛かってんのかな、おっかしいな……」

 一瞬、なにかの前フリかとも思ったのだが、声はやや焦躁を帯びていた。本当に外れないらしい。

「留め具とか外し忘れてんじゃねえの?」
「いや、そんなものはなかったはず……アレ?」
「峨王、ちょっとこっち来てこのマスク引っ張れ」
「待て待てそれ俺の首まで引っこ抜ける可能性がアッー!」

 爽やかな風吹き抜ける秋の青天に、ぶちぶちとマスクのちぎれる音と悲鳴が響き渡った。




 残骸となったマスクの前で先輩が両膝を突いている。
 マルコはその背後から、彼へ向けて優しく瓶コーラを差し出した。がそれを受け取るのを待って、マルコは口を開く。

「そう言えばさ、さん」
「……何だい、マルコ」
「ハロウィンって、本当は前夜祭なんだよ。クリスマスイブと一緒で、夕方からなんだ」
「……それで?」
さん家に行く時は、俺も仮装して行こうかなー? と思ってね。
 ちゃんともてなしてくれねえと、色々いたずらしちまうかも知れない」

 瓶コーラを受け取ったの手がびくりと震える。

「白のポスカだけは勘弁して下さい」

 何か嫌な思い出があるらしい。
 マルコは笑って躱すと、軽くの肩を叩いて、ようよう練習に向かった。






 ハロウィンは馬と共に去りぬ。そう言うことはなくなりそうだ。……実に幸いなことに。




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 自分の咄嗟に出てくるイタリア語彙に何故か○んこ=無理矢理な下ネタが入ってることに絶望した。
 ハーフなのはマルコなのに、何でこいつそんなボキャブラリーが。教えてもらったのか。何教えてるんだ。

デフォルトネームと設定。
高城雄大(たかじょう・ひろびろ)
 めっきり先輩扱いされない高校2年生。帰宅部。転校生。体力がない。