……こっちを期待に満ちた目で見つめてくる先輩に対して、俺は曖昧な笑みで返すしかなかったわけで。
「あー、最近寒いからな」
 突っ込めよ。




春めく前の鬼やらい



「峨王くーん!」
って、ちょっと待ったー!
 満面の笑みを浮かべて練習中の峨王へ向かって走り出しかけたを、マルコは済んでのところで後ろから肩を押さえて踏み止まらせた。
「何だよマルコ」
 右手に豆袋、左手に厚紙製の鬼の面と言う完全な節分スタイルをしたは、不満タラタラと言う表情でこちらを振り返る。マルコは背中に冷汗を感じながら、努めて真剣な顔でに顔を近付け、
「……今、何しようとした?」
「峨王に鬼役を頼もうかと」
 などとは無邪気な顔で言うので、こちらも自然と笑顔になるわけがない。凄まじい勢いで引きつった。

「……さん、知ってた? 今は実は練習の真っ最中なんだ」
「練習は毎日できるけど、節分は一年に一回しかないじゃんか!」

 黙れサムズアップすんな。

「俺は鬼よりさんを外に放りてえよ」
「もう外じゃん放れねえよ」
グラウンドの外って意味だ!
「日本語って曖昧だよなァ」
 面の目の部分に指を入れてぐるぐる回しながら言うにマルコは殺意に似たもの、と言うより殺意そのものを覚えざるを得ない……一方で、アレ俺なんか真面目だな? と言う自問が胸に湧いた。が、気付かなかったことにしてマルコはの目を見つめ、
「どうしたんださん、去年のあんたはもっと遠慮がちで練習には比較的ノータッチだったはずだ。一体何があったんだ」
だと……馬鹿め、奴は死んだわ!」
「いやいやいや」
 面を回しながら大袈裟に啖呵を切るに突っ込みながら、マルコは裏手で空を叩いた。
 わざとらしい高笑いと共に、は素早く身を引いて、
「ここにいるのはではなく大 胆 に(コンブラヴーラ)情 熱 的に(アパッショナート)鬼に豆をぶつけるギャングスターですよ! 今、俺の思いを乗せて鬼の面よ飛んでいきな(ボラーレ・ヴィーア)ッ!」
「ギャングスターは豆まきしねえっちゅう話だよ!」

 気付いたマルコが止める間もなく、の回っていた面は勢いよく指を離れて空中に飛び立ち、マルコが思わず目を見開く程の正確さでもって峨王の方へすっ飛んでいった。……その技術はほかのところに使うべきじゃねえか? マルコは飛んでいく面へ届かぬ腕を伸ばしながら、そんなことを思う。
 が、所詮は紙の悲しさか、回る面は峨王手前で失速し、低空飛行を経て峨王の足元へ回りながら落下する。
 靴先に当たった感触に気付いたのだろう、峨王が怪訝な顔で鬼の面を拾い上げた。

「……何だこれは?」
「あーっとそれは噂に聞く鬼の面が自らの装着者を自分で選ぶと言う伝説の! さぁ早くそのお面を付けるんだ!」
「出・た・よ! テキトーなこと言ってるよこの人! 峨王、今のうちにその面どこかに捨てて! さんは俺が押さえてっから!」

 叫びながら峨王の方へ駆け出そうとするを後ろから羽交い締めにして、マルコは峨王へ必死に声をかける。
 その峨王は何故か、鬼の面を見つめたまま無言でその場に立ち尽くしていた。
「――え、何? どうしたんだ、峨王?」
 無反応な峨王にさすがに違和感を覚えたのか、がキョトンとした顔で問いかける。マルコもおかしいとは思ったが、咄嗟にかけるべき言葉が見当たらなかった。不穏さを嗅ぎ分ける力の違いだろう。はマルコと違って、本当の間近で峨王の力を見たことがない。怖くないのだ。
「峨王?」
 と言って声をかけないわけにも行かず、マルコは峨王に努めて軽い声音で呼びかける。峨王は答えぬまま、お面をじっと見つめている。

「……峨王?」
「またか」
「え?」

 地の底から聞こえてくるような薄暗い呟きに、マルコは思わず首を傾げる。聞き間違いがなければ確かに今の声は峨王のものだった。

「峨王、一体何が……?」
「……幼小中……節分となれば必ず俺が鬼役を任されていた……」
「え……ああ、そうなんだ」
 独白めいた――と言うか、間違いなく独り言だろう峨王の呟きに、マルコは思わず納得したような気のないような呟きを漏らした。何に対しての納得なのかはよく解らなかったが、峨王が未だかつてないほどに打ちのめされているのは肌で感じられた。
 あの峨王が、相手が強敵であればあるほどその力を発揮し多くの選手を文字通り打ち倒して来た峨王力哉が、一枚の厚紙でできたたかだか豆袋一つのおまけであるような鬼のお面を手に彫像のように硬直しているのだ。
 ……正直反応に困る。

「『峨王くんは身体が大きいから』……いつもそれが理由だった。節分には毎年、俺は同級生から豆を……」
「ふつう先生がやるじゃんなあ、鬼役って」
さん、その辺り突っ込まない方がいい気がする。この話題」
「って言うか、小学生だって中学年になれば節分なんてやらな」
さん、シャラップ」

 峨王のトラウマ――だか何なんだか――に対してきわめて素で(何故かこんな時だけ)ツッコミを入れるの口を、マルコは後ろから覆った。峨王に対する武士の情けであった。どれだけ真っ当な正論であろうと、触れない方がいいことは世の中にいくらでもある。

「……何つうか、人はそれぞれに自分にしか解らねえ苦しみを抱えてるんだっちゅう話で」
「果てしなく腑に落ちねえ」
 首を傾げて渋面を作るの肩を、マルコは軽く叩いた。
「つまり、峨王に鬼役は無理よっちゅう話」
「そこは理解した」
 は軽く頷き、ぐるりとこちらを振り返ると、

「で、ものは相談だが」

 実に期待に満ちた眼差しだった。
 マルコは応えるように、柔らかく笑みを浮かべる。それを了解と取ったのか、は顔を輝かせ、
「やってくれるのか、マルコ!」
 その言葉には答えず、マルコは正面から改めての肩に手を置き、正面からを覗き込んだ。

さん、俺はこう思うんだ。
 こう言うのって、言い出しっぺがやるべきじゃねえか、ってね」
「いやだ」
「峨王、さんが鬼役やってくれるってよ!」
「うおお、顔色も変えずに完全無視か! ポーカーフェイスが板に着き過ぎですよマルコさん!?」
「問答無用、豆没収」
「試合並の技の冴えーッ!」

 マルコは素早くの手から抜き取った豆袋を、そのまま流れるような動作で峨王の方へ放り投げた。峨王はそれをしっかりと受け取り、鬼の面とを見比べてニヤリと笑う。

「……いいんだな?」

 マルコは一人の男がトラウマから脱却し、新たな一歩を踏み出す瞬間を見た。
 一方のは笑顔を浮かべていた。これから起こることを諦め切って受け入れるかのような悟った表情だったが、正直にどうでもよかった。




 他のアメフト部員も参加してのささやかかつ暴力的な節分の儀式の様は割愛するが、豆を全て投げられ終わった後のは、燃え尽きたと言うに相応しい姿であった。
 ぼろ雑巾のようだった、と言った方がいいかも知れない。
「……知らなかったよ、豆って武器になるんだな」
 グラウンドに俯せに倒れ込んだが、かすれた声で呟いた。
「峨王はQBの才能もあるかもね。投げたボールを誰も取れねえのが問題だけど」
「それって駄目ってことじゃんか」
 投げたのとは別の豆――グラウンドに放った豆を拾って食べるのはさすがに躊躇われる――を年の数だけ口に運びながらのマルコの呟きに、よろよろと起き上がりながらが突っ込む。鬼の面は一部が豆の形に凹んでおり、投げ付けられた豆の威力を物語っている。
「……しかし、これは割に合わねえよ。この痛みの分はあれだ。ひーちゃんに恵方巻きを食べてもらうしかない」
「自分でやりなさい」
 豆をグラウンドから掃き出しながら、氷室丸子が極寒の眼差しでのセクハラに答えた。

「自分でやらなきゃ意味がないでしょう」
「じゃ、俺もやるからひーちゃんもやろう」
 めげずに笑顔で新案を持ちかけるを、氷室は一旦手を止めて見遣り、
「嫌いなの、あれ。食べにくいし」
「えー、ひーちゃんもののあわれを解ってねえようー」
さん、ブーイング結構だけど、言っている意味がまるで解らない」
「俺だって解らねえよ!」

 胸を張ってどうする。

「――って言うか、あるの? 恵方巻き」
「今日コンビニで買ってきた。まあ、要するに俺の昼飯なんだけど」
「手前で食え」

 マルコの笑顔のツッコミに、は何がしか文句を言いながら両手を上げて口を尖らせたが、峨王が目を光らせて豆を片手に戻ってくると、全速力でその場を逃げ出した。
 それをほのぼのと眺めながら、マルコは恵方巻きを氷室に食べさせる算段をぼんやりと練っていた。勿論、その場にを居合わせさせる気は全くない。




 ……そんな風にして、今年の節分は過ぎて行った。
 氷室がその年恵方巻きを正式な決まりに則って食べたかは、また別の話になる。




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 前回からよりいっそう鬱陶しくなって帰ってきているような(主人公が) こんな感じだったっけ?
 マルコは前回よりちょっとオネエになってます。

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 高城雄大(たかじょう・ひろびろ)
 悪乗りが過ぎる高校2年生。帰宅部。転校生。エロス=ジャスティス。
 さりげなくないオタ疑惑。