――花火みたいな奴だと思ったんだ。
あいつが作る花火みたいに、私も爆ぜさせて欲しかった。
イ シ ュ ヴ ァ ー ル の 花 火
「――ハイ、元気してたかい、ディック?」
吐き気のするような臭いのする刑務所、並ぶ独房の一室、小窓から呼びかけてやると、向こうで男が低い声で笑った。
刑務所は、いつも通りだった。盗みを初犯でしょっぴかれた乞食だの、女ばかり七人も腹を割いて子宮をコレクションしていた変態だの。そんな馬鹿どもがひしめく中で、ここだけは唯一静寂を保っている。
中に入っているのはこの刑務所のどこ探したって他には見つからない頭のいい奴だが、こいつほど頭のイカれた野郎も他にはいない。
「やあ、中佐。今日はどんな御用向きで?」
独房の硬いベッドの上に腰掛けたその男は、慇懃に笑みを含んだ口調でそう聞いてきた。
「大佐だよ、キンブリー。昇進したんだ」
「そうでしたか――何かお祝いでも?」
「いいよ。お前に祝ってもらいたくなんかない」
突っぱねてから、私は小窓から視線を逸らし腕を組む。
「やってほしいことと言ったら、私の上司やってる年食っただけのファッカーを爆弾にして、戦争好きなイカレ大総統もろとも吹っ飛ばして欲しいくらいだ」
「グラン准将は有能な方でしょうに」
喉の奥を震わせるだけの小さな笑いに、私は大袈裟に嘆息を返した。
「だから鼻につくのさ、狡い爺なんざ害虫以外の何者でもないよ」
「けれど、私はこれですから――どうやら、私が貴女にして差し上げられることは何もないようだ」
両腕に取り付けられた手枷を示して見せて、キンブリーは嘯いた。細い顎には疎らに髭が生え、戦場生活で焼けていた肌は青白くなり、体つきも全体的に細く頼りなげになった。かつては戦場を飛ぶように駆け、いっそ芸術的と言っていい程の手際よさと執拗さで敵を殺し続けた男も、数年牢獄にいればこんなものだ。
私は今度はキンブリーに察せられないよう小さく嘆息して扉に寄りかかると、モスグリーンのハードカバー本をバッグから取り出し、小窓から差し入れてやった。ごん、と音がして、本は独房の中に落ちる。
「……これは?」
「差し入れだ。その理論書、欲しいって言ってたろう? 私のお下がりで悪いけど」
「いいんですか?」
「ああ、昇進の喜びを、誰かに分けてやりたくってね」
子供みたいに高い声を上げて聞いてくるキンブリーにそう返すと、立ち上がる音と本を拾い上げる気配が、した。拾う時にぶつけたか本の角が扉に当たり硬い音を立てる。
「――有難うございます。」
「止せよ。照れるだろ」
珍しく素直に礼を言ってくるキンブリーに、私は小窓から笑んで見せた。キンブリーの目が、目の前にある――意外と距離がない。これ程近ければ、どうにかすればキスまでできそうだ。
だが、私は考えるだけで実行には移さず、小窓から顔を離した。
……こいつがここにぶち込まれて、何年経つか。古い馴染みの私は、中央勤務なのをいいことにして、ちょくちょく刑務所にやってきて、こいつと短い会話を交わしていた。
本来なら独房の囚人に本を与えるなど――そもそも面会自体持っての他なのだが、看守に金を握らせて、特別に許してもらっていた。端から見れば、私は囚人に金を貢ぐ、変わった女だろうか。
「――知ってる、キンブリー? ここ最近、国家錬金術師が相次いで殺されてるの」
「ああ、看守さんから聞きましたよ。確か――
傷の男、だとか」
「うん。額にね、大きな傷があるらしいんだ」
扉に寄りかかったまま床に座り込み、いつも通りの他愛ない話。いつもと違うのは、キンブリーも向こう側から扉に寄りかかって座っていることぐらいか。ひとつの扉を二人で挟んで背中合わせに座っていると言うことだ。ここが刑務所でなくて、キンブリーが囚人でなかったならば、ちょっとロマンチックな状況だ。
「国家錬金術師そのものに恨みを持つ奴って、何だと思う、キンブリー?」
「さぁ――」
上を向いたか、軽くキンブリーの頭が鉄扉に触れる気配がした。しばしのキンブリーの思考を、私は膝を抱えて待つ。
「けど、イシュヴァールの民は、私たちを恨んでいるでしょうねぇ」
「思い出すのかよ、キンブリー」
「えぇ、本当にいい戦だった」
キンブリーが笑うのに合わせて、そう薄くない鉄の扉が震える。私はその振動を背と後頭で感じながら、記憶の中のイシュヴァールを回想した。
男も女も子供も老人も、赤ん坊ですら区別なく、私たち国家錬金術師はイシュヴァールの民を殺して殺して、殺しまくった。反吐が出るような殲滅戦に一番必要だったのは、正気でも狂気でも、まして常識や道徳なんてもんじゃなく、一種の慣れだった。
キンブリーは特に慣れるのが早かった。いや、こいつは、もともとそう言う気質があった。狂人の方のだ。全てを爆ぜさせ、爆炎に包み、跡形もなくすっきりとさせ、こいつは恍惚としていやがった。戦場、それも殲滅と言うよりは虐殺――そのシチュエーションは、こいつに合い過ぎていたのだ。だからこいつは、一線を越えてまともじゃなくなった。
炎や陽光を照り返す爆煙に包まれ茫然自失のノリでうっとりとしていたこいつは綺麗だったが、同時に吐き気を催すほど、醜悪だった。
「、貴女も、楽しかったでしょう?」
……咄嗟に返せなかったのが敗着だったかも知れない。次の瞬間私の脳裏に再生されていたのは、向かってくる勇敢なイシュヴァールの青年が、私に首を切り飛ばされただの死体になって仰向けに倒れていく姿だ。その時我知らず浮かんだ笑みが、自分が殺されなかった安堵や恐怖ゆえの引き攣れた笑いでなかったことは、誰よりも私がよく知っている。
人を殺すことの昂揚と愉悦を、教えてくれたのはイシュヴァールだ。その戦場だ。私は死線で自分の薄暗い汚らしい殺人快楽者の一面を引き出され、向き合わざるを得なくなった。そのことそれ自体に猿みたいに興奮して、私は人を殺して回った――私は、自分が自分でなくなる異常さを、その非日常を、死線を、イシュヴァールの民が向けてくる憎悪と恐怖と侮蔑の目を、受けて、悦んでいた。
思い返すたびに、ぞっとする。
「――?」
「あ……?」
キンブリーの猫なで声に我に返る。――イシュヴァールの話になると、どうも私は調子が狂って、いけない。
「……いや、私が言いたいのは、お前みたいな変態と一緒にするなってこと、だよ」
「そうでしょうか? イシュヴァールの貴女は美しかった。私が知っている少佐は、血を被ってこその女性だった」
悪趣味な賛辞はこいつならではだ。少佐は、イシュヴァールの時の私の肩書きである。私の功績が認められたのは悲しいことにあの虐殺の場、イシュヴァールだった。
「――ふん、
冷感症の癖によく言う」
「私は不能じゃありませんよ。女性相手に勃たないだけでね」
「はい?」
苦し紛れに言った下ネタは軽く返された。その上こいつにしては珍しい下ネタとその内容に、私は声を裏返す。
「お、お前、ゲイだったのかよ!」
「冗談ですよ。びっくりしました?」
「寿命が音立てて縮んだよ、馬鹿!」
思わず中指を立てて私は毒づいた。たまにこいつが言う冗談はいつも例外なく最低だが、今のは中でも飛び切りだ。
「、でも、不能じゃないのは本当ですから」
「へえ? アカデミーから浮いた話一つないくせに?」
それは仲間内でよく言われたネタだ。こいつもこんなになる前は、真面目で(それでも錬金術師とあって科学者然とした偏執者ではあったが)、冗談の受け流し方も知らなかったから、真っ赤になっておたおたしてたものだ。今ではそんなこともすっかりなくなってこんなことを言ってくる始末だし、昔の仲間も今はほとんど残っちゃいないが。
「私は随分奥手で、一途でしたからね」
「何だよ、私みたいな
淫乱症とは違うっての?」
からかい混じりに笑いながら問うと、そこで何故か、キンブリーは黙ってしまった。
「? キンブリー?」
「……私は貴女に、そんな風に言って欲しくないな……」
声は小さすぎてよく聞こえなかった。私は眉をひそめ、扉越しにいるはずのキンブリーを見やる。もちろんそこにあるのは、鉄扉だけだったが。
「キンブリー、今何て言った?」
「……私は貴女とは違って上手くやるって話です。噂ができるほど、長続きさせなくてね」
次に飛び出た台詞は随分攻撃的で突き放した口調で、私は困惑してしまう。
「そうかよ。そりゃうらやましいな」
が、狼狽を表に出すのも何となく悔しくて、知らず返事も尖った口調になった。
少しの間、沈黙が落ちる。
「……すみません」
先に口を開いたのはキンブリーだった。殊勝な謝り方に沈んだ声は、なんだか何から何までいつものこいつらしくない。
「どうしたんだよプッシー、いつもの調子じゃないな」
「ええ、そうですね」
今度の言葉には、ほっとしたような色。
私は立ち上がり、小窓からキンブリーを覗き込んだ。座りっぱなしで尻を痛めたか、座りが悪そうにしている。黒髪は独房生活で伸ばしっぱなしになって、手枷をハメられ生き甲斐を奪われた、痩せこけた男――私の学友で戦友。昔から度せない。変態だが悪い奴ではない。そんな男。
イシュヴァールで、こいつは徹底的に変わってしまった。多分、私も変わった。だがこいつは、この世界の枠組みで生きられなくなってしまった。それゆえの、この独房入り。
「キンブリー」
「はい」
「イシュヴァールで私が言ったこと、覚えてる?」
「……いいえ?
あそこではそれこそ色々なことを話しましたから、どれと言われても……」
首を傾げるキンブリーを見下ろして、私は笑った。
「キンブリー、あの時のお前はハイになってたから、覚えてないかもしれないけれどな」
硬く冷たい独房の扉を恋人の肌にするように指で愛撫し、私は呟いた。
「――私は、戦場にいるお前が何より好きだった。そして、儚いと、思ったんだ」
「?」
「お前は花火みたいな奴だと、言ったんだ。私は、」
「……」
「私は、お前が好きだと言ったんだよ」
「……はい」
「お前は聞いちゃいなかったかも知れないがな」
「」
もう一言、キンブリーは私の名を呼んだ。俯いたまま髪ばかりがゆるゆると、揺れている。
「私にそれを言うんですか?」
苦笑が混じっていた。
「前に、言ったんだよ。イシュヴァールで」
「私も貴女を愛していた」
「過去形?」
「私が貴女を愛すると言うことは、貴女を爆ぜさせてしまいたいということですから」
「……うん、知ってる」
こいつがそう言う表現しかできないようになってしまったのも、またイシュヴァールだった。
「そう言う衝動を抑えるため、そう言う考えをしないようにしてきた」
「そいつも、解ってる」
「なのに貴女がそれを言う。牙が取れ、人殺しすらろくにできなくなってしまったような貴女が」
「うん」
「……私はあの戦場で、血塗れの貴女を、抱きしめたいと思った。イシュヴァールの血に穢れた、貴女を」
「爆弾に、してしまいたいって思った?」
「はい」
嬉しそうに頷いたキンブリーはその後に顔を上げ、こちらを見上げてきた。立ち上がり、小窓に、枷のついた手を置く。軋んだ音を立てたのは、手枷か、キンブリーの、手か。
「お願いを聞いていただけますか?」
「……手枷を外せって言いたいの?」
キンブリーは痩せこけた頬を緩め、笑って頷いた。
ここでこいつに殺されるのは、確かに何よりも甘い、完璧な、誘惑に思えた。私はそう言う願望を持ってこいつのところに訪れているのじゃないのかと、心が揺らぐ。書類を片付けて部下に指示を送るだけの、それだけの糞ったれな日常に、別れを告げて、こいつに冒されるように殺されるような、そんな最期を私は望んでいるのかも知れない。
だが。
「――残念だな。キンブリー、私にはできないよ」
私はそうやって、鉄扉から身を引いた。
キンブリーの顔に少しだけ失望の色が広がり、苦笑に変わる。
「――貴女はこうも言いましたね。」
「うん?」
「錬金術は、私たちをいつか破滅させると」
「……言ったかな、そんなことを」
私はぼそりと言って、キンブリーから視線を逸らした。私はそんな青臭いことを言ったのか。錬金術は使うもの次第。包丁と一緒だ。野菜を切るか、人を刺すか。
そんなこと、今は解りきっているのに。
「」
キンブリーが低い声で、私の名を呼ぶ。――あぁ、くそ、これ以上はだめだ。キンブリー。
「残念だけど」
私はさっき言った言葉を繰り返すように、キンブリーの目を見返した。
「――私はまだ破滅するわけには行かないんだ。キンブリー」
「ああ、それは確かに残念ですね」
キンブリーは笑ったまま、首を傾げて扉から引いた。
「私は貴女が爆ぜるところを、見たくて仕方がなくなっているって言うのに」
震える声がキンブリーが衝動を抑えきれなくなりそうなことを告げている。私は、鉄扉を殴りつけるように拳をゆっくりと宛がって。
「……私を、お前みたいな変態と一緒にするなよ、キンブリー」
そしてこちらに踏みとどまった。キンブリーがため息をつく気配と、私が我知らず喉を震わせて笑っているのに気づき、私は顔を上げる。
「キンブリー、その本、ちゃんと読めよ。今度来た時感想を聞いてやる。読み終わってなかったら笑ってやるから」
「ええ、。それでは、また――?」
「ああ、また来週来る。それじゃあな」
バッグを拾い上げ、私はキンブリーに言って身を翻した。
結局のところ私はキンブリーに殺されることを夢見ながら、そうするつもりのないただの、夢想家で、あるのだろう。
看守に礼を言って刑務所を出た。こちらを見る目がどこか下世話だったのは、私とキンブリーの会話を聞いていたせいか。無視したのはいいが、キンブリーとの会話で得た昂揚はいくらか冷めてしまった。
外はすでに暗く、人通りも多くない。
私は寮に急ぐように、歩く足を速める。金はあるが、寮暮らしに慣れてしまった私は佐官だというのに無理を言って寮に住まわせてもらっている。どうせ、帰っても待つ人間はいない、そう言う思考も、私に軍寮を好ませる。
――
しばし急ぎ足で歩き、ふと私は足を止めた。焼け付くような殺気の篭もった目で、誰かが私を見ている。それを感じて。
「国家錬金術師だな」
問いではない、確認の口調。
私は振り返った。銀髪の、コート姿の男が、数メートル離れて佇んでいた。夜だと言うのにサングラスをかけ、褐色の肌は日に焼けたものではない。そして、額に――
「……だったらどうする、
傷モノ面」
「神に背きし者――神の代行者として、逃すわけにはいかん」
顔が引きつるのを感じた。額に傷のある男。国家錬金術師ばかりを狙う傷の男。こんなところで、こんな奴に会うなんて。
「ああ」
私は男と距離を測るように半身になって構えながら、思わず誰かに祈るように、声を上げていた。
「こんなことなら……殺されておけばよかったかも知れない、キンブリー」
呟きに答えるように、傷の男が足を踏み込む。私は、……
「」
暗い独房の中で、キンブリーはふと声を上げた。
手枷に乾いた血がこびり付き、手首には擦過傷がいくつもできている。
「、私は……」
呟き、しかしその先は言わず、キンブリーは俯いて、ただ微笑んだ。
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ロック・レッツェン(Rock letzten)「血砂の錬金術師」
アカデミーを出て国家錬金術師の資格を取った後、イシュヴァールの殲滅戦に参加(当時の名前はロック・レガー)、のち中佐に昇進、軍部で功績を重ねていく。が、大佐になった直後、傷の男と思われる犯行で死亡する。やたら猥褻語多用。コプロラリア? 外国人なら普通か。
イシュヴァール殲滅戦前に婚約しているが、婚約者が志願兵として殲滅戦に参加、死亡している。のち、レッツェン姓を名乗るようになる。