――大声で笑う女を組み敷きながら、ああ自分はこの女が嫌いなのだなと自覚した。
砂と焔
血の臭いが酷い。
あの女の戦った後はいつも、こうだった。赤が飛び散って地面を汚し、素手で引き出された臓物が転がり、地獄の様相を呈している。戦争と言うよりは悪鬼の大隊が蹂躙したようなその様に、悲鳴を上げるよりもまず、黙して戦慄せざるを得ないだろう。
この戦場で最も多くの敵を討って来たとされる、またそれを自認しているロイ=マスタングですら、その光景に吐き気を覚えずにはいられなかった。
あまりに救いがない。目を背けたくなる。だが、背けられない。
これをたった一人の人間が、錬金術師が行ったことなどと、誰が一体信じるだろうか。純粋にただ机上のみにおいてできるのかがではない。一人でこれだけの惨殺を行うことに、体よりもまず心が悲鳴を上げる。果たして、これだけのことに人間が耐えられるのか。
いや。耐えられるのだ。そのことにまた、嫌悪感を覚える。
原型を留めない屍体ばかりが転がっている中で、一人だけ立っているものがあった。
背の高い女だ。
青い軍服を真っ赤にぐしゃりと濡らして、空を仰いでいる。こちらに背を向けてはいるが、マスタングは目を細めた。どんな顔をしているのか。何となく知っていた。
これ程の人間を戮してなお、この女は。
「少佐」
脳裏に浮かんだ想像を振り切って、マスタングは女に声をかけた。
いつもの自分のスタイルなら、彼女のことを国家錬金術師の銘で呼びかけただろう。だが、今は彼女を明確に軍人扱いすることが必要に思われた。
今、この女は首輪のついていない餓えた獣と等しい。そんなことはしないだろうけれど――我を失いこちらに攻撃を仕掛けてきかねないと、マスタングは一瞬考えた。だが、
「……何だい、マスタング少佐」
随分まともな声で、彼女は言葉を返してきた。
かくて殺戮の獣は国家に忠実な犬に戻った、と、マスタングは苦笑しながら思った。実際どうなのかは分からない。少なくともマスタングの認識の中では、彼女、はそう、変身した。
振り返ったの顔は、どこか脱力したような喜悦に歪んでいた。その表情が何に似ているかと言えば、絶頂を迎えた直後の女が浮かべる顔である。吐き気を催すグロテスクな話だが、血を被り肉を裂き骨を破砕し内臓を引きずり出し、ただただひたすらに人を殺した女が、あたかも情交の後のような、蕩けた笑みを浮かべて、いるのだった。
「……帰るぞ、少佐」
顔をしかめながらも、マスタングは口を開く。
「戦闘は終了した」
「終了?」
は惚けたような顔をして、辺りを見回した。砂を含んだ風が吹く。同時に、血の臭いも運んでいた。血砂、まさに、血砂だ。いかにも、馬鹿馬鹿しい。
「――そうだ。これから帰還する」
言いながら、マスタングはを睨んだ。どこか螺子の外れた狂態を見せる奴だが、外から見る限り、そこに立っているだけならば、ただの女だった。頭から鮮血のシャワーを被ったように濡れていることを考えなければだが。
濡れた軍服がの肌にぴたりと張り付いて、体の線が殊更に強調されていた。
「帰ったらすぐに着替えたまえ。伯爵夫人でもあるまいに……」
目を細めて言うマスタングに、はけらけらと笑った。顔に張り付く髪の毛を払いながら、
「そうだな。私は確かに、レスビアンってわけじゃない」
おどけたように言って、彼女はこちらを見返してきた。鋭い眼差し。目元が仄かに赤く染まっている。表情は先ほどより引き締まってはいるが、淫蕩なにおいのする、いやな眼差しであることに変わりはなかった。
マスタングは舌打ちして目を逸らし、踵を返して歩き出した。この女。この女と言う狂人がここにいてくれる限りは、自分は正気でいられる、気がした。自分はまだ
ましだ。そう思えた。狂気は比較するものではない。誰それに比べて自分がどうかなどと、ナンセンスな思考とは思うのだけれども。そう思わなければ、とても。
やっていられない。マスタングはそう思った。
テントに入るとちょうどが濡れた布で体を拭いているところだった。俯いて、髪を拭いている。
水が大切にされる戦場において、バスルームなどと言う文化的なものはなく、たいていはこう言う風に布で体を拭くだけだ。身体を洗えないにしても、それぐらいはしておいた方が理想的だとは言われている。伝染病などは、清潔にしていることで防げるものが多いからだ。
「閉めてくれ」
こちらを見もせずに、は髪を拭きながら言ってきた。
「日差しがきつい」
マスタングはテントの中に入りながら、言われた通りに入り口を閉じた。
見慣れた光景、と言うわけではないが、がほぼ毎日のように身体を拭いていることは知っている。清潔なのではなく、毎日戦闘に出ては血にどっぷり浸かって帰ってくるからだ。血砂。この女に銘を与えた時、まさかこんなその通りの戦場にやってくるとは、大総統も思わなかっただろうが。
「……馬鹿みたいに突っ立っているなよ。焔の」
それとも、と、首にこびり付いた乾いた血を払い落としながら、はこちらを向く。
「そんなに私に興味があるのか?」
マスタングは顔をしかめ、テントの中央に置かれたテーブルの、席のひとつに腰掛けた。はもう少し奥の方の狭いスペースに立っている。必ず視界に入ってくると言うわけでもないが、やはり落ち着かない。何せ全裸である。肌を曝すことに羞恥心は欠片もないらしく、照れる様子もない。全身をわずかに赤く染めているが、これは別に照れているわけではなく、先の戦闘の昂揚のためだろう。そう言う女だ。
。・。血砂の――錬金術師。彼女も、自分と同じで元からの軍人だ。国家資格を取ったのは、その後だった。
残酷な殺し方を好む女だが、苦しませることを好んでいるわけでもない。
肉薄して、即死させる。おぞましい解体はその後だ。生きながらにしてばらばらにされるのと、死体になってから壊されるのと。先に待っているのはどっちにしろ死、だから、別にどちらがどうと言うわけではない。けれども、やはり彼女なりに、即死させると言うルールがあるのかも、知れなかった。その点彼女は、加虐趣味と言うわけではない。
そうは言っても、殺し方にはいささか問題がある。の派遣された戦場は、一目見ればちょっとしたトラウマになるだろう。残虐趣味な画家だって、あんな構図を考えつきはしない。ばらばらの、散乱している、解体された人間と言うものが、どれだけ嫌悪感を、吐き気を呼び起こすものなのか。マスタングはあの有様を見て、初めて知ったような気がした。
……彼女が放任されている理由はよく分からない。イシュヴァールの戦意を殺ぐにしても、あれはやり過ぎだ。
「どうした。焔の。黙って」
「君が服を着るまで待っている」
「――ふ」
間髪入れずに返してやると、声を押し殺すようにして、喉の奥でが笑った。
寄せられた眉、紅潮した頬、シニカルな笑み。痩せているわけではないが、太っているわけでもない。だが全体的に筋肉質で、体重はあるのだろうと思う。身体の線は確かに女性的に描かれているけれども、それでも硬い印象を受ける女だった。
「……それとも、私はお誘いを受けているのかな?」
問うと、は布を落として肩をすくめた。
マスタングは立ち上がり、睨むように相手を見据える。彼女はその視線を受け流し、ちらりと横に視線を流し、すぐにマスタングを見上げ直す。
「――好きなようにすればいいんじゃないか。私は、別にどっちでもいい」
笑いながらは立っている。
「嘘を」
嘘を付け、と、マスタングは小声で言った。
手を伸ばし、の腰を抱き寄せる。肌には、うっすらと汗が浮かんでいた。血の香り、それから、何か甘ったるい、匂い。
相変わらず、笑んでいる。内股を撫で上げると、ぬるりとした感触が指先に触れた。血だ、と彼は思うことにした。血に触れているのと変わらない。血の臭いを纏わりつかせて、笑う女のその喉笛にマスタングは噛み付くように口付けた。
爆笑するを組み敷きながら、マスタングは頭の後ろが熱く灼けるような感覚を覚える。
……多分。
自分は、この女のことが大嫌いなのだろう。
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ロック・レガー(Rock Leger)「血砂の錬金術師」
アカデミーを出て国家錬金術師の資格を取った後、イシュヴァールの殲滅戦に参加。素行で少し問題あり。
とりあえず書いてみましたと言う話。