sandy blood, or bloody sand?








 さあ、思考を切り替えろ。
 感傷は終わりだ、憐憫は無用だ、博愛は邪魔だ。目を開け、相手を見ろ。それは人間じゃない。私にとっての敵でしかない。
 殺せ。それだけで私は救われる、私の魂は慰められる、私を癒し傷つけてくれる。
 私は、
「……神に背くから何だ、神を冒したからなんだ、神を穢したから何だと言うんだ!」
 私は叫んで哄笑した。
 掌の錬成陣を握ることで確認すると、相手を見据える。
 褐色の肌、銀の髪の男――サングラスで目を隠してはいるが、多分、あの紅い目をしているのだろう。私が散々屠ってきた、イシュヴァールの民たちと同じ赤い瞳だ。あの戦場を染めた赤色だ。
 傷の男スカーは沈黙していた。
 私の安っぽい挑発には流石に引っかからないか、それとも沸々とした怒りを抑えているのか、声もない程の怒気であるのか。何にしろ、やりやすい相手ではないようだ。
 額に大きな十字傷、と言うよりは、罰点傷だろうか。どのようにできた傷なのかは解らないが、恐らくアメストリス軍の誰かに付けられたものではあるのだろう。もしくは――錬金術師。だからこその、この復讐劇と言うことなのか。
 傷の男スカーが走る。
 一瞬で距離を詰めてくる。動きは俊敏、そして練達。イシュヴァールには武僧、つまり武道を修めた僧侶がいると言うが、こいつももしかしたらそうか。私のほぼ目の前で立ち止まるや否や、私の頭を掴もうと右手を突き出してくる。
 ……この右腕はヤバい・・・・・・・・
 私は息を呑み、突き出された手を左に回避、左側から傷野郎の背後を取ろうと試みる。が、男はすぐにこちらを振り向き、さらに肘打を繰り出してきた。私は慌ててバックステップで下がり、男から距離を取る。
 冗談じゃない。
 こいつ、シャレにならないぐらい強い。
 四年前のイシュヴァールなら、私は今のでこいつを殺れていたはずだ。
 心臓が高鳴る。私はもう四年、戦線を退いているのだ。こいつ相手にどこまでやれるか解ったものじゃない。力が及ばなければ即死だ。くそ、冗談じゃない。
 息を吐き、鼓動を抑える。傷の男スカーはもう目の前にいた。私は逃げるように、ただ奴の右腕から身を躱すしかない。
 無様だ。
 私は舌打ちする。自分でよく解った。この戦い方は無様だ。私が逃げる一方だなんて、くそ、信じられない。だが、あの右腕は嫌だ。何となく嫌な感じがする。ナイフなんか隠し持っていない。銃も持っていない。錬成した武器を使うわけでもない。だが、こいつの右腕には何かある。確証があるわけではない。これはただの勘だ――しかし、その勘が、今まで私を生かしてきた。
 この右手に触れてはいけない。触れられてもいけない。
 私は大きく後ろに下がり敷石に手を突いた。――戦いようはある。私だって二年間、戦場を生き抜いてきたのだ。
 敷石を錬成、分解し破壊し破砕する。傷の男スカーはさせまいとしてこちらへ向かってきたが、その足が踝まで完全に地面に埋まった。
 傷の男スカーは流石に不意を突かれた表情をして視線を落とす。
「砂……」
 そう、砂だ。
「私は血砂の錬金術師――そんなことも知らずに、ここ・・にやって来たのか?」
 問いかけながら、私は砂に手を埋めた。懐かしいこの感覚、命の取り合いをしているこの感覚、草を切るように命を吹き消すこの感覚!
 傷の男スカーが離脱しようとする前に、私は錬成を終えていた。砂が檻を作り鎖を作り、硬質化して男を拘束する。一瞬でもいい。一瞬でも動きを封じれば私の勝ちだ。砂を錬成して刃物にでもすればいい。
 だが。
 傷の男スカー右腕を振るった・・・・・・・。力を込めている様子などない全く軽い仕草。
 封じていたはずだ、その右腕!
 檻が、鎖が、一瞬の内に全て破壊されていく。砂どころではない。消滅……いや、分解。バチバチと火花のような光が散る。夜闇に慣れた目に焼きつく。これは……
 これは錬金術だ。
「どう言うことだ……」
 頭が混乱する。こいつはイシュヴァール人だ。そのはずだ。それ以外に私が、国家錬金術師が狙われる理由などない。だが、確かイシュヴァラの教えでは……
「イシュヴァラは、錬金術を禁じていたんじゃなかったのか!?」
「……神の道に背く錬金術師が、神の名を口にするな」
 声は抑えられていたが、怒りは感じられる。どうやらイシュヴァール人だと言うのに間違いはないらしいが……
 くそ、言っていることはおかしいが、こいつの鬼気だけは本物だ。だから神様を信じている奴は嫌いなんだよ!
 傷の男スカーの足元の砂を細分化し、さらに砂の中へ引き込む。だが、男はあろうことか崩れていく敷石と砂の上を飛ぶように移動する。硬質化した石を混ぜて飛ばすが、それは全て右腕に弾かれた。この砂の上では力が分散吸収されて、普通ならまともに歩くことも覚束ないのだが……こいつは反則並の運動能力。こんな動きができるのは、私が知ってる中ではコマンチ爺さんぐらいだ。
 手首まで砂に手を埋めていたので、回避が遅れた。後ろに下がった私の右肘を、傷の男スカーの指先が掠めて行く。
 錬成反応と同時、痺れるような痛みが指先から肩口までを駆け抜ける。肘、指先と肩から血が噴出し、痛覚以外の感覚が右腕から抜けて行った。
「擦っただけでこれかよ!」
 毒づきながらも私は傷の男スカーからじりじりと遠ざかる。ここら辺は入り組んではいるが、後十数メートルは下がっても壁に追い詰められることはない。
 ……しかし、これでほとんど手詰まりだ。錬成陣があるのは右手だけ、何とか肘は曲がるが、手首から先は全く感覚がない。錬成陣を描いている暇を、こいつは与えてくれないだろう。
 こいつは本当に、さっき殺されて置いた方がよかったかも知れないな。
 腹の辺りを狙ってくる傷の男スカーの右腕を避け、背後をとって背を蹴り飛ばすが、これは効果がない。タイミングを巧みにずらされ、バランスすら崩さなかった。痛みのせいで力が入らなかったと言うのもあるのだろう。完全にしくじった。
 逆に後ろ手に足を捕まれ、右足が弾ける感覚。血が目の前で飛び散り、顔や服に付着する。左足からも力が抜け、頭が揺れた気がした。
 そのまま仰向けに倒れ、私は息を詰める。右手に右足。左半身は無事と言う計算になるが、失血が酷い。起き上がろうとしても立ち上がるどころか座ることすら激痛と出血でままならない。ブチ撒けた血はそれ程でもなかったのだが、……それこそ、血液を分解でもされたのか。
 傷の男スカーはこちらを見下ろしていた。返り血が褐色を伝っていく。畜生、夜なのにサングラスなんかかけやがって……そのせいで表情は解らなかった。見た感じは無表情だったが、目は、見えない。
 いずれにしても、私はもう動けなかった。反撃の機会があるかと言えば、ない。蹴りなんか入れず、さっさと逃げるのが、私にできた最善だった。自分の馬鹿を呪いたいところだが、もう呪うどころの話ではない。
 死ぬ。
 それに恐怖することが情けないことだとは思わない。私は今まで自分が死ぬことを恐れ、知り合いを死なせることを恐れ、その癖敵を殺すことに抵抗も躊躇もなかった。快楽すら感じていたかも知れない。今だってそうだ。殺し合うこと……殺すこと。恐怖どころか幸福すら感じてきた。それでも自分の死は、いつだって怖かった。
 だが、今は私は。
「……どうした」
 立ち尽くしているイシュヴァール人を嘲るように、私は吐き捨てる。口に自然笑みが浮かんだ。急所に傷はないにしても、あと持って十数分と言うところだろう。
「殺せ。そのために来たんだろうよ、イシュヴァール」
 私は愉快だった。
 とてつもなく愉快だった。
「それとも寸前で怖くなったのか? そんなはずないよなぁ、お互い何人殺したか知れないって言うのに。そうだろ?」
 今まさに殺されようとしていようが何だろうが、腹の底からくる笑いの衝動を抑えることができなかった。腹が痛い。言葉も笑い声で掠れている。
「それとも、私が女だから殺せないって言うのか? そんな……」
「何故躊躇した」
 ――ぴたりと。
 私は笑いを止めた。
「己れを捕らえた時、貴様は己れを殺せたはずだ。何故躊躇った」
 傷の男スカーは困惑していた。意識が朦朧としている私にすら悟られるほど、はっきりと動揺していた。
 私は、
 私が息を吸い込むと、ヒュッと言う甲高い音が漏れる。血腥い、身体が動かない。意識がはっきりせず、今にも意識を失いそうだ。だが、今はただ。
 可笑しかった。あまりにも馬鹿馬鹿しかった。自分の馬鹿さ加減に怒りを通り越し純粋に単純に可笑しかった。
 私は爆笑していた。
「躊躇った! 躊躇った、だと、畜生!」
 視界が涙で滲んだ。
 あの時こいつを砂の檻に閉じ込めたとき、確かに私はこいつを殺せた。殺せたはずだ。確認する暇などいらなかった。拘束した瞬間に殺せばよかった。私にはそれが可能だった。
 だが、私は躊躇った・・・・
 こいつを殺すことを一瞬だけ躊躇った。その隙にこいつは拘束を逃れた。そして今、地面に倒れているのは私だ。
「畜生……! くそ、何てこった、今になって……!」
「……何故だ。
 甘く――見たつもりか」
 侮辱されたとでも言うように、イシュヴァールは顔を歪める。苦い色が広がっていた。
 私を殺すかどうか迷っているのだろう。言葉通りのことなど思っているはずはない。情けをかけられたとでも思ったのだろう。――私は悔いているとでも、だ。
「違う。そんなんじゃない」
 私は首を振り、簡潔に否定した。ますますイシュヴァールは困惑した様子で、私を見つめてくる。
「では、何故だ。……国家錬金術師!」
「煩い馬鹿野郎! 怖かったんだよ!」
 声を荒げるイシュヴァールに、私は掠れた絶叫を返した。
「――」
 傷の男スカーは間抜けな顔をした。
 目を瞑り、私は頭を押さえる。……くそ、意識が消えかけてるって言うのに何でこんな話を。
「怖かったんだ……悪いかよ。人を殺すのが怖かったんだ! てめえの内臓をブチ撒けて殺しちまうのが怖かったんだよ! 自分の手を血で汚すのが怖かったんだ! それが……悪いかよ!」
 何て情けない話だ。
 四年間、たったの四年で、どうして私はこんなに――なっちまったんだ。
「四年前、貴様は何人も己れの同胞を殺したはずだ」
「そうだよ……! 今になってだ、今になって急に怖くなったんだ。馬鹿野郎、悪いかよ……」
「……」
 傷の男スカーは沈黙している。迷っているのだ。
 私はそれも馬鹿馬鹿しい。
「私を殺しに来たんだろう? イシュヴァール。さっさと私を殺せ」
「……」
 沈黙がうざったい。ああ、私はだから……こう言う奴が一番嫌いなんだ。
 自分のやっていることを正当化するくせに、こんな時にすぐに揺らぐ。
「私はお前の同胞を何人も殺した」
「……」
「子供も、大人も、老人も、男も女も、区別していない。
 あれは、殲滅戦だった。
 私の殺してきた戦場を見ただろう。私は殺して殺して殺してきたんだ。悔いていないし反省もしていない。私は間違ったことをしたなんて思っちゃいない。あれは命令で私は軍人だった。命令に従うのが軍人だ。
 ……今はどうか知らないが、四年前は私は何人も何人も殺したんだよ。解るか? お前に同情されるつもりはないし、お前に許されるつもりもない。
 解ったら――さっさと殺せ」
 傷の男スカーが手を握りしめる。まだ迷っている。そんな顔をしている。
「殺されたいのか」
 恐らくそれが最終確認だった。
 私は乾いた声で笑い、右肩を押さえる。血の感触、血の臭い、そして死臭。飽きるぐらいに感じてきたそれらは、自分のものになるとえらく新鮮に感じられた。
「この手足じゃもう軍人は引退だ……人殺しができなくなった私は、後はもう死ぬことしか考えられない」
 傷の男スカーは私の言葉に少しの間沈黙を置き、そして私の隣に跪いた。
「名前は何だ」
「……調べたんじゃなかったのか」
 私の問いに、傷の男スカーは頷きも首を振りもせず、どちらなのか解らなかった、と言った。
 私は、苦笑いする。
だ。――」
 言いかけ、私は言葉を止める。
「どうした」
「……いや」
 傷の男スカーの問いに、私は首を振った。
「私の名前はだ」
「そうか――では、
 イシュヴァールは、無表情だった。サングラスを外し、赤い瞳を曝す。酷く目に焼きつく色だ。不快で忌々しい、私の血と同じ色だ。私の手を汚し、私の中から染み出てくる、本当に嫌な色だ。
「神に祈る間を?」
「……悪いが、私は無神論者だ」
「そうか、だが」
 右手が額に置かれるのを感じた。視界が隠れる。平静な声が、腹立たしい。
「お前の哀れな魂に、安息と救いがあることを祈ろう」
「……余計な、お世話だ。畜生……畜生」
 そして私は。
 そこで途切れた。




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ロック・レッツェン(Rock Letzten)「血砂の錬金術師」 いい加減にこの解説要らないですかね
 1884年生まれ。元の名前はロック・レガー(Rock Leger)1905年二十一歳で国家錬金術師の資格を取り、翌々年に婚約。1908年にはイシュヴァール殲滅戦に参加、少佐として活躍した。その際に婚約者を失い、のち、レッツェン姓に改姓。殲滅戦後中佐に昇進し、中央に勤務。1914年大佐に昇進したが、直後に傷の男スカーと思われる犯行によって死亡。享年三十歳。

 ムラムラしてやった。
 戦闘ものなら何でも良かった。
 今はスカーが書けてとても満足している。
 殺されそうになった主人公が死んだ婚約者の名前を呟き今そっちに行くよとか言う話を考えていたけど、よく考えたらそれドリームでも何でもないや。
 前半と後半で台詞と地の文の割合が明らかに違ってイヤン。