人造人間トリニトロトルエン




 いつものことだと言えば、あまりにもいつものことなのだろう。先週も先々週も同じようなことがあった。言わばこれは慣例であり、こう言う状況に今自分が置かれていることには何の意外性もない。来週も恐らく同様のことが起きる。そんな予想は易く立った。
(でも、だから納得できるってわけじゃない)
 繰り返しの日常を打破するために夢は存在するのではないのか。未来を夢見て、人間はその日々を生き抜いて行くはずだ。苦しい日々が終わりを告げることを信じているから、痛みも苦しみも甘んじて受けられるのではないのか。
「それは逆説的に言えば、明日幸せが終わる不安があるから、どんな喜びも気持ち良く享受できないと言うことではないか。キリランシェロ」
「うるさいなあ。人の思考を読むなよ」
 横から入った茶々に、キリランシェロは眉間に皴を寄せて答える。視線をそちらへやり、その先にあるものを認識して、自分の顔がさらに凶悪なものになったことを自覚する。つまりは。
「ふっふっふ、キリランシェロ、そのように自分の薄暗くしみったれた思考を口から垂れ流し周囲を辟易させる前に、このコミクロンの世紀の大発明を目を見開いて有り難がって見るがいい。見たか? 感動のあまり涙が出てきただろう」
「……別の意味でね」
 つまりは、元凶がそこに立っていた。黒衣の上に白衣を羽織ると言う異様な風体をした三つ編みの少年……コミクロンである。
 コミクロンは例の如く、奇抜な――奇妙な物体を、従えていた。どこから持ってきたのか解らない出所不明の数々のパーツが複雑に、……と言うよりは奔放に組み合わされ、とりあえず何か前衛的なオブジェに見えないこともない物体が構成されている。サイズは両手で抱えられるぐらい……具体的にどのような形状であるのかは割愛する。キリランシェロはその程度に、コミクロンの「発明品」には飽きがきていた。
「今度こそお前に地獄的な地獄を見せてやるぞキリランシェロ。何戦やったか数えていなかったので解らないが、とりあえず縁起がいいので百戦としておく……百戦目にして、遂に我が方に勝利がもたらされるのだ!」
「やかましいっ!」
 声高に叫ぶコミクロンに即座に怒鳴り返し、キリランシェロは頭を抱えた。飽きたらず、髪を掻きむしる。
「くそっ、毎回毎回何だって言うんだ? 僕が何かしたわけでもないのに周りが問題を積み上げて僕を巻き込んで連帯責任になったりして……何かがおかしい。絶対おかしいぞ……」
「うむ、俺も常日頃世間の評価に不満を持っている。どうしてこの俺の才能をもっと褒めたたえないのか。本当なら連日俺の発明品が新聞に取り上げられてもいいはずなのだが」
 当たり前のように相槌を打って来るコミクロンに、キリランシェロは獣のような唸り声を上げながらその場に沈み込んだ。
「キリランシェロ、さっさと終わらせちまえばいいじゃないか。悩むだけ損だって知ってるだろ?」
 窓際で珍しく本を開いている赤毛の少年、ハーティアが、どうでも良さそうに――何故か幸せそうな笑みを浮かべている――言ってくる。キリランシェロは小さく呻くと、床に転がっていたバットを掴んで立ち上がり、コミクロンとその発明品を睨み付けた。
「ふっ、ようやくこの人造人間……三十号ぐらいくんの威力をその身で受ける気になったかキリランシェロ! その意気やよしっ!」
 コミクロンがさらに盛り上がった様子で叫んでくるのを無視して、キリランシェロは無言で人造人間三十号(キリランシェロは確か三十二号ぐらいだったと記憶している)に近づき、バットを振りかぶり……振り下ろした。
「え?」
 しかし、バットは床を叩いていた。
 一瞬前までそこにあった人造人間はいずこかに消えている。コミクロンは腕を組んで含み笑いをしているだけだった。打撃を予期して持ち上げた、と言うわけでもない。
 そこで、キリランシェロは、不意に何か悪寒を感じて、さっとその場に屈み込んだ。
 その頭上を、音すら立てて風を切り、何かが通り過ぎていった。
「……何だ?」
 頭を下げたままキリランシェロは小さく呟く。咄嗟に屈んでいなければ、今の物体に体当たりを受けていただろう。ぞっとしない想像に、キリランシェロは顔を引きつらせる。
「おい、コミクロン! 何だよあれは!」
「ふっふっふ、さしものお前も小型人造人間三十四号の性能を見て共学、もとい驚愕を禁じ得まい。共学だとちょっとフェミニズムな感じになるからな。その辺りも俺の偉大さが発揮されていると言うもの」
「意味が解らな……」
 と。
 無意味に勝ち誇るコミクロンに半眼でそう言いかけて、キリランシェロは不意に思い付いて、窓際へ視線を向けた。
 顔面に体当たりを受けたハーティアが、座ったまま気絶していた。
 ハーティアは壁にもたれ掛かったまま、ずるずると床に仰向けに倒れ込んでいく。顔面に赤くへこみを付けて、完全に気絶していた。その顔の上から人造人間――だか何だか……が飛び降り、ふわりと床に着地する。コミクロンの発明品にあるまじき、滑らかな動作だった。
「……何だよあれは。コミクロン」
「だから、人造人間三十号と言っているだろうが」
「そう言うことじゃないッ! しかも言う度型番変わってるし!」
「ふっ、キリランシェロ、負け惜しみは良くないな。自分の程度の低さを露呈するだけだぞ。素直に俺の発明した傑作に見入ることを推奨する」
「あーもー」
 あまりの会話の無益さに、キリランシェロは無意味に首を振った。コミクロンとの会話を諦めて、人造人間、いや、物体に対峙する。物体はふわりと床から数センチ浮かび上がり、威嚇じみたモーター音を出している。意思があるものらしい。
(バットの一撃を飛び上がって躱して……体当たりを加えてきた?)
 有り得ない。コミクロンにそんな技術はない。いや。
「そんな技術、人間に可能なわけがない……」
「ふっふっふ、不可能を可能にするのが天才の天才たる所以。存分に称えるがいいぞ」
「……」
「――キリランシェロ、無視は良くない。円滑な人間関係を維持するためにはあってはならないことの二番目だ。ちなみに一番目は……」
「おいちょっと待て!」
「ん。どうしたキリランシェロ。俺を称賛する気になっ」
 コミクロンの顔のすぐ脇を一陣の風がすり抜けていった。
 風は教室の壁にぶつかり、パァンッ、と言う音を立てて弾ける。数秒後、コミクロンの頬に赤い筋が盛り上がり、程なくして血が滑り落ちて行った。
「魔術を使った……?」
 震える声でキリランシェロは呟いた。コミクロンは気付かなかったようだが、キリランシェロにははっきりと、物体の周りに編み上げられた魔術の構成が見えていた。先程から鳴り響くこの音。威嚇音と思っていたが、恐らくはこれが呪文なのだ。これは音声魔術だ。
「……おいコミクロン。あれ、誰にもらったんだよ」
「うむ。俺が誠心誠意を篭めて作り上げた愛しい我が子だ。子が親に刃を向けることもあると言う教訓話が今ここにできたようなできないような」
 血を拭いもせずに神妙な顔でコミクロンは呟き、少しの沈黙の後、告げる。
「そう言えば、パーツを組む時に何か変わったものを組み込んだような気がするな」
「変わったものって何だよ!」
「プレートだ。黒光りするこれぐらいの」
 言いながら、コミクロンは手でその大きさを示してみせた。ちょうどコミクロンの手と同じくらいの大きさらしいそのプレートとやらを、キリランシェロは頭の中で思い描く。
(つまりは……それが原因でこんなことになっているわけだ)
 眉を寄せる。恐らく何らかの遺産であるのだろう。《塔》にはそう言った妙な効力のあるアイテムが多く保管されている。その中の一つ。勝手にコミクロンが持ち出してしまえるような場所に置いておくとは、管理のずさんさにも程がある……
「空中を移動できて意思があって魔術の行使も可能か……厄介にも程があるな」
「ふふふ。そうだろうそうだろう」
「お前が勝ち誇ってどうすんだよ。……それに、何だかよく解らないけど、僕もお前も敵だと思われてるみたいだぞ?」
「何だと?」
 物体は奇怪な音を立てながらそこに浮いているだけだったが、コミクロンは何かを感じ取ったらしい。顔を引きつらせて一歩下がった。
「むう、変だな。この天才が作り出した完璧な人造人間最高傑作三十七号が暴走するとは。まさに不可思議の極みだ」
「暴走しているわけじゃないだろあれは」
 勝手に組み込んだとは言え、製作者に牙を剥いたと言う点においては、暴走と言えなくもないかも知れないが。
「……い、て。痛たた」
 視界の隅で、ハーティアが呻き声を上げて、顔と後頭を押さえながら身を起こした。窓が割れなかったことと、開いた窓から落ちなかったことは幸運であったのだろう……自分の顔のすぐ横に浮かぶ物体を認めて、ハーティアが恐怖と怒りに鼻を膨らませて息を呑むのが見えた。ぞっとしたように口を開く。
「な、何なんだよこいつは、コミクロン!」
「人造人間コルチゾンと言っとろうが。優秀な発明品は当然ながら優秀な人間が生み出す。優秀でないと作れないからな。解るだろう?」
「型番ですらなくなったし、洒落にもなってないし」
「て言うか、死にかけたぞ! 首の骨が折れるか墜落死か撲殺か解んないけど、とにかく死ぬとこだった! って……あああああっ!」
 ハーティアが悲痛な声を上げて、慌てて何か探すように床に手を這わせた。それから、絶望の表情で頭を抱える。その視線の先に、ハーティアが先ほどまで読んでいた本がカバーやページが折れた状態で床に転がっていた。
「な、何てことだ……やばい。彼女怒るぞ。絶対怒る……」
 どうやら先ほど何か嬉しそうにしていたのは、彼女から本を借りたことに理由があるらしかった。震える手でハーティアは本を拾い上げ折目をどうにか直そうとするが、どうにもならない。がっくりと肩を落としたところに。
「……ハーティアっ!」
 物体の放った魔術がとどめを刺した。ハーティアが仰け反ると同時に、その手の中にあった本が上下真っ二つに分かれて落ちる。綺麗な断面を見せる本に、ハーティアの身体ががくがくと震え出す。
「な……なん、な……」
「そいつは音声魔術士なんだ、ハーティア! その音を呪文にして、辺りに魔術を撒き散らしてる!」
 キリランシェロが叫ぶと同時、ハーティアが立ち上がってこちら側に下がって来た。こちらの射線上に入らないようにして姿勢を低く保ち、転げるように倒れ込む……それを視界の隅で確認して。
「我は放つ光の白刃ッ!」
 両手を前に突き出し、キリランシェロは魔術を発動した。
「ああっ! キリランシェロ! 俺のトリニトロトルエンくんに何を……」
 コミクロンが悲鳴を上げる。光熱波は真っ直ぐ物体に向かって行った。しかし。
 バチンッ!
「……打ち消す、だって!?」
 物体に届く前に、光熱波が弾けて消える。瞬間、三人は素早く散開した。不可視の刃が机や椅子を切り刻み、壁に無数の跡を刻む。
「キリランシェロ! 二人で行くぞ!」
「了解!」
「お、おい! 人類の叡知の結晶に何をする気だ貴様ら!」
 さすがに二人を相手どっては分が悪いと思ったのか――自分も素早く逃げておきながら、コミクロンがさらにも増して裏返った声を上げた。
 それを無視して、二人は物体に向かって行った。




「あー!」
「何よ、いきなり大きな声出さないでよ」
 レティシャが怪訝な顔で妹の方へ目を向けると、彼女は自分のローブのポケットに手を突っ込んでいた。アザリー。天魔の魔女。しまった、と言う顔で、ポケットの布地をひっくり返して引き出し、それを強く掴んでいる。
「――アザリー?」
「ま、まさか落とすなんて……嘘でしょ。有り得ない。だってこんなとこに入れてて落とすとかないでしょ絶対……」
 呼び掛けに答えず、アザリーはポケットを掴んだままぶつぶつと呟いている。何があったのかは解らないが、どうせろくなことではないだろう……レティシャは適当にそう考えて、アザリーから目を逸らす。
 と同時に、遠くから爆発音のようなものが響いてきた。一度だけではなく断続的に鳴り続ける。その度にわずかな震動が足裏に伝わって来た。
(……どこかで魔術を使っている?)
 それも、かなり容赦なく。全力の魔術。そんな感じがする。
「ねえ、アザリー。何かしら、この震動」
「……」
 アザリーは沈黙したまま、ゆっくりと顔色を失くしていった。目を見開き、唇を震わせて首を横に振る。
「……まさか」
 アザリーが呟くのと、レティシャがそのことに思い至ったのは同時だった。アザリーに近付き、強張ったその顔を覗き込む。
「アザリー、もしかして貴女、何か知ってるの……」
 問い終わる前に、アザリーはレティシャを押しのけて廊下を走り出していた。レティシャは眉を寄せて、恐ろしいスピードで去っていくの背を見送る。
「……何なのよ、一体?」
 小さく呟くと、レティシャは首を傾げて、アザリーが曲がって行った角を見つめた。蚊帳の外であることが、今回は不運か幸運か、それは解らなかったが。
 震動は続き、爆発はいまだ治まらない。アザリーが関われば、もしかしたらもっとひどいことになるかも知れないけど。胸中で小さく呟き、レティシャは首を振った。




 そこでは誰もが疲弊しきっていた。
 巨大な彫刻刀でくり抜いたような跡が天井や床に刻まれている。窓は全て割れていた。壊れた窓枠の上にハーティアがこちらに尻を向けて干されている。椅子やら、私物やら、姿見やらボードやら。壊れていないものは一つとしてなかった。見た通りの惨状……見慣れた光景である。
(……何だかんだ言って、いつものことなんだよな)
 破壊された教室の中心に転がる物体を見遣って、キリランシェロは嘆息した。光熱波によって焼け焦がされた物体は、もはや動く気配もない。コミクロンの言っていた黒いプレートは、真っ二つに割れている。
 それはいいとして、……多分、この破壊は自分たちのせいと言うことになるだろう。つまりは連帯責任に。
 自分に課される罰則を今から予測しつつ、キリランシェロはその場に座り込んだ。体中に刻み跡を付けられたが、奇跡的に重要な血管に損傷はないようだった。痛みに呻きながら、視線を巡らせる。
「キリランシェロ……そうやって今日の勝利に酔いしれているがいい。次はさらにパワーアップした俺の人造人間たちがお前を襲うだろう」
 ひっくり返ったままコミクロンが含み笑いを漏らす。それに軽く椅子の足をぶつけて黙らせると、キリランシェロは深く溜息をついた。
(……ん?)
 ぶるり、と身体が震える。びりびりと大気が震え、言い表せない恐怖が奥底から沸き上がり、キリランシェロは自分の身体を抱きしめる。刻まれたローブの上から傷に触れてしまい、思わず呻いて――
 その時だった。
「あ……」
 扉が吹っ飛んだ出入口のところに、アザリーが……姉が、立っていた。呆然とした様子である。視線は――真っ二つに割れた黒いプレートに注がれている。
「アザリー……」
 キリランシェロは姉の名を呼んだところで、不意に頭に閃くものを感じた。いや、自然と言えば自然なことだったのだが……
「もしかして、そのプレート……アザリーの?」
 自分の声は震えている。身体も震えている。世界が小刻みに、揺れている。
「――うふふ」
 アザリーは、ゆっくりとこちらを向いた。その顔は微笑んでいた。キリランシェロは顔を引き攣らせ、乾いた笑い声を上げる。
「は……ははは……」
「私、怒ってないのよ、キリランシェロ……ほんとうに」
 聞かれてもないことをアザリーは貼り付いた笑顔のまま言った。その言葉は、絶望的なまでに棒読みだった。キリランシェロはこの先の未来を予期していた。どうしようもない程に。唇からは諦念の笑声が漏れ続けている。
「はははは、はははは……」
「うふふふふふふ……」
 姉弟は見つめ合ったまま、互いに笑い合う。
 破壊され尽くした教室で、二人の笑い声だけが朗らかに響き渡る。
 数秒後。
 掛け値無しの地獄が、チャイルドマン教室に訪れた。




 本当にネタがなかったので、ふびとさん本人に「ネタを下さい」と言うキリ番にあるまじき行為を……もとい、クライアントの希望に出来るだけ沿うように努力してみました。そしたらオチまで決めたあらすじをいただいたため、私はとても申し訳ない気持ちになりながら一ヶ月ほど放置し、三日で書き上げたのです。考えうるケースの中で最悪を行っている。
 コミクロンを書くに当たって「清く正しく美しく」を参考書にしました。と言うか今気づいたんですけど、オーフェンの小説なんか書くの初めてだよ私。初挑戦。めでたい話です。
 こんなものを受け取ってくれるか? 受け取れるか!? 受け取れるものなら受け取ってみなさいよ!(ツン) と言うわけで、遅れながらもフォーふびと。よろしかったらどうぞ。




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