……皆が彼を貶しやがて忘れても、僕だけは彼を記憶し、讃えていよう。
たとえそのことで人々に白い目で見られても。
彼は愚者なんかじゃ、なかった――
亜麻色の髪の剣士
僕が彼に初めて出会ったとき、彼は僕の命の恩人だった。
――ちっぽけな村だった。
両親、親類、親友――知っている人全てが、『あいつら』に殺された。
魔物というイキモノがこの世界にはびこり始めたのはいつごろからなのだろうか?
少なくとも、僕が生まれるずいぶん前から『それ』は存在していた。世界に寄生しているという点では僕らと同じなのだろう。だが奴らは知能なんかほとんどなく、ただ戦いたい、殺したいという衝動のみに生きる――そして僕らを、喰らう。バケモノたちだった。
皆すべて魔物に貪り食われ、……何の運命か、僕の順番が回ってきたその瞬間に。
彼は、助けに来た。
目に付く魔物を全て殺し、その血に濡れた彼を、僕は魔物と同じもののように見ていた。呆然と。
黒い髪、紫紺の瞳。驚くほど端正な顔立ち、鍛え上げられてはいるがほっそりとした体は、とても美しく、非現実じみていて……それがとても恐ろしかった。
『大丈夫か?』――彼がそう言った時も、僕には何かバケモノが自分の獲物の安全を確かめているかのように聞こえていた。
動くこともできなかった。
反応しない僕を、彼は首を傾げながらも抱え上げ、そのまま近くの町に連れて行って適当なところ――教会に預けた。
その瞬間あまりにもあっさりと僕は孤児になった。
彼はそのまま何処かへと旅立ち、僕はそこでようやく彼に命を助けられたということを実感して、そこの神父に泣きついた。神父は僕の髪をなでながら、何かしら慰めやなだめの言葉を言っていたが、それは良く覚えていない。よく考えたら、その顔すら覚えていない。
そのまま十年に近い時が過ぎ去って、僕が成人に届くか届かないかの時になるころ。
僕はもう一度、そして最後に、生きている彼に出会った。
僕は商人の見習いをやっていて、その時は大事な積荷を他数人と一緒に運んでいる最中だった。
また魔物に襲われたのだ。護衛も雇っていたのだが、僕の習っていた商人は人を見る目がなかったらしい。二人のうち二人とも逃げ出してしまった。
僕らは重い積荷を抱えて逃げることもできず、命の覚悟をしていた――それはそれで荷物を捨てて逃げればよかったものだが――ともあれ、その時である。彼はまた現れた。
奇妙な既視感、作為のようなわざとらしさを感じたが、すぐにそれは気のせいだとわかった。彼は僕を覚えてはいなかったから。
携えていたのは数年前と同じ片刃の大剣。それを片手で軽々と振り回す様は、凄い、としかいいようがなかった。
――女が荷物運びなんて、珍しいな。
全ての魔物を殺し終え、彼は僕にそう言い放った。
……信じられない。
「……僕は男ですよ」
何で。何で。
――僕は彼に助けられてから数年、正直、彼のことばかり考えていた。
変な意味ではなく、ただ。
……どうしてただ一人しか助けられなかったのか。僕だけしか。
どうして。
……一人しか助けられないと解っていたのなら、どうして見捨ててくれなかったのか。
どうして僕を死なせてくれなかったのか!
「何であの時僕だけ助けたんです! 貴方は……ッ!」
いきなり叫んだ僕に、一瞬彼はぽかんとした後、少し厳しい顔をした。
「お前のいう、『あの時』がどの時なのかは解らないがな……」
高い視線を僕に合わせ、僕の頭に手を置くと、
「――いいか?
死にたいって言う奴は馬鹿で、それを受けて死なせる奴は大馬鹿だ。
……馬鹿にならなきゃならん時があるのも確かだけどな。
絶対に、死にたいとか、思っちゃならないんだ。理由は聞かれてもどうしようもない。
人間が――人間であるためには、そうするしかないんだよ」
ああ。何故だろう。
どうしてなのだろう。そのとき僕は。
剣士になりたいと思った。
……見返してやりたいと思ったのかもしれない。
同じ場に立ちたかった。
僕はただ彼の言葉に頷いて、そして彼は苦笑して、
「そうだ。それから……お嬢さん。あんた、俺といつ会ったっけ?」
僕は黙って首を振った――もう良かった。
彼はぽりぽりと頬をかき、苦笑してその場から去った。
……そしてそれが。
『彼』と出会った最後になった。
……それからまた数年たって。
僕が何とか『剣士』と呼べるような腕前になった頃――
とある村で、彼のことを聞いた。
凶報……だった。
……小さな村を助けに行って、死んだとさ――
……自分の腕前も考えずに、馬鹿な奴だ――
……そんな噂だった。
信じられなかった。
――信じるのがいやだったから、確かめようとしなかった。
数年、経った。
それから彼の名は聞かず、どこへ行っても、『村で死んだ』としか――馬鹿だとか、悪口つきの噂しか聞かなかった。
自分が死んだばかりか、村は滅ぼされた。自分の腕前も知らぬ愚か者、と――
彼の死んだという村に行ってみようと、そこで初めて思った。
それでもどこかで彼の死は信じられず。
……廃虚になった村を見ても。
転がる死体はほとんど白骨化していた。
もう大分経っているのだ。今さらそれを確認してため息をつく。
魔物の気配はしなかった。
一歩ずつ足を進め、眉をしかめながら辺りを見回す。
昼なのに暗いのは空に立ち込める雲のせいか。時々足元に骨が触れ、からんと乾いた音を立てる。
……ふと、視線を移した。
目に入ってきたのは、片刃の――
片刃の大剣。
「……ッ――!」
走り出す。
角を曲がったところで、ふわりと黒髪が待った。
「…………さん」
口の中だけでぼそぼそと名前を読んだ……信じられなかった。
紫紺の目には生気がない。操られるように大剣を構えているその様は――記憶の中にあるどれか一つと合致した。
……
屍好蟲……
死体に寄生する虫。魔物の一種なのは言うまでもない。寄生された死体は蟲の操り人形と化す――彼のように。
彼の体が残ってるはずもないから……寄生しているのは骨だろう。血肉の方はおそらく幻覚……
「――どうして。どうして貴方が魔物にやられたりなんかするんです……ッ!」
無意識に剣を構える。うつむきながら、踏み込みの体勢を取った。
「何で貴方がッ! 貴方が死んでしまうんですかっ!」
ぎち……っ!
剣と剣がかみ合った。押されているのはこちらの方。細い剣は今にも折れそうに頼りなく……
それでもやるしかないのだ。
「アァァァァァアァァッ!」
どっ!
相手の剣を受け流し、雄叫びを上げながら蹴りを腹の辺りに叩き込む。『彼』は数歩ほどよろめいただけで、持ち直した。
――ここじゃ、ない。
骨を直接蹴った嫌な感触が残る足を引き、再度剣を構える。
「……戦いたくなんかないんですよ」
呟きに『彼』が答えることはない。
『彼』もまた表情を変えることなく剣を構え直した。
「……どうしてなんですか」
剣をはじく。顔をしかめながら、剣の柄を相手の顔に叩き込んだ。だが、彼は動きを止めない。
――ココでもない。
確かめるように心の中で呟いて、数歩引いた。
「何でですか……どうして!
どうしてこんな戦いをしなきゃいけなくなるんですか!」
「……」
彼が答えることはない。
……いや。
かすかに彼の口が動いたような気がした。
幻覚だったのかもしれない。ただ。
「は……は……」
乾いた笑いを上げる。
「……ッ……」
ぎり、と歯軋りをして、今一度、剣を構えなおす。
「解りました――」
無表情に、呟いた。
……最後だ。
なんとなく解ってはいた。それでも最後まで『そこ』を狙うのはためらわれた。たとえ相手が蟲ごときが操り人形だとしても――彼を。
彼を自分が殺すという感覚がとても恐ろしく感じられて。
……それでも。
それでも――!
やるしか……ない……!
「おぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉおおッ!」
叫ぶ。
……どうして。
どうして。
僕が彼を殺さなくちゃならない……!?
かんっ……
鋭い、硬い音がした。
刃の切っ先を相手の胸――心臓が
あった部分に叩きつける。
……半瞬の後、 耳障りな甲高い悲鳴が響いた。
次いで、からからん、と骨が地に落ちる。
膝をつき、うつむいたまま、大きく息をついた。
「……『馬鹿にならなきゃいけないときもある』……ですか」
独白のように、呟く。
「僕は……馬鹿になんかなりたくなかった……」
――殺せ。
顔を両手で覆う。
……何てこった。
死にたがっちゃならない、そう言ったのは……
彼では、なかったか……
答えるものはなかった。
ただ、骨だけになった躯が、目の前にあるのみだった。
……これが後に世界から魔物を一掃し、剣聖と呼ばれることになる男の人生のほんの一部である。
『彼』の名を知るものはもう少ないだろう。そしてこの歴史が歴史学者たちのなかでまともに論議されることも多くない。それだけ、剣聖の人生の中ではちっぽけな事件だった。
……
ただ。
全てが終わったその後に、男の家に『彼』の小さな肖像画、大剣が、共に飾られて在ったことは……
語るべくもない、当然のことだったかもしれない。
……皆が彼を貶しやがて忘れても、僕だけは彼を記憶し、讃えていよう。
たとえそのことで人々に白い目で見られても。
彼は愚者なんかじゃ、なかった――
2002年7月1日。そろそろハガレン一周年と言うころ。
お涙頂戴ものなんだけど何か熱い。坂本あきら先生大好きー! とか絶叫しながら書いたような気がするよ(当時ガンパワに「デアバルド」と言う坂本あきら先生の読みきりが載ったのです)
ドビュッシーシリーズと言うか何と言うか、三本しか書いていないけど私の中ではシリーズ。主人公を救った剣士の名前はアルカス。こぐま座のアルカス(違)
前奏曲第一巻 …亜麻色の髪の乙女
(2004年10月16日、加筆修正)
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