……みなはあの男のことを褒め称えるが、私は正直言ってあの男のことが大嫌いである。








出来損ないの夢








 金の眼に、青い瞳の少年……
 纏う服は旅の厳しさを感じさせる程ぼろぼろだった。


 彼は数日の滞在を村長むらおさに頼み、そして許された。
 私たちの村は小さく、辺りには魔物、と呼ばれる人を食う化け物が蔓延はびこっているのにも関わらず剣士もろくに雇えぬ村で、彼のような旅人は本来警戒すべきものなのだが、彼はわりかしすんなりと村に受け入れられた。
 彼が少年だった、と言うのも一つの原因なのだろうが、実のところ外――村の外と久しく交流の絶えていた辺境の村では、旅人が珍しかった、という方が本当のところだろう。
 彼は村のものから引っ張りだこで、外の話を沢山してくれた。私も気にしない振りをしながら聞き耳を立てていたが、彼が話すのは夢のような外の話というよりはむしろ、町で暮らすことの難しさや、魔物の恐ろしさなどだった。
 私の家に宿を取った彼は、人を探しているのだ、と言った。
 彼が見せてくれた、首飾りロケットの中に入っていた探し人の絵は、騙りを防ぐための剣士の肖像画で、それは私たちがよく知る、有名な剣士のものだった。片刃の大剣に細身の剣、二本の剣を持った青年の絵である。その人物について、
「この人は、僕を救ってくれる唯一の人なんです」
 彼はそう言った。救う、と言うその意味が――彼が何から救われたがっていたのか、私には解らなったのだが。


「――さん、って、美人ですよね。どうしてこんな村に?」
 別の日――彼が村に来た次の、そのまた次の日ぐらいのことだったと思う。
 夕飯の時分だっただろうか、彼がそう呟いたことがあった。
 まるで小さな村には不細工しかいないような口ぶりだなとからかうと、そういうわけではないと彼は焦った。その彼の様子に笑う反面、美人、などと言われたことが初めてだったので照れくさくもあった。
「そうだな……私は村から出たことがないんだ」
 私が言うと、彼はどうして、と驚いたように言った。外の世界を渡り歩いている彼にとって、私のような存在は信じられなかったのだろう。
「怖いからさ。……君も言ってたろ? 外には魔物がいるって」
 でも、と反論しかけた彼に微笑みかけて、私はあることを思い出していた。
「それに……私の両親は、魔物に殺されたから」
 言った瞬間、彼はびくりと、身を震わせた。……まるで彼が私の両親を殺してしまったような、そんな態度だった。
 ……私が小さいときだったから、これは後から聞いた話なのだが。
 両親は町々を渡り歩く商人だったのだそうだ。
 その時は、私はこの村に預けられていて二人だけが出かけて、それで……魔物に殺され、死んだのだという。その所為もあったのだろう、私が村を出たことが無いのは。
 私は彼がどうしてそんなに動揺しているのか理解しないままに、肩をすくめて笑う。
「でも、この村だけで暮らしている、というのもいいものだよ。
 村の外に出たことがあったら……旅人の話を聞く楽しみがなくなるだろ?」
 彼はきょとんとした顔をした後、それはそうですね、とまた笑んだ。その笑みは先ほどよりもぎこちなかったが、また別の話が始まると、その違和感も無くなっていった。


 彼がいた数日間は、とても楽しく。
 ……あっという間に過ぎ去って、夢のようとは、あんなことを言うんだろうと。
 だけれども。


 ……魔物だ。
 その叫びを聞いたのは、彼が来てから一週間ほど経った頃だったろうか。
 よく覚えていないが、私がちょうど目を覚ました時だった――いや、その叫び声に目を覚ましたのかもしれない。
 彼は、と姿を探すが、いない。外に出れば、村の者たちは避難を始めているところだった。
 村の男たちが松明を掲げて『魔物』を広場の方に追いやっているのが見える。
 彼の姿は見当たらない。私には気にしている暇も無かった。
 子どもたちをなだめて、村の外に出したその直後、悲鳴が聞こえた。
 ――地面が、血に濡れていた。
 一人が魔物の爪にかかって、倒れていた。
 体の下からじんわりと血だまりが広がっていく。遠目でも、その男が死んだのだと解った。
 ……頭の中が混乱して、わけが解らなくなり――
 気づけば走って、男の傍に寄っていた。
 化け物は少し遠くで暴れていた――そいつはもう松明の火も恐れなくなり、男たちは、既に他のものたちが逃げ出したのを確認すると、自分たちも村の外に出ていった。私のことには、魔物の陰になっていて見えなかったようである。
 ……男は完全に死んでいた。
 足ががくがくと震えて、どうしてこんなところに走って来てしまったのだと、どっと後悔が訪れる。
 『それ』はこちらに気づくと、ずるずると足を引きずるように近寄ってきた。
 ……立てない。
 逃げられない、のだと思ったその時、私は。
 魔物の方を見つめ、……そして、私はあることに気づいた。
 魔物の首に、引っかかるようにまとわりついていた、金色の欠片――鎖。
 見覚えの、あるものだった。
「ッ……」
 彼が着けていた……彼の『探し人』の入った首飾りロケット。 それと同じもの。
 『魔物』は迷うように立ち止まる。

 ……魔物?

 乾いた笑みが浮かぶのを感じた。

 魔物って……何だ?

 へなへなと、へたり込む。
 彼が魔物だったとでも言うのだろうか。
 ……魔物は獣と一緒だと、聞いていた――そう思っていた。
 なのに。
 これは……何の冗談なんだと。
 一歩、『彼』が足を踏み出した。
 唸り、前足を振り上げる。
 逃げる気も……起きなかった。ただ頭の中が空っぽになっていくのを感じた。
 爪が。
 ……爪が振り下ろされる。と。
 そう思った時、

 ――風の鳴る音がした。

 その日は空はとても晴れていて。
 ――『それ』が剣が空を裂いた音と気づくのに、私は数秒かかった。
 ふわりと、踊るように、その青年は一歩、足を踏み出した。『彼』が動きを止める。――大気が震えるほどの殺気に気づいたのだろう。探るような唸り声――私は私の横をすり抜けていく青年を見つめて……これは何か、夢なのだろうかと考えた。まるで悪い冗談のような夢なのかと。
 ……茶髪――
 否、亜麻色の髪。構えるのは二刀――片刃の大剣と細身の剣。
 私たちはその男を、剣士に与える最高の称号を以ってして呼ぶ。
 剣聖。
 それが男の呼び名だった。
 ――そして、彼を救ってくれる、唯一の――

 剣士の足取りは優雅とさえ思えた。一歩一歩『彼』へと近づく。その表情は私からは見えなかった。
 『彼』は動かない――動けない、のかもしれない。
 圧倒され、息も詰まるような空間が、ここに在るような気さえした。
 そして一閃。
 散る血しぶきが地を染める。
 対照のように空は青く。
 酷く記憶に残る光景だった。


 ――その日のうちに、死者たちの埋葬は行われた。


 私が見た村の男のほかにも、女性が二人、子どもがひとり――魔物に、殺されていた。
 小さな村では、みな知った顔で、特に子どもの方は……彼とよく話していた子だった。
 『彼』はあの後……元の、と言っていいのかどうかは解らないが……少年の姿に、戻っていた。
 剣の傷跡はあたかも魔物の牙と爪にかかったかのように生々しく残っていて。
 ……彼は、『魔物の犠牲者』として、死んだ村の者たちと、一緒に埋められることになった。
 剣士は『偶然』村を通りがかったところで、村の人間に助けを求められたらしい。
 埋葬を遠目に見ながら、私は剣士に、『彼』は貴方を探していたんですよ、と言った。


「知ってるよ」
 と剣士は疲れたように言った。
「……僕も彼を探していた」
「救いを。
 ――求めていたんです。
 貴方は己を救ってくれるたった一人のヒトだと」
 青い空に雲が流れる。
 風はとても強く、耳が痛くなるほどで。
 私は――
 ……私は埋葬から視線を逸らし、剣士を見た。
 女とも見えるが、男であることは確かだ。亜麻色の髪を三つ編みにしている。
 髪と同色の――いや、それより少し色の濃い、暗い瞳は、まっすぐにどこかを見ていた。
 私でも、埋葬の場でも、空でも地面でもない。
 ――どこを見ているのか、私には察しようもなかったが。
「僕は剣士だよ?」
 それは奇妙な笑みで――泣いているようにすら見える、奇妙な笑みで。
 ……無力なものの笑みだ。この剣士の笑いは。
「彼を救うなんて……出来やしなかったさ」
「ですが彼はそう言っていた」
「……」
 剣士は眉を寄せて黙した。
 私が何を言いたいのか……理解わからないのだろう。
「……ひとつだけ、聞かせて下さい」
 頭の中が……暗く淀んでいくのを感じる。
「彼を探していたと言いましたね。
 あなたは。
 人の姿の彼に会ったら――どうするつもりでしたか……?」
「斬ったさ。
 ――僕にはそれしか出来ない」
 何故だか、解らない。
 その時、頭の中が真っ白になった。
 ……何故だか本当に、解らないが。
 この男の全ての言葉に腹が立って。

 ……ぱんっ。

 私は思いっきり、剣士の頬を叩いていた。
「彼は……ッ……笑っていたんだぞ……!?」
 ……彼の笑みと、この男の笑みはあまりにもかけ離れすぎていて。
「あんたが、救ってくれると言っていたんだぞ……ッ!」
 希望に満ちた彼の笑みと、絶望しか見ようとしないような、彼を殺したこの男の笑みが。
 あまりにも違いすぎて……!

「……君も、死にたがる馬鹿かい……?」
 それは静かな。
 ――それはとても静かな顔で。私にはまたそれが気に食わなくて。
 紅くなった頬を押さえながら、彼はふと呟いた。
 ……まだ笑うのか。この男は。
「何を――言っている……」
「僕は違うし、彼も違った。
 けど僕は彼を殺した。
 それ以外に方法が無かった。
 あるいはあったかもしれない……だけど、僕は『それ』を知らなかった。探している暇も無かった」
 ……何なんだろうか。この男は。
 後ろ向きな言葉ばかり口にして。
 ……そのくせ私にはそれに反論する術が一つも無くて。
「でもッ……!」
 悔しすぎるじゃないか――そんな。
「彼を救う方法は……他にあったのかい? 君はそれを知っているかい?」
「あれは……救いじゃない……!」
 ――呟くことが精一杯の反論だった。
「……あれが救いであるものか……」

 ――それ以外に私に言うべきことは……
 言えることは、なかった。だが。


 何も言えないなんて……悔しすぎるだろうに。
 ……こいつは彼を、殺した男だというのに。


 剣士は数日滞在し、やがて村を出て行った。
 ……私は何か罵声でも浴びせてやろうかと思っていたが、結局何も言えないままにあの男はいなくなっていたのだ。
 彼がいなくなった我が家が妙に広く感じたのは気のせいではなく。


 空が空色ではなく、真っ青に染まる風の強い日。
 私は彼と同時にあの魔物の姿と――、剣士のあの腹の立つほどに綺麗な姿を思い出す。
 魔物は世界からいなくなり、『剣聖』は世界を救った男の二つ名となり、村の人々は時々、思い出すように彼の名を出し話の種にしている。
 ……私はそれがたまらなく気に入らない。










 ……みなはあの男のことを褒め称えるが、私は正直言ってあの男のことが大嫌いである。









 2003年3月6日。多分余白病にかかってたころ。
 余白修正して見ました。バランスが崩れたと言うか、よりわけが分からなくなっただけな気もしますが。
 前編との矛盾:剣聖がまだ魔物のいる状態でありながら既に剣聖と呼ばれている。
 本編内の矛盾:魔物の首のところに少年のロケットが引っかかっていたのであれば、少年が魔物に食われてしまった、と考える方が自然。魔物を少年の敵と思い、それが剣聖を殺す→魔物が少年の姿に戻って、魔物が少年だったと知る、と言う流れの方がよかったような気がする。
 ここを変えると話の流れが丸ごと変わってしまうし、ま、いっか、と言うことで、そのままにしておく。
 でも、修正後もやたら余白が目立つお話。結構気に入っているのですが。

 …夢


(2004年10月16日、加筆修正)




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