「鍵宮は、宇宙をどう思う?」
蒼丸さんは夏の空を指差して、唐突にそんなことを言った。
日に焼けた肌の上を水滴が滑っていく。蒼い水泳帽を外すと、水泳部にしてはかなり長い、後ろで結わえた髪がばさりと背に垂れかかる。傷んでいるけれど、真っ黒な髪。
唐突な質問に、俺はちょっと首を傾げた。蒼丸さんのこう言う変な質問は稀なことじゃなかった。……けれども、だからと言ってプールから上がって来ていきなり、こう言う問いを浴びせかけられれば面食らう。
「宇宙スか?」
「そう」
宇宙、と繰り返して、蒼丸さんは楽しげにも寂しげにも見える微笑を浮かべた。全くいつも通りの蒼丸さんだった。
詩辺蒼丸さんは俺の一年上の部活の先輩で、偏屈で取っ付きにくくて人付き合いは苦手の極みと言う、詰まるところが、変人だった。一年の四月――去年部活に入って、どうして俺がこの人に懐いたのかは疑問の残るところだ。特にこう言う質問はいつも漠然としていて、どう答えたらいいのか分からない類のものだ。
もっとも、その時は七月も末だったか。第何次だかの星間戦争が終わったばかりで、世界中が妙に落ち着きがない時期だった。相手側とは未だに緊張状態が続いていて、一応不可侵条約は結んでいるもののいつ破られるか解ったものではなかった。いつ何時戦争が始まるか解らない。俺たちの頭上で、遠い真空で――そんな時だった。
だから、宇宙と言う言葉を蒼丸さんが紡ぎ出したのは何らおかしいことじゃなかったのかも知れない。
けれども、結局それは、俺にとっては頭の上の話だった。俺たちの国は兵隊を出すことにあまり積極的ではなく、……だから、俺は、戦時下なのだと言う思いは全くなかった。
もしかしたらどこかの大学がこれを話題に問題を出すかも知れない。そう思った程度だった。だから特別、宇宙と言う空間を意識すると言うことはなかった。
そう言う理由から、俺は改めて宇宙についてどう思うかなんて聞かれ、非常に驚いた。反応に窮した。適当な答えを返してもよかったのだが、何せ質問してきたのがあの蒼丸さんだったもんだから、俺は妙に何か格好つけた答えを返そうとしていた。そんな風なことは覚えている。
――と、言っても、残念ながら、その肝心の答えを俺は覚えていない。何か物凄く馬鹿なことを言ったような気がする。思い出して赤面するようなことを言ったような気もする。
ただ、その答えを聞いて蒼丸さんが大笑いしていたことはよく覚えている。口を押さえてそれでも治まらずに、腹を抱えて大きく震え、思う様笑声を上げる。蒼丸さんはそう言う爆笑をすることなど滅多にない人だったので、俺は始めぎょっとして、何か変なことを言ったのではないかと不安になったが……実際変なことを言ったんだろうけれど……その内、蒼丸さんがあんまりにも笑うもんだから、一緒になって笑っていた。馬鹿だった。
蒼丸さんがよく空を見上げるようになったのは、その頃からだったと思う。夏の盛りだった。
蒼丸さんと俺
地球に初めて異星人が訪れたのは、今からちょうど二世紀前の春のことだったとされる。
それは公式の記録であり、つまり公式の記録でしかない。それ以前に別の星から生物がやって来たことは本当になかったのか。それは、定かではない。
地球はそれ以後、銀河系で二十八、その外に二つを数える星と接触を持っている。そのほとんどとは友好を結んでいるけれども、残りとはあまり仲がよろしくない。さらに、その中の数個の星、もしくは数億人以上が集まる巨大な移民船なんかとは、かなり険悪な関係だ。いくつかとは今でも、ほぼ戦争状態である。
地球はこの戦争に対して、数十ヶ国から成る連合軍と言う形で臨んでいる。無論、地球上の全ての国が足並みを揃えられるはずもない。数十ヶ国、揃える姿勢を見せただけでも重畳と言うところだろう。
もっとも、完全に協調できているわけではない。相互に技術協力すると言う協定が結ばれているものの連携が上手く取れず、指揮系統は一応整ってはいるものの装備は不揃い。それでも戦争できるのは、敵側も同じ状態なのか、それとも何か別に理由があるのか――それは解らない。
また、この連合軍とは別に、地球には〈遺産〉と呼ばれる組織が存在する。
誰の――何の――遺産なのかは分からない。何のための組織なのか? 「地球を護るため」の組織、としか言いようがない。子供向けの特撮のような、そんなチープな説明になるしかない。〈遺産〉とはそんな連中だ。
〈遺産〉は組織の名前でもあり、それを構成する人々のことをも指す。〈遺産〉と言う人々の集まりが〈遺産〉と言う組織を作っているのだ。彼らは生まれた時から〈遺産〉だと言う。
人種、国籍、民族、思想に関わらず、〈遺産〉は組織を形作っている。彼らはある一定の年齢まで達すると自分が〈遺産〉であると自動的に自覚する。それまでは自身でも解らない。唐突に、そのことを自覚し、〈遺産〉の一員となって地球を護るために動くようになる。自覚しながらも協力しない者もいるのかもしれないが、〈遺産〉であるかどうかは自己申告なので分かりようもない。
現在の〈遺産〉の構成員は、千人前後だと言われている。多いのか、少ないのか。それは解らない。ウルトラ警備隊みたいな組織なんだと考えれば大規模な気もする。もっとも〈遺産〉のもっぱらの敵は、怪獣ではなくたいていは俺たちと同じサイズで同じ程度の文明を持った異星人なのだが。
そして、今日も〈遺産〉は地球を護るために活動している。
『――この放送は、まだ見ぬ私たちの同胞へ呼びかけるためのものです』
暑さのあまりに視界が歪むような夏の日。
不意に聞こえた言葉に引っかかり視線を巡らせると、ビルに付いた巨大モニタに男が映っていた。柔らかい微笑みを浮かべている年齢の掴みにくい顔立ちは、見覚えのあるものだった。〈遺産〉の中心メンバーの一人。空緒勇気。短い銀髪と優しげな空色の眼差しが印象的な男だ。
人込みの中。喧騒と行き交う車の音、ストリートミュージシャンの歌声とギターに、立ち並ぶビルから流れてくるボサ・ノヴァ。そんなものに掻き消されてよく聞こえないはずの、空緒の声がはっきりと俺の耳に届く。俺は人の流れから外れ、車道と歩道の間で立ち止まった。俺の他にも何人かが、そうやって立ち止まっている。その中の半分は携帯を開いていたが、残りは俺と同じようにモニタを見ていた。俺も、モニタへ目を向ける。空緒は流暢な――少なくとも英語でも日本語でもない言葉で話を続けていた。俺は下に表示された字幕を見た。その時は何の疑問も抱かなかった。ああ、外国語で話しているな、程度だった。
『皆さん、お解りでしょうが、私たち〈遺産〉は地球を護ると言う目的のために存在します。それが我々の目的です。では、何故、我々は地球を護ることを、自ずからそうしようとするのではなく義務として思い出すのか?
一部の方々は、私たちを、貧乏くじを引いた人間と言う風に見てらっしゃるようです。
ご存知の通り、二世紀前、異星人が初めて我らが星を訪れ、それ以後、我々は多くの星と親交を結んできました。この地球には現在、一万から三万の異星人が住んでいると言われています。その一方で、先月に結ばれた不可侵条約は早々と破られ、現在この星はA*※〜デ¥Eク星(地球人には発音不可能な音を機械音声で表現している。字幕にはエイヴィデドゥイクと表記されていた)と深刻な交戦状態にあります。我々もむろん、戦闘に参加しています』
空緒はそこで息を吐き、やや俯きがちになって、しかしすぐに顔を上げる。
『徴兵制がほぼ根絶され、志願兵が多数を占める連合軍において、我々の存在は異質でしょう。何故なら、私たちが地球を護ることは、あたかもかつての男たちが国を護ることを義務付けられていたように、何者かに設定されたもの……と思われるからです。貧乏くじと言われるわけですね。他にも道があったかも知れないのに、〈遺産〉だから地球を護るために行動しなければならなくなる。見ようによっては、何か不幸に当たったようにも思われるかも知れません。
ですが、我々はそうは思いません。〈遺産〉は地球を護ることを目的とした個人であり、それが集まった組織であるからです。それが例え、誰かに定められたものであろうと、私たちの、地球を護りたい、と言う欲求――そう、欲求です――はとても、強いものだからです。
さて、初めの問いに戻りましょう。何故、私たちは地球を護ることを義務として思い出すのか? 自ずから地球を護りたいと思うのであれば、私たちは特異なものとしては見られることなく、組織として群れることもなく、連合軍に志願兵として入っていたはずです。
何故我々は自らを〈遺産〉として思い出し、地球を護らねばならないと言う義務を思い出すのか? それは私たち自身にも解っていません、ですから――』
そこまで聞いて、俺は不意にポケットが震えるのを感じた。我に返る。携帯だ。慌てて取り出すと、メールが来ていた。蒼丸さんからだった。待ち合わせしていたことを思い出す。
俺はその時、はっきりと血の気が引く音を聞いた。待ち合わせの時間を二十分も過ぎていた。慌てて踵を返し、人の流れに戻る。耳慣れない言語で紡がれる男の言葉は、その後もずっと続いていた。もちろん、何を言っているのかは分からない。引っかかるものがあったが、それよりも俺には、待ち合わせの方が大事だった。
俺の行きつけのゲームセンターは、そこから歩いて五分程度の場所にあった。そこを蒼丸さんとの待ち合わせ場所にしたのは、蒼丸さんが珍しくゲームに興味を持ったからだった。俺がその時やっていたシューティングゲーム、と言うよりはフライトシミュレーションとシューティングを混合させたものか。戦闘機のコックピットを模したアーケードゲームだ。
俺がゲームセンターに入った時、蒼丸さんは入ってすぐのところにある、自販機コーナーの椅子の一つに腰掛けて俺を待っていた。
「来たか」
「すんません。ちょっとそこのテレビ観てて。〈遺産〉の空緒が話してて、それでつい――」
「〈遺産〉?」
立ち上がった蒼丸さんは、きょとんとした顔で俺を見た。
「お前、〈遺産〉に興味なんかあったか?」
「ないですけど、何となくって言うか」
改めて問われると俺も困った。もともと大した理由があったわけではないのだ。耳に聞こえた声が気になって、目にしたら話が気になって。それだけだった。
「……あれ?」
違和感を覚えたのはその時だった。その正体が分からず、俺はもう一度、あれ、と呟いた。
――この放送は、まだ見ぬ私たちの同胞へ呼びかけるためのものです。
あれは確かに空緒の声だった。俺はその言葉が気になってモニタへ目を向けた。モニタの中の空緒は聞き覚えのない言葉を喋っていた。俺は画面に表示される字幕を読んでいた。
何で空緒はわざわざ日本語で喋ってから、別の言葉で話し始めたんだ? いや、違う。
俺はどうして、どこのものかすら分からない空緒の言葉の意味が分かったんだ?
「どうした、鍵宮?」
蒼丸さんが怪訝な顔で俺を見ていた。心配しているようでもある。話の途中で突然押し黙ったんだから当たり前だ。俺は蒼丸さんを見返して、何とか、何でもありません、とだけ言った。言ってから、一気に没頭していた意識が引き戻される。
「大丈夫です。それより、ゲーム、やってみました?」
「どれか分からないから、待っていた」
「……そうスか」
あくまで簡潔な答えに俺は肩を落とし、すいません、ともう一度謝った。蒼丸さんは謝ってる暇があるならどこにあるか教えろ、と命令形で言った。蒼丸さんはこう言う人だ。
俺は苦笑しながら、こっちですと言っていつもプレイしている筐体の方へ向かった。蒼丸さんは無言でついてくる。俺はその状況を自分で省みて何となく微笑ましくて、自然にやける。遅れてみるも悪くないじゃないか。などと、不謹慎なことを頭の隅で考えた。
感じた違和感と疑問はそれきり放置された。時々ほんの小さな違和感を思い出すことはあったが、正確にそれが何なのかは解らなかった。
やあ、とそいつはなれなれしく俺に声をかけてきた。秋口のことだったか。まだ暑い日だった。
長身の女に、見えた。俺よりちょっと背が低いぐらいの若い女。五時ぐらいにプールサイドに現れて、ひらひらとこちらに手を振ってくる。学校の関係者でもないしスーツにヒールでプールに似つかわしくもない。遠目にも、見れば日本人でもないと分かった。
「やあ、鍵宮野原」
女ははっきりと俺の名前を呼んだ。こつこつ、と靴音を響かせながら俺のところまで歩く。ぞっとするような笑顔で視線は俺から逸らさない。思ったよりも低い声。――どこかで聞き覚えのある声だ。俺は相手の、短いスカートから覗く白い足を見た。次いで相手の顔を見る。傾きかけた日に照らされた女の顔は、やはり見覚えのあるものだ。――が、どこで見たかは思い出せない。
「……あんた、誰?」
「あら?」
女はきょとんとした顔で俺を見た。俺をじっと見つめたまま瞬きもせず首を傾げる。
「覚えてない? おかしいわね、言葉は通じてるのに」
「は?」
女が何を言っているのか、俺には皆目分からなかった。言葉が通じているも何も、女が話しているのは流暢な日本語で……
「んー、言葉は完全に通じてるわよね。私の言ってること分かるのよね? 実は解りませんでしたってオチは厭よ私」
「いや、分かるも何も」
「本当に?」
困ったように答える俺に、女は指を突きつけてくる。この仕草もどこかで――女が浮かべているのは悪戯っぽい、と言うよりは甚振るような笑みだ。
「本当に私が話してるのは、貴方の知ってる言葉?」
俺は思わず絶句する。何を言っているのだろう、こいつは。
俺は日本語以外は喋れないし聞き取れもしない。この女の喋っているのが日本語じゃないなら、俺に分かるはずが――
「――セルジオッ!」
蒼丸さんがその女、いや、その男の名前を呼んだのはその時だった。セルジオは俺を指していた指を下ろし、気のない視線を蒼丸さんの方に向ける。俺は唖然としていた。蒼丸さんが呼んだ名前が、俺にも聞き覚えがあるものだったからだ。こいつは――
「そちらには関わらない約束だ」
蒼丸さんはセルジオを親の敵のように睨んで言った。そちら、とは俺のことか?
「貴方との約束がどうでも、思い出してしまえば意味がないわよ?」
セルジオは呆れた風に言いながら蒼丸さんの方に向き直る。改めて見ればスーツの胸の部分が清々しいほどに平らだった。体つきも女らしくない。完璧な女装だった。
「だから、関わるなと言っている」
「私が関わらなくても、いずれは同じことでしょう?」
「……」
蒼丸さんは、黙ってセルジオを睨み付ける。俺は二人の間に挟まれた格好になって、たいそう居心地が悪かった。
セルジオはしばらく無表情にその視線を受けていたが、やがて嘆息して首を竦める。
「まあ、こっちとしては構わないんだけどね。半端者よりは寵児の方が即戦力になるだろうし。でしょう?」
くすくすと笑って、セルジオは俺の方を横目で見た。続けて何か言っていたが、俺にはもう何と言っているか分からなかった。踵を返し、蒼丸さんの方に軽く手を振ってさっさと行ってしまう。
「蒼丸さん、セルジオの奴、最後何て?」
俺が聞くと、蒼丸さんは不機嫌な顔で押し黙り、俺に背を向けた。呼び止める間もなくプールに飛び込み、向こう側に泳いで行ってしまう。
取り残された俺は溜息をついて、その場に腰を落とす。
「――何だァ、一体?」
あれは――あのセルジオが、何だって日本に、いや、何故、そもそも地球にいるんだ?
俺は呆然として、セルジオが去って行った方を見た。セルジオ=シルヴァ。〈遺産〉で最も顔が売れている、元は役者のイタリア人。あいつの言葉を、俺は途中まで理解していた。蒼丸さんもだ。どうして――
「鍵宮」
聞こえた声に驚いてプールの方に目を向けると、蒼丸さんが水面から顔だけ出して俺を見ていた。ぶすっとした顔だ。あからさまに怒っている。
「蒼丸さ……」
「何も考えるな」
「はい?」
「何も考える必要はない。少なくとも今は」
俺がどう言う意味かと問い返す前に、ばしゃんっ! と言う水音。蒼丸さんは言うだけ言ってさっさとまたプールに潜って行った。俺はまた一人プールサイドに残される。何が何だか分からない、と言うのが正直なところだった。分かってたまるか、と言うところもあった。
蒼丸さんは小さく息を吐いて、コンソールから手を放した。画面には名前を入力するよう指示が出ている。蒼丸さんは面倒くさげにボタンを連打し、椅子から立ち上がる。オンラインで繋がっているランキングの一位がデフォルトになった。よく見れば、画面に表示される上位十名は全部デフォルトネームだ。多分、全部蒼丸さんの記録だった。このゲームは普通名前を登録してプレイするゲームだが、ゲストとしてランキングに参加することはできる。つまりその場限りのゲストが、一位を取り続けていると言うおかしな状態なわけだ。今は。
「……相変わらず、シューティングだけは得意ですね」
「だけは余計だ。……何と言うか、慣れてるからな。息抜きにはちょうどいい」
「ハ、息抜きで全国制覇されちゃたまったもんじゃない」
俺は苦笑して、首を竦める。夏に初めて蒼丸さんをゲーセンに連れて行って、そこでプレイしたゲームがこれだ。去年からあるヒット作品で、実際の戦闘機を正確にトレースした、と言う噂の、結構罰当たりなゲームでもある。最近の戦闘機は大抵オートパイロットが優秀だから、素人でもある程度は操作できるのだ――勿論、車の操縦よりは難しい……らしいが。
「――どうしたって、アマじゃプロには勝てないのさ。一流のアマは三流のプロに勝るかも知れないが、一流のプロには敵わない」
「どこから突っ込んでいいのか分かりませんけど、取り敢えず格好付けててキモいッス」
「キモいとまで」
蒼丸さんは幾分ショックを受けたような顔で言った。出典は少女漫画なんだけど、と呟いて、頬に手を当てる。
「それに、プロとかアマとか、あんた、息抜きにやってるのにプロとかわけが分からないし」
「いや、プロだよ」
蒼丸さんははっきりと言い切った。どこか嬉しそうと言うか、誇らしげでもあった。
「何のプロです? ゲーマーとは違いますよね。他のゲームはからきしだし」
「……からきしと言うわけでは」
「でもドヘタですよね」
蒼丸さんはむう、と唸って、口を尖らせた。ゲームに関しては俺の方が蒼丸さんに優越している。
「このゲームでは私の方が上だろう。お前は百位ぐらいなんだから」
「蒼丸さんがこのゲームだけにずば抜けてるだけっしょ。百位前後なら御の字です。それに蒼丸さんがプロなら負けてもしょうがないでしょ。だってプロなんだから。プロが素人に勝ち誇るのって情けなくないッスか?」
「……」
蒼丸さんは物凄い顔で沈黙する。――我ながらよく回る舌だった。でも、前半に関しては嘘は言ってない。全国区とは言わないまでも、地方のトップは狙える位置にいる。ゲストは一ヶ月でランキングから削除されるが、蒼丸さんは月に十五、六回はこのゲームをやるから、実際のところは九十から七十位ぐらいのはずなのだし。
黙ったまま、蒼丸さんは椅子に再度腰掛けた。百円を入れて操作桿を握り、ぶすっとした顔で乱暴にスタートボタンを押す。
ああ、拗ねちゃった、と、聞こえよがしに言ってやると、蒼丸さんはいよいよ不機嫌になって操作桿を前に倒した。
怒っていても操作ミスをするようなことはしない。唇を噛み締めて、乱暴にボタンを叩いているが、操作自体は正確だ。毎度毎度、感心させられる。
ステージは八つ、難易度が段々上がって行く仕組みで、向こう側の筐体から乱入者が来れば、そこでゲームは中断し乱入者との対戦になる。蒼丸さんはあたら強いから、乱入する奴は結構いる。何度も乱入してくる奴もいる。蒼丸さんはそれを三十秒程度、早い時は十数秒で沈めていく。手際が恐ろしいほどいいのである。
「……つーか、強過ぎでしょ。被弾数ゼロとか有り得ないですから」
「被弾したら墜ちるだろうが」
「現実ではそうですけど……やっぱナシですよこれは」
十数人入ってきた乱入者を次から次へとさっさと沈めて行き、後半は殆ど飽きた様子で適当にばしばしボタンを叩く。かなり態度が悪い。全面何事もなくクリアーすると、ちょっとは気分も晴れたのか眉間の皺を和らげて立ち上がった。
それを見計らって、俺は口を開く。
「で、何のプロなんスか?」
蒼丸さんは答えなかった。
俺に関しては、機嫌は直っていないらしい。
俺は肩を竦めて、そっぽを向いて歩き出した蒼丸さんの後を追った。
「宇宙に行くんだ」
――年末、晦日も近い真冬。日はもう落ちかけて、釣瓶落としとは秋のことを指すのだが、兎に角、そんな時。
蒼丸さんは俺の問いに、そんな言葉を返してきた。学校からの帰り道、隣を歩く蒼丸さんは立ち止まって、俺の言葉に答える。俺は釣られて立ち止まり、蒼丸さんを振り返った。
夏に始まった戦争は終わるどころかますます深刻化して、地球では頻繁に流れ星が見られるようになった。〈遺産〉の数は夏からも徐々に増えては二千人を越えたが、それでもまだ増え続けている。
「宇宙に」
――そう言えば、とふと思い出しただけだったのだ。冬になっても蒼丸さんはちょくちょく部活に顔を出していて、不意に、この人が進路をどうするか、まるきり聞いていなかったと思いつき。
返ってきた答えがこれだった。蒼丸さんはいつものように表情の読みにくい微笑を浮かべていたが、俺はさすがに笑い返せない。今、宇宙に行くと言うと、資源の採掘か宇宙ステーションか、それか――
「まさか、戦争に」
「そう、戦争に行く」
蒼丸さんは俺の言葉の後を引き継ぐように、言った。まるでピクニックに行くような気軽な口調だったが、そこには一抹の悲愴さがある……が、蒼丸さんは俺から見て、正直いつもそんな感じなので、蒼丸さんが何を考えているのか分からなかった。
「何で。……まさかあんた、〈遺産〉に」
秋の初め、いや、あれは夏の終わりか――あの時にやって来たセルジオはそれっきりだった。一体あいつが何をしに来たのか、蒼丸さんに聞いてもさっぱり答えてくれなくて。
「私は〈遺産〉じゃない。……〈遺産〉なら、さっさと宇宙に飛んでいるさ。知識は埋め込まれているんだから」
蒼丸さんは首を振る。……そう、〈遺産〉とは、そう言うものだ。知識と定めと義務を、彼らは同時に思い出す。
「……じゃあ」
「〈遺産〉だから戦争に行くわけじゃない。私は自分の意志で自分がそうしたいから戦争に行くんだ。解るか?」
俺は頷けなかったが、首を振ることもしなかった。蒼丸さんはまっすぐ俺を見ている。何か……
「じゃあどうして、〈遺産〉の、それもセルジオがわざわざあんたに会いに来たんです。おかしいでしょう。あんたがただの志願者なら」
「それは」
蒼丸さんは眉を寄せ、困ったように言葉を詰まらせる。
「約束って何なんです? 寵児って?」
自分でも覚えていたのが不思議なぐらいすらすらと言葉が出てきた。蒼丸さんは怒ったような無表情になって、やや俯きがちになる。
「……何もかも、お前には関係ないことだよ、鍵宮。お前は地球にいればいい。何にも考えないで」
「そんな」
「私はプロだからな、だから、――お前には関係ないんだよ、鍵宮」
蒼丸さんは顔を上げて、だから、お前は地球にいてくれ、と言った。いつもの蒼丸さんだったし、いつもの微笑だった。
「私が地球を護るから」
それは――
まさしく、〈遺産〉そのものの台詞じゃないか。
俺は思ったが、何も言えなかった。蒼丸さんは、俺を見つめて笑っている。
「だから、お前は地球にいてくれ」
蒼丸さんはそう言った。俺が何か言う前に早足に歩き出す。俺はその背を駆けるようにして追うしか、できなかった。
……三月、卒業式に蒼丸さんは出席しなかった。
正月から三ヶ月、俺は部活をサボって腑抜けのようになって過ごしていた。蒼丸さんには一度も、会わなかった。家が近くだから初詣に行こうと言う計画もポシャッたし、メールは蒼丸さんはそうそう送ってくるタイプじゃないし、俺も蒼丸さんへメールを送る気になれなかった。
そう大きい学校じゃないとは言え、会いたくないと何となく思っていれば何故か会わないもので、あっという間に三ヶ月が過ぎ。
それでも卒業式には出なきゃならない。別に俺は蒼丸さんと喧嘩したわけじゃないし、気まずい気持ちになるのも何か変だったんだろう、だけど兎に角卒業式には出たくなかった。卒業証書を受け取る蒼丸さんの背中すら見たい気分になれなかった。これから戦争に行く人の背なんだと思うのが厭だった。
だけど結局卒業式には出た。俺は何となく落ち着かない気分のまま、蒼丸さんの名前が呼ばれるのを待った。蒼丸さんの名前は――果たして、呼ばれなかった。
三月の初めの方に蒼丸さんが退学した、と聞いたのは、後日のことだった。
卒業も間近だったのに何故だろう、と部活の同輩は言っていたが、俺には理由が解った。……予定を繰り上げたのだろう。俺が部活に出てこなくなったから。
何の連絡もなかったのは、俺に意地を張ってくれたのだ、と思いたい。俺に何か思うところがあったから、何も言わずに学校を辞めたのだろう。
話を聞いた時、俺は何となく空を見上げた。薄暗くなりかけた空に幾筋も流れ星が見えた。それは、人が死ぬ光だ。蒼丸さんが、シューティングがやたらに得意だったことを思い出す。
きっとあの人は無事だろう。
無事に戦争をやっているんだろう。
――地球を護っているんだろう。
俺は少し泣きそうになっていた。思い出してメールを送ったが、返信以前に、届きすらしなかった。数分して宛先不明で戻ってきた自分のメールが情けなかった。
……さて。
その一年後の四月二十二日。
戦争が終わって八ヶ月、戦死者の葬儀も終わり後腐れなく今度こそ条約が締結された。
客観的に見ればどちらが勝利した、と言うことのない、双方に利益の無い戦争であったけれど、上空まで進攻されておきながら本土には入られなかった地球は恐らく、命拾いをしたのだろう。
今、俺は戦艦〈フロワーカーズ〉の艦橋に立っている。
……楽な格好で来いと言う指示通りにラフな姿で来たら、戦艦の人間はもっと適当な格好をしていた。
「どうもハジメマシテー、鍵宮野原です。年は十八、乙女座AB型、えー、若輩者ですが皆さん宜しくお願いします」
おざなりな自己紹介になおざりな拍手と野次が飛ぶ。ブリッジにいるのは俺を含めて七人。確か乗組員は十二名だから、半分が此処にいる計算になる。
「そんなわけで、この艦に新しく仲間が加わることになりました。皆さん、彼と仲良くしてあげて下さいね」
学級会のような口ぶりで言ったのは、俺の隣に立つ銀髪の男。〈遺産〉にして〈フロワーカーズ〉艦長の空緒勇気だ。
「お久しぶりね、鍵宮」
結局やって来ちゃったわねえ、と言って俺に握手を求めるのは、亜麻色の髪の女男、セルジオ=シルヴァだ。この中で唯一、薄い化粧にスカートの短い灰色のスーツと言うかっちりした格好をしている。胸がない以外は絶世の美女。何だかなあと言う気持ちで、俺は差し出された手を握る。
残りのメンバーに目を向けると、全員、見覚えのある〈遺産〉だった。赤毛の大男は炎谷鳩郎、薄茶髪の優男フォン=クリューゲル、左右で違う緑色の目の医者ルクレッツィア=リザルタ――それから。
「だから、あんな約束意味がないって言ったのよ。地球で普通に生きてる限り、思い出すものなんだから。――貴方、骨折り損だったわね」
セルジオがからかうような視線を最後の一人の方へ向けた。
ぼさついた黒髪に、焼けていた肌は白くなって、鋭い黒い目がぶすっとして俺を見ている。〈遺産〉……いや、寵児の詩辺蒼丸。
蒼丸さんが、全く不機嫌な顔で俺を見ていた。
「初めまして、詩辺さん」
俺は笑顔を浮かべて蒼丸さんに挨拶した。蒼丸さんは、ますます苦い顔をする。
「――地球にいろ、って、言ったろう」
一昨年俺に言った時はいてくれだったのに、いつの間にかまた命令形になっている。俺は苦笑して首を竦めた。
「だって俺は〈遺産〉ですから。地球を護るって義務があるし」
嘯く俺に、蒼丸さんはただ嘆息する。
俺が〈遺産〉なのは、ちょっと考えればすぐ分かることだった。〈遺産〉は言葉で解り合うのではなく、意識で解り合う。……ようは、心で解り合う。〈遺産〉が思想も人種も民族も国籍も関係なくくっついていられる最大の理由だ。空緒の言葉が分かったのも、セルジオの言葉が分かったのも、俺が〈遺産〉だったからだ。それが解れば、後は思い出すだけだった。
「……言ってくれればよかったのに」
「そうしたら、お前は思い出すじゃないか」
戦争に来てしまうだろう、と蒼丸さんは溜息混じりに言葉を吐く。照れているようでもあった。
「いや、そこじゃなくて。……異星人だって」
「言えるわけがないだろう」
蒼丸さんは顔を顰めた。確かに、それはそうだ。
地球に現在暮らしている異星人は一万人から三万人、確定できないのはその殆どが身の上を隠して暮らしているからだ。異星人同士の感情と言うのは複雑で、地球人は特に、他星の生物に対しての心情が入り組んでいるらしい。地球人の、他星への移住者が極端に少ないのもそのせいだ。太陽系が銀河系の端っこにあって、他星と離れているのも理由の一つだろう。蒼丸さんが言えなかったのも、その辺りの理由だろう。多分、二世か三世で混血なんだろうが――
「でも、俺ぐらいには言ってくれたってよかったでしょ」
「無理だ」
蒼丸さんは即答した後、セルジオの方を睨み付けた。俺に蒼丸さんのことを教え込んだのもセルジオだ。セルジオも二世の異星人で、正確には〈遺産〉ではない。それでも、彼らが〈遺産〉にいるのは自然なことだ。俺たち〈遺産〉が意識で解り合うのは、異星人と通じ合うためだから。
「……大体、お前が来さえしなければ鍵宮は何も分からなかったんだ」
「あら、私に言いがかりはよしてよ。私が来なくたって、あんたと二年も傍にいたんだし、宇宙では戦争があったんだし――時間の問題だったでしょうよ、ねえ?」
セルジオは俺の方を見て言った。フンと鼻を鳴らして、蒼丸さんがセルジオからそっぽを向いた。その視線の先に俺がいる。……
「――お前は」
蒼丸さんは俺の目を見て言った。あの時とは違うぶすっとした表情で。
「お前は宇宙をどう思う」
それでも紡いだのは、いつだかと同じ質問だ。俺は苦笑して、こんなところでそんな質問を吐く蒼丸さんにある意味では感心した。セルジオがにやついているのを視界の端に捉えて、俺は嘆息する。
「……どうも思いませんよ」
「どうして?」
蒼丸さんはいつの間にか笑っていた。俺はいよいよ苦笑いを深めて、蒼丸さんを見返す。あの時何て言ったか? それを思い出していたからだ。そして俺は、これから同じ台詞を言わなきゃいけないらしい。
「俺には蒼丸さんって宇宙がありますから!」
特に考えもせずあの時冗談で言った一言は、今になって俺の口からやけくそ気味に吐き出され、宇宙で大爆笑を巻き起こした。初めて会った奴ら相手には、結構ウケた方だろう。
……俺は真っ赤になっていた。蒼丸さんは口を押さえて笑っていた。どうでもいいけど、これってあんたも恥ずかしいんだぞ、分かってるか?
某年、四月二十二日。〈遺産〉、最大級の戦艦〈フロワーカーズ〉に配属された俺は、初日から思いっきり恥をかいた。恥ずかしさで死にたくなる程度に。
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