夕暮れ時。
 魔眼の姫――ヅカセンサーことアンジュ姫は、今日も瑠璃家のことを追いかけ回して――いなかった。
 代わりに、焚き火の前でボーっとしている。
 が。
「これは……ッ!」
 彼女は深刻な表情で呟くと、次の瞬間その美しい顔の口の端を、かすかだが、笑みの形にゆがめた。
 黒く長い髪、美しい顔立ち、豪華でもないが質素でもない着物は、彼女の美しさを引き立たせている――
 まぁそれはともかく。
「何てことでしょうッ! 早く準備をしなければ!」
 彼女は大声で叫び、どこかへ走り去っていく――瑠璃家は盗み食いをしたズシオを追いかけていたし、汁婆とポヨは散歩に出かけたようだ。風雷はズシオに持っていかれている。
 よって、ここにいるのは彼女だけだった。彼女の奇行を止めるものは誰もいないし、ここに他の者がいたとしても――おそらく止めるのは瑠璃家のみだろう。
「そう、早く――」
 何はともあれ――周りの人間に迷惑が降りかかるのは、決定事項のようである。




拾い食い禁止法




「待てやズシオぉぉおぉぉおぉぉぉぉッ!」
来るな愚民うぉあぐむういんッ!!」
「うるさいッ! 今日という今日は勘弁しないぞっ! 向こう一週間分の食料全部食っちまいやがってぇぇぇぇえぇえぇッ!」
 口の中に食い物を入れたままもがもご喋る、冬でも上半身裸の少年と、その少年に怒鳴りつける少年のような顔立ちと服装をした少女。
 ――さて、こちらは亡国の不死身アホ王子、天上天下唯我独尊のズシオと、アンジュ姫お気に入りのヅカキャラ……もとい、人間離れした王家に振り回された挙句ヅカキャラになるべくアンジュ姫に洗脳されてしまった不幸な少女、瑠璃家の、ほとんど命をかけた追いかけっこである。
 ズシオは逃げながら、手に持った顔のついた棒を握り直す。
「風雷棒ッ!」
食い逃げンなコトのために使われてたまるかッ!】
 風雷、拒否。
 ぐぁっと曲がり、ズシオの額――人体における致命的急所の一つを力強く殴る。
 ズシオは握っていた棒に殴られて、素晴らしいスピードで飛んでいった。
 ――風雷棒は変化すると、銀髪の子供の姿に変わり、ふわりと地面に着地する。
【全く――麿をこんなアホなことにこき使いおって……】
 ぶつぶつと呟いていると、瑠璃家が駆け寄ってきた。
「サンキュ、風雷。これで走る手間が省けたよ――」
 言って瑠璃家は凄絶な笑顔でズシオの方を見る――心なしか、早々と復活し、自分の顔を見たズシオが青ざめたように見えたが、そんなことはどうでもいい。
 問題は、この馬鹿をどうやって始末するか。
「るるるる瑠璃家ッ!? ちょっとその笑顔は怖いからやめてほしいというかなんだその握り締めた拳とかオーラが出てる身体とかっ?!」
「うるさいッ! この馬鹿王子ッ! いい加減懲りやがれぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」


 はたで見ていた風雷は、後に駆けつけた汁婆とポヨに、一切のコメントを拒否したという――


 ……まぁ、そんな後日談はともかく、二人――二匹が駆けつけた際、ズシオはかつてないほどぼこぼこにノされていたという――大砲で散ったときよりはひどくないとは瑠璃家の談だが。
「ったく、何でこいつはいくら言っても殴っても懲りないんだ?」
【この世に食い物ある限りって感じだな】
 フリップで言う汁婆。確かにそんな気がする――瑠璃家は憂鬱なため息を漏らした。ポヨ――ズシオが腹を痛めて生んだ子も、ため息混じりに『ポヨ……』とか呟きをもらす。意味は解らないが、彼が言いたいことは解るような気がした。
 ――と。
「ズシオッ!」
 聞き覚えのある声に、ズシオが早々と復活した。向こうから黒い長髪の美女が走ってくる――アンジュ姫だ。
「何です姉うえふひゅッ!?」
 激突。顔面に肘鉄。
 ――瑠璃家が見る限り、確実に鼻が折れていると思われる。
 細い身体でどーいうスピードだ。アンジュ姫。
 ともあれ、ズシオが再度復活するまで少し間。アンジュ姫以下一人と三匹は、やるせない顔で立っている。
「……えーと、どうしたの? アンジュ姫?」
 戸惑いながらも聞く瑠璃家に、アンジュはにっこり微笑むと、
「まずはズシオが起きてからです。瑠璃家様」
 とのたまわれた。


「と、言うわけで!」
 何がというわけでなのか。
 ――それはともかく。
 久しぶりの魔女ルックになったアンジュ姫は、いつになく気合を入れて叫んだ。
「お正月なのです!」
 ………………………
 場が、ちょっと凍った。
【正月だと……?】
「ええ」
 風雷の言葉に、アンジュ姫はにこやかにうなずく。
「……って、おせち料理とかお餅とか……?」
「そうです」
『何故ッ!?』
 思わずハモって叫ぶ瑠璃家と風雷。
「私が食べたいからです」
 ……ぐーっ……
 同時に響く腹の虫(複数)
「……そういえば、ここんとこ野宿続きで、ろくなもん食ってないね……」
「そうだな」
「ズシオは盗み食いしてるだろぉぉぉぉぉおぉぉぉぉッ!?」


 呟いた瑠璃家に、不用意に相槌を打った亡国の王子ズシオは、憎悪を持ってフクロにされた。


「……でも、年賀状も書かないって言うのにおせち料理だけ食べるのも……」
「ズシオ王子ーんvv」
 かなりずれたツッコミを入れる瑠璃家の声を遮り、それだけで男性を魅了してしまいそうな美しい女の声が響く。
「か、華陽夫人ッ!!」
 瑠璃家は頭を抱えたくなった。最悪だ……絶対に、ややこしいことになる。
「どうしたの!? そんなところでぼろぼろになってッ!?」
「実はおせち料理が……」
「おせち料理がズシオ王子をこんなにしたのッ!?」
 違う……
 面倒くさいが、これ以上事態を悪化させないためには、説明するしかないだろう。
 瑠璃家はため息をつきながらも、こうなった理由を華陽夫人に話し始めた。
「……なるほど……
 つまり、私が愛を込めて、ズシオ王子のためにおせち料理を作ればいいのねッ!」
「どこをどうしたらそういう話になるわけッ!?」
「それは私がズシオ王子を愛しているからよッ!」
 ――話を聞いていたのだろうか。
「ああああああ……アンジュ姫、どうしよ……う゛っ!?」
 アンジュ姫に話を振りかけて、彼女は思わず固まった。
「解りました、華陽夫人……そういうことなら、このアンジュ、及ばずながらも手伝わせてもらいますッ!」
(駄目だ……豪華なものが食えると思って我を忘れている……)
 あろうことか拳を握り締めて叫ぶアンジュ姫に、瑠璃家は今度こそ本当に頭を抱えた。


「というわけで、材料をそろえてみたんだけど……」
「……ちょっと待った」
「なぁに?」
 瑠璃家は、華陽夫人に笑顔で返され、一瞬逃げ出したい気持ちに陥ったが、
「『なぁに?』じゃないよッ! なんだよこれッ! 人間の食いもんが一つとしてないじゃないか!」
 大蛇をはじめ、何やら現実にはいなさそうな物体がうごうごとうごめいている様は、まさに地獄絵図。
 むろん、おせち料理に使う材料など、かけらも入っていない。
 だが、ズシオはふっ、と不敵に笑うと、
「甘いな。瑠璃家。ニョロは食う奴もいるッ!」
「正月の料理には入れないだろッ!?」
「常にオリジナリティを求める――それが王族なのだ!」
「かっこいいわズシオ王子v」
 ……駄目だ。こいつら。
 瑠璃家は頭を抱えた。絶対何か違う世界にいる。ずれてるよ。絶対変だよ。
「俺、もしかしてラズベリーに保護頼んだほうが人生幸せになれるんじゃないだろうか……」
 そんな風にさえ思ってくる……
「アンジュ姫、本気でこれ食う……のってちょっと待ったぁぁぁぁぁぁッ!」
 冬なのに汗だくになりつつ、瑠璃家は我を忘れて謎の物体に噛み付いているアンジュ姫を羽交い絞めにした。
「やめなよアンジュ姫ッ! そんなもん食ったらどうなるか解んないってッ!」
「むぐぐうぅぅぅうっ!」
 ああ。俺、どうしてここにいるんだろう……?
 涙を流しつつ、瑠璃家は己の不幸を嘆いた。
「さぁッ! 調理に入るわよっ!」
「おーッ!」
 とりあえず、エプロン姿になった華陽夫人とズシオを、瑠璃家が止めたくても止められなかったことは――明記しておく。


 ――調理中、何やらこの世のものとは思えない音が色々聞こえたような気がしたが――瑠璃家は目を背けていたので詳細は解らない。
 それと、何やらズシオが四回ほど人食い植物に食われていたり、溶かされそうになったりしていたような気がするが、それもよく解らない。
 まぁ、そんなことはともかく、そんな数々の過程を経て、闇鍋まがいのおせち料理は完成したようだった。


「お待ちかねのお食事タイーム♪」
「――で……何で鍋料理なわけ?」
「ふっ。オリジナリティを追求したまでよ」
【ただ適当に材料突っ込んでただけだぞ】
「やっぱり……」
 汁婆のフリップに書かれていた言葉に納得して、瑠璃家は大きくため息をついた。
「じゃ、ふたを開けるわよ」
「ちょっと待ったッ!」
「何?」
「俺逃げるから、二キロほど離れたら開けてくれない?」
「そんなこといわないの♪ ちゃんとあなたにも分けてあげるからv」
「俺の話聞いてよ……って、うわぁぁぁぁッ!」
 ぱかっ。

 ……思わず目を背けた瑠璃家の耳に聞こえてきたのは。

【……意外にまともだな……】
 という風雷の声だった。
「へ……?」
 瑠璃家が目を開け視線を鍋に、恐る恐る移すと――
 そこには普通の鍋料理があるだけだった。
「……ていうか何故にカニ鍋……」
「失礼なッ! ちゃんと餅も入っているぞ!」
 いやそういう問題じゃなくて……
 ズシオの言葉に言いかけて、瑠璃家ははぁぁっ、とため息をつく。
「まぁ、いっか……」
「じゃあ、いただきましょうかv」
 アンジュ姫の言葉に、あきらめたようにうなずくと、瑠璃家は箸を受け取り、鍋をつつき始めた――


 ちなみに。
 鍋の味が、『何故か』極上だったことは――
 もしかしたら、言うまでもないことなのかも知れない。




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