「……あー……」
マギは、空を見上げた。
気に食わないほどにそれは青く青く澄んでいて。
……青く、澄んでいて。
まるで祭りの騒乱の後を思わせるかのような。
たった数日前に終わった騒乱を。
――全てが――
全てが終わって――終わってくれて、終わってしまって。
みんな、それぞれの道を歩んでいく。
騒乱の後に
「……あたし、何か日本に帰れなさげなんだけど……」
修復された龍法師のうちにあるテレビを見ながら、ナギは少し呆然と呟いた。
サッチー……友人が『ナギ』としてしこたま有名になり、
アメリカ先住民なんぞの酋長になり、大統領の知り合いになり……ともあれ友人は『ナギ』になってしまった。
企業なんかやってるのだ――それも、ナギ・コンツェルンである。
「あたし、このままこっちにいよっかなぁ……」
それもいいかもしれない。
……母や、リオ、法師様、ポチ、この島に居つくことになった
神の島解放戦線のみんな。ダイアナたちアメリカ軍は、残念ながら帰っていってしまったけれど。
ああ、そういえばザンス――じゃない。
ヨシュアは解放戦線を解体してくるとか何とか言ってたっけ――
結構大きな組織だったのに、そう簡単にできるものなのだろうか……?
……それと――
マギ。
「あぁ、父さん忘れてた……」
何気にかなり失礼なことを呟きながら、少女は立ち上がってテレビを消す。
「……そうか。
やっぱり帰らなくちゃ……? 日本に」
――日本に?
……はぁぁぁぁ……
今回の件にて(おそらく)最も不幸だった男、リオが、海岸でため息をついていた。
………はぁぁぁぁぁぁぁぁ………
暗い。はっきり言おうが言うまいが、とにかく暗すぎる。
意中の
女性――ダイアナと、他数人に、よってたかって変態呼ばわりされたのが流石にこたえたか。
まぁ色々な意味で、災難な男である。
ともあれ、リオは海岸――砂になにやら珍妙ないたずら書きをしながら、またため息をついた。
「……な、なぁリオ……」
はぁあぁぁぁぁあぁぁ……
「なぁ……」
はぁぁぁぁぁぁぁぁ……
横で先ほどまでぼーっと空を見上げていた銀の髪の少年――マギの言葉にも全く反応せずに、リオはただただため息をつく。
「なぁ、おい……」
はぁあぁぁぁぁぁぁああぁ……
「おいっつってんだろ! 反応しろ!」
とすっ、こきゃあ。
――妙な音がした。
「………」
マギは妙に悟ったような表情で押し黙り、リオの頭の両側面をかしっ! と押さえると、どう考えてもありえない角度に曲がっていたその頭を強引に治した。
……
ぐっ!
いつの間にか隣に来ていた二足歩行の亀――ポチに向かって、少年は無言で拳を握り締め、父指もとい親指を立てる。
「今日もいいことしたな!」
「――待て」
「さぁナギのところに行ってくるか!」
「――だから待て」
「よ、よし行くぞポチ!」
マギの頭をがっ! と押さえ、リオが地の底から響くような、怨念のこもった声で呟いた。
……恐る恐る振り返って、少年は何かを引きとめるように右手を顔の前辺りにまで上げ、何か秘密の話をするように顔を男――といってもマギとは二つしか歳が離れていないのだが――ともかくリオに向かって、
「反応しないお前が悪いんだぞ?」
真顔で呟いた。
「だからって首の骨を折っていいのか? いいのか!?」
「生きてるから」
「死ぬぞ普通!」
「いや、リオだし」
「妙な確信を持って言うな!」
「リオだから大丈夫なんじゃないかなーと俺は思ったような気がしないでもないかな、と……」
「弱気になればいいって問題じゃあないだろう!」
ふーっ! ふーっ! ……
リオはそこまで叫んで疲れたように大きく息をつく。
少し、沈黙が降りた。
「――怒ってるか?」
「何がだ?」
いきなりそう切り出したマギに向かって、リオは眉を寄せて聞き返す。
「お前は俺のせいで、迷惑がかかりっぱなしだなって思って」
「――」
目を細め、リオはマギの話を黙って聞いた。
「……ジャネイロさんだって死んじまったし、大怪我だってしたし、意思を持った
工芸品に乗っ取られただろ?
それに――好きな人にまで振られちまったし、な」
「言うな」
最後の所だけ茶化して言う少年に、リオは顔を赤くして言い返す。
マギは笑って、
「ま、そりゃともかく、俺のせいで色々お前は不幸なことになっちまっただろ?
だから――怒ってないかなって」
「……どちらかというと落ち込んでるな」
「じゃ、怒ってないんだな?」
「ああ――だが……」
リオはふっと眼を閉じ、微笑んだ。
「今首の骨を折られかけたことは怒ってるけどなそりゃあもう!」
どかっ!
「いってぇッ!」
頭のちょうどてっぺんに振り下ろされた拳に、マギは思わず声を上げた。
「やっぱ怒ってるんじゃねーかよ! この嘘つき野郎ッ!」
「うるさい! それとコレとは話が別だ!」
拳と蹴りの打ち合いが『いつものように』始まった。
マギは『
伝説の工芸品』は使わない。それはルールだった。
……各々の工芸品を起動し、本当に楽しそうに――
二人は『ケンカ』を始めた。
すぅ――
工芸品ではない刀を構え、解放戦線――いや、元解放戦線のアントニオ=ルイが小さく息を吸った。
――間が少しだけ開く。その間は息もせず、瞬きもしない。
そして。
「覇ッ!」
ぅん――んッ!
刀が気合とともに振り下ろされた。斬るべきモノも相手もない。イメージ・トレーニングというやつだ。
静かな環境と自然に満ちたこの島は、己を磨き鍛えるにうってつけの場所だった。
「うーん、相変わらず
劉のショートケーキは天下一品だみゃー」
「いやぁ照れるなぁ……
あ、そうそう、何かこの島の得体の知れない葉で茶の葉を作ってみたんだが、これで一息つかないか?」
……静かな――
「あぁ、それもいいかもみゃー……でもこの茶っ葉、うにょうにょ動いてるみゃ?」
「気にするな気にするな。湯をかけちまえばみんな一緒だ」
……………静かな……………
「それもそうみゃ。じゃあ水汲んでくるみゃー」
「ああ頼んだ」
…………静かな。
「主ら……うるさいッ!」
『っぎゃーっ!』
ばさばさばさっ――
二人の叫び声とともに、鳥がばさばさとその場から数羽飛び去った。
「ツバメ博士……」
「ヨシュア――
終わったの?」
ナギに似た、穏やかな顔の女性――桜木 ツバメの言葉に、影より出でた少年――ヨシュアは黙って頷いた。
マギの家の一番上にツバメは今いる。
ヨシュアはツバメを見ながら、
「みなそれぞれ散り散りに帰させたザンス。
もうこれで、あの
工芸品の遺したものは全て消えたザンス」
「……そう。
ありがとう――
――それに……ごめんなさいね。ヨシュア」
「博士が謝ることは何もないザンス」
ヨシュアは影から完全に体を出し、すたすたとツバメに歩み寄った。
「博士には、感謝の言葉しか浮かばないザンス。
……ありがとう、と」
「私は感謝されるようなことは何一つしてないわ。
貴方に迷惑をかけることばかりして……
お礼なら、あの子達にいうべきよ」
「…………」
『母』につられて視線を動かすと、ガラスのない窓のはるか向こう、海岸の方で小さな光が瞬いていた。大方あの二人というところだろう。そこへ至る森の中でも、木がものすごい勢いでなぎ倒されていっている。環境破壊もはなはだしい。何をやっているのだ。
――ヨシュアはため息をついて、
「あほらし過ぎてお近づきにもなりたくないザンス」
ツバメはそれにくすりと微笑んだ。
「あの子達から学ぶことはたくさんあるわよ」
………
「――たくさん――ね? そうでしょう?」
彼女は淡く微笑んだまま――呟いた。
……今思えば、リオという青年――少年か? ――には、悪いことをしたのかもしれない。
ダイアナはふと思い出し、苦笑した。
あの時は戦いの緊張がぷっつりと切れていたこともあったが、かなり自分は失礼な振る舞いをしなかっただろうか?
今度会うことがあったら、そのときは、なんと言えばいいのだろう?
……彼だけではなく、『マギ』や『ヨシュア』にも。
ナギという少女にも。その母親にも。
――そうだ。
自分はもう一度彼らに会わなくてはならない。
――いや、少し違うだろうか?
彼女は首をかしげながら……窓の外を見た。
基地は――研究所は、灰色で。
ため息をつきながら瞳を閉じる。瞼の裏に浮かぶのは――
あの島の緑。人々の笑顔。
笑顔――
――ああそうだ。
会わなくてはならない――違うんだ。
会いたいのだ。彼らに。
もう一度。自分が。
……もう一度。
――はじめのころは日本に帰りたくてたまらなかった。
家が恋しかった。父に会いたかった。危険がイヤだった。
でも今は。
……あたしは。
「日本――に――か」
ナギはため息をついた。
帰りたい――帰りたくない。ここにいたい――でも帰らなければ。
ああ――
瞳を閉じかけて、ナギは後ろに気配を感じた。
「お、お母さん!」
「――」
母――ツバメは黙って微笑んで――
「少し、話をしましょうか」
そう言った。
「ナギは、日本に帰りたい?」
いきなりそう切り出される。
「うー……」
ぽりぽり頬をかきながら、ナギは頷くか頷くまいか迷った。
帰りたい、といっても嘘にはならない。
――でも、みんなと一緒にいたい、そういう思いもある。
帰りたくない、といえばあまりにも薄情すぎるだろうか。
「どうだろっか……なぁ」
「迷ってるの?」
「迷ってるっちゃめちゃめちゃ迷ってるけど……でも、帰りたくないとかじゃなくて……」
言葉を選びながら言う。が、結果的に意味を成していない。
「……えーっ――と……」
「来週――日本に帰るわ」
「はぃッ!?」
それは――あまりにもいきなり過ぎた。
「来週!? それって……」
「ナギ、あなたが――
ここにいたいと思うならここにいてもいい。
強制はしないわ。あなたはもう大人だもの」
「――お母さん……」
義務教育中だっちゅーねーん――
エコーがかって脳裏に響くそんなツッコミを、とりあえずナギは黙殺した。
まぁ、義務教育うんぬんはともかく、母が自分のことを思ってくれている、と言うのはわかった。
数年離れていたからといって、親子であることには変わりないのだ――
――でも。
(ホントに、どうしよう、あたし……)
頭を抱えたいような気持ちになりながら、彼女は口を手で覆った。
……早い。
月日の経ち方というのは、人間の気分によってずいぶん左右されると思う。
ほとんど一瞬だった。一週間は。
――
神の島駐留中のアメリカ軍に運んでもらうことになっている。
龍法師、マギ、リオ、ポチ、元・解放戦線の面々――ヨシュアは、島に残るそうである。それに村の人々。
――みなさん、おそろいで。
ナギはため息をついた。あの事件にかかわった人々、ほとんどがそこにいる。
みな、ツバメと――ナギの、見送りに来たのだ。
「……また来ればいいわよ」
少し不機嫌そうな顔をしていたからだろうか。こちらの肩に手をおいて、母が言う。
うつむくように頷いて、ナギはそのまま顔を上げなかった。震えるほど拳を握り締めて、呟く。
「――また来るから」
もうすぐ出発だ。それまでに。
「――絶対に、また戻って来るから」
それまでに。
「だから、マギ」
……ぱっ、とナギはマギに抱きついた。
きょとん、とした顔でマギが目を瞬かせる。龍法師が感極まったようにうんうんとうなずいていたりするが、それはどうでもいい。
「……待っててよ」
「ナギ――」
「絶対、待っててよ」
「……ああ。解った。
ずっと待ってるから」
「ずっとなんかじゃなくていい。
すぐに、戻ってくるから――」
ナギはそれだけ言って、マギから離れた。
「――ああ。解った。
またな」
――
「うん」
何度も何度も頷いて。
飛行機に乗り込んだ。
……また来ればいい。
また。
この島へ。
マギのところに。
マギは、空を見上げた。
気に食わないほどにそれは青く青く澄んでいて。
……青く、澄んでいて。
まるで祭りの騒乱の後を思わせるかのような。
たった数日前に終わった騒乱を。
――全てが――
全てが終わって――終わってくれて、終わってしまって。
みんな、それぞれの道を歩んでいく――のだ。
……また来よう。この島に。
また来よう。
その日まで。
――ほら。
ごきげんよう。
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