……吹雪。




 お前は、やっぱり覚えていない。俺が忘れさせた、俺に関するいくつもの記憶を。
 まだ時間が足りないのかも知れない。もう少しすれば思い出すのかも知れない。だがもう、待つ意味はない。世界はすべてダークネスに呑み込まれ、ひとつになって、闇の中にこごる俺の意識も溶け消えて、俺自身、何もかも忘れて楽になれるのだから。
 吹雪、お前が俺のことを思い出し始めた時、俺は正直、嬉しかったのかも知れないよ。だが同時に、この世への未練が今さら生まれたことに、絶望しもしたんだ。お前が半端にしか思い出していないと解った時は、それは更に強くなった。俺はお前にとって、どれほどの存在なのか……ダークネスに身も心も捧げながら、まだびくびく怯えている自分がいることに。
 頼むから、吹雪、俺を期待と失望の狭間で苦しませないでくれ。お前はいつもそうだった。お前が触れてくるたびに、お前が冗談めかして好きだよ、と囁くたび、俺がどんな思いでいたか、お前は知らないんだろう? 俺は多分、お前が口先だけで言うよりも何万倍もお前のことが好きだったよ。お前は友情のくだけた表現として好きだと言う言葉を使ったけれど、俺はそんなんじゃなかった。
 俺は、お前のことがほんとうに好きだったんだ。
 友達としてじゃない。そんなんじゃなかった。だから、お前に親しげにされると俺は天にも昇るような気持ちになったし、同時にひどく苦しかった。俺がどんなことを考えているか、知ったらお前はもう、俺にこんな風に接してはくれなくなるだろう? お前は優しいから困ってしまうかも……あるいは、もしかしたら、嫌われてしまうんじゃないか。それがいちばん怖かった。俺は友達面をしながら、それ以上の、いや、それとは全く別の、お前にとって特別な存在になりたいと願いながら、そんな勇気もなくって、どんどん追い詰められていった。気付いていた? いなかっただろ。……ああそうさ。いい加減、疲れたよ。お前に振り回されるのは。
 ダークネスは俺を受け入れてくれたんだ。気の狂うような孤独感も、お前への想いや恐れも、全部呑み込んで、溶かしてくれた。俺は苦しくなくなって、闇の揺り篭の中でまどろんでいられた。その時、生まれて初めて心から安らげたような気がしたよ。泥の底の眠りが幸福だったんだ。
 なのに、今俺は。
 きっと、お前の顔を見たからだ。そうだよ。息が苦しくて、苦しくて苦しくてたまらない。俺はお前のことが好きなのに、お前は俺のことを苦しめるんだな。いつだって。いつだって。
 ……それなら、それでいいさ。
 もう関係ない。闇がこの世界を全部全部呑み込んだら、俺の意識ももう浮かび上がることはない。こんな苦しみは一瞬なんだ。一瞬に過ぎないんだ。ダークネスは共にこの先分かち合う永遠の安らぎを想うなら! それならば今は苦しみを、自分から味わうこともしよう。
 そう、吹雪。お前だけは……お前だけは俺が直接ダークネスに取り込んであげるよ。ダークネスは俺を受け入れてくれた。誰をも等しく受け入れてあげられるんだよ。お前のことも。
 みんなみんな、ダークネスと一体になればいい。俺と、ダークネスと、お前、そしてあらゆるひとびと。みんな一つになれば……


 きっと、俺はもう苦しくない。




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