熟成期間


熟成期間(チハヤ×ヒカリ)







――――――部屋の片付けをしていたら、机の奥から出てきたんだ


そう言ってオセが酒場に持ってきたのは、一冊のアルバムだった。
ちょうど酒場にいたルークやシーラと一緒に、私達はテーブルの中央に置いた
アルバムの分厚い表紙をそっと捲る。

ページを捲ると綺麗に整理された沢山の写真が、私達の目に飛び込んできた。
そこでは幼いオセやルーク、そして今よりずっと若い姿のラクシャさんやダイさんが
こちらに向かって笑顔を浮かべている。

「おっ、懐かしいな−!!この時は、オセと俺とタオでこっそり遠くまで遊びに行って
夜になっても家に帰ってこられなくて、親父達に滅茶苦茶叱られたんだよなー!」

「たしか、ルークはダイさんに特大の拳骨をもらってたよな」

写真の中に映る自分達を見つめながら、昔を懐かしむオセとルークは本当に
楽しそうで、二人の話を聞いていた私までワクワクした気持ちになった。

子供だけでした冒険や、森の中に作った秘密基地の事。
お祭りの時に、はしゃぎすぎて怪我をしたこと。
眠れない夜にこっそり家を抜け出して海を見た時の事。

アルバムの中には、姿だけではなく沢山の思い出が詰め込まれていて、その光景を
今、この瞬間に……ほんの少しお裾分けして貰えたのが嬉しかった。

「こりゃまた、ずいぶんと懐かしい物を持ってきてるじゃない?」

注文したお酒を運んできたキャシーが、テーブルの上に置いてあるアルバムを
ひょいと覗き込んで、笑顔を向けた。

「そういえばオセの小さい頃は、こんなだったねー!本当に懐かしいよ」

「こっちには、キャシーも映ってるぞ」

オセやルークの横で笑うキャシーも、今より随分と幼い。
けれど、笑顔の輝きは今と変わらないな……そう思えて私は胸の中でこっそりと笑う。

「この時のオセってば夏祭りの屋台でジュースを飲み過ぎて、お腹壊したんだよね」

「そっ!!それはルークと、どちらが早く飲めるか競争して負けたもんだからつい
悔しくてムキになっちまったんだ」

照れたように頭を掻くオセを見て、私達は皆賑やかな声で笑った。
アルバムのページをパラパラと捲っていたシーラが、真横に座るルークの肘を軽く突いた。
シーラの動作は何気ないものも含め凄く綺麗で、褐色の艶やかな肌を目で追ってしまう。

「こうして見ると……ルークは、あまり今と変わらないような気がするわね」

悪戯っぽくそう呟くシーラの言葉にルークは慌てたような顔でアルバムを掴み、写真を
まじまじと眺める。

「そ、そんなことはないぜ!!俺だって、さすがにこの頃よりは成長してる……と思う!」

私からするとシーラのそれは単に少しからかっているだけで、何も本気でそう思っている
わけではないと分かる。
けれど、必死に自分は大人なのだと主張するルークはキャシーの持ってきたお酒を
ぐいっと煽るように飲み干し、空のグラスを威勢よくテーブルへと置いた。

「ほらっ!!こうやって酒が飲めるようになったのも大人になった証拠だよな−!
そうだ!オセ、久しぶりに昔を思い出して、飲み比べしようぜ!」

「いや、その……まあ、別に構わないが」

「だから、こういうところが子供だっていってるのよ!ねえ、ヒカリ?」

ルークの勢いに押されたようなオセと、呆れたように手をヒラヒラと振るシーラ。
何だかんだと言いながらもオセはルークとの飲み比べに乗り気だし、呆れたように
言葉を発したシーラも、ルークを見つめる目はとても優しいのを私は知っている。
だから、私は敢えて頷いたりはせず……楽しく笑う事でシーラへの反応を返した。

弾んだ声でキャシーにお酒の追加を注文すると、ルークやオセはシーラを交えて
昔話の続きを再会する。
私は、アルバムの中に納められている写真を順番に眺めながら、ある事を考えていた。

それは、もしも自分が幼い頃からこの町に居たとしたら……という、あり得ない想像。

四角く切り取られた写真の中で、幼い自分も皆と一緒に笑顔を浮かべる事が出来たら
楽しかっただろうな、などと現実では絶対にあり得ない事を考えてしまう。
この町に越してきてから、それなりの時間が経過した今、私はここで暮らす人達が大好きだ。
一大決心をしこの町で牧場を始めたものの、何もかもが初めて尽くしで右往左往する私に
優しく、時には厳しく仕事を教えてくれた島の人達を尊敬しているし、温かく迎え入れて
くれたことを心から嬉しく思っている。
同年代の友人達は、今ここにいないメンバーも含め、気の合う仲閧ニして大切な存在だ。
だから別に過ごしてきた時間の長さが重要なのではない、ということを本当は分かっている。
私自身の持っている思い出が、ルーク達の話すそれと同じくらい大切だという事も。

けれど、何故かか私は置いてけぼりにされたような気がしていた。
目の前で楽しそうに語られるそれを楽しむ事は出来ても、共有する事は出来ない。
まるでテレビの中に映る物語を一方的に目で追っているかのようだ。
それが、少しだけ悔しくて寂しい。

いつもなら積極的に会話へ参加するところだけれど、妙にボンヤリとした気持ちで
ただ、写真の中に閉じ込められた空間の中にある様々な表情を眺めていた。

その時、肩をトントンと叩かれ慌てて我に返った私が振り返ると、チハヤが立っていた。
いつもはカウンター奥に備え付けられたキッチンで作業をしている事の多い彼が
テーブル席の方に来るのは珍しいな、と思いながら私は首を傾げる。

チハヤは私の耳元で 「ちょっと手伝って欲しいんだ」 と囁くとキッチンの方へ足早に戻っていく。
言われるがままに立ち上がり彼の後を付いていくと、ちょうど追加の品をトレーに載せたキャシーと
目が合う。キャシーは、すれ違い様に 「盛り上がってるテーブルの方は任せて!」 と小さな声で
言い、意味ありげに目配せをする。
キャシーが目を向けた先にはキッチンに立つチハヤの姿があったから、私は軽く頷いて微笑むと
彼の元へ向かった。


**


キッチンでは鍋が火に掛けられ、その中にはたっぷりのお湯が熱い湯気を立ち昇らせている。
彼は、私が来たのを確認すると棚の中から小さめの瓶を取りだし、シンクの上に置いた。

「そっちの冷蔵庫にオレンジが入っているから、幾つか出してもらえるかな」

「あ、うん……わかった」

いつもの彼なら、たとえどんなに忙しくても手伝って欲しいなどと言わないだろう。
店に来ている以上、お客なのだから手伝いは必要ない、きっぱりとそう言うに違いない。
今日の彼は、どこか身体の具合でも悪いのかな?……少し心配になりながらも私は
冷蔵庫を開けて、中にあるオレンジを何個か取り出し彼の元に戻った。

「ありがとう、それじゃ……オレンジを綺麗に洗って蔕の部分を丁寧にナイフで取って」

そう言ってチハヤは水で綺麗に洗ったオレンジを手に取り、ナイフの尖端で器用に
蔕を取った。私も彼の手本を参考に、オレンジの蔕を取る。
その次に、彼はオレンジをまな板の上に置き、均等な厚さにスライスしていく。

「厚さは大体でいいから、同じようにやってみて。手を切らないよう気を付けてね」

「うん」

不思議な感じではあるけれど、こうしてチハヤと並んで料理をするのが嬉しかったから
私は笑顔を浮かべながら、手元のオレンジを薄くスライスした。

「ここにある瓶は雑貨屋で買った物だけれど、同じようなサイズなら何でもいいから
ヒカリの家にあるものを使って」

そう前置きした後で、チハヤは沸騰する鍋の中に瓶と蓋を丁寧に入れた。
ぐらぐらと煮立つ鍋の中で透明な瓶と白い蓋が微かに揺れている。

「この作業は煮沸といって、瓶を綺麗に消毒するようなものなんだ。沸騰したお湯に
暫く浸しておいて、その後……清潔なタオルで水滴が残らないよう丁寧に拭く事」

私は言われた通り、熱湯に浸した瓶と蓋を乾いたタオルで丁寧に拭いた。
鍋からはチハヤが取り出してくれたので、火傷をするような事もなかった。

「煮沸した瓶の中に、薄く切ったオレンジを詰め込んで上からお酒を注ぎ込む。
それだけでもう……一応は完成だから。
お酒は、カクテルにするような強いものであれば、種類は別に何でも構わないよ。
中に入れる果物はオレンジだけじゃなくイチゴやリンゴなど、アカリの牧場で育ててる
果樹は殆ど何でも大丈夫だし、ベリー類など季節毎に採取出来る物に合わせて
お酒の種類を変えても面白いと思う」

カクテル用のお酒を瓶に注ぎ込んだ後、蓋を強く閉めた彼は、私を見てようやく
微笑みを浮かべた。
彼の動作に習って同じように瓶の蓋を閉めた私は、作業をしながらずっと考えていた
言葉を発す。

「フルーツをお酒で漬け込むってことだよね?うん、これなら簡単に出来そう。
私も早速家で作ってみるね。でも、どうしてこれを私に教えてくれたの?」

私がそう問いかけると、彼は一瞬目を逸らし大きく息を吐き出す。
その横顔が心なしか赤く染まっているような気がして、私は幾らか緊張しつつ
言葉の続きを待った。


「さっき、向こうでオセのアルバムを見ているとき……ヒカリが寂しそうに見えたから」

「…………えっ??」


頭の中に浮かんでいた疑問符が、彼の言葉で一層大きくなった。
たしかに新しいレシピを教えて貰う事で、先程まで胸の中に広がっていた言いようのない
寂しさは、もうすっかり消えているけれど、彼のいつもを考えるとやはり不思議な気がして。
朧気に分かる事といえば、彼の優しさ……というか、普段は影を潜めている温もりのようなもの。
とはいえ、別にチハヤが冷たい人だと思っているわけじゃない。寧ろ彼はとても優しい人だと思う。
ただ、その優しさや温かい部分をあからさまに出したりすることを好んでいない、というだけ。

灯台で彼に想いを告げられたとき、私の中で既に彼はとても重要な人となっていた。
それはもちろん友達や島の仲閧ニしてではなく一人の異性として、私は彼が好きだ。
一緒に過ごす時間が増えるにつれ、少しずつ自分の事を話すようになった私達だけれど
まだまだ知らない彼の一面があるんだな、そう思うと嬉しさで胸の奥がくすぐったくなる。


「このレシピは、漬け込むフルーツやお酒が美味しいだけじゃダメなんだ。一番大切なのは
漬け込む熟成の時間だからね。熟成期間は、出来るだけ長い方が美味しくなる。
その……上手く言えないけど、人間だって同じじゃない?
ヒカリはさっき、ルーク達の思い出話を聞いている時に……もしかしたら自分も一緒に
同じ時間を過ごせたら良かったのに、なんて思っていたかもしれないけど、僕からすれば
この先、いくらでも思い出は作れるよ。例えば、このレシピを使って、何かいい事があったとき
フルーツ漬けを作る、とかそういう習慣をつけておいたとする。時間が経って、棚からこの瓶が
見つかった時、ラベルの日付や書き込んだ文字を見て、そういえばこんな事があったなって
それだけでも充分、思い出にならない?」

「うん、絶対素敵な思い出になるよ!!」

「僕は、こんな形でしかヒカリに思い出を作ってあげられないけど、それでも……この先
まだまだ沢山の時間をヒカリと一緒に、過ごしていきたいと思ってるから」


照れたようにそっぽを向き、思い切り顰め面になるチハヤを見ていたら、胸の芯がジワリと
痺れていくような気がした。嬉しさや幸せ、彼への想いなど全てが合わさり、ちょうど花開く
寸前の蕾が、色づき膨らんでいくような感じ。
私は、胸の中で色付く花が開いたほんの一瞬だけ目を閉じて、彼の手を強く握る。
美味しい料理を生み出すこの手が、とても愛しくて……指先から伝わる温かさに寂しさなど
跡形もなく吹き飛んでしまった。


「チハヤ、ありがとう。私もこれからずっと……チハヤと一緒に思い出を作っていきたいな。
良い思い出だけじゃなくて、喧嘩したり些細な事でも後から振り返ればきっと大切なものに
なると思う。だから5年、10年、15年先もこうしてフルーツ漬けを作りたいな。
上手に出来てるかどうか、その都度チハヤに味見してもらうの」

「それってまるで、プロポーズみたいに聞こえるけど?」

悪戯っぽく笑う彼の言葉を聞き、私の顔が瞬時に沸騰する。
チハヤの事は大好きだから将来の事も考えてはいるけれど、今この瞬間にというのは
あまりにも性急な気がして、私は慌てて手を放し大袈裟に首を振る。

「あのっ……別に今すぐ、どうこうってつもりじゃなくて……!!」

「冗談だよ、それにこういうのはやっぱり男の方から伝えたいものだしね。
さすがの僕でも、もう少し時と場所を選ぶよ」

楽しげに笑うチハヤを見てからかわれたのだと分かった。ホッとすると同時に少し悔しくて
思わず頬を膨らませる。けれど、チハヤもさり気なく聞き捨てならない事を言ったような。
とりあえず、また後でゆっくり考えようと思う。

相変わらず向こうのテーブルでは、アルバムを囲んでの昔話が盛り上がっている。
ルークとオセは飲み比べを途中で止めたらしく、けれど賑やかに笑っていた。
いつもはカウンターでグラスを磨いているハーパーさんも、今日はダイさんやラクシャさんと
ソファの方で笑いながら話をしていた。
多分、オセの持ってきたアルバムで……昔を思い出したのだろう。
さっきまでは、漠然とした寂しさに包まれていた心が、今はポカポカと暖かい。
それは紛れもなく、隣で笑う彼のおかげだ。

その彼は棚の中からもう一つの瓶を手にすると、同時に冷蔵庫の中からアイスクリームを
取り出した。瓶の中に詰められた果物は、とても良い色に漬かっていて蓋を開けた瞬間
甘いお酒の香りが漂う。

「これは、三年前に僕が漬けた物なんだ。使い方の一例としては、この果物をこうやって
細かく刻んでお酒ごとアイスクリームに掛ける。他にはケーキの中に入れても美味しいけどね。
はい、どうぞ」

ガラスの器に盛られたアイスクリームの白に、濃いオレンジ色がよく映えて綺麗だと思った。
スプーンでアイスを掬い、口の中に入れると甘酸っぱい中にもお酒の風味が強く感じられて
とても美味しい。いつものアイスクリームとはひと味違う、上品かつ複雑な甘さだ。

「すっごく美味しい!!」

「そりゃあ僕が作った物だから、美味しいに決まってるよ……なんてね」

「お世辞とかじゃなく本当に美味しいよ、チハヤも……はい!!」

もう一口分をスプーンで掬って彼の口元に差し出すと、それまで余裕さえ浮かんでいた
笑顔が途端に驚愕へと変わり、みるみるうちに顔が赤く染まっていく。

「いや……さすがに店の中だし……」

視線を彷徨わせる彼の腕を掴み、それなら……と私はカウンターの下に屈み込んだ。
ここからなら誰にも見られないし、ちょうど今は皆それぞれの会話に集中しているのだから
大丈夫なはず。

観念したかのように彼は私の差し出すスプーンをそっと加える。
顔中が赤く染まっている彼に、冷たいアイスはちょうど心地良いかもしれない……などと
油断していた私は、次の瞬間――――彼に唇を塞がれた。

「……っ!!」

「何か悔しいから……仕返し」

驚きのあまり息を飲み込んでしまった私は、再び急激に熱く火照る顔を隠しもせず
大きく瞳を見開いた。

――――瓶のラベルには、日付と一緒にその日あった出来事を簡単に添えておくといい。

さっき彼の言っていたそれが、頭の中に繰り返し響いている。
教えて貰ったレシピを実行するからには、今日からが始まりの日だ。
ラベルの中に書き込む言葉は 「チハヤから不意打ちのキス」 これにしたらどうだろう?
時が経って彼に見せたとき、どんな反応をするか楽しみで、私は笑顔になった。

 

end





おぺらお〜さんが、この小説の続きをとっっても素敵に書いて下さいました!!
是非、こちらからご覧下さい!!

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